恋とは意識してするものではない、落ちるものだ
姉や妹、クリスタ様、お義母様の力を借りながらではあるが、社交界に戻りつつある。
シュテファン様は心配しているが、屋敷に閉じこもっていては私の目標が達成出来ない。
もう一つの目標。
令嬢たちにあっと言わせる。
我ながら何故そんなことにこだわったのかは不明だが、私の矜持は刺激されたのだ。
やられっぱなしにはならないぞ、と。
特訓を始めてから二ヶ月程が経った。まだまだ目指している淑女像には遠いが、身体が変わった。
シシーたちの協力あったればこそだが、さほど細さは変わらないものの、引き締まっていく身体付きや、肌や髪の滑らかさは目に見えて分かる。
同じドレスを着ているにも関わらず、以前と違うと、鏡に映る自分を見て思うのだ。
指先まで神経を張り巡らせるように、とはアティカの侍女からの指導なのだが、指先に意識を向けると、自然と背が伸びる。俯く頻度も減ってきたように思う。……前よりは。
相変わらず笑えていないようだが、ユリアから目を細めて口角を上げて、と言われてからそうするようにしている。笑っているように見えるとのことなので、ひとまずよしとする。
特訓生活に慣れるまでは後悔ばかりしていたが、己の変化が目に見えてくると、気持ちがころりと変わった。
なんと単純なとも思うが、私でもいくらかなりと美しくなれるのだという事実は、間違いなく私に自信を与えたし、見た目ばかり飾っているように思えた令嬢たちの苦労も知れて、本当に良かったと思うのだ。
だからと言って彼女たちに感謝はしないし、やられたことは忘れないが、気持ちの折り合いがついたというのか。
私は頭の良い姉と美貌の妹に挟まれた自分を、自分自身で型にはめていたのだと思う。
これでも努力したけれど駄目だった可哀想な自分に、酔っていたとまでは言わないが、自分に言い訳をしていたと今なら思う。
思う以上に私の内面は拗れていたことを知った。
今日は『紅の蝶』を姉妹で観に来た。
先日はまったく集中出来なくて楽しめなかったから、もう一度観たいとお願いしたのだ……。
チケットは取れたものの、シュテファン様は外せない予定があった為、姉妹で行って来てはどうかと提案された。
今回は物語に集中出来そうである。嬉しい。
「ネリー姉様、所作が美しくなられたと噂よ」
まだまだ癖は残っている。俯いてしまう癖については、せめて顔の位置はそのままに、視線だけ落として下さいと言われた。そうするように意識していたら、それが却って奥ゆかしいと言われるようになった。
「美については大分詳しくなったと思っていたのだけれど、ネリー姉様を通してお姉様から教えていただくことが多くて、私にとっても良かったわ」
微笑むユリアに、満足気に姉が頷く。
「家格が上の方を望むなら、必須ね」
姉は頭でっかちで女らしくないと言われたことに怒り、所作の美しさを徹底的に研究したのだそうだ。
言われてみれば、学院に在学中、姉の所作は格段に美しくなり、お褒めの言葉を多くかけられていたように思う。
「お姉様、そろそろお相手を教えて下さっても良いのではなくて? お話は進んでいるのでしょう?」
「そのことだけれど」
次の言葉を待つ。
「来月、帰国なさったら正式に婚約するわ」
帰国と聞いて、留学している各家の令息を思い浮かべる。お姉様と繋がりのありそうな年頃の、留学なさっている方……。
「ハース子爵家のご次男 クラウス様よ」
クラウス・フォン・ハース様。確か年は姉の一つ上だったように記憶している。
「学院で接点がお有りだったの?」
「一度だけね」
一度?
ユリアなら何か知っているかと顔を見るが、首を横に振る。
「私が女の癖にと言われていたのを覚えているかしら?」
勿論、と私とユリアは答えた。
「今の私ならあの時よりは上手く対応出来るとは思うけれど、まだ幼かった私には自分の気持ちすら上手く御せなかったの。悔しくて、庭の木陰で泣いたことがあったのよ、一度だけ」
思い出しながら話しているのだろう。少し遠い先を見つめながら話す。
「クラウス様に見つかって」
恋の予感、とわくわくしている私たちを見て、姉は苦笑いした。
「そんな良いものじゃないのよ。
隠れて泣くぐらいなら言い返せ。ただ、戦場で同じことをやれば殺されるぞ。力に力で返すだけが戦い方じゃない、と言われたのよ」
令嬢を慰めるのにそれはどうなのかと思い、隣の妹の顔を見ると、ユリアも呆れた顔をしていた。
「それで己を変えようと?」
そうよ、と頷く姉。
「同じ立ち位置にいると同じ程度の人間になるのだと気付いたの。頭では分かっているつもりでも、感情では理解出来ていなかったのね」
それで所作を磨き、相手にしないようにしたと。
けれど彼らの溜飲は下がらず、私が標的になったと。私も彼らを満足させるような態度は取らなかったし。
「あの方は卒業後、隣国に留学なさったのだけれど、隣国の王子を案内する為に一時帰国なさったの。
王子を歓待する夜会で再会してから、手紙のやり取りをしていたのよ」
親交を深め、婚約に至ったと。
「言葉の選択としては物騒だけれど、お姉様の救いになったのね、クラウス様のお言葉は」
「そうね」
頷いて微笑んだ姉の表情はとても柔らかくて、二人の関係が良いものだというのが見て取れる。
どのような方かは分からない部分が多いけれど、芯のある方のように思う。姉を支えてくれそうだ。
「ネリー、シュテファン様はどう?」
姉に問われる。
「お優しいわ。以前もお優しかったけれど、今は私への、愛情もあるからなのか、よりお優しいの」
己のしたことを認め、謝罪し、以前よりも優しく接して下さる。
私に向けられるあの眼差しは、確かに愛情なのだろうと思う。不快ではないけれど、私は返すものがない。
このような状況でシュテファン様は疲れないのだろうか。報われない状況というのは、簡単に人の心を蝕む。
「シュテファン様のご容姿は申し分なく、家格も高く、ご本人の努力もあってミューエ家の領内は大きな問題もないわ。良き領主になるだろうと誰もが言っているし、そうなるだろうと思うの」
姉と妹は頷く。
「普通の令嬢であれば、もう全て許して恋に落ちていてもおかしくないと思うの」
許す許さないで言うならば、許したことになるのだろう。
彼は心から己の発言を恥じ、反省している。それは分かる。なかったことにしたいだろうに。
「仕方ないのではなくて?」
ユリアが言う。
「恋なんて、落ちたいと思って落ちるものではないもの」
数々の男性を虜にする妹の言葉は重みがあった。




