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20.再会

「お嬢さま本当に本当におひとりで行かれるのですか」

「…………うん。何とかなるわ……たぶん」


 ガタリと車輪が石を弾いて大きく揺れた。


 自信はない。お守りが国立図書館にあるという確証もない。

 だけど屋敷にいてどこに落としたのだろうかとぐるぐる悩む方が嫌なのと、行って、無いならない、あるならある、と白黒はっきりする方が心情的に楽である。


「すぐに帰ってくる。馬車の中で待ってて」


 扉が開き、御者が到着したことを知らせる。


「じゃあね」


 手を振りながら馬車を下り、アンジェリカはごくりと唾を飲み込んだ。

 正面に聳え立つのは国立図書館。昨日と違うのは人の出入りがはげしいことだろう。

 特に長い白衣を着た青年達や杖をつき、ゆっくり歩く老紳士が多い。といっても顔は判別つかないので服装のみでの印象だ。


「多い……」


(いやいや、ここで弱音を吐いてたらいけない)


 アンジェリカは同じ道を傘をさしながら歩いて、回廊まで来ると、噴水で子供たちが遊んでいた。

 幼子特有の高い声を上げながら、水を掬っては友達にかけてびしょ濡れになっている。

 どうやら子供達の親は近くにいないようで、誰かが注意する訳でもなく周りの者は微笑ましげに見守っていた。


 その横を通り抜け、傘を閉じてボタンで留め、右腕に提げてから中に入る。今日は昨日より暑いせいか、冷房が肌寒さを感じるくらい利いていた。

 アンジェリカは思わず二の腕をさする。


(上着、着てくればよかったかな)


 入館者の応対していたのはありがたいことに女性で、アンジェリカはほっと息を吐いた。


「すみません」

「入館の方ですね。ここにお名前をお書きください」


 出された紙に名前を記す。万年筆とそれを彼女に渡すと代わりにネームプレートを渡された。


「館内は首からさげてください。それでは良い時間をお過ごしくださいませ」


 にっこり笑って見送ろうとする女性に、アンジェリカは慌てて要件を伝えた。


「あの、落し物が届いていたりしませんか」

「落し物ですか……少々お待ちくださいね」


 スツールを回して女性は立ち上がった。そのまま奥の保管庫らしき場所に消えていく。


「──今のところ落し物はこれだけですね」


 バスケットを持って帰ってきた彼女は、中身をカウンター上に並べていく。

 薬草図鑑、水筒、万年筆、栞。種類は豊富だが、アンジェリカの目当ての物は届けられていなかった。


「お探し物はありますでしょうか」

「……ないみたいです。ごめんなさい、お手数おかけして」


(ブレスレットには宝石が使われているから盗まれてしまったのかも)


 見つかると信じていた心が急速に萎んでいく。悲しくて、アンジェリカは瞳を閉じた。瞼の裏に水が溜まりそうだ。


 女性はアンジェリカの返答を聞いて、並べていた落し物をバスケットの中にしまう。


「他にも御用がありましたらどうぞ気兼ねなくお尋ねくださいね」

「ありがとうございます」


 いつの間にか後ろに入館者の列が形成されていた。慌てて邪魔にならないよう端によければ、すぐ後ろに並んでいた青年がアンジェリカのいた位置に移動する。


(まだ届けられていないだけで、落ちてたり……はしないわよね……)


 微かな望みを捨てられず、本棚の方に足を運ぶ。

 昨日、アンジェリカが居た棚の列はひっそりとしていた。ずっと奥の方で老夫婦が本を開き、楽しそうに声を潜めて話しているだけである。


 アンジェリカは隈無く下を見渡す。が、やはり落ちてはいない。


(もう見つからないのかも……)


 項垂れそうになるのをかろうじてこらえる。


(エディスが心配するし、馬車に帰ろう)


「あっ」


 いささか大きな声が後ろからした。驚いて振り返れば、栗毛色の髪の青年が二、三冊の本を抱えて横切ろうとしているところだった。


 視線が合う──といっても多分になってしまうが、彼は彼自身を指で指した。


「覚えてますか。昨日、ここでぶつかって」


 突然話しかけられて体を強ばらせたアンジェリカに気がついたのか、青年は近づいては来なかった。

 その場で、アンジェリカとは一定の距離を取って、話を続ける。


「……覚えています。ご迷惑をおかけしました」


 精神的に不安定ではなかったからか、すんなりと言葉が出てきた。ぺこりと頭を下げれば、彼は片手を顔の前で横に振る。


「私の方こそ。あれから他の者に『本を一気に運ぼうとするからこうなるんだ』と怒られまして」


 青年は本をテーブルの上に置いた。


「お会いできてよかった。少しここでお待ちいただけますか」


 きょとんと首を傾げる。気分は悪くなっていないし、多少ならば平気そうではある。けれど彼と話すことは何も無い。

 それに相手は男の人なのだからさっさと立ち去った方が良いのだが……。


「ほんの数分でいいのです」


 それほどまでに懇願されると断りにくい。


「……分かりました」


 流されるように承諾した。気分は、まだ悪くなかった。もう少し話すことは可能だろう。


「ありがとうございます。直ぐに戻りますので」


 青年は駆け出す。そして、図書館の奥にある通路へと消えていった。

 アンジェリカは彼が置いていった本の隣に腰掛ける。


(…………薬草の本ね)


 白衣は着ていなかったが、薬学の学者だろうか。どちらにせよ、首からさげたストラップの色がアンジェリカとは異なり、一般客ではない。


「お待たせしました」


 ぼんやりと本の背表紙を眺めていたら、いつの間にか青年が戻ってきた。全速力で帰ってきたのか、彼は荒い息を吐き出し、額に浮かんだ汗を拭った。

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