31.廻り始める
「読み終わった~!」
んー、とアンジェリカは腕を上にあげて体を伸ばす。首を軽く回すとコキっと音がした。どうやら同じ姿勢でいて凝り固まったらしい。
今は何時頃だろうか。辺りを見渡し、時計を探すと階段手前に掛け時計が備え付けられていた。
「夕方……早い」
お昼ご飯を食べるために途中退席はしたが、その後ぶっ続けで数時間読んでいたことになる。我ながら集中力がよく切れなかったものだ。
奥の座席で書物と睨めっこしていた女性はすでにいなくなり、まばらに座っていた他の入館者も居なくなっていた。
「エディスは────」
隣で針仕事をしていたはずなのに、いつの間にか背もたれに寄りかかり、軽く頭を揺らしながら眠っている。
(ふにふにだ。柔らかい)
ちょんちょんつつくが彼女は起きそうにもなかった。ここは日当たりもよくて、程よく冷房も効いていたから快適だったのだろう。
手には針と糸を持ったままだ。流石に危ないなと思ったアンジェリカはそっと彼女の手から針を抜いた。
そして机の上にあった針山にぷすりと刺す。
「まだ時間があるし待ってみよう。寝ているのを起こしたくないもの」
ウォーレン家に門限はないが、あまり遅くなるのは避けたい。といってもまだ太陽は沈んでいないので、時間はあった。
(こんな時くらいうたた寝、させてあげたい)
最近、エディスはアンジェリカに付きっきりであったし、気を張っていた筈だ。
その糸がプツリ、と切れたのならば絶対休む必要がある。
エディスが起きるまで何をしようか。手に取った本は読み終わってしまった。新しいのを読むにしても、読み終わらずに次回に持ち越しになるのが見えている。
(続きが気になって気になって仕方がなくなってしまうからなぁ)
本の世界に入るならばどっぷり浸かりこみたいアンジェリカは、途中で引き上げられるのはあまり好きではなかった。
自分の中の熱が冷めてしまい、小説ならば頭の中で文字から起こされた登場人物たちの動きが分散してしまう。
そういう点で考えると、用事がない日に朝から晩まで読み耽るのが、アンジェリカにとって幸せなことである。
そうは言っても合間合間に読書を嗜む事が嫌いなわけではない。
(読書を数分するだけで、他の休憩の仕方よりもリラックス効果あるって前、読んだわ)
アンジェリカは机の上に置いていた書物を整理する。サイズの大きい物は下に、小さい物は上に重ねた。
これらはカウンター経由で借りていない。だからアンジェリカが自分で元の棚に戻しに行く必要がある。
(エディスが寝ている間に戻してこよう)
アンジェリカは置かれていたペンとインク、紙を拝借して書き置きを残した。
流石に何もなしに席を離れ、エディスが目覚めた時にアンジェリカが居ないとなると心配させてしまうと思ったからだ。
(ブランケットもついでに借りようかな)
アンジェリカは薄手の上着を羽織っていたが、エディスのお仕着せは半袖だ。
いくら室内が適温であったとしても、冷房の風がこの席に当たる。気付かぬ間に体を冷やしているかもしれない。
「よいしょっ」
一気に抱えて階下に降りる。足元の視界が悪いので、慎重に一段一段足をかけた。
一階に着いたアンジェリカは近くにあった机に一旦書物を置き、上から数冊手に取った。
背表紙に貼られたラベルを確認し、同じ番号が振られた棚を探す。戻し終わったらまた数冊、同じ手順で戻していく。
終わったアンジェリカはカウンターに向かう。
「すみません。ブランケットをお貸しいただけますか」
手元の資料に目を通していたふくよかな女性は、かけていた眼鏡をクイッと直し、親しみやすい笑顔を浮かべ、応対してくれた。
「可能ですよ。枚数は一枚で宜しいでしょうか」
「一応二枚お願いしても?」
「大丈夫です。お持ちしますね」
ブレスレットの行方を尋ねた時と同じ奥の部屋に彼女は消え、ブランケットを抱えて戻ってきた。
「この貸出欄に名前を記入してください」
バインダーに挟んだ書類とペンをアンジェリカに手渡した。
「では、お帰りの際にここへ返却をお願いしますね」
「はい。ありがとうございます」
アンジェリカはブランケットを受け取る。ふわふわな手触りでボリュームがあるが、それに反してとても軽い。
その時何かが床に落ちたのか、大きな音が周りに反響した。
反射的に館内に滞在していた者の視線がその方向へ集まる。アンジェリカも例外なく、突然響いた音に肩をびくりと震わせながら振り向いた。
(なっなに? ペンとかが落ちた音にしては大きすぎる────)
床に、陽光によって光る金細工の丸い物が落ちている。
それは窓に面した閲覧席の椅子の下で。磨かれた革靴が一緒に映っていた。つまり座っている人がそれを床に落としたのだろう。
けれど、その人物は拾おうとしない。派手な音だったので気が付かないはずがないのだが……。
不思議に思って、そこでようやく椅子の下に固定されていた目線を上にあげた。
どうやら件の人は机に突っ伏しているらしい。
(もしかして寝てる……? あっ)
背格好だけなのに、アンジェリカの脳裏に一人の青年がぱっと出てきた。
(────ヴィンス、さま……かしら)




