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43.触れ合う指先

 アンジェリカの足首は、一週間後に腫れが引き、キャロルの言った通り二週間後にはすっかり元の状態に戻って完治した。

 自由に動き回れるようになって、リハビリを兼ねて最初に訪れたのはやはり図書館である。

 冷房が効いていて快適な空間。尚且つ、趣味に没頭できる場所。比較的歩き回る必要も無いので足への負担も軽減できる。


(エディスに借りてきてもらった本は返して、新しいのを借りよう)


 入口をくぐりながら、アンジェリカは鞄のストラップをぎゅっと握りしめた。


 ウォーレン邸に所蔵されている数も一般貴族の所蔵数に比べたら二倍三倍あるのだが、やはり図書館の方が満遍なくジャンルを網羅していて、見たこともない本が数多くある。

 アンジェリカはカウンターで返却手続きを済ましてからエディスと一緒に空いている席の確保に向かう。


「うーんお嬢さま、またですね」

「……そうみたいね」


 一階の閲覧席は前回と同様満席に近く、空いていたとしても一席くらいだ。二人が一緒に座れる箇所はない。

 ならば、と二階の閲覧席を覗いてみるが、こちらは白衣を着た研究員達が何やら白熱した議論を展開している。

 そんな大声を出して大丈夫なのかと張り紙を見れば、二階席は議論や討論の場として使っていいとのこと。彼らは遠慮なく意見をぶつけ合い、しまいには相手の胸ぐらを掴んで睨み合いの応酬になっている。


 こんなものをアンジェリカに見せられないと思ったエディスによって速攻下の階に戻されそうになったが、身を捩って抵抗した。


「エディス空いているわ! ほらあそこよ」


 議論中のテーブルの最奥、ぽつんとまるで誰にも見えていないかのようにその箇所だけ空いている。


 離席者がいるのだろうか。開いたままのと数冊積まれた本がある。けれどそれは一席分のみで、その人に連れがいないならばアンジェリカとエディスは座れそうだった。


(相席、許してくれるお方ならいいのだけれど)


 見たところ連れの方がいる気配は無いので目下それだけが懸念事項だ。


「お嬢さま……ここうるさいです。他のところを探しましょう?」


 エディスは不満のようだ。それもそのはず、研究者達の声は大きすぎるし、何より取っ組み合いの喧嘩が始まりそうなのである。誰であっても主に野蛮な場面を見せたいと思う侍女はいないだろう。


「本の世界に入ってしまえば現実なんてあるようでないようなものよ」


 ここで承諾したらきっとエディスは自分だけを座らせる。そう確信していたアンジェリカは断固として譲らなかった。


「さすがに度を越していたら下のカウンターの方に知らせる。それでいいでしょう? 駄目?」


 エディスは自分に弱くて甘い。こう言えば拒否できないのをアンジェリカは知っていた。


「…………知らせるのではなくて、これ以上大事になりそうになったら場所を移すこと、お約束していただけますか」


 どうしても暴力沙汰は見せたくないようである。さすがに彼らもそこまでは行かないと思うが。


「うん。私のわがまま聞いてくれてありがとう」


 そうとなれば早速読む本を探してこよう。

 アンジェリカはフリルの付いた蒼い傘を椅子にかけ、座面には木綿のハンカチを置いていく。


 アンジェリカは一階に降りて目当ての本を探す。今日は最初から読む本を決めて訪れていたのだ。


(薬草がここら辺に置かれているのなら────)


 棚の上段から、左から右に背表紙を目で追い、一段一段確認していく。


(世界の山菜辞典、茸図鑑、国別毒草辞典…………あ!)


「エディスあったわ──」


 棚から取り出そうとした瞬間、視界の端から自分ではない手が同じ本に伸びていった。

 人は簡単に動作を止められないもので。背表紙の幅が狭いのも相まり、指先と指先が触れ合う。


 最初に動いたのはアンジェリカだった。即座に背表紙にかけていた指を引っ込める。

 そして右側を振り向くと見覚えのある髪色の男性がいたのだ。


「……ヴィンスさま……ですか?」


 今日は白衣を着ていて、襟の間からは白いシャツがちらりと見える。過去三回の服装から一瞬見間違いかとも思ってしまうが、それは杞憂だった。


「どうして疑問形なのですか? お久しぶりです。リジェさん」


 そう柔らかく自分を呼ぶのは、偽名を名乗った相手である彼だけであって。アンジェリカは肩と肩が触れ合いそうな距離から飛び退いた。


「お、お、お久しぶり、です」


 いきなりの挙動不審にヴィンスは頭を傾げる。


「もしかして私、驚かせてしまったのかな」

「驚いてしまったのは……そうなんですけど、あの、男の人と話す……心の準備、できてない────あ! いや、ヴィンス様のせいでは……ない、です」


 自分が何を言いたいのか分からなくて、ぐちゃぐちゃな返答しかできなかった。

 わたわたと顔の前で両手を左右に振ってアンジェリカは身を縮こませる。


 貶めるためではなくて、純粋にアンジェリカの反応が彼のツボに合ったのだろう。ヴィンスはくすりと笑う。


「深呼吸して落ち着いて。それからゆっくり話してください」

「……はい」


 言われた通り大きく吸って吐く。そうしていると今まで沈黙を貫いていたエディスが口を開いた。


「不躾を承知でお尋ね申し上げます。貴方さまは懐中時計を落とされたお方ですか?」


 さりげなくアンジェリカを背に隠し、エディスは問う。


「そうですよ。リジェさんのおかげで無事手元に戻ってきました」


 アンジェリカはエディスの横から顔を出す。


 ヴィンスはポケットの中から細かい細工が施された懐中時計を出した。蓋を開けるとヒビが入っていたガラスは取り替えられ、チェーンも新しい物に変わっていた。


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