奴隷馬車にて
「なあ。わたし達はいったいどこに連れて行かれてるんだ?」
「はぁ!? 奴隷市場だよ! 奴隷市場!」
「そうなのか。じゃあ、お前は人さらいなのか?」
「……今更なに言ってんだ?」
汚い屋根付き馬車に乗せられた十人余りの俯いた人々。その中に一人の少女がいた。
手足には錆び付いたゴツい手錠を掛けられており、格好は服と呼ぶにはおこがましいボロ衣が一枚。身長は子供のように小さく、くりくりとした丸い翡翠色の瞳と、足のすねまでも伸びた爆発した栗色の髪の毛が特徴の女の子である。
彼女は薄い壁を何度も叩き、向こう側で手綱を握る御者に飽きること無く声をかけ続けていた。
「なあ、奴隷市場に着いたら、わたし達はどうなるんだ?」
「そりゃ、オークションに掛けられて、新たなご主人様に買われていくんだろうよ」
「買われた後はどうなるんだ?」
「どうなるって……。そうだな、不到な扱いの労働力にされたり、趣味の悪いやつの愛玩動物にされたり。運が良かったら憧れの魔術師様に拾われるかもしれないな。まあ、扱いは実験動物だろうが」
「それは楽しいのか?」
「バカヤロー! 楽しみなんてものはな、どっかにあるもんじゃなくて、自分で見つけるものなんだよ! 奴隷として買われていっても、そこでの楽しみを見つける事だって不可能じゃない! そう俺は思うね!」
絶対思ってない。馬車に居た全員が感じた事だったが、少女だけは違ったようだ。
人さらいの言葉を噛みしめて頷くと、顔を上げて言った。
「良いこと言うな、お前」
「お、おう……。そうだろ?」
思っていなかった反応に、人さらいは戸惑った声で答えた。冗談で言ってみた言葉だったので、そんな勇気を貰ったみたいな声で返されてもちょっと困る。
もしかして自分の言葉には人を突き動かす力があったりするのだろうか。と僅かに残っていた道徳心が燻られ、なんだか少し罪悪感を感じてくる。
だが少女が放った次の言葉で、人さらいのそんなピュアな思いは吹き飛ばされた。
「それで楽しみってなんだ?」
「は、はぁっ!? 楽しいのかって聞いてきたのはテメェからじゃねぇか! 自分で分かってなかったのかよッ!?」
「うん、分からん。だから聞いてみてる」
「ああ、もうっ! うるせぇうるせぇっ!!」
人さらいは荷台に繋がった小窓を開けて、直接怒鳴りつけた。
「良いからテメェは黙って……ッ! …………って、あれ? 誰、お前?」
小窓の奥に見えたのは見覚えのない顔だった。
こんな奴、攫ったっけかなぁ? と人さらいは、いつの間にか荷台に乗ってる、見知らぬ奴隷少女の顔を凝視する。
すると少女は頭をコテンと傾けて言った。
「そうか、お前も分からないか。実はわたしも――」
そう言いかけた時だった。
突然馬が急ブレーキをかけた。馬車が軋みを上げて止まり、荷台に乗っていた奴隷たちが悲鳴を上げる。
「な、な、なんだ! なんだ!?」
急に馬が言うことを聞かなくなり、人さらいは驚いて声を裏返した。
その人さらいに凛とした男の声が掛けられる。
「貴様、その馬車の中身は人さらいの奴隷か?」
「あ、ああん?」
人さらいが道の前に顔を向けると、二頭の馬の前に青い甲冑に身を包んだ一人の騎士が立っていた。
騎士は腰に差した美しい長剣をスラリと抜き放ち、人さらいに矛先を突き付ける。
「分からなかったか? 貴様は法に背き、禁止された奴隷を集める、下劣な人さらいなのかと聞いている」
「だ、誰だよテメェ?」
「私か? 私は蒼影の騎士アルドネウス」
「蒼影の騎士ッ!?」
人さらいは悲鳴に近い大声を上げた。
彼が驚いたのも無理は無い。蒼影の騎士といえば、聖錬協会が有する十二影士の一人。神が定めし正義の具現たる大陸の守護者である。
「消えろ。命が惜しくばな」
蒼影の騎士が長剣を構える。刀身が薄っすらと淡い青光を放ちだした。
噂によると蒼影の騎士は剣術を修めただけでなく、魔術までをも操れる人だと言われている。
――魔術。
ただ魔術の基礎が出来るというだけで、有名学校に講師として招かれると言われるほどの高等技術。選ばれた一握りの人間だけに許された奇跡の力。
「勘弁してくれっ!!」
人さらいは腰を抜かして馬車から転げ落ちた。
蒼影の騎士の長剣が空を水平になぎ払う。ただそれだけのはずなのに、荷台の屋根がバッサリと滑り落ちた。
「ざ、ざ、斬撃を飛ばしやがった!?」
魔術によるものなのか、はたまた卓越した剣術の賜物なのか。
どちらにしろ、人さらいがこの騎士と争っても勝ち目が無い事だけは確かだった。
「た、助けてくれ~!!」
人さらいは馬車を放り出し、ほうほうの体で街道脇の森へ逃げ出した。
蒼影の騎士は無様な背中を見せる人さらいを追うつもりは無いらしい。長剣を鞘に納めると、残された奴隷達に告げた。
「貴様らを縛る者は消えた! 私を遣わえしライシュ神への感謝を胸に、自由の大地に逃れるがいい!」
呆然と状況を見守っていた奴隷達は、騎士の宣言を聞いて一斉に沸き立った。
ライシュ神様万歳、蒼影の騎士様万歳、聖錬協会様万歳、と涙を流して抱き合っていた。
蒼影の騎士はその様子を見届けると満足気に頷く。
すると、どうしたことかいきなり騎士が表情も変えずに言い出した。
「もっと私を褒めても良いのだぞ? もっと! もっとだ! もっと私を褒めるの――ッ」
ゴスッと突然蒼影の騎士が自らの胸の辺りを叩いた。
「――ふみゅん」
どこからか女の子の声が微かに聞こえた。
蒼影の騎士は眉を潜めながら小さな声で胸元に何かを囁くと、砂利道を一踏み。
その瞬間、突然舞い上がった突風が騎士の体を天高く舞い上げた。
「さらばだ! 自由の徒たちよ!」
空に浮かんだ騎士は、威厳がこもった言葉を皆に伝えると、一瞬で森を飛び越え姿を消した。
奴隷たちは騎士が消えていった方向に体を向け、深々と頭を下げて拝んだ。
人さらいに捕まって、もはやまともな人生もここまでと諦めていた所に現れた救世主だ。感謝をしてもし足りないとはこの事だろう。
そんな感動的な雰囲気の中、空気を読めない少女は近くに居た奴隷の袖を引っ張って問いかける。
「さっきの青いテカテカ光ってた奴は誰だ? みんな知ってるのか奴なのか?」
「俺たちの救世主様になんて事を言うんだ! 聖錬協会の十二影士様を知らない人なんているものか!」
「ふ~ん。つまり凄い奴って事か? それならわたしの疑問の答えも知ってるかもしれないな。よし、追いかけて聞いてみよう」
「待て待て、それは無理というものだ。君も見ただろ? 騎士様は魔術を使ってこの山をポンと一足で飛び越えていかれたんだ。追いつくなんて出来っこない」
奴隷の忠告に、少女は不思議そうに頭を傾けた。
まるで奴隷の言葉があまりにも常識はずれだったので、深い意味があるのかと疑ったかのような表情である。
「何言ってるんだお前? 同じように山を飛び越えれば良いだけじゃないのか?」
「だからそれを無理だと言ってるんだ。魔術ってのは神に選ばれた一握りの人間しか使えない奇跡の力だぞ。しかも騎士様が使ったほどの強力な魔術ともなると、大陸全土を含めても使える人は数えるほどしか――」
「たしかこんな感じにしてたな」
まだ言葉の途中だった奴隷を無視して、少女がトンと足を踏み出した。その瞬間、再び突風が巻き起こった。
少女の体がぶわりと大空に投げ出される。
「おお、意外に制御が難しいんだな。なるほど、お前はこの事を言ってたのか? 他にも注意した方が良いような事はあるのか?」
難しいと言いながらも、すぐにコツを掴んだ少女は、ゆっくりと空に滞空したまま奴隷に話しかける。
奴隷はポカンと口を開いたまま何も答えられなかった。
「何もないのか? それならわたしはもう行くぞ」
少女は顔を山の先へと向けると、軽い動作で風を蹴り、空に消えていった。
残された奴隷は目の前で起こった信じられない出来事に、呆然と空を見上げ続ける事しか出来ないのだった。