信じられないもの、信じられるもの
「私は貴女のことを噂で知っていたんだ」
噂。リヒツェンハイン家の外れというアレだろうか?
「貴女の姉 アティカ嬢は私より上の学年だった。才女だととても有名だった。討論で教師を言い負かしたという逸話は一つや二つではなかったし」
その所為で教師からあの姉の妹として目をつけられもしたが、今では良い思い出である。
姉は、女性の癖に、女性の割に、そう言った言葉にいつも苦しんでいた。多感な思春期。ムキになって教師たちをやり込めていたのではないだろうか。
男に生まれていたなら──。
姉にはどうしようもない言葉が向けられ、残念だと態度に表される。姉は何一つ悪くない。両親だって悪くない。それなのに周囲が勝手なことを言う。
性別など関係ないのだと証明しようとして、姉を下に見ようとした男性にはやり返していたらしい。
「あのアティカ嬢の妹は平凡だと揶揄する者は多かった。姉に勝てないからとその鬱憤を貴女に向ける愚か者は多かっただろう?」
頷く。
「けれど貴女はどれも相手にしなかった。あまりに相手にされなくて、今度は美貌の妹と比較され始めた。
私が誰かをどうこう言う資格はないが、敢えて言わせてもらえば、矜持を保つ為に他者を貶めようとした彼らは未熟で、愚かだ」
妹とも比較され始めたのはそういう流れだったのかと、今更知る。
それによって姉と妹が傷付いた。当然私も傷付いたけれど。私だって比較されて嫌だったし、二人に対して複雑な気持ちを抱いた。
けれど、二人がこっそり泣いているのを知ったときに、恵まれているからといって傷付かない訳がないのだと知った。
当たり前のことだ。当たり前だけれど、自分の気持ちばかりに意識がいって、二人の気持ちまで思いが至っていなかった。
それからは何を言われても気にしなかった。私が気にすれば彼らは満足する。私が心を満たしたい相手は、どうでも良い彼らではない。家族だった。
「貴女は彼らにどれだけ言われても俯かなかった。
私はあの件で散々言われて、心が千切れるかと思う程だったのに。これまで笑顔を見せていた者たちが、突如手のひらを返す。
それまで侯爵家の跡取りとしての矜持もあったが、そんなものは粉々になった」
あぁ、私の話になったから何処に繋がるのかと思っていたら、そこに繋がるのか。
「家柄も、容姿も、才能も、そんなものを必要としなくとも前を真っ直ぐに見られる貴女となら、婚姻を結びたいと思った。貴女なら信じられると思えた。貴女もそう言った目で私を見ないと思ったんだ」
少し意地悪な気持ちがわいてくる。
「心乱されないし?」
シュテファン様は両手で顔を覆った。
「本当に、申し訳ない。返す言葉もない。
あの禁術の発動条件が分かった後、人を好きになることが怖くてたまらなくなった」
「今はどうなのですか?」
人を好きになるのが怖かったと。それなのに私を好きだと言う。
「馬鹿なことを言うと思うだろうが、好きになるにも色々とあるのだと思った。
私の知る恋は、どちらかと言うと情熱的なもののほうが多かった」
本当に馬鹿なことを言っているなと思った。
当たり前ではないか。全ての恋が恋愛小説のような激しいもののはずがない。穏やかな恋愛のほうが多いのではないだろうか?
表情に出てしまっていたのか、私の顔を見てシュテファン様が恥ずかしそうな顔をする。
「昔から融通のきかない性質だとは言われている」
「頭でっかちだと」
私の言葉に頷く。
「ただ誤解しないで欲しいのは、私にも苦手な容姿というのはある」
「あら」
私のような地味なのが大丈夫なのだから、苦手な容姿などないのかと思っていた。
「少なくとも、あの男爵令嬢に似た面差しの令嬢は無理なんだ」
それはそうだろう。私ですら彼女と似た令嬢を目にすると身体が強張る。間近で見ていたシュテファン様は尚更だろう。
「彼女は華やかさがあっただろう」
ありましたね、と相槌を打つ。
「正直に言えば、華やかな女性もあれから怖い」
苦手を通り越して怖いのか……。
「遠くから見ていたり、短時間なら大丈夫にはなったが、近付きたくないんだ」
それならば地味な私のような令嬢を選ぶだろう。
ふと気付いた。
「私は今、シュテファン様が恐怖を感じる対象を目指しているのですが、大丈夫なのですか?」
シュテファン様が笑う。
「コルネリア、言い方はあれなのだが、問題ない」
「問題ない?」
聞き返すと、シュテファン様は頷いた。
「禁術にかかるのが怖かった。だから恋を知りたくなかった。だが、私はもう貴女が好きなんだ。貴女の容姿が変わろうと変わるまいと。私はもう恋を知っている」
なるほど。
現在進行形で恋をしている人に効果があるのではなく、恋の経験をしたことがある人物に術がかかるなら、シュテファン様は禁術にかかってしまう。
「あれだけ怖かったのに、戻りたいとは思わない。
コルネリアを想う気持ちがなくなるのは嫌なんだ」
……本当に、良いことを言われているのに、残念なほどに私の心が動かない。
私の顔を見て、シュテファン様は少し不安そうな顔をする。
「不快感を与えてはいないだろうか」
「私がシュテファン様に愛して欲しいと申し上げたのですよ? 不快なはずがありません」
ただ心にまったく響かないだけで。
シュテファン様は首を横に振る。
「貴女が出した条件が、貴女が真に望んだものだとは思っていないよ」
その言葉にぎくりとした。
シュテファン様の顔を見ると、悲しそうにも見える、優しい笑顔をしていた。
「許さなくていい。許して欲しくて貴女に好きだと言ってる訳ではないんだ。
ただ、もう貴女を傷付けたくないし、逃げたくない」
シュテファン様の発言は大概だったが、私も大概な気がしてきた。ここまで言われて心が動かないのはさすがにどうかと思う……。




