村長の家は高台にある
村の高台になっている場所に村長宅が建っていた。村の中では一番大きな建物であるが、作りは木造造りの質素なもので温かみの感じる家である。
アイハはその建物の外壁を背もたれに、暇を持て余して空を見上げていた。
駅馬車近くで話しかけてきた男とアルが家の中で何やら話をしているので、外で待ちぼうけを食らっているのだ。
「ううむ……。暇だな」
千切れたりくっついたりを繰り返す綿毛のような雲を眺めているのもそろそろ飽きてきた。
いい加減に話が終わらないのだろうか、とちょっと苛立ち始めた頃、やっと扉が開いて二人が出てきた。
「話し終わったよ。……アイハ?」
「……遅い。暇で暇でハゲそうになったぞ」
「ああ~……えっと、ごめん。でも、それだけたくさん髪の毛があったら少し位なら――」
「ぶっ殺すぞ」
「あ、はい。今のは僕が悪かったね」
アイハはよっこいせと声を出しながら立ち上がり、半眼に開いた瞳でアルを見上げる。
「それでどうなった?」
「うん、ダリルさんを救出する為に北の遺跡に向かうことにしたよ。……それで悪いんだけど」
アルが申し訳なさそうに頭を下げて言ってくる。
「アイハ、君の事も早く解決すべきなんだけど、ちょっとの間だけこの村で待っていてくれないかな?」
この申し出に、アイハは迷う素振りもなく全力で答えた。
「そうだな、絶対にイヤだな!」
「えっと…………イヤ?」
まさかそんなワガママな答えが返って来るとは思っていなかったのだろう。アルは鳩が豆鉄砲を食ったよう顔になっていた。
アイハは大げさに頷いて続ける。
「もう雲を見上げ続けるのは飽き飽きだ! ずっと上を向いていたら首も痛くなった!」
「それは……。でもこのまま放っておくと、ダリルさんが危険だし」
「別にわたしは北の遺跡に行くことを反対してるわけじゃないぞ?」
「えっと……どういう?」
「わたしも連れて行けと言ってるんだ! こんな何もない村で空を見上げてるよりは、その遺跡とやらに行くほうが楽しそうだしな!」
アイハの要求にアルがとんでもないと首を横に振った。
「村長の話によると、北の遺跡には少なくともC3ランクまでの魔物が確認されてるらしい。それ以上のランクの魔物も潜んでいる可能性を考えたら、とてもじゃないけど危険すぎてアイハを連れてなんて行けないよ!」
「とてもじゃないのなら、良いじゃないか。連れてけ」
「いや、そういう意味じゃなくてだね……。え~と、それじゃ……まともな考えではアイハを連れて行くなんて到底不可能だね!」
「まともな考えに囚われていたら、何時まで経っても進化は出来ないぞ。連れてけ」
「ああ言えばこう言う……」
「良いから連れてけ。わたしはもう暇を持て余すのはイヤだ!」
アイハは意固地な瞳で必死に訴えかけ続ける。
しばらく二人が平行線のまま言い合いを続けていると、アルが突然ふっと肩の力を抜いた。そして慈愛に満ちた瞳でアイハの肩に手を添えてくる。
「……まったく、しょうが無いなぁ」
「おお! やっと連れて行く気になったか!」
「村長! この子しばらく預かっといて下さい!!」
扉の前に立っていた村長にアイハは押し付けられた。
村長はコクリと頷いて答える。
「任されました」
「任されるなっ!! ええいっ! 離せ! は・な・せ~!!」
ジタバタとアイハは暴れてみるが、悲しいかな筋力は見た目通りの非力な力。初老気味のおじさんに肩を抑えられるだけで動くことが出来ない。
必死に逃れようと頑張るアイハの事を差し置いて、二人は話を続ける。
「それでは僕は行ってきます。遺跡はあそこに見える北の山の中腹に間違いありませんね?」
「はい。馬などをお貸しできれば良かったのですが……。ちょうど今全部出ていまして」
「大丈夫です。僕の場合は馬より徒歩のほうが……あ、いえ何でもないです」
「? はあ……」
頭を傾げる村長を誤魔化してから、アルが腰を折り曲げてアイハの顔を見てきた。
「それじゃ、ちょっと行ってくるから。大人しく待っておくんだよ、アイハ」
「グルルルゥゥゥ……ッ!!」
「そ、そんな獣みたいな声を上げなくても……」
アイハが犬歯を見せて睨んでやると、アルはしょんぼりと肩を落としていた。
「それではアイハちゃんは、私の家でアルノ―さんの帰りを待っていようか」
「アイハちゃんではないッ! わたしは十八歳だぞ!! レディだぞ!」
アイハの言葉に村長がぎょっとしてアルの顔を見る。だが、アルが苦笑しながら肩をすくめると村長は何か納得したのか、柔和な笑みを浮かべながら背中を押してきた。
「ではレディ。私の家への招待を受けては頂けませんかな?」
「……どこがとは言えないが、何となくこの扱いはレディの扱いではない気がするぞ?」
「ははは、お戯れを、レディ」
「というか、わたしはアルと共に遺跡に行くのだ! 邪魔をするなっ!」
「ははは、お戯れを、レディ」
「……今、それとなく馬鹿にしなかったか?」
「ははは、お戯れを、レディ」
「ええい! 離せっ! は・な・せ~っ!!」
努力むなしくアイハは村長によって家の中へと押し込まれる。
その姿を最後まで見たアルは、周りに人の目が無い事を確認すると空高く舞い上がった。
飛行の魔術で遺跡を目指せば、ダリルに追いつけないまでも最速で救出に迎えるだろう。
聞いた話が本当なら、ダリルという旅人はろくな装備を身に付かないまま単身で遺跡に向かったらしい。
遺跡に出るというC3ランクの魔物というのは、一般的な冒険者なら3~4人で当たるべき脅威とされている。
出来るだけ早く見つけてやらないと、ダリルの命は風前の灯火だと言えた。
村長は焼き菓子を焼いていた。
アイハちゃんはアルノ―さんが出発してから、ずっとぶーたれて窓から外を眺めている。
あの年頃の女の子のあやし方というのが分からない村長であったが、女の子というのは甘いお菓子が好きだということは知っている。
娘が幼い時も、お菓子を焼けば機嫌を直していた。
もう娘は嫁に行ってしまったが、半分趣味となって菓子作りを続けていてよかった。
かれこれ二十年近くも作り続けている村長の焼き菓子は、今や村の新名物にしてはどうかと村人に勧められるほどの一品である。
この甘く香ばしい匂いを嗅げばアイハちゃんも機嫌を直してくれるはずだ。
村長は焼き上がったお菓子を盆の上に乗せ、アイハちゃんを待たせている居間へと足を進める。
村長はお菓子を頬張った時に見せる子どもの笑顔が好きだった。
久々に子どもにお菓子を食べてもらえると思うと、ついつい上機嫌になって鼻歌が漏れる。 村長は期待させるような声を出しながら居間の扉へ手をかける。
「レディ。甘いお菓子は好みかな?」
そして扉を開いたその時。
ぶわりっ! と突然の突風が居間に吹き荒れた。
思わず瞼を閉じた村長が次に瞳を開くと、部屋の中は紙片が舞い上がって大変な事になっている。
「これは……?」
何が起こったのか。焼き菓子を片手に呆然とした村長だが、すぐに居るべき人物の姿が見当たらない事に気が付く。
「アイハちゃんは!?」
慌てた村長はアイハちゃんを探しに部屋の外まで出て行った。
無人になった居間では、開いた窓がそよ風に揺られてキィと音を立てていた。