14.アンジェリカのお願い
アンジェリカの症状は案の定悪化した。
今度は同じ部屋や近距離に男性が居るのが無理になってしまったのだ。
「やっやっぱりもう無理……ごめん……なさいっ」
目の前でバツを作れば、すぐさま使用人達が部屋の外に退散する。
「無理して慣れなくてもよろしいのですよ?」
真っ青になったアンジェリカの背中を擦りながら、そう言ったのはエディスで、レモネードを差し出した。
「そうはいかないわ。どのみち……外に出ないといけないから」
ジューッとストローで甘酸っぱいレモネードを吸う。氷で冷やされていたのでとても冷たい。清涼感が喉を通っていく。
ストローでかき混ぜれば、氷がぶつかり合ってカランコロンと涼やかな音を立てた。
「……そうですか。でも、昨日より長く同じ空間に居られましたね。これで三十分です」
エディスは懐中時計を確認した。
「ほんとう?」
「ええ。お嬢さまもご覧くださいませ」
覗き込む。確かに三十分経っていた。
「なら、もう少し頑張れば行けるかしら」
「何処にでしょうか」
血の気が戻ったアンジェリカは、問いに答える代わりに安楽椅子から立ち上がる。
軽やかな足取りで寝台の隣にある机の引き出しに手を突っ込み、新聞を取りだした。
「えへへ、あのね先日の記事なのだけど……」
エディスの元に帰ってきたアンジェリカは、胸に抱きしめた新聞を嬉しそうに差し出した。
「私、ここに絶対に行きたくて。だから早く慣れたいの」
そこにはこう書かれてあった。
『第二王子提案の王立図書館、ついに開設』
「完成したら行ってみたかったの。他国の書物も置いてあるらしくて、蔵書数が国内随一の規模ですって」
説明に熱が入る。
アンジェリカは本が大好きだ。どちらかといえば外に出掛けに行くよりも、室内で刺繍や読書をする方を好む。
(近々完成するって話は聞いていたけれど、こんなに早かったなんて!)
王家の人間が設計に関わり、国の政策として建てられるからなのか、設備も最新式、建物は書籍のことを第一に考えられた特別仕様。
新聞に書かれている文章を読むだけで胸が躍るのだ。だが、今のアンジェリカが図書館に行くのは大きな壁が立ちはだかっている。
(せめて同じ空間に男性の方がいても大丈夫にならなければ)
ほんの少しの時間だけでいい。中に足を踏み入れてみたい。
だからアンジェリカはここ数日何としても克服せねば、と無理して頑張っていたのだった。
「ダメ……?」
ねだるように主人に乞われて、断れる者はいるだろうか。ましてや自分から出掛けたいと言っているのだ。
「お嬢さまのしたいようになさるのが一番です。旦那さま方にお尋ねしましょう」
アンジェリカは大きく頷いた。
「お父様ならきっと帰ってきているわ。さっき馬車の音が聞こえたもの」
ほら、いきましょう? とアンジェリカは部屋の外に出る。浮き足だっているのか、その足取りはとても軽い。
「──お父様!」
書斎に行こうと中央階段を降りれば、ちょうどアランが帽子を執事に預けているところだった。
「アンジェじゃないか。そんなに急いでどうしたんだい」
アランは仕事で疲れていたが、それも消えていくように感じた。ぎゅっと抱きついてきた愛娘の頭を撫でる。
「お父様にお願いがあるのです」
「言ってごらん」
アランは聞く前から叶えてあげるつもりだった。公爵である自分は大抵の事は難なく叶えてしまえるから。
「来月、国立図書館が開設されますでしょう? そこに行きたいのです」
「ああ、ウィリアムが携わってるやつか」
「お兄様が?」
それは初耳だ。だが、言われてみれば納得する。
アンジェリカと同様に、ウィリアムの趣味も読書なのだ。兄が王宮勤めを始める前までは、よく一緒に一日中図書室に引きこもっていた。
今も、休暇では一緒に本を読んだり感想を言い合ったりする。
そんな兄のことだ。そういう案件があるのであれば、自ら率先して携わっていてもおかしくなかった。
「確か初日に関係者として中に入ると言っていたよ。二人で行ってきたらどうだい?」
アランに反対する理由はない。
「それに、開館時刻より早く中を見るらしいから人が少なくてアンジェの負担も少ない」
「…………私、関係者じゃありませんのに。いいのでしょうか」
アンジェリカは家族といっても案件に関わっていない部外者である。そんな自分が、己の我儘を突き通していいのだろうか。
本当に、叶うのであればいささか申し訳なくなってしまう。
「そのくらいの我儘は心配ないさ。騒ぐわけでもあるまいし。元々関係者は各一人、他の者を連れてきていい事になっているのだよ」
アランが言えば、アンジェリカの瞳に輝きが増した。




