15.兄の提案
「あ、でっですが、お兄様は既にお約束があるのでは?」
デートスポットにはならないが、意中の相手を連れていくとかあるだろう。
「──ないな。王宮で誰を連れていくのかという話をしていたのを聞いたのだが……ウィリアムはアンジェの名前を即答した」
「……お兄様即答したのですか? それは嬉しいですけど」
「ああ、だけどまだアンジェに伝えてなかったとなると……サプライズしようとしたのかな? あ、そういえばそんなことを言っていたな」
息子の計画を破綻させてしまったことに気がつき、アランは少し青ざめる。
「アンジェ、聞かなかったことにできるかい?」
「分かりました」
アンジェリカは心得たとばかりに、にっこり笑った。
記憶喪失になってから人前に出ていないので、いい機会だと兄は考えたのかもしれない。
(だけど──一番の理由はきっと私が本が好きだからだわ)
兄からはまだ聞いていないけれど、彼の心遣いが手に取るように分かって、とても嬉しかった。
「ならアンジェの体調次第だ。図書館は静かだが、屋敷よりも出入りする人は多いし、貴族も来るからお前に目が行く」
アランの瞳が不安で揺れる。
アンジェリカはあれから一ヶ月半、屋敷の外にほぼ出ていないし、ましてや社交界には一切顔を見せていない。
貴族達は娘に同情的であり、悪く言われる可能性はほとんどないのだが、それでも奇妙に見られてしまうだろう。
中には好奇心を隠そうともせず、根掘り葉掘り訊ねる者もいるかもしれない。
「……大丈夫です。長時間滞在はしないので」
そうすればあまり人には会わないはずだ。
それよりも、開館までは残り三週間。拒絶反応をできるだけ抑える方が大切である。
(先生は私次第だと言っていたわ)
なら、努力すればどうにかなる所までは大丈夫になるはず……。
そんなことを考えていると、エントランスの扉が開かれた。
「あれ? 父上とアンジェ、こんな所で何を?」
奇妙そうに小首を傾げたウィリアム。アンジェリカは一瞬アランの方を見て、いたずらっ子のように笑った。
「ふふ、秘密です」
「…………気になるなぁ。まあ、いいや」
執事に上着を預け、二人の元に着く。
「アンジェに話があるんだ」
「何でしょう」
予想が若干ついていた。
「近々図書館が開設されるのだけど……中に入ってみたいと思わないかい。私となら一緒に入れるよ」
「本当ですか!?」
知っていたが、それでも本人の口から教えてもらえると嬉しさは倍増する。
「本当だ。本好きには居心地いい空間になったと思うから、絶対に楽しめる」
「わぁ! お兄様大好き!」
思わず兄の首に手を回して、弾みをつけて抱きついた。
とても嬉しそうな妹の様子に、ウィリアムも満足気である。
こんなに喜ぶ人が身近にいる。それが分かっただけでも、図書館開設に伴う残業に続く残業の辛さは意味があるものだった。
「少しは気分が晴れるかな」
「晴れるっていうものではないです! もう楽しみで楽しみで夜も眠れそうにありません」
「まだ先のことだよ」
言いながら、抱きついてきたアンジェリカを地面に下ろす。
「ほんの三週間ですよ。すぐに時は過ぎます」
(待ちきれないわ。私も頑張らなきゃ)
ぐっと心の中で喝を入れる。
「そうだ。これ、先に言わないと。アンジェ、エディスは連れて行けない」
「えっダメ……なのですか」
てっきり一緒に付いてきてくれると思っていたアンジェリカは、胸をざわつかせながら兄に尋ねる。
「最初の一週間は試験運用も兼ねてるからね。身元がはっきりしている貴族や学者等しか入れないんだ」
エディスは当たり前だが貴族ではない。となるとウィリアムが今言った者に当てはまらなかった。
「私の侍女だとしても?」
「例外は無いんだ。ごめんよ」
心苦しそうにウィリアムは口を結んだ。
(そうなると一人になってしまう……)
困った。男性達もいる場所に一人でいるのは無理である。
(ウィリアムお兄様は多分式典等で忙しい……わよね?)
一気に熱が冷めてしまった。
「アンジェの心配は分かるよ。流石にあの件があったばかりだから私がそばにいる。許可ももぎ取った」
「でも…………」
躊躇するアンジェリカを見て、ずっと端で控えていたエディスが口を挟んだ。
「お嬢さまは行きたいですか。行きたくないですか」
「──行きたい」
暫し考えてから、アンジェリカははっきりと答えた。
「なら行くべきです。ウィリアムさまならお嬢さまの不安要素を排除してくれるでしょうし、心配ないかと」
そう言って、まるで娘にするようにアンジェリカの頭を撫でた。
少しこそばゆくて身動ぎする。
(前は一人で出掛けることもあったのだから大丈夫よ。今回はお兄様もいるし)
不安はまだちょっぴり心の片隅にあるが、行きたいという思いが大半を占めていた。
だから己の気持ちに正直になって頷いた。
「行くの、楽しみです。連れて行ってください」




