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【書籍化】婚約破棄した令嬢は新しい幸せを掴みたい!  作者: 夕香里
本編

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82/118

82.君が寝ている間に

 放置していたらアンジェリカは自分自身を傷つけるだろう。だから嫌われるのを承知の上で抱きしめた。


 アンジェリカは最初抵抗していたがそのうち大人しくなり、ひたすら涙を流し続ける。


 そうして彼女を呼んだ。


 するとようやく顔を上げ、幼子が母親に泣きつくような、縋り付くような表情でヴィンスと名を連呼する。


 ぎゅうっと抱きついて離してくれない。


 アンジェリカは必死に何が起こったのか説明しようとする。けれど嗚咽が酷くて途切れ途切れになってしまっていた。


「充分伝わってるよ。謝らなくていい。無事で──よかった」


 後頭部に手を添え、背中を優しくさする。


「…………よく耐えたよ。頑張ったねリジェ」


 すると突然アンジェリカが傷ついた唇を擦り始めた。ヴィンセントはぎょっとして止めに入る。


「傷つくじゃないか」


 アンジェリカは顔を歪める。


「それでも。だ、だめなのです。く、口づけされたのが……おぞましくて、汚いって思ってしまって。私の唇も──汚れて気持ち悪い」


(そんなことないのに)


 当事者でないからそう思うのかもしれない。しかしアンジェリカを慕うヴィンセントにとって、汚れているとは感じなかった。


 代わりにベネディクトに対する怒りだけが募っていく。


(どうしてあいつはリジェを)


 不貞を働き、アンジェリカを捨て、破棄後もこのように傷つけるのだろうか。


(私だったら絶対にしない)


「触れられて、汚れて気持ち悪い……か」


 心の中で呟いたはずが表に出ていた。


「は……い。いや……なの。だって、あんなっ! ベネ、ディクトだけは嫌だった……のにぃ」


 掠れた声。アンジェリカはぶわりと涙をあふれさせ、縋るようにヴィンセントの胸の中に顔を埋めた。

 

(言葉で表しても伝わらなそうだな)


 先程も声をかけただけではダメだった。抱きしめて落ち着かせてからようやく届いたのだ。


 だからヴィンセントは行動で示した。


 アンジェリカのおとがいに手を置き、上に向けさせる。そのまま血が垂れている柔らかい唇を奪った。


 錆びた鉄のような味がする。目の前にはきょとんとしているアンジェリカの姿。びっくりしたのか涙は止まっていた。


 口づけを止めた時にはアンジェリカは真っ赤になっていて。嫌そうではないことに安堵する。

 ヴィンセントはハンカチを取り出してアンジェリカの唇を覆う。


 そうして今度こそ言葉で告げた。


「私の中ではリジェは何処も汚れてなどいない」


 アンジェリカは目を見開き、それから俯く。ぎゅっとヴィンセントの服を掴んで体を丸めた。


 もう少しこのままでいて欲しいという彼女の願いを叶えるために、ヴィンセントは動かず抱きしめた体勢を保った。

 十分ほど経ってアンジェリカの体から力が抜ける。ぽてんとそのままヴィンセントに寄り掛かった。

 

(気が抜けて寝たのかな)


 そうっと体を動かし、様子を窺う。


「…………移動して起きないといいけど」


 流石に馬車の中でアンジェリカが起きるまで待っていられない。連れがいるのか分からないが、もしそうならば相手は彼女のことを探している。


 ヴィンセントは起こさないように慎重に抱き抱えて外に出る。外で待機していたテオにアンジェリカの正体を伝えていると、町人に扮した騎士の一人が報告した。


「殿下、ヴァイン家のご令嬢がウォーレン家のアンジェリカ嬢を探されています。確か殿下が仰ったお方も彼女と同じ珊瑚色の髪の方ですよね」

「……そこと一緒だったのか」


 なら腕の中にいる彼女がめかしこんでいるのも納得する。友人と出かけるならば、普段見ている服装と違う姿にもなるだろう。


「ナディア嬢は何処にいる?」

「数分歩いた先です」

「なら私が向かおう。案内して」

「はい」

「あとは……テオ」


 テオはベネディクトを睨みつけていた。呼ばれて顔を上げる。


「そいつをブライス侯爵家に連れて行け。そしてどうしてこのようなことが起こったのか、聞き取ってこい。先程言った件も話をつけろ」

「──かしこまりました」


 テオは頭を下げて、もう一人の騎士と一緒にお縄になり、気絶したベネディクトをずるずる引きずりながら姿を消した。


「殿下こちらに」


 騎士に案内され、ヴィンセントもこの場を後にする。馬車等の後始末は他の者がやってくれるだろう。


「────アンジェっ!」


 ぽろぽろ涙を零しながら今か今かと待っていたナディアは、アンジェリカを視認して直ぐに駆け寄った。


「ごめん……ごめんね。私が離れてしまったから」


 ナディアは眠っているアンジェリカに許しを乞う。


「わたし……まさか、こんなことになるなんて」


 ぼやけた視界の中、友人を助けてくれたらしいヴィンセントをナディアは見上げた。


「アンジェを助けて下さりあり……っ!」


 瞬きをしてはっきりとした青年の顔。ナディアは気付いてしまった。


「…………まさか」

「普通、貴族でこんなに至近距離で話をすれば、君のような反応になるはずなんだよね」


 ヴィンセントは苦笑する。


「どうも。ナディア・ヴィア・ヴァイン嬢」

「──ヴィンセント殿下。何故ここに……居られるので?」


 はしたないが、ぽかんとナディアは口を開ける。

 本来、ヴィンセントはここにいるはずがないのだ。抱き上げているのもあり得ない。

 でも、見間違えはない。たとえ蒼髪ではなく、宝石瞳でなくても。

 瞳の色は透き通った翡翠で。顔立ちは変わらないのだから。


「兄上の代わりに視察に来た。偶然アンジェリカ嬢を見かけてね」


 ヴィンセントは隠すつもりがなかった。顔を見破られているのだから無駄なのだ。隠す方が不自然である。


「ひとつ言っておきたいが、アンジェリカ嬢は私の正体を知らないんだ。彼女の中では平民のヴィンスになっている。だから秘密にしてくれ」


 ナディアはこくりと頷くが、いつ二人が出会っていたのかなど疑問は解消されない。しかし今はそんなことを考えている場合ではなかった。


「アンジェリカに何があったのですか」


 服と髪が乱れ、顔には涙の跡が残っていた。


「…………強姦を……その身を犯されそうに」


 あまり令嬢の前で出したくない単語だった。


「誰がそのような真似を」

「──ベネディクト。婚約破棄したはずのブライス侯爵家の子息だ」


 その後のナディアは怒り心頭で。何とかヴィンセントが宥めた後、彼女はアンジェリカと一緒に馬車に乗った。


「ヴィンセント殿下ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」

「大袈裟だよ」

「いいえ、元はと言えば私と私の護衛が気を抜いたのが悪いのです。彼らには後で罰を受けさせますので」


 ナディアはキッパリ言いきった。そうして馬車は滑り出したのだった。


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