呑気に生きていく
結局、世の中の大半は状況を把握せず呑気に暮らしているのだ。なぜ私だけ特別になろうとするのだろうか?
私は普通に暮らしている。程よく学び、友人と遊び、1人の時は部屋で読書をしている。彼女はいないが、まあいつかは出来るだろうなんて呑気に考えたりしている。
ある人は言う。お前には努力が足りていない。周りはもっと努めている、と。その人の口は止まらなかった。私はただ反論も出来ず、下を向きながら時が過ぎるのを待った。
成功者とは一握りだ。彼らはよく努力し、時に類稀な才能を持ち、その能力を遺憾なく発揮して、世の人々の関心を買う。私もまた彼らを尊敬する者の1人だ。
私はよく彼らを話題に出した。『彼が凄かった。あんな発想は私には出来なかった。』その度にある人は言った。感想など誰にでも出るのだ。なぜあなたはそこに到るための努力をしないのか、と。私は何も言わなくなった。
ある人が言う。君はどんな努力をしたのか?どんな才能を持つのか?
私は口をつぐんだ。自信がないわけではない。私は懸命に生きている。ただ、思うのだ。この程度のこと、誰もがしているんじゃないかと。
だがしかし、と私は思う。努力とは何かを欲するがために行うものではないのだろうか。人に強制されてまで行うものではないのではないか。
私にはあまり物欲がない。もちろん人並みに何かを欲したりはするが、別に高い車が欲しいわけではないし、良い家に住みたいわけでもない。絶世の美女を振り向かせるために、何か貢ごうと画策したいわけでもない。
私にはそこまで利己心がない。私は十分自分に自信を持っている。他人からこれ以上の称賛を求めているわけでもない。誰かに勝ちたいとも思わないし、高い地位について尊敬されたいわけでもない。
つまらない人生だろうか。そうでもない。私は自分がやりたいと思ったことは何でも挑戦してきた。ピアノをやりたいと思って始めたピアノ教室にはもう何年も通っているし、料理がしたいと思った時はネットに載っていたレシピを片っ端から作っていった。人生に希望がないわけでもない。私にはまだまだやりたいことがあるし、まだまだやれてないことがある。
ある人は言った。成功者のみが真の充実を得るのだ、と。果たしてそうだろうか。世の中の大半の人物は一生を不幸に過ごし、人生を価値なきものへと変えていってるのだろうか。
常に前進せよ、と皆が言う。時に立ち止まっても良い、と誰かが言った。ある人は酷く虚しい声だと嘲笑う。正しくあれと私に言う。
私はそうして散っていった花弁を一つ一つ拾い集めた。そして、それを胸ポケットにしまった。私はこれを後生大事にするだろう。ある人はそれを笑うだろうか。
その人はJ.S.ミルという人をよく知らない。私はその人を知っている。それが何の役に立つのだろうか。その人はきっとそう言うだろう。
結局、人生などそんなものだ。他人がどう言おうと人は皆、自分の人生を自分なりに評価しながら歩んでいくのだ。
人生とは最後に笑ってられるかで決まる。
胸ポケットから出した言葉を読み上げた。
世の中の大半は状況を把握せず呑気に生きている。私は鼻唄混じりにそう言った。
執筆時間 10分!
…今書いている長編もこのぐらいの時間で書かれへんもんかなーって思うんですよ。