何がしたいのか分からない
サイドテーブルのベルを鳴らす。間もなくしてメイドがやって来て、私を浴室に案内してくれた。
湯浴みをしてさっぱりしたのは良かったけれど、身体に形容し難い違和感がある。
「目覚めたと聞いた」
お茶を飲んでいたらシュテファン様がやって来た。
「身体は大丈夫か?」
「はい」
お陰様でと言うのもおかしい気がするので言わない。こんな時は何と言えばいいのか誰も教えてくれなかった、と間の抜けたことを思う。
恋愛関係にある二人ならきっと違うのだろう。少なくとも私が読んだ恋愛小説では違った。結ばれた二人のその後は幸福に満ちていたのだ。
政略なのか偽装なのかよく分からない婚姻。
けれど、無事に妻としての役目を一つ終えられたことに安堵している。
私の正面に座り、お茶を飲むシュテファン様をじっと見る。
昨夜、私は恙無く初夜を終えたのだ。
短刀で傷を付けたりなどせず。
貴族同士の結婚では愛情が伴わないことなど普通である。それなのにわざわざ愛さないと宣言したのだから何かあるのだろうと思った。普通思うのではないだろうか?
公表出来ない恋人がいるのかと問えば違うと言う。
昨夜はそれ以上の情報を引き出せなかった。
「聞きたいことがあるなら言って欲しい」
侍女達にも聞かせてしまって良いのかと思っていると、シュテファン様が下がるように合図をした。
二人きりである。
「……では、お言葉に甘えて」
どう訊ねるのが正解なのか分からない。姉ならばきっと上手く引き出せるのだろうし、妹なら欲しい言葉を言わせることが出来そうである。
「私を愛さないとおっしゃいましたが、それは恋人や想う方がいらっしゃるからではないのですね?」
恋人や想う方、と私が口にした途端シュテファン様のお顔が険しくなった。
「そんな相手はいない。生涯持ちたいとも思わない」
妻がそういった相手になるかも知れないという可能性も否定しているが、それはそもそもあり得ないと思うので気にしない。
「貴族同士の婚姻は愛を伴わないことが通常。敢えてあのような発言をなさった意図はなんなのでしょうか?」
「だが、愛されたいと望む令嬢は多い」
それは幸せになりたいからだろう。家と家との契約だからと分かっていても、愛されたい、必要とされたい、幸せな日々を過ごしたい。
道具として扱われるのではなく、人として見てもらいたい、そういった思いがあるのではないだろうか。
シュテファン様はミューエ侯爵家を継ぐ身。頭脳明晰な方であり、容姿も大変優れた方。
あの魅了事件の後、シュテファン様の評判は回復している。以前よりも良いのではないだろうか。
ミューエ家の躍進を苦々しく思う者たちも、シュテファン様のことを悪く言うことは憚られるはずだ。
「愛されるのもお嫌ということでしょうか?」
私の質問にシュテファン様は困った顔をする。
「愛されることは嫌ではないが、愛さないと口にした私が愛されたいなどと言う権利はない」
そこの筋は通っているのかと妙に納得する。
恋人はいない。
愛さないから愛してくれなくても構わない。
愛さないけれど愛されたい、などと子供じみたことをおっしゃる方でなくて安心する。
「分かりました」
本当は何も理解出来ていないが、婚姻を結んでしまった。白の婚姻とすることも不可能となった。
今なすべきことは情報の整理だと思う。
「では、私には何処までの権利が与えられるのでしょうか?」
「何処までとは?」
「次期侯爵夫人として、社交や茶会に出る必要があるのか、孤児院や施設院などへの慰問はどうすれば良いでしょう?」
女主人としての働きをどれほど求めているのか、しっかり把握しておく必要がある。
「社交はしてもらう必要があるが、無理はしなくて良い。
貴女も知っている通り私はあの一件で望まぬ目立ち方をした。今回の婚姻も婚約期間が貴族としては短期間でもある。要らぬ詮索を受ける筈だ。
私が正式に家を継ぐまでは母が参加する茶会についていけば良いだろう」
「分かりました」
まだまともに侯爵夫人とは話をしたことがない。
嫌がらせをされないと良いのだけれど。
「孤児院や施設院に関しても母と同じようにしてくれれば問題ないが、個人的に目をかけたい施設があるなら執事に相談して欲しい。余程の事情がない限りは反対されないと思う」
「ありがとうございます。未熟者ですが、精一杯努めます」
「あぁ、よろしく頼む」
今知りたいことは聞けたので、少しほっとした。
お飾りの妻として扱われることはなさそうで。
落ち着いたら姉と妹にも会いたい。二人は私の婚姻に反対していた。他の家の姉妹がどうかは分からないけれど、私達は仲が良い。
姉は私を馬鹿にするようなことはなかった。学院の勉強で分からないことがあれば、私が理解するまで根気よく教えてくれた。私の分を奪って生まれたと言われていることを気にしているのかと思ったけれど、そういった気持ちからではなさそうだった。
妹は見目が良いけれど、それは要らぬ好意と嫉妬を呼び寄せた。信用のおけない令嬢達を知人と呼ぶことはあっても、友人とは呼ばなかった。
人より優れたものを持っていれば幸せになる訳ではないのだと思った。
「コルネリアはどういったことを好む?」
姉妹のことを考えていて、シュテファン様の話に一瞬反応が遅れた。
「好きなことはなんだ?」
「そうですね……。恋愛小説を読むのが好きです。それから刺繍でしょうか」
「恋愛小説……他の分野は読まないのか? 空想とは言え、人の恋愛だろう?」
「自分の身に関係ないから楽しいのです。感情移入なさったりする方もおられるようですが、私は少し離れて見ていられる物語が好きなのです」
「少し離れて見ている?」
お茶で咽喉を潤す。
「現実での恋物語を見るのは少し苦手です」
シュテファン様はじっと私を見つめる。何故こんなにも真剣な顔をなさってるのか分からない。
「良いことばかりではありませんから」
当て馬になる人、恋に破れる人たちの気持ちを考えると、現実の残酷さに胸が痛む。自分のことではないのにと姉や妹には呆れられるけれど、苦手なのだから仕方がない。
物語の中なら何があっても良いという訳ではないけれど、作者の気持ち次第でどんな幸運も奇跡も起きる。
そう思うと読むのが辛くない。楽しむ余地が生まれる。
「……その視点はなかった」
返答のしづらいことを言ってしまったと反省する。もう少し無難な回答をすべきだった。
「母も刺繍が好きだから、コルネリアが刺繍好きと知ったら喜びそうだ」
「まぁ、そうなのですね。お会いするのが楽しみです」
刺繍から色々と話せるようになると良いのだけれど。
「遠慮せず必要なものは買うといい。
あぁ、社交で必要になるだろうから、ドレスも早々に作らせよう」
話すべきことを話し終えても、シュテファン様は席を立とうとしなかった。それどころか侍女を呼び、私の為に軽食を用意するようにと指示までした。
しばらくして運ばれてきた軽食を口にする私を眺め、もっと食べなさいと心配までされた。
……まったくもって意味が分からない。
この方は一体何をしたいの……?