姉の婚約
姉のお相手が帰国し、晴れて婚約が結ばれた。
才女と名高いリヒツェンハイン家の長女が選んだ相手。婚約者のクラウス様は注目を浴びたが、彼は萎縮することなく堂々としていた。
姉の話から無骨な方を想像していた。確かにしっかりとした身体付きではあるものの、どちらかといえば美丈夫に分類される見た目だった。
ただ、愛想笑いなどをする気はないようで、基本的に無表情だ。そんなクラウス様が姉には甲斐甲斐しく接する。そんな様子を見ていると、つい笑顔になってしまう。
「嬉しそうだね」
姉とクラウス様の仲睦まじい様子を見ていると、シュテファン様が言った。手には飲み物の入ったグラス。
差し出されたグラスを受け取り、礼を言って頷いた。
「えぇ、とても」
今日は婚約を祝う会がリヒツェンハイン家で行われている。私とシュテファン様も当然参加している。
祝いの品を渡すと、大袈裟だと言いながら、とても嬉しそうに微笑んでいた姉。
クラウス様から姉に向けられる眼差しは恋愛小説の描写そのままだ。
熱のこもった眼差し。少し強引に見える所作だけれど、姉を心から愛しんでいるのが分かる。それを受けて頰を染め、微笑む姉の美しさ。優れた容姿だけが人を美しくするのではないのだとよく分かる。
しあわせも、人を美しく見せるのだと知った。
「姉のあのようなしあわせそうな顔、初めて見ました」
長子として自分がしっかりしなくてはと、いつも肩に力が入っていただろうと思う。
「良い縁を得られて、本当に良かった」
シュテファン様の言葉に頷いた。
「いつもいつも、リヒツェンハイン家の次期当主としてこうあるべき、こうしなくては、そう考えて生きてきた姉です」
女の身で当主を務めることの重圧がどれほどのものなのか、私には想像しても分からない。
「クラウス様といる時には、本来の姉でいられるのでしょうね」
それはきっと、私たち家族も知らない顔なのだろう。
「そうだね」
ユリアがやって来て会話に加わる。
主役である姉の邪魔をしないようにと、深く落ち着いた色のドレスをまとっていたが、ユリアはそれでも美しかった。本当に自慢の妹だ。
「お邪魔してごめんなさい」
「そんなことないわ」
シュテファン様も頷く。
「お姉様ったら、あんな風に笑えるのね。妹を長くやっていたけれど、初めて知ったわ。いつも気取った笑顔しかなさらなかったのに」
「そうね」
遠慮のないユリアの言葉には笑ってしまうものの、同感だ。いつも控えめな、淑女らしい笑顔しか見たことがなかったのに。あんな笑顔を見られるなんて。
「けれど、あの笑顔を引き出せるのはクラウス様だけなんでしょうね」
そう言うと、ユリアが「悔しいことにね」と頷く。
「シュテファン様も、ネリー姉様といらっしゃるとき、とても優しく微笑んでらっしゃるものね?」
意地悪そうに言ってユリアがシュテファン様を揶揄う。シュテファン様は笑顔で頷いた。
「そうだね、自然と笑える」
「嫌だわ、揶揄うつもりだったのに、素直に認められてしまって。これじゃ私がただの意地悪になってしまうじゃないの」
笑ってしまう。シュテファン様を見ると、私の視線に気づいてこちらを見て、笑顔になった。
ユリアが言うように、それはそれは優しい笑顔だった。クラウス様が姉に向けるような、物語にあるような、熱のこもった眼差しではないけれど、確かに向けられる気持ちを感じる。
「来年の式が楽しみね」
「本当に」
知人の姿を見つけたユリアが私たちから離れて行った。
リヒツェンハイン家は花嫁が着るドレスが決まっている。代々受け継いできたもので、そのドレスを着るとしあわせになると言われている。
本当か嘘か分からないが、リヒツェンハイン家に嫁いだ女性たちは不幸が少ないと言われている。
それは、リヒツェンハイン家の当主が愛人を持たないからだ。貴族社会では婚姻は家同士の契約であり、義務を果たした後はお互いに愛人を持つのも珍しくない。けれど、リヒツェンハイン家に嫁いだ女性は愛人を持たない。夫である当主が妻だけをパートナーとするからだ。
娘の私からすれば冴えないように見える父だけれど、若かりし頃は人気だったらしい。その父を射止めたのよ、と母が自慢げに言うのだ。
そういった話を聞くにつけ、愛されたいと願う女性は多いのだと思う。
愛されたい。
必要とされたい。
──しあわせになりたい。
「早く春にならないかしら」
そう言うと、シュテファン様が微笑んだ。
「来年にはクリスタの婚約もまとまるだろう」
クリスタ様にはいくつもの縁談の話が来ている。そのうちの一つが第二王子とのもの。
王家による罪滅ぼしなのか、政略なのかは分からない。第二王子は王太子となった。その妻ということは未来の王妃だ。ミューエ家の未来は約束される。
シュテファン様が第二王子に仕えることを辞退したこともあって、クリスタ様が断れないなどということはないだろうか……?
「……クリスタ様はどうお考えなのですか?」
「実は、数年前にクリスタを見初めたという他国の王子から、クリスタを嫁にと求められている」
「まぁ! それはどちらの?」
姉に叩き込まれてきたから、他国の王族のことは少しなら知っている。
「南の国の第五王子だ」
「庶子でいらっしゃいませんでしたか?」
「そうだ。婚姻後はこちらに来たいそうだ」
「……それはそれは」
なんとあからさまな。
そうなればミューエ家が持つ爵位の一つも渡すことになるだろう。お義父様がご健在なのもあって、成人後、シュテファン様はミューエ家が持つ爵位の一つを名乗っている。
庶子ということでご苦労もされていたのかも知れないけれど、婿入りの必要もない他国の家と婚姻を結ぶとなれば、厄介払いだとか金目当てと言われても仕方ない。
元王族を、義弟とは言え下に扱うことは出来ない。面倒極まりない。
「クリスタは第五王子との婚姻を嫌がっている。かと言って庶子とは言っても他国の王族だ。むやみに断れるものでもない。
そんな時に王家から打診があったんだ。第二王子の婚約者はまだ決まっていない。王妃となるのは負担だろうがどうだろうか、と」
姉ならきっと、それはそうやってミューエ家を手放さないようにする為よ、と言うだろう。
けれどそんなものだ。貴族の家に生まれて何の責務も負わず、権利だけを享受して生きるのは難しい。
第二王子は第一王子ほどの能力はないと聞いている。けれど人柄は良いとの噂も耳にしている。
柔らかな見た目だけれどしっかり者のクリスタ様と相性も悪くないだろうし、侯爵家の令嬢なら後ろ盾もある。王妃として申し分ない。
第一王子の婚約者だったマリアンネ様も侯爵令嬢だ。家格としては同じ。
そう言った意味でも王家にとって利点がある。
「マリアンネ嬢の生家も、ミューエ家の娘ならば文句は言わないだろう」
クリスタ様の気持ちが気になる。
頭で理解することと、感情は別物だ。
「クリスタは王太子殿下との婚姻を前向きに考えている」
「そうなのですか?」
「あぁ、私はエルンスト殿下の側にいることが多かった。そんな私にくっついて来て、王太子殿下──オリヴァー殿下と面識があるんだ」
侯爵家の令嬢なのだし、接点はこれまでに何度もあったことだろう。
「クリスタ様がおしあわせになるなら」
兄として妹のしあわせを願う気持ちがあるのだろう。
シュテファン様は静かに頷いた。
 




