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09.侍女が見たもの(3)

「アンジェリカっ!」


 髪と衣服を乱した一人の青年が部屋から出てきた。


 エディスは守るようにアンジェリカを強く抱きしめ、彼から隠す。


「ベネディクト様、お嬢さまに何か御用で?」

「彼女はどこに……いや、誤解なんだ!」


 エディスに気が付き、ベネディクトは弁明を始めようとした。


「はっ、それのどこが誤解だと? 誰が見ても明らかだと思いますが。寝言は寝て言ってください」


 冷たい視線を送った。


 彼は乱れた服はボタンをかけ間違え、額には汗が浮かんでいる。

 邸宅内は空調が利いている。部屋にいるだけで汗が浮かぶはずがない。


 ベネディクトはようやくエディスの抱えるアンジェリカに気がついたようで、近付いてくる。


「……アンジェリカ、私は──」


 伸びてくる手。

 裏切り、主人を傷つけた者の手だ。


「ベネディクト様はアンジェリカお嬢さまに触る資格はありません」


 パシンと乾いた音が響く。

 主人を守るために迷いもなく、エディスは跳ね除けた。


「ねぇ、アンジェリカなんて放っておきましょうよ」


 天鵞絨のような金の髪をかきあげながら現れたのは、もう一人の元凶。

 ソフィア・ヴェ・アバンジュールだった。


「あら、そこにいるのはアンジェリカの侍女じゃない」

「……ご無沙汰しております」


 彼女とは面識があった。いつも仲良くアンジェリカと笑っていた。なのに────


「どうしてお嬢さまを裏切ったのですかっ」


 ギリッと奥歯を噛み締める。


(例えどんな事情があったとしても、アンジェリカお嬢さまを裏切り、傷つける理由にはならない)


 そう思っていたエディスは、アンジェリカを強く抱きしめる。


 ソフィアは小首を傾げ、手をポンッと叩いた。


「こんなのでアンジェリカは傷ついて、倒れたの? 心が弱いわねぇ」


 彼女はエディスの問いに答えず、勝ち誇った顔で、気を失っているアンジェリカを見下した。


「お嬢さまが倒れたのはソフィア様とベネディクト様のせいです。貴方たちの……せいでっ!」


 こんなに涙を流し、ぐったりとしているのだ。

 本当なら、笑ってベネディクトと一緒にいたはずだったのに。


「あら、私のせいにするの? よく口の回る侍女だこと」


 吐き捨てるようにソフィアは言う。


「…………取り敢えず彼女の着替えを用意しよう」


 何を思ったのかベネディクトが動く。


「ああ、ご心配なく。そんなにここに留まるつもりありませんので」


 エディスの冷ややかな声は、静まり返った廊下ではハッキリと聞こえる。


(……今はお嬢さまを安全で安心できるところに移動させる方が重要)


「お嬢さまは体調が悪いようです。なので本日はお暇させていただきます。失礼します」


 そう言うと、傍観していた使用人数人が手を貸そうとする。


「──必要ありません。一秒たりとも触れないでいただきたいです」


 使用人たちに大きな罪はないが、エディスはこの家にいる者全員に触れて欲しくなかったのだ。

 結局のところこの人達も彼の不貞を見て見ぬふりをしていたのだから。


 エディスはアンジェリカを優しく抱き上げる。

 そして後ろを振り返らず、スタスタ歩き出した。


「──待ってくれ!」

「貴様は近づくな」


 キッと追いかけてきたベネディクトを睨みつける。憎すぎて口調が悪くなってしまった。


「私が悪かった。気の迷いだったんだ! 愛しているのは君の主人、アンジェリカだよ」


 その言葉に我慢ならなくて足を地面に思いっきり振り落とした。

 大きく鳴ったその音に、びくりとベネディクトの肩が震える。


「妄言を……吐かないでいただきたいです。心底吐き気がします」


 それだけ言うと再び歩を進める。

 今度は誰も追いかけてこなかった。これ幸いにとばかりに馬車を待ち、エディスはアンジェリカを連れてウォーレン邸に帰宅したのだった。


 ──と、まぁこんな感じなのだが流石に全てをそのまま伝えることはできなく、エディスは言葉を選び、包み、彼女に出来事を教えた。


「……そう……なのね」


 アンジェリカは瞳を伏せた。

 きっと自分はその婚約者のことをとても好きだったのだろう。

 婚約者に不貞を働かれただけでなく、友人にも裏切られていたのだ。アンジェリカの心が許容範囲を超えるのは容易かった。


 なのに、今は不思議と心は凪いでいた。


「話してくれてありがとう。とても……よく分かったわ」


 凪いでいるといってもほんの少しだけ感情が生まれる。それは悲しみと感謝だった。


「多分私が……意識を手放したのは辛すぎたからではなくて、エディスが居てくれたからよ」

「どういうことで?」

「確信は持てないけれど、貴女が抱きしめてくれたから意識を手放しても大丈夫だと──判断したのだと思う」


 守ってくれる人がいる。だからアンジェリカは安心し、一部の記憶を無くすだけで踏みとどまった。

 もし、彼女がいてくれなかったら修復不可能なほど心が壊れていたかもしれない。


「でも……私が離れなかったら。お嬢さまは記憶喪失にならなかったかもしれません」


 エディスは悔しそうに顔を歪める。


「そんなことはないわ。自分を責めないで。悪いのはベネディクト様よ」


 アンジェリカはエディスの手を包んだ。

 彼女から話を聞く中でアンジェリカはひとつのことを決めていた。


「お母様」


 シンシアに向けた瞳は決意で固められていた。


「この件、婚約の解消ではなくて……破棄することは可能でしょうか」


 儚く、それでいて力強くはっきりとアンジェリカは告げたのだった。


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