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63.気まずさと親愛と

「昨日の件、王家に話が届いているんだ」


 アンジェリカの方を見ないようにしながら、ヴィンセントは彼女の質問に答える。


「婚約破棄に関しては王家の出る幕はないが……婚約者でもない令嬢の純潔を散らすようなことは、普通に犯罪だから。他の令嬢も危険に晒される可能性がある以上見過ごせない」


 テーブルに置いてあった紅茶をひと口飲む。


「それに、この件に関しては義姉上がとてもお怒りなので、兄上がきっちり調べあげろと」

「だからラインハルト殿下が昨日、何も知らない私を問い詰めたんですか」


 ウィリアムが思い出したかのようにげっそりする。ヴィンセントはすまなさそうな表情をウィリアムに向ける。

 その後に後ろにいるアンジェリカに向かって言った。


「こちらが周りに聞き取り等を行うことで君の傷を抉る……かもしれない。極力心身ともに負担がかからないようにするが先に謝るよ。申し訳ない」

「気になさらないでください。私は平気ですから」


 正直に言うと少し不安が残る。

 けれど、確かにあの時のベネディクトはおかしかった。他の人に危害を加える可能性は十二分にあり得るので、調べる方がいい。


「ベネディクトは何処に?」

「逃亡の恐れがあるのでブライス侯爵に許可を得た上で王宮の地下牢に拘束している」

「よかった」


 ひとまず安心だ。王宮の地下牢には多くの番人と監視の騎士がいるので逃亡は不可能だ。


「体調はどうかな。助けられてからずっと眠っていたらしいが」


 本当に心配しているかのような声色は社交辞令には聞こえない。それは皆が言う、誰にでも優しい殿下の性格ゆえなのだろう。


「だい……丈夫です。わざわざありがとうございます」

「そうか」


 ほっと安堵の息をヴィンセントは吐いた。

 そうして視線が、ウィリアムの腰の辺りにあったアンジェリカの手首に移る。


「……やはりアザになるよな」

「え?」

「何でもないよ。公爵、これを」


 にこやかに懐から取り出したのは丸いケースに入った軟膏だった。


「王宮医から渡してくれと頼まれました。手首の怪我の痛みが早く引き、痕も残りません。万能薬なので唇にも使えます」


 どうやらヴィンセントはアンジェリカの怪我の部位を正確に知っているらしい。


「それはありがたい。王宮に常駐している医者の薬は評判がとても高いからな。アンジェおいで」

「はい」


 ウィリアムの背に隠れながらアランの方に移動する。

 

「手を出しなさい」


 言われた通りに差し出した。

 骨が折れてしまいそうなほど強く握られたので、赤く、青く、腫れ上がっている。

 見るからに普通のあざよりも酷い。きれいさっぱり治るまでには三週間はかかるだろう。


 アランはそんな娘の状態に眉を顰めたあと、蓋を開けて軟膏を怪我の部分に塗布していく。

 そっと触れているはずなのに、指が皮膚に当たる度、軽く痛みが走ってアンジェリカは顔を歪めた。


「唇はさすがに私はダメだな。侍女に頼むか自分で塗るかい?」

「そうします」


 頷いてケースを受け取る。すると優しくアランに頭を撫でられ、ぎゅっと軽く抱きしめられた。


「無事でよかった」


 その言葉にまた涙が溢れそうになるのをこらえつつ、「私も、こうしてお父様に会えてうれしい」とだけ紡ぐ。


 そうして少しの間抱擁して、アランが離れていった。


「アンジェ、まだ目が覚めたばかりだろう? 私達はヴィンセント殿下と話をしなければならないから戻りなさい」

「そうですね」


 アンジェリカとしてもこれ以上この格好を晒したくない。それに、ここに居たって迷惑をかけるだろう。だから素直に従うことにした。


「お兄様、後で上着はお返ししますね」

「うん」

「それ……とヴィンセント殿下、こんな見苦しい姿をお見せしてしまってすみません」


 顔だけ出して頭を下げる。


「い……や、むしろ私こそ申し訳ないというか……何だかとても……後ろめたいな」


 歯切れの悪い返答にこっちまでもっと恥ずかしくなってしまう。


(後ろめたさなんて覚えなくていいのに…………)


「わ、忘れていただけると大変ありがたいです」

「…………善処するよ」


 なんとも言えない雰囲気に、ウィリアムが何故か不機嫌になった。


「アンジェ、ヴィンセント殿下と話さなくていいからほらほら」


 グイグイ押し出されるように部屋の外に出ると、エディスが瞳に涙を溜めながら待機していた。

 たぶん、シンシアが寄越したのだろう。


「お嬢さま」

「なあに? エディス」


 起きてから彼女に会うのは初めてで。できるかぎり元気な声で応える。

 すると彼女は自分自身の胸元をぎゅうっと掴んだ。


「私の一番大切なものは、人は、アンジェリカお嬢さまなのです。だから貴女さまが酷い……目……に遭うのはっ、自分のことよりもつらくて、胸が裂かれそうになるのです」


 声が震えている。


「ヴィンスさまがお嬢さまを助けてくださらなかったら……っ!」


 彼女の目は泣き腫らした目だった。


 アンジェリカはそっとエディスの手を取る。


「私──助けて欲しいって思って最初に浮かんだのがエディだった。居るわけないのに出てくるのはエディだけで」


 何度も、叫びながら、心の中でも。家族よりも先に。


(自分が思ってたより何十倍も────)




「だいすきよ」




 柔らかく微笑みながら。これ以上ないほど愛をこめて。

 親愛を表す、頬への口づけとともにエディスに送る。



 それだけで、彼女は泣き出してしまう。


「私の方がお嬢さまのこと好きです。大好きです。ご無事で本当によかった……」

「おおげさよ」

「私にとってはおおげさではないんです」

「そう?」

「ええ。この世で一番大好きです」


 滝のように涙を流しながら告げてくるから、アンジェリカもちょっぴり涙腺が緩んだのだった。

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