迷子の生首とぼっちの村娘
適当かつゴチャ混ぜの方言が使用されています、苦手な方はご注意ください。
「はんぁ、オラがぁ村ぁのぉ牛っこさぁぺっこ見てちょおよぉ~♪」
自然豊かなドインナッカ王国は南方東寄り、遥かなるユールー山の高原の村はずれに、うら若き乙女のデイジーが住んでいた。
彼女は、不幸な事故により早々に身内を亡くしてしまっていたが、優しい村人たちに支えられ、日々をたくましく生きぬいていた。
常の通り、日の出と共に起き出して村で飼育している牛やヤギや鳥の世話を手伝った後、荷車を牽いて年寄り連中にミルクの配達回りをするデイジー。
それらも終わり、太陽の光が山を緩やかに温めだした頃、彼女は遅めの朝食を取るため一度自宅へ戻ろうと、のんびりと道を歩いていた。
ちなみに、この辺りの地方では、食事の摂取は昼に近い朝と夕方の二回で習慣付いており、目覚めてすぐはせいぜい水やミルクなどの飲料しか口にすることはない。
お腹を空かせたデイジーは、配達のお駄賃に分けてもらった木の実や野菜を時折つまみ食いしながら、ご機嫌で鼻歌など響かせていた。
「お天道様ぁもぉぼっけぇきんごきぃんごぉ笑ぅとぉけ…………あんら?
何ちか落ちとうごたる」
道中、ふと視界の端に見慣れぬ何かが映り込み、彼女は好奇心のままに足を止めた。
木の枝を挟んで荷車を留め置き、南瓜のように大きな楕円の何かにのっしのっしと近付くデイジー。
警戒心もなく当の物体を両手で掴んで持ち上げてみれば、すぐにそれが兜を着用した状態の生首であることが分かった。
「おほぉーーっほぁぅっ!?」
幾程の時が経ったものか、すでに半分ミイラ化しているらしい煤茶けた顔面。
そのぽっかりと空いた眼窩は、底の見えぬ不気味な闇を湛えていた。
僅かに鼻水を垂らしながら恐ろしさに全身をガチガチに固まらせてしまったデイジーは、手にした頭部を投げ捨てることもできず、ただただ小刻みに震えている。
「どどっ、ど、どえりゃあモン、めめめめっけちまったがややや。
な、なして、こっただどごさ、首っこさぁ落ごっちょらっす」
呼吸を荒くしながらも、物言わぬ死体から目が離せないデイジー。
百年単位で戦争と縁のない、山々に囲まれたドインナッカ王国は、食うに困ることなど滅多にありえない恵まれた土地柄もあり、その民草は往々にしてのんびりとした気質を有している。
大いなる自然と共に牧歌的な生活を営む王国民であればこそ、動物の死骸はまだしも、このように切断された人間の死体など早々目にするものではなかった。
更に目撃者がデイジーのように若くも清い乙女ともなれば、もはやそのショックは計り知れない。
「こ、こいが噂さ聞ぐ、さ、殺人っつうもんだぎゃ……?
なまらむげぇごど……んおっ、ま、待っちゃんせぇ。
よ、よぐ見ちみりゃあ、こりゃあ、もんげぇうまげな兜だっぺぇ」
ふと、ミイラを覆う兜の意匠に意識を向けてみれば、泥にまみれてみすぼらしくなってはいるが、彼女が唯一知るふもとの町の兵士のソレと比べ、大層凝った作りの立派な装備であることが分かる。
「もももすかすて、こいはヤク婆ば言わんしゃった王様さ守らはる騎士様っちゅう御人のん首じゃなかろっかいや。
あ、あややどしゃぁ」
しがない村娘である彼女には想像もつかないほどの高貴な存在のお首なのではないかと当たりを付けたデイジーは、自らの拾得物の重みに大粒の冷や汗を流した。
「したら、どげんとせんと……んだども、オラ、騎士様ばいはるお城さぁ分からんち、届くるっとなんちでぎねすけ」
このような見知る者もいない辺境の地で朽ち果てるなど寂しいだろうと同情の気持ちを抱き、何とか故郷へ帰してやりたいと思う心優しきデイジーだったが、しかし、知識に乏しい村娘程度がいくら考えたところで、とてもではないが妙案など浮かぶはずもない。
とどのつまり、彼女には情けなく眉尻を下げることしか出来なかったのである。
「はぁ、まんず申し訳ねども、しゃああんめぇでな。
なんしか、こん山さ大地ん女神様ばお返ぇしすっけぇ、後ぁわぁのん魂っこさで、ふんばっちくりやもす」
不可能なことをいつまでも悩んだところで仕方がないと、デイジーは頭部を送り届けることを諦めて、どこか適当な場所に埋めてしまうことに決める。
肉体を簡素にでも供養することで、残された魂が穢されなければいい、そして、せめて最期にこの首の持ち主の霊だけでも望む場所へと帰れると良い、と彼女は願ったのだ。
とはいえ、穴を掘るための道具も何もない状況なので、デイジーは一度生首を荷車に乗せて自宅に持ち帰ることにした。
「んだば、騎士様。ちょっこし我慢しでけろまい」
キャベツの横に頭を転がして、今度は少し早足で帰路へと着くデイジー。
自らの腹に入る予定の食物の傍に平気で死体を置けるあたり、なかなか神経の太い娘であった。
舗装されていない山道を急ぎ歩けば、小石を引っ掛けた車輪が大きく縦に跳ねる。
瞬間。
「痛っ!?」
「へぁっ!?」
デイジーのすぐ後方から野太い声が上がり、彼女は驚くと同時に反射的に振り向いていた。
しかし、視界の先には牛の子一匹見つけることはできず、デイジーは今まで生きてきて感じたことのない種類の恐怖に取り付かれ、大きく身を震わせた。
と、そこへ再び数秒前と同じ声色の叫びが上がる。
「ぬうんっ、な、何だここは!?」
「ひぃっ!」
「むっ、そこに誰かおるのか!」
思わず息を飲むデイジー。
よくよく注意して聞いてみれば、それはどうやら彼女の牽く荷車の中から発されているようだった。
「おい、誰かおるのなら返事を……なんっ、キャベツ!?
うおお、まさか我輩はキャベツと間違われて収穫されてしまったのか!?
待て待て待て早まるでない、我輩はパサパサで食ろうても美味ではないぞ!」
起き抜けで寝ぼけてでもいるのか、かなり阿呆丸出しのセリフ群を吐き出す干し首。
だが、半ばパニック状態に陥っている現在のデイジ一の思考では、その意味を理解するまでには至らない。
当たって欲しくない想像がひたすら脳内で肥大し、彼女は激しく心臓を鼓動させていく。
それでも、勇気を振り絞ってゆっくりと荷台に近付き覗き込んでみれば、予想通りというべきか以上というべきか、拾った頭部がその眼窩に黄の光を浮かび上がらせ、乾ききった口を動かして何事か喚き続けていた。
「ぬぬっ、そういえば我輩の身体とコスタバワーはどこに……」
「んぎえああぁ騎士様ゾンビィなっぢめたぁああぁああ喰われるぅぅぅ!!」
悲鳴を上げ、後ずさろうとして失敗し尻もちをつくデイジー。
そんな泣いて怯える彼女の元へ、荷車の中から憤慨したような声が落ちてきた。
「喰わんわ! 誰があのような下品で愚鈍な下等生物なんぞであるものか!
我輩は誉れ高きデュラハーン一族の子、デインオーン大将軍であるぞ!」
「しょっ、将軍様!?
へへぇーーーーーーっ!」
脳まで干からびているせいか、敵味方の分からぬ相手に堂々と名乗りを上げる程度には、間の抜けた生首のようである。
しかし、哀しいかな根っからの村娘であるデイジーは、将軍という地位の高そうな役職を耳にした瞬間、怖れの感情を畏れに変え、ほとんど反射的に額を地に付けひれ伏していた。
~~~~~~~~~~
「なるほど、我輩を死した人族と見まがい、大地の女神の御許へ還そうと……な」
その後、デインオーンが村娘相手に情報収集をしようとしたところで、当の娘の腹の虫が大合唱を始め、ひとまず移動しながら話をしようということで結論が付く。
よって、現在、デイジーは荷車に生首を搭乗させたまま再び自宅へ到る道をえっちらおっちら移動していた。
「ふぅむ。今時分、なかなか殊勝な娘のようではないか」
「はげぇ!?
しゅしょっ、そ、将軍様ば言われっちゅうほんどの、だ、そ、そっただこつ、オラ、と、とんでもねぇがよ」
己とは比較するのも烏滸がましいほど身分の高い天上人、いや、天上首のような存在に褒められてしまったと、彼女は面映ゆさで朱色に染まる頬を軽く掻く。
「誰が禿っ……あ、いや、うむ、おそらく、違うのだろうな、うむ……すまん」
「んあ? 何ちか言いよらっしゃあ?」
彼が村娘から状況説明を受けるにあたって、その独自進化を遂げすぎた方言には、ほとほと苦労させられていた。
ぎりぎりニュアンスでふんわり理解できているような気がする場合もあれば、本当に全く何を言っているのか一切分からない場合もあり、たった一文で完結するはずの彼女の説明を、時に聞き返し、時に熟考して、ようやくどうにかこうにか解読しているという苦い有様であった。
「まったく、お主……いかんせん訛りが強すぎるわ……。
城下育ちの我輩には到底理解が及ばん」
「へぇ、その……でらすんもはん」
「う、うむ……?」
たった今放たれた彼女の言葉についても、発すると同時に申し訳なさそうに頭を下げていたので、おそらく謝罪だろうと当たりをつけただけで、真実そうであるかはデインオーンには分かっていない。
だからといって、聞き返すほどのことでもないだろうと、彼はいまいちスッキリしない心持ちではあるが、適当な返答で場を流していた。
「……しかし、この土地は強い祝福の気に満ちておるな。
それゆえ陰の存在である我輩は恒常的な弱体化を余儀なくされ、その影響で肉体や愛馬コスタバワーとの繋がりが絶たれておるようだ。
普段であればどちらの召喚も容易いものだが……さすがにこの状況下ではどう足掻いても叶うまい。
お主に拾われるまで眠りから目覚めなかったことについても、同じく弱っておったのが原因であろう。
……何とも不便な身の上となったものよ」
「はぁ、んなもんだら。
オラぁごじゃっぺもんでぇよぐ分がんねげっちょ、たいぎぃごとじゃちゅうんは、へぇ、まぁ、ちくっとは……」
「無理に理解しようとせずともよいわ」
ため息混じりにそう言って、デインオーンは視線を空に向ける。
その先に、いかにも厚く神々の寵愛を得ているのであろう、どこまでも透き通る清廉な青が広がっていた。
太陽から降り注ぐ光は柔らかく、恵みの色でもって山々を惜しみなくもあたたかく包み込んでいる。
彼は闇の世界にこそ力を発揮する陰の存在ではあるが、陽の世界の輝きをけして嫌ってはいない。
自らを蝕む原因であるそれらに憎しみを抱くこともなく、デインオーンはこの光景を前にして何とも美しいものだと素直に感じ入っていた。
「将軍様ぁ、オラん家さぁ到着ぞなもし」
「そうかそうか。
ふむ、中々しっかりした小屋ではないか」
さっそく家の裏口に荷車を留め、手慣れた様子で順繰りに野菜等の荷を運び込んでいくデイジー。
デインオーンはその姿を眼窩の光で追いながら、終わり際のタイミングを見計らって問いを投げかけた。
「さて、ご両親はどちらかな。
田舎の作法がどうかは知らぬが、招かれた客人となれば、まず最初に家の者に挨拶をするのが礼儀というもので……」
「はぁ、身内んもんば皆おっちんじまっとるもんでぇ、オラだげで暮らしとりゃす。
じゃけぇ、挨拶なんち大層なもんなん、いっちょんいらねすけ。
んーな、しゃっちょこばらんど、楽さぁしでもらっちぇ良かとで……」
「ひひひ一人暮らしだとぉっ!?」
腕を掻きながら何でもないことのように紡がれるデイジーの言葉を遮り、デインオーンはいかにも焦ったように声を裏返しながら叫び出す。
「ばっ、おぬっ、ふしだらっ、ふしだら千万っ!
お主のようなうら若い娘が軽率にも男をそのような二人きりのそんな小屋に中に密室に入れるなど誘うなどお主の貞操観念はどうなってお主あばーーッ!!」
瞳の光を黄から赤に変え、狂ったように喚く生首。
彼はデュラハンという種族ゆえか、はたまた本人の気質によるものか、女性に対して非常に古く偏った固定観念を持つ、騎士道精神を悪い方向にこじらせてしまった残念な魔の者なのであった。
「ぬっほっほ。将軍様でん、わやく言いならなぁ。
まんず首っこさ相手に危ねぐなっちゅう貞操もねぇもんだで」
そんなデインオーンの発言を、デイジーは冗談と受け取ったらしい。
彼女は彼のセリフを軽く笑い飛ばしながら己の腹を二度ほど叩いていた。
「ああーーー田舎者ゆえの無知ぃーーーーっ!」
体があればその両腕で頭を抱えていたであろう嘆きっぷりを見せるデインオーン。
彼自身が無垢な村娘に手、いや、顔を出す予定など微塵もないが、それでもあまりに無防備すぎる態度を前にして、憂事の尽きぬ心持ちのようであった。
「良いかお主、例え男が頭ひとつでも危険がないなどとはけして言えヌアァーーーッ!?」
「ほれほれ、将軍様じぇ最後やっど。
オラ腹減っでるすけぇ、早ぅ家さ入ぇるがじゃ」
彼の必死の忠告をあっさりスルーして、マイペースに生首を抱き上げるデイジー。
口では敬っているようで、完全に野菜と同列の扱いだった。
「なぁぁっここここの痴れ者ぉぉぉ!
何を抱きあげっ、ちっ、ちぶっ、お主のちっ、乳房がっ、ぅああ当たっておるではないかぁあああ!!
無垢を装い我輩をたぶらかそうとしておるのかーっ、こっ、このっ破廉恥娘ぇええええ!!!」
「将軍様、意外ぇとうっちゃしいげなぁ」
人とは違い、干からびた頭部を覆うその兜もまたデインオーンの本体の一部であり、当然の因果として、そこには触覚が存在している。
一族の者とは大きく異なるふくよかな感触に、彼は流れてもいない血液が自身の脳内を勢いよく巡ってでもいるような頭痛にも似た錯覚に囚われていた。
~~~~~~~~~~
それからというもの、デイジ一の生活は騒々しく一変する。
「将軍様ぁ、たでぇまぁ」
「おぉ。今日もよく無事で帰った。
怪我などはしておらんか」
「へぇ、オラぁなんでん無かったい、だんだん」
「なに、淑女を気遣うのはデュラハーン一族として当然のことだ。
ゆえに礼など不要である」
独りきりからたった一首が加わったことで、彼女は再び家族がいた頃のように、ただいまを言える立場になり、また、お帰りを返してくれる相手ができた。
ほんの些細な変化のようで、古くに家族を亡くしたデイジーにとっては、大層懐かしく心慰められるやり取りだったのは間違いない。
村人達は優しいが、だからといって両親の記憶の色濃く残る家でたった独り寝起きを繰り返すことに対して、末だ年若い彼女が寂しさに胸を痛めずにいられるものではないのだ。
「おぅい将軍様ぁ、ぺっここっちゃおいなぁよぉ」
「たいがい無茶言いおるな、お主。
吾輩が動けぬのは知っておるだろうに」
そこに突如として現れたデインオーンという特異存在は、デイジ一の普遍にも等しい日常をとかく鮮やかに彩ったのだった。
「しかし、女子とはやれ肌が焼けるだ何だと引きこもり布遊びにでも興じているものと思っておったが……お主はむしろ案ずる程によく働くな」
「はぁ。布っちゅうと、そいはお貴族様きゃ足腰悪ぐすた婆様たぢの仕事じゃなかとですかいねぇ。
若ぇ男衆ば、なから出稼ぎん行っちょりゃすけぇ、こん辺りんモンちゃ女じゃ言うち家にゃこもらんが」
「ふむ? 出稼ぎが必要なほど貧困に喘いでおるようには見えぬがなぁ」
「いんやぁ、将軍様ば違ぉち男衆さぁようけ食いますけぇねぇ。
あど、女さ少ねぇもんで、嫁っこさ見っけで来ちゅうモンもおるがとちゃ」
「なるほど、土地が変われば事情も変わるということだな」
デュラハンという種族の特性上、デインオーンに食事は不要らしく、食卓を共にすることこそできなかったが、彼女から投げかけるどんな他愛ない会話にも、彼は呆れつつでも付き合ってくれたし、普段通りの家事を行うたびにも彼はいちいち言葉で労ってくれもした。
「ううむ、やけに男らしい料理はともかく、お主の清掃の腕は王城の侍女のソレにも匹敵するものであるな。
素晴らしいぞ、デイジー嬢」
「やんだぁ、将軍様ぁ、んーな褒めんちくりぃ。
オラ、おだつっちめぇべさぁ」
「ぐわーっ!? なぜ平手を喰らわねばならんのだ、この我輩がーっ!?」
「あんれー、よぅ飛びんしゃったずら。
ごめんしてけろじゃ」
また、彼女の心が迷っている時には年長者らしく闊達に導いてくれることもしたし、逆にヒモのような生活に気落ちし、しおらしく謝罪するような日もあった。
「すまん……せめて首ひとつでも動ける程度に冥気を溜めることさえ出来れば、我輩もいつまでもこのような不様を晒しは……」
「んだ、決めだぁ!
白ヤギん子っこさ名ぁば、エリザベスどバーミリアどキャサリンどトヨコにすっちょ!」
「くぅーっ、わ、我輩が真面目に語りかけておったというのに、この娘っ……!」
それらにプラスして、毎日毎日、何がしか説教を受ける彼女だったが、案じる心から出る怒鳴りつけは、むしろデイジーを幸せな気分にさせたものだった。
デインオーンの薄汚れた頭部を洗う為に袖とスカートを捲れば怒られ(しかし洗浄は強行)、彼がいることを失念しうっかりいつもの感覚で着替えを始めれば怒られ(面倒なので構わず着替え続けた)、暑いからとシャツのボタンを多めに外してみれば怒られ(留め直さない上にスカートを仰ぎ出す)、あーんと試しにスープを注いだスプーンを向けてみれば怒られ(さすがに引っ込めた)、興味本位に顔や兜を撫で回してみれば怒られ(気にせず触る)、ベッドの枕元に置いて一緒に寝ようとしてみれば怒られ(胸に抱き込んで物理的にしゃべれなくして就寝)、蹴っ躓いて彼の上に跨がるような形で転んでしまえば怒られ(不可抗力とふてくされたら謝られた上で改めて怪我の有無を心配された)、何となくそうしたくなったから膝に置いて愛でてみれば怒られ(癒やし効果が絶大でやめられない止まらない)、このままずっと傍にいて欲しいと懇願してみれば苦しそうに怒られた。
あまり頭が良くはない彼女だが、例え相手が干からびた口うるさい生首だとしても、ときおり無性に湧き上がるキスでも贈りたくなるような不思議な感情の名前が何というかくらいはきちんと知っているのだ。
頭部と過ごすデイジーの日々は満ち足りていた。
「こりゃーーーっ!」
「へぇへぇ」
「いかーーーーーーん!」
「へぇへぇ」
「聞かんかぁーーーーーっ!」
「へぇへぇ」
しかし、この世に時が流れている以上、何事も変わらぬままというものはない。
デインオーンとの奇妙な共同生活が一年ほどを迎えた、とある日。
いつものように仕事をこなし、これまたいつものように帰宅を果たそうとしたデイジーは、自宅の出入り口前に奇妙で巨大な物体が転がっているのを発見した。
「あわわっ、もんげぇ太か首のねぇ馬っこさぁ落ごっちょらっす!?
ひえっ、高級品でねか!? だ、だ、誰ん差し入れじゃっど!?」
「食用なわけがあるか、頓珍漢」
「はげぇ!?」
すっかり聞きなれた低音が背後からしたことに驚いて彼女が勢いよく振り向けば、そこに生首を小脇に抱えた大きな鎧が立っていた。
予想外すぎる光景を捉え、理解が追いつかないデイジーは、たちまち目と口を大きく開いて固まってしまう。
「いや、我輩も意外だったのだが何とあぃ……」
「くっ、首攫いぃぃぃいいいいいいい!」
「は!? おい、何を……っ!」
「わあああ! 返ぇしでけろ!
将軍様ば首っこさ返ぇしでけろぉおお!!」
「ぬわーーーーーーっ!?」
デインオーンが事情を語ろうと言葉を紡ぎ始めれば、デイジーがそれを遮って頭部と奪おうと突進してくる。
彼の顔にばかり目が行って、彼女はそれを持つ鎧が首なしであることにまで気が付いていなかったのだ。
なかばパニック状態に陥っているデイジーは、引っ張り合われて痛い痛いと悲鳴を上げるデインオーンにも反応を示さず、ひたすら生首を取り戻すため必死に腕と足を踏ん張っている。
「ふんぬぅーーーーーッ!」
「ぎあぁ止めんかーーっ!」
女子供に手を出せない誇り高きデュラハーン一族の大将軍は、最終的に村娘の強力に屈した。
「ッアーー!」
「わーーーーーー!」
瞬間、デイジーは雄叫びを上げながら韋駄天のごとき走りで自宅へと駆け込み、素早く扉の内側から閂を掛ける。
「帰ぇるだにっ帰ぇるだにぃぃ、こん人ば殺さねぇでくんろぉぉ!
将軍様さ、悪ぃ首っこでねぇずら!
オラん将軍様さ連れでがねぇでちょおよおおお!」
「ええい少しは落ち着かんかぁ!」
生首を抱えたまま蹲って泣き叫ぶデイジー。
デインオーンが宥めようと声をかけるが、今の彼女の耳には全く入っていないようだった。
「……ん? 何だ、コスタバワーこんな時……え、おおっ。
そうか、裏口、お主は本当に賢い相棒であるな」
弱体化しているとはいえ、ここまで近距離にあれば肉体と頭部の繋がりも僅かながら復活している。
外から無意味に扉を叩いていた彼の身体に触れる者があったと思えば、それは愛馬のコスタバワーであった。
人間には認識できない霊体の頭部を揺らしデインオーンを誘導する彼は、ともすれば主人よりも高い知能指数を有しているのではないかと関係各位に囁かれている賢馬である。
冥力での繋がりは断たれてしまったが、彼はその動物的本能に従い、主人の肉体を連れて長い長い過酷な旅を続け、この度、ようやくの邂逅を果たしたのだった。
動けなかったとはいえ、若い娘と少年漫画のハーレム主人公的ドキドキエロハプニング満載生活を過ごしていたデインオーンなどには本当にもったいない忠馬である。
さっそく無用心にも開きっぱなしの裏口から侵入した首なし鎧は、勝手知ったる足取りで表玄関を目指した。
「あ……あ……あぁああぁあぁ……っ」
しかし、ホラー映画さながら重い金属音を響かせながら視界にゆっくりと現れた鎧に、未だパニックから抜け出しきれていないデイジーがいよいよ精神的に追い詰められてしまう。
が、彼女が真に恐慌状態に陥ろうとした直後、当の鎧がうっかりドジっこを発揮して何の変哲も無い床に躓き派手に倒れた。
「あ痛っ!」
「んん?」
それによって、相手の首部分がすっぱりと切断されていることに気付いたデイジー。
僅かに正気を取り戻し、彼女はゴクリと唾を飲み込みながら、腕に抱え込んだデインオーンへ問うように呟きかける。
「なっ、こん、しょ、将軍様が、殺っただか?」
「殺るかッ!!!!
それは我輩の身体であると何度言ったら理解するのだ、この早とちり娘めが!」
「へっ? 将軍様さ?」
そこでようやくデインオーンの声が届いたようで、彼の説明にデイジーは三度まぶたを瞬かせた。
「そうだ。
愛馬コスタバワーの導きにより、我輩は再び肉体を取り戻すことに成功したのだ」
「あっ。んだら、頭ば切れちゅう馬っこさぁ」
「うむ、あれがコスタバワーである」
「は……はは……んだかぁ……」
魔の者の存在をどこからか知った人間が彼を危険なモンスターだと勘違いして退治しに来たのだと、そんな自らの誤った思い込みがようやく解け、デイジーは力なく床にヘタり込んだ。
そして、彼女の腕の拘束が緩んだ隙に、己の頭部を回収するデインオーン。
生首の動きを追って視線だけで見上げてくるデイジーへ、彼は眼窩の光を青く光らせながら言う。
「と、まぁ、そういうことで、あー……お主には世話になったな……」
「え……な、何ち、将軍様」
「こうして身体を取り戻した以上、いつまでも人間のお主の世話になっておるわけにはいかんのだ」
「んなっ、なじょしてっ」
急な別れを臭わせる発言に、彼女は慌てて身を起こし、彼の硬質な左腕を両手で引き止めるように掴んだ。
そんな彼女を己の右腕の中から眺めつつ、デインオーンは静かに声を発する。
「……我輩はデュラハーン一族が子、デインオーン大将軍……またの名を魔王軍近衛師団団長デインオーン・フォア・ストパストス也」
「ま、まおう、ぐん……?」
「我輩は魔王城を護衛する任に着いておったゆえ、実際人族を手にかけた経験は数える程度だが、それでも人類に仇名す存在であることに変わりはない」
彼の突然の告白に理解が追いつかないのか、デイジーは自分のソレとほぼ同じ高さに抱えられている頭部に視線を向けたまま、呆けたような顔で固まっていた。
「女子供や戦士でもない弱者素人連中を相手取る趣味はないが、だからといって、このまま人族と共にあることなど出来るはずも……」
「魔王てぇ、ヤク婆が言わんしゃった五十年ぐれぇ前に勇者様さに討伐されだっちゅう、あんの魔王だべっか」
「………………………………ん?」
「へ?」
双方にしばしの沈黙が落ちる。
数秒後、眼窩の光を白くさせた生首がデイジーに問うた。
「………………五十年前?」
「へぇ」
「…………魔王様が討伐された?」
「っち、聞いちょりますけんど」
「……ちなみに魔王軍は」
「勇者様ど和解すて人ど共存さ始めだ魔のモン以外ぇは、いねぐなっだっちゅう話だぎゃ」
「おお……なんと……そ、そうであったか……」
彼女の答えに覚束無くなる足元を何とか留めて、意によらず時の狭間に取り残されていた元魔王軍近衛師団団長は、弱弱しくそう呟いた。
実は、彼は勇者が乗り込んできた現場に立ち会っており、その仲間である自称天才魔法士の手によって強引に頭だけを世界の果てへと転送、無力化させられたという経緯があるのだが……そういった特殊な魔法を受けた衝撃で前後の記憶がすっかり失われていた。
そこへ得た、寝耳に水にもほどがある情報……受け入れがたい感情と認めるしかない現実が、デインオーンの思考を酷く混乱させた。
と、そんな時である。
「しょ、将軍様……人ば、ふ、復讐……すっときゃ……?」
震える声に釣られて意識を向ければ、顔色を青褪めさせた悲壮な表情のデイジーがその様なことを尋ねてきた。
どれだけ怒鳴ろうが面倒をかけようが、デインオーンの前ではいつも屈託のない笑みを浮かべていた村娘の今にも泣き出しそうな面持ちを前に、彼の心が急速に凪いでいく。
「いや……お主、何という顔をしておるのだ」
その時、すでにデインオーンの覚悟は決まっていた。
彼がこのまま過去に囚われて生き続けるには、すでに現在を長く過ごしすぎていた。
彼女と暮らした一年は、闇を纏う魔の者にもまた、確実な変化をもたらしていたのである。
「……確かに魔王様のことは敬愛しておったが、勇者とやらが彼の方を打ち破ったのであれば、我輩如きが今更その戦いの結末に泥を付けるわけにはいかんだろう。
個として人族に恨みもなければ、この身が暴力衝動の強き種であるということもない。
感傷は未だ尽きぬが、我輩に残された道はもはや、時代の流れに沿うのみであろうな……」
久方ぶりに取り戻した身体を動かし、さて同情か安堵か泣きじゃくるデイジーの頭を、デインオーンは不器用ながらに撫で付ける。
途端、彼女は彼の硬く無骨な鎧に幼子のように抱きついて、ひび割れた鼻声で叫んだ。
「ぶぇぇ将軍様ぬプロポーズされちまっただぁぁ!
オラ、キバってエエ嫁っこさなるがよぉぉぉぉ!
まうごつ嬉しかぁぁぁぁぁ! ぶえっうぇぇえ!」
「オイ待ていったい何の話をしているお主ーーーッ!?」
ちなみにデインオーンの時代に沿う発言を、デイジーは、のちに勇者と結婚した美しき魔の者の伝承と同様に、仲睦まじい異種間夫婦になりたいのだという意味であると勝手に脳内変換していた。
「将軍様、いや、でーんおーん様ぁ、オラもでら愛しちゅうがよぉぉ!」
「んなっ、あっ、愛っ!?
ばっ、ばば馬鹿者っな何を言って大体吾輩はでーんおーんではなくデインオーンでお主何をそんな赤裸々ハクションはいつも突然に!」
「んだば、縁院ちゃあいづ行ぎまっしょい何ちならオラ今がらでん問題なかっちゃんね!」
「えええぇい我輩の話を聞けぇーーーーーーッ!!」
遥かなるユールー山に、切羽詰った魔の雄叫びがこだまする。
驚き飛び去った灰色鳥たちが嘴を揃えバッカバッカと鳴いていた。
その後、しがない田舎村の逞しき乙女デイジーとデュラハーン一族が誉れデインオーン大将軍がどうなったのか。
それは将軍の愛馬コスタバワーと村の知恵袋ヤク婆と祝福の神サチアレのみぞ知る。
おしまい。