~第1章~ 気が付けば見知らぬ少女と知らない場所
──めよ……
何処か、遠くから。声が、聴こえて来る。
──めよ……
濃い霧がかかったかのような、夢現のような意識の俺に向けられた、女の声。
──ざめよ……
朦朧とした意識は次第に覚醒へと近付いていき、それに伴って聴こえて来る女の声の、言葉が少しずつ聞き取れるようになっていく。
──ええいっ、いい加減に目覚めよ!
はっ!?
唐突に声のトーンが変わり、怒気のこもった言葉に俺の意識は一気に現実へと引き戻された。
「おぉ、どうやら覚醒はしたようじゃの」
その様子に気付いたのか、つい今しがたとは打って変わって安堵したような声。強制的に覚醒された意識に遅れて、視界に映る物が認識されていく。
声の主、俺の目の前に立っていた人物は、若い少女だった。
「失敬な。我を少女などと、身の程を弁えよ」
妙に物々しい口調で、若干の不機嫌さを顔に覗かせ言う少女。その少女は少し……いや、かなり奇妙な少女だった。
「不敬であるぞ、お主。覚醒して早々にそのような言い草を我に放つとは……またもや失敗したか、これは」
なんだかよくわからない事を言っているが、俺は置かれた状況に戸惑い、その声に反応することを忘れてしまっていた。
顔立ちは間違いなく良い、と言うか俺の感覚からすればかなりの美少女といって過言では無い。綺麗な金色のロングストレートな髪が、それをより一層際立たせている。そこまでなら別に問題は無い……と言うか、むしろ言葉を交わせるだけでも俺からしてみれば、奇跡のような状況。
「ふむふむ……」
先ほどまでの不機嫌さは消え、目を閉じて何か納得したかのように、少女はコクコクと頭を小さく上下させる。だが、それらの美少女ぶりを打ち消しているのはその格好だった。
ボンテージファッション、と呼べばいいんだろうか?
簡単に例えるなら、お腹の部分が露出したスクール水着……いや、レオタードのような服装。
「スク……? レオ……?」
それだけに留まらず、肩には何やら刺々しいデザインの肩当てを着け、その後ろからは床に届かんばかりに長く、そして幅の広い黒いマント。
腕にはやたらゴツい手甲をはめ、膝まであるブーツもどこか物々しい意匠のもの。
「似合うじゃろ?」
ドヤ顔でフフンと鼻を鳴らしながら、少女が満足げな様子で言った。
確かに整った顔立ちと、長い綺麗な金髪とは合っているが……
この格好は控えめに言っても、どう見てもかなり痛いコスプレとしか表現のしようが無い。個人的な感想も交えるならば、露出狂なのではないか。そんな言葉が頭の中に浮かんだ。
「……」
上機嫌な雰囲気が一変。少女の顔に再び怒りの色が浮かび、そして明らかに睨みつけるような眼差しを俺に向けてくる。
コロコロと表情が変わるのは、見ててちょっと面白いが……
それにしても、ここはどこなんだ? そもそも俺はいったいどうしたんだ?
周囲を見回せば、大理石作りと言うのだろうか? とにかくそんな感じの石作りの広い室内。部屋と言うよりはなんというか……そう。
例えるならお城の広間とか王の間とか、そういった趣の場所という印象。
「まったく……我に対しての失礼な反応といい、いつまでも答えぬ様子といい、やはり失敗か。仕方ない、また破壊して造り直すしかないか」
横を向き、憮然とした表情でなにやら呟いている少女。口調は古風で威厳を漂わせようとしている感じだが、その声はまんま可愛らしい少女のそれ。
加えて容姿もさっきの通りなので、ただちょっと拗ねてる女の子といった風にしか見えない。まぁ、可愛いけど。
「……いや、しかし造り直すのも大変だしのぅ。もうしばらく様子を見てからでもよいか」
微妙に顔を赤らめているような気はするが……それはさておき。
自分の今いる場所にはまったく覚えがない。どうして俺はこんな所にいるだ? どうにも思い出せない。
落ち着け、とりあえず記憶を辿って思い出せるところまで思い出そう。
そう考えて俺の意識は目が覚める前、バイトをしている最中の時間まで遡って行く……
* * * *
「……しゃあっせー」
自動ドアが開き、人が入ってきたのに合わせて俺は挨拶の声を口にする。長年の経験からすっかり身体に馴染んだ行動、状況に反応して自然とそれが出来るようになっていた。
俺の名前は尾野真 丞。二十代も半ばを過ぎてコンビニ店員をやっている、いわゆるフリーター。
自分で言うのも情けないが、しがない・冴えない・つまらないとナイナイ尽くしのちっぽけな人間だ。……情けなさ過ぎて涙が出そうだ。
そんな事を考えている俺などもちろん気にした様子もなく、先ほど入ってきた客がのんびりと店内をうろつきながら、弁当やらパンやらお菓子やらの棚を物色している。
まぁ、どうせそれは『ちゃんと自分はお客様ですよー』も言う体を取り繕うだけのフリでしかないんだが。毎日見る常連のこの客は、そうやって店内をしばし散策してからいつも立ち読みをするだけだ。
「らっしゃーせー」
することもなくて常連を眺めながらそんな事を思っていると、また新たな客が店に入ってきた。夕方、ちょうど下校や仕事終わりのこの時間は、必然的に客入りが多くなる頃合い。
客が多い方が、やることを探して勤務時間が過ぎるのを耐えているよりはマシではあるが……
「しゃーせー」
思っているとついさっき入ってきた客が、缶コーヒーを一本レジの机に無言で置いた。ピッとバーコードをスキャンして代金を告げると、やはり無言で釣り銭置きにちょうどの額が出される。
「あっしたー」
その金を受け取りレジに打ち込みレシートが出る頃には、とっくに客は店から出ていっていた。
聞こえてるとも思えないがマニュアル通りに挨拶の声を上げながら、レジスターに缶コーヒ代を入れ閉める。
たったそれだけの間にも次々と客は来店して、店内は混雑の様相を呈していた。
会社帰りのサラリーマン、ガテン系っぽい中年、下校途中っぽい学生三人組、そこそこ美人か女子大生っぽい子。
年齢も職業もバラバラな人々が、狭っ苦しい店内に一同に介しているのは、見てる側としては面白い……なんて思えたのもすっかり過去の話。
今となってはさっさと買って帰ってくれ、面倒な仕事だけは頼まないでくれ、多機能端末に近寄らないでくれ。
そんな億劫な念ばかりが浮かぶだけだ。
「しゃせー」
客が一人、レジへと会計を済ませる為に商品を置いた。応対してる人の後ろには、続々とレジ待ちの列。
店内に店員は俺一人。早くしてくれと急かすような雰囲気をひしひしと感じながら、手早く商品のスキャンをしていく。
実際には今の店には店長と、もう一人の店員がいるのだが二人ともバックヤード……関係者用の部屋に引っ込んだままだった。
「あっしたー」
頼むから早く出てきて客の応対をしてくれ。そんなことを胸のうちで願いながら並んだ客を一人、また一人と捌いていく。
「早くしろよ、グズ!」
「あ、すいません!」
「お待たせしました、こちらへどうぞー」
ようやく店長ともう一人の店員が姿を現したのは、いかにも短気そうなガテン系のおっさんからの罵声を浴びせられた時だった。チッ、と舌打ちしながら俺を睨み、店長と店員が入ったレジへと向かうおっさん。
ちなみにこの中年の店長と俺より一つか二つ年下の店員はデキている。いったいバックヤードで何をしてたのやら……
* * * *
「あっしたー」
それから数分後、ようやく並んでた客の会計が全て終わる。慌ただしさが一段落して、ため息を吐きながら時計を見れば勤務終了時間はとっくに過ぎていた。
店長と店員はと言えば、さっきのガラの悪いおっさんの接客を終わらせるやいなや、さっさとまた二人してバックヤードに戻り、結局ほとんど俺が一人でやっていた。
幸い店内からは客もいなくなり、仕事を上がるのにもちょうどいい。俺はようやく今日の勤務が終わることに安堵しながらバックヤードへと入り。
「上がりまーす」
「きゃあっ」
「うわっ」
声を掛けながら入った途端に女店員の小さな悲鳴と、慌てた店長の声。営業中に何やってんだよ、コイツら……
呆れた声を内心で呟きながら、そちらには目を向けずにさっさと制服を脱いでロッカーに放り込む。
「じゃ、お疲れっしたー」
「……お疲れ」
スマホをズボンのポケットにしまうと、そう言ってバックヤードから退散する。返ってきたのはお楽しみを邪魔されたことへの不満からか、店長からの不機嫌そうな声だけだった。
「ったく、イチャイチャするなら仕事終わってからにしろっつーの」
自動ドアを抜けて外に出た途端に口をついて出てきたのは、つい今しがたの二人に対するぼやき。自分に彼女なんてものがいないのもあって、半分は僻み根性からのぼやきではあるが。
「あー、やめやめ。さっさと帰って、こないだ買った新刊の続きでも読もっと」
グチグチとそんなものを考えてても仕方ない。俺は頭を切り替えると、買ったばかりのラノベを読むことに思いを馳せる。
俺の趣味はアニメや小説やマンガ、それにゲームと言ったもの。とりわけ最近は『異世界転生モノ』と呼ばれるジャンルにハマっていた。
今読んでいるのもそれ系だったが、まだ読み始めたばかりなので早く続きを読みたくて仕方ない。好きなことを考えていると、さっきまでの鬱々とした気分も薄れて心も弾んでいく。
『パパーッ!』
「……へ?」
と、不意に横手から甲高い音が聴こえて来て、驚きながら俺は反射的にそちらへ顔を向けた。瞬間、目に入ったのは、凄い勢いで俺へと突っ込んでくるスポーツタイプの車。
「やべっ」
楽しいことを考えながら歩いてた俺は、いつの間にか車道の真ん中をふらふらと横切っていたらしい。危ないと思ったの同時に、視界が物凄い勢いで回転する。
同時に全身に走る衝撃と宙を舞う感覚。避ける間もなく、俺は車に跳ねられてしまっていた。
固いアスファルトに叩き付けられる強烈な衝撃を最後に、俺の意識はそのまま一瞬にして闇へと消えていった。
* * * *
「お、戻ってきたようじゃの」
記憶を辿り終えた俺に、少女が淡々と言う。だが、俺の心にあるのは虚脱感ただそれだけ。えっと……それじゃあ俺は、死んだのか?
あんな、クソみたいな仕事をようやく終えて、これから俺なりのささやかな楽しみも堪能出来ないままで? って言うか、その楽しみのことを考えてたせいで俺は死んだのか?
「ようやく戻ってきたと思えば、また混乱しておるようじゃな……いつになったら我と言葉を交わしてくれるのやら」
なにやら少女が呆れたように言っているが、俺にしてみればそれどころじゃない。……自分が死んだ? じゃあ、今のこれはなんなんだ? 死んで、それで気が付いたらまったく見覚えもない場所にいて、それで目の前にはおかしなコスプレ少女が立ってる?
……なんじゃ、そりゃ!?
「コス……なんとかと言うのはわからんが、とにかくお主。少し落ち着け」
なんなんだよ、これは!? なんかの冗談か? それともドッキリのターゲットにでもされてるのか?
いやいやいやいや、俺なんかをターゲットにしてなんか面白いのか!?
絶望的な記憶と、訳がわからなすぎる状況のコンボに俺の思考は混乱を一気に強めていく。色々な物が把握できてたり出来てなかったりしながら、そのどれもがまとまらずバラバラで。
まるで現実感が乏しいまんま、俺だけが置いてきぼりにされてるような、何かわからないが強烈に嫌な感覚。
「えぇい、落ち着けと言っておろうが!」
そんな錯乱する俺に苛立ちが限界を越えたのか、いかにも不機嫌の極みと言った声で怒鳴る少女が、細くて白い脚を上げすぐさま落とす。ブーツの尖ったヒールが床を叩き、ガッと音を立てた。
ぐはぁっ! 途端、俺の身体に鋭い痛みが走り、思わず悲鳴を漏らしてしまう。
……って、えっ!?
「我にもいまいち飲み込めてはおらぬが、まずは落ち着け!」
ちょ……なんで床を踏みつけた瞬間に、俺が痛い思いをしてるんだ!?
「ふむ、どうやらお主。まだ自分が何なのかわかっておらぬな?」
自分が何なのか、って……? 何を言ってるんだ、この少女は?
「えぇい、面倒じゃの……えいっ」
やれやれ、といった風に呟きながら少女が再び足で床を踏みつける。ぐあっ!
「と、まぁ、こういう事じゃ」
……は? こういう事、ってどういう事? なんで床が踏まれると俺が痛いんだ?
「それはもちろん、この床がお主の身体の一部じゃからな」
床が俺の身体の一部? はっ!? ますます意味がわからないんだが。
「まったく理解力の無いヤツじゃな、お主は……いいか、よく聞け。お主は、城なのじゃ」
……はいいいいっ!? いやいやいやいや、俺が城って余計に意味がわからないぞ!?
そして混乱した俺に返ってきたのは、やはり信じろと言うのが無理な答えだった。
「お主は我の城じゃ。それもただの城ではないぞ? 魔王の城じゃ!」