07.侍女が見たもの(1)
「奥さま、お呼びでございますか」
コンコンッとノックが響き、女性の声が外側からかかる。
「入りなさい」
「失礼します」
入ってきた侍女は焦げ茶の髪をお団子にして纏め、透き通るような碧の瞳を不安げに揺らしていた。
(あの……ひと、さっき目が覚めた時にいた人だわ。憶測だけど……)
「エディ……ス?」
おそるおそる呼べば、彼女の瞳に輝きが増す。
「もしかして思い出していただけたのですか? 私のことが分かりますか?」
「ごめんなさい。そうでは無いの……でも、貴女のことは何だか好きよ」
先程は感じなかったが、彼女が姿を現すと喜んでいる自分がいた。
「それはとても嬉しいです。そして、謝る必要はございません。エディスはアンジェリカお嬢さまが目を覚ましてくれたならそれでいいのです」
感極まった様子で涙を溜めながらアンジェリカの手をそっと握った。
優しい手つきにアンジェリカは自然と笑みがこぼれた。
「本題に入ってよろしい?」
「しっ失礼しましたっ!」
サッとエディスの手が離れていき、彼女はピシッとその場に立った。
「立っているのは疲れてしまうから貴女も座りなさい」
シンシアはエディスに促す。
「……奥さまとお嬢さまの前ですから」
中々座ろうとしないエディスにシンシアは命令よ、と無理やり椅子に座らせた。
「ここに呼んだのは、アンジェリカに昨日の出来事を貴女の視点から教えてあげて欲しいの」
「えっ」
エディスは目を見開いた。
「ダメです。あれは……許せなくて。オブラートに包んでも怒りが滲み出てしまいます。他人の私でもこうなのに、お嬢さまがお聞きになったら……」
相当腹に据えかねているらしく、無意識に拳を握っている。
加えてアンジェリカの心も心配しているようで、エディスは話せないと首を横に大きく振った。
「あのね、そういうの覚悟の上で私がお母様にお願いしたの」
「アンジェリカお嬢さまが?」
「うん、だからお願いします」
頭を下げる。
「わわっ、顔をお上げくださいませ。お嬢さま自らが知りたいのでしたら…………出来る限り棘をなくして教えますね」
「ありがとう」
エディスはぽつりぽつりと話し始めた。
◇◇◇
ブライス邸に着いたエディスは、一旦アンジェリカと別れることになった。
エディスは少し御者と話をしなければならなかったし、アンジェリカには婚約者同士の水入らずの時間も必要だ。
そう思ったから時間を置いて、アンジェリカの元に行くつもりだったのだ。
「ふふ、少し早く着いてしまったけれど……またあとで会いましょうね」
アンジェリカは婚約者に会える嬉しさから花が綻ぶように笑った。
幸せそうな主人の姿に、エディスもここまではとても嬉しかったのだ。
「はい。行ってらっしゃいませ。途中で合流致しますね」
案内人の侍女と藤のバスケットを持った主人が中に吸い込まれていく。
「お嬢様はとてもウキウキしていたなぁ。いやぁ、ああいう笑顔が見れるのはいいね」
御者が微笑ましそうにエントランスの方向を見ていた。
「そりゃあそうですよ。だって久しぶりに会えるのですから」
実はアンジェリカが婚約者であるベネディクトと会うのは一ヶ月ぶりだった。
そしてエディスは知っていた。
主人は会う日が決まってから指を折ってあと何日か数えていたのを。
あれでは無いこれでは無いと何度もドレスルームの端から端まで行ったり来たりしながら、着ていく服を選んでいたのを。
だからエディスも今朝、髪とお化粧をいつもの数倍は気合を入れて施したのだ。
アンジェリカの淡い珊瑚色の少しウェーブがかった髪を丁寧に梳いて、二つの三つ編みを作り、シニヨンにして瞳と同じ蒼のリボンで結った。
過去一番の最高傑作にしたつもりだ。
シンシアも出かける前のアンジェリカを見て、とっても可愛いと褒めていた。
エディスは空を見上げる。
(今日は良い日になりそうね)
快晴で、雨が降る気配もない。とても心地の良い天気だった。
だから、素晴らしい日になると信じて疑わなかった。
この────瞬間までは。
「すみませんっ! あの、ウォーレン家の方ですよね」
肩で息をしながらエントランスから転ぶように出てきたのは、アンジェリカの案内人とは別の侍女だった。