第一章8 田原とのデート
「そう……ですね」
タクミは、田原からのお誘いにひっかるような物言いで頷いた。
「何よ。歯切れが悪いなあ。お姉さんとデートできるんだよ。もう少しワクワクして欲しいなあ。こう見えても、私って結構モテるのよ」
田原は決め顔で言いのけた。タクミから見ても彼女が美人であることは分かっている。しかし、タクミが気にしているのはそこではなかった。
「平日の昼間にうろうろしていて、何か思われませんか? それに親や学校には、どう言えば良いのか……」
剣呑とするタクミに、田原は言ってのける。
「そしたら、姉と弟、もしくは従弟でやり過ごせばいいじゃない。別に他人なんて気にしているようで、気にしていないから。堂々としていれば、良いんだよ。親御さんや学校には私から説明するので、大丈夫」
それでも、納得しきれないタクミは聞き返す。
「そういうものですか?」
それに田原はきっぱりと答えた。
「そういうものよ。じゃあ、決定ね! 明後日、駅前に10時集合で。」
かくして、田原に引っ張られるままに、彼女と遊びにいくことになった。
当日、タクミは十時ギリギリに到着すると、駅前物陰で、半そでの鼠色のニットに、茶色のパンツスタイル、白のカバンをぶら下げている女性を確認した。
いつもと違う風貌であるが、雰囲気から田原だと確認する。田原らしき女性はこちらに気付き、手を振った。それにタクミは会釈する。
それから、タクミは夏の日差しを避けるように、物陰を伝って移動し、田原のもとに到着する。すでにタクミの背中は暑さで汗ばんでいた。
「レディーを待たせるとは、たいそうなことだなあ。少年?」
田原は日陰でハンカチを仰ぎ、自分の顔に風を送りつつ、悪戯っぽく言った。
「すみません、少し道に戸惑って……」
対するタクミは、半そでの紺色のパーカーに黒のジーンズ、黒のスニーカーの装い。タクミの中でもっともおしゃれだと思われる格好をチョイスしてきた。
田原は透けるような細い腕を持ち上げて、手首に巻いた腕時計を見た。
「時間的には大丈夫。それでは行こうか。まずは映画館に行って、行きつけの喫茶店で食事をとりつつ、君の話でも聞こうと思っている。それで良い?」
「大丈夫ですけど、仕事の方は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。君は心配性なんだからあ。さあ、行こう」
首を傾げるタクミをよそに、田原は太陽が照り付ける真っ白なコンクリートの道を歩き始めた。
「ちょっと待ってください」
タクミはそれに引っ張られるようについていく。
映画館は駅から数分のところにあり、そこまで徒歩で向かう。その数分の間だけでも、暑さで体が汗ばんでくるほどで、映画館に入った時の冷房に、タクミと田原は深く息を吐き出したほどだった。
タクミは館内の様子を見る。平日ということもあってか、見渡す限り、老人か、主婦か、もしくは、暇な大学生がいる状況だった。
田原の先導で、チケットカウンターまでついていく。その途中から、ポップコーンから漂う、キャラメルの香りが二人を迎え入れた。
「今の時間だと、この3つから選ぶのが、いいと思うけど、何が良い?」
チケットカウンターでタッチパネルを操作する田原は人差し指を頬に当てながら、タクミに尋ねた。
タクミはタッチパネルの画面に近づいて、三つの候補を見てみる。往年の名ハリウッド俳優によるハートフルな日常を描いた洋画、泣けると話題のラブストーリー系の邦画、CG技術がすごい、漫画原作のアクション系の邦画だった。
「この3つなら、俺はアクション系の邦画ですけど……」
「いいねえ。私もこの中だったら、アクションだな」
「田原さんもですか?」
「うん、やっぱりスカッとしたものを見たいから。あと、この原作の漫画、読んだしね」
タクミも、この原作の漫画については知っていた。購買層は、男子が7割。女子が3割で、絵的にも、シナリオ的にも、キャラ的にも男が好むタイプの漫画だ。
「田原さんって感覚が男臭いですね」
そうタクミに言われた田原は、ポリポリと頬を人差し指で掻いて、照れたように言う。
「ははは、そう言われると、困るなあ」
そんなやり取りがあったものの、結果として、二人はアクション系の邦画を見る事にした。
「結構面白かったなあ。漫画原作のあの世界観を再現するのは正直、難しいと思っていたけれど、意外と再現性が高くて驚いた」
見終えた田原は、両手を組んで、前に両腕を突き出すような形でストレッチを行った。
「はい、面白かったです」
タクミも即座に答えた。
「そんじゃあ、映画の感想を語りつつ、一緒にご飯でも食べよう。ちょうど行きつけの喫茶店があるので」
ニコリと笑顔を作る田原に、タクミも自然と笑顔を浮かべるようになった。
「お願いします」
田原に連れられて、やってきたのは街中にひっそりと営業している小さな喫茶店。
立ち並んでいるビルの隙間に、白と茶色を基調とした建物を田原は指さした。
「ここよ。私はここのサンドイッチが好きでね」
田原が扉を開くと、カランカランと音がなる。
「こんにちは」
「いらっしゃい。席はどこでも大丈夫だよ」
白髪交じりの、姿勢の良い男性マスターが入り口すぐのカウンターで出迎えてくれた。
店内は木製のテーブルや椅子が並んでおり、窓から差し込む日差しによって暗い印象は無い。お客もまばらで仕事の合間に一人で来ている思われる背広の男性がいたり、ボソボソと話し合っている老人会の男性三人組など、静かな印象だった。
「ここで少し話しても大丈夫ですか?」
田原はマスターに遠慮がちに尋ねる。
「奥の席であれば構わないですよ。今日は客も少ないし、ゆっくり過ごして大丈夫だから」
手元のコーヒーカップをふき取りながら、男性マスターは丁寧に答えた。
「ありがとう。それとメニューなんだけれど……」
「サンドイッチのセットかい?」
「ええ」
「飲みものは?」
「私はアイスコーヒー。タックンは?」
急に振られて、タクミは戸惑った。
あだ名で呼ばれたこともそうだが、普段、こういう場所に行かないせいで、どんなメニューがあるのか、すぐに思いつかなかった。それで、少しおしゃれそうな飲み物で、頭に浮かんだものを矢継ぎ早に口にした。
「えっと…… 紅茶で」
「分かりました。では、ごゆっくり」
マスターはニコリと笑ってから、会釈した。それにタクミも会釈する。田原はタクミを手で招きつつ、奥の方へ向かっていく。タクミはその後ろをついていく。カウンター席を通り過ぎて、奥にある4人用テーブルが並んでいる場所のさらに奥の席に二人は着席した。
「それにしても、外は暑かったね。エアコンの効いた室内の映画館は正解だった」
室内の冷風が田原からタクミの方に流れており、タクミの鼻に田原の香水が纏ってくる。
「そうですね」
タクミは特に問題が無さそうに答えた。そこで、マスターが飲み物を運んできた。
「アイスコーヒーと紅茶です」
二人は飲み物に差されたストローに口を付ける。冷たい液体が体内に流れ込んで、火照った身体を冷却する。
「いやあ、おいしさ倍増だ」
「はい、おいしいです」
二人は冷たいグラスをコトリと置いた。
田原が少し真面目な顔をして、タクミを見た。タクミ自身もその心構えはあった。
「学校、行きたくないんだよね?」
「はい」
タクミは汗のかいたグラスを見つめながら、小さく答えた。
「あの一件のせいで行きづらい?」
「そうですね」
田原はストローで、グルグルとグラスの中身をかき混ぜながら、タクミに尋ねた。
「私、具体的なことは知らないんだけれど、どうして、ああいう事になってしまったのかな? これまで君と話していたけれど、とてもあんなことをするような人には見えない。きっと何かあったんだよね?」
「俺の言う事、信じてくれるんですか?」
タクミは顔を上げて、田原の方を向きながら、尋ねた。
田原もまた、顔を上げて、タクミの方をまっすぐに見た。
「もちろんだよ! だから、君が思っていることを話して欲しい」
「それって、先生にも報告するんですか?」
「すぐに報告なんかしない。君の気持ちと、いきさつを聞いてみて判断するよ。やっぱり理由があるんだね?」
「はい。実は……」
そこで、これまでのいきさつをタクミは説明した。新崎たちの指示で、自分は中橋に嫌がらせをしていたこと。嫌がらせが発覚して以降、新崎達が標的を自分にしたこと。そして、抑えていた怒りが爆発して、新崎達に刃物を向けたというところまで話した。
「なるほど。そんな事情があったとは」
田原は腕を組み、息を吐き出すように呟いた。
一方のタクミは口を真一文字に結び、うつむいた。そんなタクミのもとにマスターがさらりと、サンドイッチと野菜のスープを置いていく。
「まあ、食べなよ。私が注文したの」
「ありがとうございます」
タクミはサンドイッチにかみついた。ふわふわのパン生地と、卵の優しい甘みが口の中で広がっていく。
「どう?」
「はい、美味しいです」
頬張りながら答えるタクミを見て、田原は微笑んだ。
「スープもおいしいよ」
田原に言われて、タクミは野菜のスープも飲んでみる。温かいスープが冷え切った胃袋を温める。
「どんどん食べな」
蘇ってくる怒りや悔しさを呑みこむように、タクミはバクバクとサンドイッチを食べていく。時折、サンドイッチの優しい味に涙がこぼれそうになりながらも、あっという間に、テーブルに運ばれてきた全てを平らげた。
「落ち着いた?」
「はい。それなりには」
「良かった」
田原はグラスに残っていたアイスコーヒーで喉を潤してから、言葉を口にした。
「いきさつは分かった。確かに、新崎君たちは許せないなあ」
「分かってくれるんですか?」
「分かるよ」
「じゃあ、あいつらを懲らしめて」
「でも、彼らにやり返したところで、君自身が幸せになれるとは思えない」
前にどこかで聞いたことのある言葉に、タクミは言葉が詰まった。
「私、思うんだ。自分が苦しい思いをしたから、相手も苦しい思いをさせる。それって、どこまで行っても、みんな、苦しい思いしかしないじゃない。何より、君が苦しい思いから抜け出せない」
「抜け出せますよ」
「そんなの、いっときだけ、スカッとして終わりじゃない。排除するのは大人の力でなんとかなるよ。でも、その先にあるのは、激しい応酬。先々のことを考えたら、私にはそれが良い選択だとは思えない」
田原はタクミをまっすぐに見て、答えた。
「じゃあ、どうすれば良いんですか? あの場所が変わらないのなら、俺はあんなところには行きたくないです」
タクミは怒りにも似た感情を田原にぶつけた。そんなタクミに、田原は優しく答えた。
「私だったら、苦しんだ分、自分が幸せになれるように努力する。他人を蹴落とすのではなく、自分が幸せになるために、自分が変わることに力を注ぐ」
「自分が変わる?」
タクミは眉間に皺を寄せながら、田原に尋ねた。
「そう。そのためには自分自身で考えて、行動すると良いのかなって思うんだよね。何かやってみたいこととか無いの?」
尋ねられて、タクミはすぐには答えられなかった。少し考えても、何も思いつかない。
「考えたことなかったです」
「うーん。でも、それだと、何もならないからなあ」
田原は頭を傾げて、考えた。グラスの中のストローをグルグルとかき混ぜている。十秒ほど、かき混ぜた後、ストローを回す手を止めた。
「うん。私、面白い事を思いついちゃった」
「面白い?」
田原はニヤニヤしている。
「夜間中学校に行ってみない?」
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