乱されたいのではなく、乱したいのに
自分で望んだことではあるのだけれど、何というのか、出来過ぎというか……。
歌劇を観に行った日の、シュテファン様の衝撃的な発言に頭の中は占拠されている。
シュテファン様の心を乱したいと思っていたのに、私が乱されてどうするのか。
せっかくの歌劇も全く楽しめなかった。
作戦の練り直しという訳ではないけれど、気持ちを落ち着かせる為、リヒツェンハイン家に遊びに来た。
生家に行くと伝えるとシュテファン様が青い顔をして、自分も着いて行くと言い出して大変鬱陶しかったが、置いて来た。必ず帰るからと約束をして。
姉と妹にシュテファン様の現状を話すと、二人は満更でもない顔をした。
「底抜けに愚かなのかと思っていたけれど、そうでもないようで安心したわ」
姉の遠慮のない言葉に苦笑してしまう。
「そうね、その辺の見た目しか見ていない男性よりは幾らかマシだということは分かったわ」
ユリアも遠慮がない。
「これが恋愛小説ならばネリーも美貌の夫に絆されてハッピーエンド、なんでしょうけれど」
「ネリー姉様のことだから、まったく心が動かされていないのでしょうし」
さすが長く共に暮らしてきた姉妹。私の性格をよく知っている。
ただ、まったく心が動かされていないは語弊がある。正しくは恋心が私にないのでそういった乱れがない、である。
「そうなの。驚きはあるけれど、達成感もないし、ときめきもないわ」
「それで良いのではなくて?」
そうよ、とユリアも頷く。
「ネリーの気持ちが大切なのよ、私たちは。
青い血を持って生まれた者として、矜持も義務も理解しているけれど、家族にしあわせになって欲しいという気持ちを抱くことは許されるはずよ」
姉は頭も良く理性的だが、こと家族に関しては感情豊かになる気がする。自身が守らねばという気概の所為かも知れない。
「ネリー姉様はきっと、好きだの愛してるだの言われても心が動かないわ」
得意げな顔でユリアが言った。
「えぇ? どういうこと?」
「愛情に飢えた令嬢や、シュテファン様のご容姿がお好みの令嬢なら心動かされるんでしょうけれど」
愛されたいという欲求は人並みにあるとは思うけれど、飢えてはいない気がする。シュテファン様は確かに素敵だけれど、好みかと言われると……。
「当たりでしょう?」
ユリアの言葉に頷かざるを得ない。
「私、考えてみたら好みの異性が分からないわ」
「そこからなの?!」
驚きの声を上げたのは姉だった。
言っておきながら私も驚いている。
考えたことがなかった。
恋愛小説は好きでよく読む。恋愛には憧れがある。
この男性主人公素敵、などと思うことはあるけれど、このテのタイプが好き、といった明確な好みはパッと浮かばない。
「シュテファン様は苦戦するわね。ただでさえネリー姉様の好みの外見ではない上に、あの失言。
前途多難だわぁ」
そう言ってにやにやとユリアは笑う。アティカは呆れた顔でユリアを見た。
「ユリア、ネリーのことも大事だけれど、自身のこともしっかりなさいな」
「それをおっしゃるならお姉様こそ」
アティカは息を吐くと、「私は相手から色良い返事をいただいております」と言った。
知らなかった!
「え、どなたなの?!」
秘密です、と答えるアティカの口角が少し上がっていて、悪い相手ではないことが見て取れた。
良かった。
家を継ぐからと、姉に望まぬ婚姻をして欲しくないのは私もだ。ユリアもきっとそうだろうと思う。
屋敷に戻った私を、シュテファン様が出迎えた。
もう慣れた。
「もう少し遅かったら迎えに行こうかと思っていた」
「そうなさりそうだったので早めに戻りました。それと、入れ違いになると面倒ですから屋敷でお待ち下さい」
不満そうにはするものの、シュテファン様は素直に頷いた。
「分かった」
部屋にエスコートしてもらいながら、ちらと横目でシュテファン様の顔を見る。
……嬉しそうだ。
以前は出迎えて下さったとしても笑顔ではなかった。
リヒツェンハイン家から戻ってからと言うもの、シュテファン様の顔は緩みっぱなしな気がする。
私の気質がどうのと言っていたけれど、私の何処がそんなに良いのかさっぱり分からない。
愛して下さいとお願いしたのが良くなかったのだろうか……あれは私の乙女趣味と嫌がらせが……。
「コルネリア?」
シュテファン様が心配そうに私の顔を覗きこんでいて、話しかけられていたことに気が付く。
「何処か具合が?」
「いえ、少し考え事をしていただけです。何かおっしゃって?」
「姉君たちとは会えたかと尋ねただけだよ」
「えぇ、二人に会えました」
たっぷりと話をした。
そうか、と答えてシュテファン様は優しく微笑む。
「食事までは時間がある。軽くお茶をしないか?」
「えぇ、そうしましょう」
確認したいこともあるし、望むところである。
自室に戻り、着替えを済ます。
シシーたちに整えてもらってから、シュテファン様を呼んでもらった。
甘いお菓子は用意させず、お茶だけにしておく。
食べ過ぎは美容の敵だ。太るだけでなく、肌が荒れる。食事の内容に気を使い始めてから、肌が変わってきたのを実感する。
睡眠にも質があるのを知った。ただ眠っていれば良い訳ではないらしい。
分かっていたけれど、美とは日々の積み重ねの上に成り立つのだと知った。美貌に恵まれたユリアですらここまで気をつかって保っていたのだ。気にしない私が美しくなるのはありえない。
ドアをノックする音がして、顔を上げる。つい俯いてしまう。この癖だけは最後まで残りそうだ。
シュテファン様は部屋に入るなり、私の横に腰かける。前に一人がけのソファに腰かけていたら、隣に座ろうと言われてしまって、それからはずっと長椅子に座るようにしている。
嬉しそうに私を見つめる夫の姿に、まだ慣れていないが、すぐに慣れるのだろう。今はまだむず痒い。
「コルネリアが、戻って来てくれて嬉しい」
「大袈裟です」
シュテファン様は首を横に振る。
「私は既に大失態を犯している。いつ見捨てられてもおかしくはない」
「そうですね」
誤魔化すのもどうかと思い、素直に認めると、悲しそうな顔をされた。
「貴女との婚姻は契約でも何でもない。対等な婚姻だ。いくらこちらが家格が上だからといって、リヒツェンハイン家も古くからある家。貴女を強引に私に縛りつける力はない」
リヒツェンハイン家は潤沢な資産は持たないが、堅実な家だ。
「回りくどいのは苦手なので、率直にお尋ねしてもよろしいかしら?」
そう問えば「どのようなことでも聞いてくれ。貴女に隠すことは何もないから」との答えが返ってきた。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げてから、シュテファン様の顔を真っ直ぐに見つめる。
「先日、シュテファン様は私に想いを告げて下さいましたが、なんと申しますか、私の想定よりも早くて戸惑っております」
シュテファン様は笑った。
「本当に率直だ」
言葉は正しく伝えねば。無用な誤解は災いのもとである。
「早いとコルネリアは言うが、貴女が屋敷を出てから二月もあった。それだけの期間がありながら己の本当の気持ちに気付けないのであれば、私はどうしようもない人間だ」
そう言って自嘲する。
確かに二ヶ月間は生家に籠っていた。
「毎日貴女に手紙を書いていた。貴女が読んでくれるかは分からなかったが、その場凌ぎの言葉をいくら書いても意味がないと思っていた。きっと貴女にも、貴女の姉妹にも簡単に見破られてしまうだろうし。
何故私は貴女に戻って来て欲しいのかを自問した」
お姉様、シュテファン様は思ったより考えてらっしゃいました。妻としては嬉しいです。
……何というか、真っ直ぐな気質なのだ、シュテファン様は。真面目。
あの発言も、ある角度から見れば嘘を吐かないという意味では誠実なのかも知れない。
褒めてはいないが。




