名無しの少女
少女の質問にアルは困ったように口を閉ざした。
わたしは誰なのだ? なんて聞かれても、それを知りたいのはむしろアルの方だ。
フィルへ顔を向けてみても、当然彼女もこの少女のことなんて知らないようである。
そんな二人の様子を見た少女は残念そうに首を振った。
「……そうか、お前もわたしの事を知らないか」
「あの……えっと、ごめん。どういう事かな? 君は自分の事が分からないの?」
控え気味なアルの言葉に、少女はうむと頷いて答える。
「まったく分からん。気がついたら奴隷馬車に乗ってた」
「奴隷馬車に……。さっき助けた馬車に乗っていたのか」
「そうだ。そう言えばお前の事、みんな感謝してたみたいだぞ」
「あ、ああうん。良かった」
「ついでに、わたしのこの手錠も何とか出来ないか?」
少女は両の手足に嵌められた手錠をアルに向ける。
「あ、はい。これは気が利かなくて」
アルは少女の背丈を超える程の長剣を軽々と操って手錠を両断した。
手錠から開放された少女は、ぴょんぴょんと跳ねまわり、軽くなった腕を振り回した。
アルは長剣を鞘に納めながら質問を続けた。
「全く分からないって、自分の名前とかも分からないの?」
「分からないなぁ。だいたい全部分からない」
アルは口元に手を当てて考える。そしてフィルと顔を合わせて相談してみる。
「……もしかして妖精のイタズラかな?」
「どうだろ~? 有り得なくはないって感じかも」
「そうだとしたら、誰か彼女の知り合いが行方不明の手配をしてるかもしれないね。聖錬教会に問い合わせたら何か分かるかも」
「この女の子を助けてあげるの? アルもお人好しだねぇ」
「それが僕の仕事だよ」
実際のところ、十二影士は大陸の守護者などと呼ばれ、神の定めし正義の具現者と言われているが、アルほど人助けに精を出している騎士は他には居ない。
そもそも困っている人を助けるなんて事は、本来は十二影士の仕事ではないのだ。
十二影士は個性的な人間が多いので、わりと自由奔放に好きな事をしている騎士が多い。
そういう意味では、アルの仕事と称して人助けを繰り返しているのも、実に十二影士らしい尖った個性だと言えなくもなかった。
アルは念の為と、少女に問いかける。
「……あの、お嬢さん。年齢なんかも当然分からないよね?」
「うん。分からないな。だけどこの体の感じ、わたしはきっと十八歳ぐらいなんじゃないかと自分では思ってる」
「…………え? 分からないんだよね?」
「覚えてないな。だけどこの体の感じ、わたしはきっと十八歳ぐらいなんじゃないかと自分では思ってる」
繰り返された少女の主張に、アルはじっくりと少女の姿を見下ろしてみる。
……どれだけ高く見積もっても、せいぜい十二歳ってところに見える。
「……あの、もう一度聞くけど、年齢、分からないんだよね?」
「うん。覚えてないな。だけどこの体の感じ、わたしはきっと十八歳ぐらいなんじゃ――」
「あ、はい。分かりました。十八歳ね、十八歳」
「ん、レディとしてあつかえ」
少女は胸を張って見上げてきた。
アルは疲れたように肩を落とす。それからふと気が付いて、少女の薄布の服装を指差すと、言いづらそうに顔を逸らして口を開いた。
「……あの、そのレディにこんな事を言うのは失礼だとは分かってるんだけど、その服何とかならないかな? さっきからその短い裾が風でなびいて、見えちゃいけない布が見えちゃいそうな感じが……」
「うん? 見えちゃいけない布?」
少女は膝よりかなり上の位置にある服の裾に視線を落とす。そして無頓着に首を傾げると、なんとおもむろに裾を捲りながら言ってきた。
「大丈夫だ。この服の下に布なんて一枚も付けてない」
「ホワァぁあああ!? ダメだから!! それもっとダメな奴だからッ!! 隠してッ! はやく隠して!!」
「ダメなのか。それは仕方ないな」
素直に言うことを聞いた少女は手を離して裾を元に戻した。
アルはとっさに眼を覆い隠した手を外して、ぐったりと一層疲れた顔をした。
そんなアルに飛び回っていたフィルが髪の毛を引っ張って言ってくる。
「アル、アル! やっぱりこの女の子、絶対に十八歳じゃないよ! だって下のお毛が――」
「止めなさい!」
アルは少し顔を赤らめながらフィルにデコピンを食らわした。それから疲れきった大きなため息を漏らして言う。
「……取り敢えず、まずは近くにあるスバインって村まで行こう。お嬢さんの事を調べるにしても――……って、いつまでもお嬢さんって呼ぶのは不便か……」
アルは少し考えてから、少女の顔を見て頷く。
「よし、お嬢さんの名前はアイハだ。本当の名前を思い出すまでの仮の名前だけど、どうかな?」
「アイハか……。うん、気に入った。無垢なる者を意味する妖精の名前だな」
「えっ……と、その通りだけど、よく知ってたね?」
アルはまさか名前の由来を言い当てられるとは思っていなかったので、目を見開いて驚いた。
「だいたい全部覚えてないけど、覚えてる事もあるって事だな」
うんうん、とアイハは勝手に頷いて納得してるようだが、そもそも妖精の名前について知っている者などほとんどいないはずである。
アルにしてもフィルに教えてもらったから知っていただけで、他には専門家くらいしか知っていない事だと思うのだが。
「……不思議な少女だなぁ」
アルはアイハを見て頭を傾げたのだった。