疲弊した心に最高の刺激を
ミューエ家に戻って三日後、アティカとユリアが侍女を連れて屋敷にやって来た。
それは良い。
同じ屋敷にいたのだから侍女二人のことはよく知っているし、何処に行くにも常に付き従っていた。姉と妹の専属侍女として常に側にいる者たち。
私は特定の侍女を側に置いてはいなかったけれど、アティカもユリアも専属を決めていた。その方が色々と都合が良いからだ。
姉は家を継ぐのだから、自分の手となり足となる侍女の存在は必須だ。姉の侍女はいずれ侍女長になるだろう。どことなく姉に似ている。
ユリアは嫁入りに連れて行く存在として侍女を固定で決めていた。勝手知ったる存在が側にいたほうが婚家で過ごしやすい。ユリアはそれなりの家格の家──リヒツェンハイン家にとって良い相手に嫁ぐという目標を掲げている。
私は嫁にいくとしても高位の家に嫁げるとも思えなかったし、修道院に行くとか、何処ぞの後添えになるとか……あまり自分の将来に明るいものを抱いていなかった。最悪の状況では自費で雇うことになるかも知れない侍女を決めることは出来なかった。
潤沢な個人資産があれば話は別だが、ほどほどのものしか持ち合わせがない。
だから私には専属の侍女がいない。ミューエ家に嫁いでからは、シシーが私の専属として付けられた。
彼女は私の趣味嗜好をあっという間に覚えていき、口にするまでもなく用意していく。若さは私と大差ないというのに。とても優秀だ。
侯爵家ともなると侍女の基準の高さが違うのだと実感した。また、あまりの楽さにこれは確かに専属の侍女を置きたくなると思った。
いずれシュテファン様と離縁して生家に戻るとしても、やはり専属は付けずにおこう。
その二人を、私に三ヶ月程貸し出すと言う。
何故貸してもらうのか分からないが、美の為と言われたので了承する。
姉と妹はシュテファン様に話があると言って、早々に部屋を出て行ってしまった。
一人取り残された私は、お茶を飲もうとカップに手を伸ばした。
「もう少しあごをお上げ下さい」
姉の侍女だった。
驚いて侍女を見る。
「アティカ様からコルネリア様の所作を直すようにと申し付けられております」
そう言って侍女はお辞儀をした。
「では私からも申し上げさせていただきます」
今度は妹の侍女だった。
「クリームを多く使用したお菓子が多いようです。甘い物を召し上がるのであれば、シフォンケーキやプディングを」
言われてみれば、ユリアが好んで食べるお菓子はクリームを使用していないものだったように思う。
シシーも始めは二人の侍女の様子に戸惑っていたが、それもほんの僅かな時間で、すぐにいつも通りに戻っていた。
なお、姉と妹がシュテファン様の元から戻ってくるまでに三度、注意を受けた。
*****
特訓が始まってはやひと月。疲労は抜けるどころか蓄積の一途を辿っている。
「……大丈夫か?」
疲れ切りベッドに横たわる私の顔を、シュテファン様が心配そうに覗き込む。
「……大丈夫です」
正直に、私だってやれば出来ると思っていた。
出来ない訳ではない。ただ、その状態を維持し続けることが出来ない。
それがこれほどまでに辛く苦しいことだとは……。
なお、シュテファン様は文句のつけようがない程に所作が洗練されており、容姿については言わずもがな。
それもこれも、幼い頃より正しい教育を受け、今なお維持なさってらっしゃるからだ。本来であれば王太子の側近として、未来の王の片腕となる方だったのだから。
その限りではない方もいるようだけれど、シュテファン様はそうではない。
「侯爵夫人として恥ずかしくないようにとのことだが、あまり無理をしないで欲しい」
未来の侯爵夫人として相応しくなるように己を見直すことにした、というのが建前である。あのように令嬢たちに見下されるのも私が至らぬからだという理由。
令嬢たちを見返し、シュテファン様の心を乱す、というのが本来の目的であるが、間違ってはいない。
再教育は誰と一緒にいようと行われる。シュテファン様とお茶を飲んでいても。本来ならお茶会の後に言われるのだが、身についてしまった癖を直すのはその場でなければならないとのことだった。ムチで叩かれないだけ良いけれど、和やかな空気も侍女の指摘で壊れることもある。
それについてシュテファン様が抗議したこともあったのだが、甘やかすだけではいくら時間があっても身にはつかないと返された。この手法はコルネリア様の為にアティカ様とユリア様が考えたことだと言われてしまった。
自分から協力を願った。どのようなこともすると答えた。
時間も限りがある。
毎朝シシーに髪を整えてもらいながら己の顔を見て、己に語りかける。心の中で。
しあわせになる為に、やると決めたのだから、泣き言はまだ早い。
身についた癖を直すので必要以上に時間も苦労もしているけれど、それを乗り越えてきたのだ、姉も妹も。
だから、私も。
……とは思っているけれど、疲れは蓄積する。泣きたい。
「そこまで頑張らなくとも、私が必ず守ると約束する」
……これが相思相愛の相手からの言葉なら、恋の炎も燃え上がるというもの。
残念ながら火種がありません。
「……お気持ち、嬉しく思います」
とは言え、気持ちは大事です。
お茶会や刺繍の集い、詩の朗読会など、女性しか集まらない会はある。
身体を起こし、居住まいを正す。
「私に酷い仕打ちをなさったからと他家との繋がりを絶っては、侯爵家としてよろしくありません。
ですが、ありがとうございました。さすがに鬱憤が溜まっておりましたので、少し溜飲が下がりました」
「そう言ってもらえて安心したが、元々当家としても付き合いを見直したいと思っていた家にしか書面は送れていない。付き合いは切れなかった家には母とクリスタがやり返してくれたが」
そう言ってシュテファン様は少しだけ困った顔をする。
お義母様とクリスタ様には頭が上がらない。
お二人が令嬢たちにやり返して下さった件については姉とユリアから詳しく聞いた。
お礼とお詫びに贈り物を届けさせた。特訓も大事だけれど、改めてお茶にお誘いせねば。明日にでもお茶会のお手紙を送ることにする。
「そうだ、コルネリア。歌劇を観に行かないか」
「歌劇ですか?」
歌劇はちょっとした夜会のようなものだ。
着飾り、社交もする。貴族以外もいる場所だ。
「社交などは気にせず、舞台を楽しむ為に行かないか。コルネリアが好きな恋愛小説を元にした歌劇が始まるらしいんだ」
「まぁっ! モデルとなったのはどの小説にございますか?」
「確か『紅の蝶』という話だったと思う」
それは私が二番目に好きな恋愛小説!!
「行きます!」
淑女らしくなく誘いに飛び付いてしまったけれど、許して欲しい。
あの作品が歌劇になっただなんて知らなかった。
リヒツェンハイン家に閉じこもっている間、あまり外の情報は耳に入れないようにしていた。外に出たくなったら困ると思い、敢えてそうしていた。
戻ってからは特訓に明け暮れていた。
「新しいドレスと、それに合う飾りを作らせよう。私と揃いを作るのも良いな。
今回は間に合わないから、手持ちのを似せるように作り変えさせよう」
まるで仲睦まじい夫婦。仲は悪くないのだから、ありなのかしら。
今まではそういったものは作ったことがなかったけれど、令嬢たちに見せつける為にも、揃いの意匠のフロックコートとドレスは良い気がする。
姉たちともそろそろ社交に戻る頃合いだとは言われていた。
社交に戻る前の場として、歌劇に行くのはちょうど良い。私とシュテファン様のことはすぐさま話題にのぼるだろう。お茶会の誘いも来るだろう。
疲れで頭がぼんやりしていたけれど、興奮の為かすっきりしてきた。




