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41.視線の先は

「ところで、ヴィンセント殿下は王族だろうに。こんなところで油を売っていていいのかい」

「直ぐに戻れば問題ないですよ。私は彼女が気になって────アンジェリカ嬢?」

「ひゃっ、何でしょう」


 ぼーっとただヴィンセントを見ていたアンジェリカは硬直から抜け出した。その拍子に木のスプーンが手から滑り落ちて、スープ皿の中に沈む。


「あっ」


 ピッとトマトスープが飛んでドレスにシミを作った。


 キャロルは素早くリネンのタオルを出して水にくぐらせ、絞ってからアンジェリカに差し出した。


「せっかく可愛い召し物なのに、早く落とさなきゃ落ちなくなる。これを使いなさい」

「はい」


 アンジェリカは濡れたタオルで目につく限りのシミを拭った。


「ありがとうございました。これは洗ってお返しします」

「貴女の綺麗な手を荒れさせる訳にはいかないよ。手間はそんなに増えないし、気にしなくていい。ほら」


 アンジェリカは親切に甘えることにした。

 ぺこりと頭を下げて、汚れた部分を内側に折り、キャロルにタオルを返却する。


「本当にありがとうございます。これで全部落ちました」

「──だ」

「?」

「まだ落ちてないよ」


 アンジェリカの頭に影が差した。見上げれば、ヴィンセントがアンジェリカのすぐ側まで来ていた。


「ど、ドレスについてますか? 何処です……?」


 動揺しそうになるのを無理やり押さえつけ、飛沫が飛んでいた付近に目をこらすが、見当たらない。


「ううん、ドレスではなくて顔についてる。ごめん、少し触れるね」


 ヴィンセントが近づいてきて、なめらかな感触が頬をなぞって離れていった。

 

 どうやら頬に付着したままだったスープをハンカチで拭ってくれたらしい。

 彼は綺麗に畳んでポケットしまう。


「……あり、がとうございます」

「うん」


 ヴィンセントはふっと柔らかく笑った。


「それ、で。殿下のご用件は私なのですよね」


 ぼーっとしながらも会話の内容は聞き取っていた。


(なんの用かしら)


 見当もつかないアンジェリカはヴィンセントの言葉を待つ。


「晩餐に出られないのにここに居ると聞いてね」


 彼は部屋を一旦退出して廊下からワゴンを引いてきた。


「元々用意されていた君の分だ。温かいうちに運んだ方がいいだろうと、怪我の具合を直に確認したかったから他の人に頼まず私が来た」


 彼は皿の被せを取った。現れたのは湯気の立つ出来たての料理の数々だ。いい匂いがする。

 中にはナディアが話していた新作のデザートらしきものもあった。


「美味しそうだねぇ。私も食べたいよ」


 キャロルが羨ましそうに料理を覗き込む。

 そんな彼女に対してヴィンセントは微笑む。


「先生の分もありますよ」

「──本当かい!? 嘘ではないだろうね? 年寄りを騙すつもりなら最低だよ!」

「嘘ではありません。今日の医務室担当者の分も作るように事前に伝えていましたので」


 ヴィンセントは蓋をしてテーブルの上にそっと置く。


「思う存分堪能してください」


 キャロルは瞳を輝かせながらナイフとフォークを手に持った。


「ご馳走だ! こんなもん滅多に食べられないから殿下様々だよ。ラインハルト殿下に礼を言っておいてくれ」

「伝えておきます」

「う~ん! ありゃがひょう」

「──口にものが無くなってから話してください」


 まったく、と腰に手を当ててヴィンセントは言う。


「アンジェリカ嬢もどうぞ。お腹空いているだろう?」

「あ……えっと私は」

「遠慮せずに」


(要らないって言い難いな)


 アンジェリカは曖昧に微笑むだけで断れなかった。その間にヴィンセントがアンジェリカの目の前にもキャロルと同じ皿を配膳する。いささか強引な気がするのは気の所為だろうか。


「ありがとうございます。美味しそう……です、ね」


(申し訳ないけど少し食べて残そう。ここなら他の人は見ていないから残しても邪推されなくてすむ)


 だからヴィンセントが出ていくのを待っていたのだが、彼は中々出ていかない。そればかりかキャロルの隣に腰を下ろしてしまう。

 そうして何故かじーっとアンジェリカの方を見ているのだ。


 それがなんだか居心地が悪くて落ち着けなかった。


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