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貴方からの伝言

作者: 斎木 涼

 「灯りをつけましょキャンドルにー、お花をあげましょ薔薇の花ー、ドレイやシモベを引き連れてー、きょーおは楽しい雛祭りー」

 「ユキちゃん! またそんな訳の解らない歌を歌ってっ! 世の作詞家の皆様がむせび泣いてるわよっ!!」

 「えー、感涙してるの間違いじゃなーい?」

 機嫌良くおひな祭りの替え歌を歌っていたのは、見た目だけは最高級品である二十代後半と思しき青年、三上美雪だった。

 対して、彼に突っ込んでいるのは、今は死滅したと考えられている清純派女子高生代表の様な外見の少女、更級マリだ。

 現在、ひよこちゃんマークのエプロンを掛け、腰に手を当て仁王立ちしたマリが、不服そうな顔をしている美雪を睨み付けていると言う状況だ。

 「あんなヘボイ、歌とも呼べない超絶駄作に感涙する人がいるなら、一度お目にかかりたいわよ。勿論、友達になるのは勘弁カの字だけどね」

 「マリってば、ひどーーーーい」

 「嘘泣きしてもダメよ、ユキちゃん」

 両手で顔を覆いしくしくと言い出した美雪を冷たくあしらい、マリはフンとばかりに鼻を鳴らす。

 「何でも良いけど、ちゃんとお雛さま飾った訳?」

 「もっちろーん」

 じゃじゃーーんとばかりに天井から垂れ下がっている紅白のダンダラ布を開け、美雪が身体をずらす。

 そこには見事な七段飾りのお雛さまが、これでもかと言う程に存在を主張していた。

 「……やっぱり綺麗よねぇ。年に一回しか出せないのが、何だか勿体ないわ」

 「んじゃ、年中出してれば? 場所に困る訳じゃなし」

 「アホかっ! あたしが行き遅れたらどーすんのよっ!」

 半ば真面目に怒鳴るマリに、悪びれない美雪が平然と答える。

 「何言ってんの。マリがそんなことになる訳ないじゃん」

 「やだーー、ユキちゃんってば、いくらあたしがモテるの知ってるからって、そんな本当のこと言わなくてもー」

 頬に手を当て、『恥っずかっしいぃーー』とばかりにブリブリとマリは身を捩る。

 「いや、マリだったら、目の前にぶら下がってる美味しい獲物を見過ごす訳ないからだと思ってる……、って、痛っ! 暴力反対ーー」

 思いっきり美雪の頭をどついたマリは、般若の様な顔で睨み付ける。

 「ユキちゃん、そんなこと言ってると、食事抜きよっ!」

 「えーーー、そんなー。子供の躾じゃないんだから…」

 「あんたは子供以下よっ!!」

 現在二人は、この『異文化交流研究所』内にて、ひな祭りパーティの準備をしていたのだ。彼らが親しくしている者達を招待し、もてなそうと言うのが趣旨だった。

 美雪が力仕事全般、マリが料理担当で、後の細々としたことは、黒子の様なスタッフ連中に任せている。

 「ねえねえ、マリ、何作ったの?」

 「それは見てのお楽しみ……って、あら」

 来客を告げるベルが、二人のいる室内に木霊する。

 「あ、来た来た。さーて、記念すべき一人目は誰かなーー」

 美雪が心底嬉しそうに笑みを浮かべ、やたらと広大な屋敷をスキップしつつ歩いていく。彼のそれを見て頭を抱えつつ、マリがインターフォンでその人物を確認してから歩いて行った。

 出来るだけ待たせしない様、急いで歩いて行った為、玄関にはすぐに着く。

 門扉は相手を確認した際に開けてあるから、お客様もこのドアの向こうにいる筈だ。

 二人はにっこり顔を見合わせた。観音開きの扉へと、二人は左右に別れる様に立つ。そのままドアを勢いよく開けた。

 「Welcome to the party at the Hinamatsuri of my home!」




 大人数ではないが、招待をかけた者達は既に全員集まっていた。

 招待を受けた六人と、招待をした二人。

 それぞれが顔見知りと言ったところか。各々が楽しげに、料理を摘まみ、ドリンクで喉を潤わし談笑している。

 「ホント有汰ちゃんて、見かけによらず良く食べるわよねぇ」

 マリは感心しつつ、有汰と呼びかけた少年を見ている。

 ちなみに彼が、記念すべき一人目であった。

 短めの襟足をきちんと揃えた黒髪、柔らかそうな印象を受ける黒の瞳。彼の名は黒葛 有汰。少しちぐはぐな印象を受けるのは、その首元にある黒革をベースにプラチナで細工されたハードな意匠のチョーカーだ。

 ちなみに背は……。本人が言うといじけるので、触れない方向である。まあ、周囲にいる者達が高すぎるとも言うのだが。

 その高すぎる身長の筆頭は美雪であるが、その次点である見目の派手な、そして純粋な日本人とは明らかに違う薄茶の髪に翡翠の瞳、そしてそれに合わせた翡翠のピアスを填めた、何処か洒脱な印象の男――水守 ジェイドが、中央に鎮座しているピアノに触れて声を放った。

 「ユキ-、これちょっと弾いて良い?」

 その言葉に眉間に皺を寄せ反応したのは、先ほどまでその彼と話していた洋装より和装の方が似合うだろうと思える黒髪黒眼の男――一色 千景だった。ちなみにこのテーブルに乗っている一部の料理は、彼作である。手ぶらでは何だからと、彼がジェイドを荷物持ちにして、持ち込んだのだ。小料理屋の主人である彼の料理は、大層皆に喜ばれた。

 「翠、勝手に触るでないよ」

 翠とは、ジェイドの日本名だ。

 「あー、ちかちゃん、気にしなくて良いよー。壊しても泣くのはジサマだけだからね。ジェイドも、それ煮るなり焼くなりぶち壊すなり好きにしてー」

 楽しげに満面の笑みを浮かべた美雪に、また言ってやがると視線を投げたのは、マリ……ではなく、マリと同年代の高校生男子、速水 尚杜である。長目の前髪を軽く流し、ややつり気味の涼しい眼を呆れの形にしてみせた。

 「ホント、嫌いなんだねぇ、美雪は」

 「あれ好きなやついたら、お目にかかりたいもんだわ」

 美雪は、上品な顔を顰めてそう言った。

 一方、許可を貰ったジェイドは、鼻歌交じりに鍵盤へと指を滑らせる。

 軽快な滑り出しのメロディに、有汰に負けず劣らずガンガン料理をかき込んでいた少女――藤月 弓が、ぴくりと反応してそちらを向く。肩先で綺麗に切り揃えた黒髪を、サイドに根性を入れたブローで決めている彼女は、皿を持ったままピアノの方へと近づいた。

 「やっぱり上手いわよねぇ。流石本職」

 感心した様に、弓はそう褒めた。勿論、フォークは持ったままで。

 「ありがと」

 軽く微笑んで答えるジェイド。

 「あ、桜羅ちゃん、良かったらなんか歌う?」

 気持ち良さげに音に揺られている彼女に向かって、ジェイドがそう問いかけた。

 いきなり声をかけられた桜羅――月下部 桜羅は、垂れ目がちな瞳をきょとんとした風に開いている。とんでもないとばかりに、手を振って断っている彼女の長い黒髪がかすかに揺れた。

 それを見た有汰は、何処か残念そうだ。

 「桜羅の歌、好きなんだけどなぁ。子守歌Verとか、ホントぐっすり眠れる」

 「有汰くん、それは間違った使い方だと思うんだけど……」

 むぅとばかりに頬を僅かに膨らませた桜羅は、そう反論した。

 「まあでもさ、桜羅ちゃんの歌とジェイドのピアノのコラボって、結構良さげよ?」

 言う弓の言葉に、八名の視線がピアノの方へと集まった。

 ちなみに有汰、桜羅、尚杜、弓、マリが高校生組。千景、ジェイド、美雪が既に成人式を超えきっている組だ。

 「あー、そうだ。ジェイド、どうせならさ、おひな様っぽい感じの曲、即興で作って弾いてよ、ほら、せっかくの雛祭りなんだしさ」

 マリがそう言いつつ、背後にあるひな壇をほらとばかりに振り返った。

 そして――。




 「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ」

 軽やかなピアノ演奏をぶった切り、タオルを引き裂く乙女の絶叫が響き渡った。

 「ちょっとユキちゃん、これはどう言うことよ!」

 目をつり上げて怒鳴っているのは、当然のごとくマリであった。

 「えーー、どう言うことって何よ」

 酷い絶叫に、ほぼ全員が耳を押さえ、それを上げたマリが指さす先を見る。

 「…………。あれ?」

 間抜けた声を上げる弓。

 怒りまくっているマリは、再度同じ台詞をのたまった。

 「ちょっとユキちゃん、これはどう言うことよ!」

 「俺に聞かないでよー」

 むすっと答えるのは、美雪だ。

 現在、何故か三人官女と五人囃子が、揃って脱走状態――つまり雛壇からかき消えた状態となっていた。

 ほんの数分、いや数瞬のことだ。

 一瞬視線を逸らした僅かな間に、忽然と雛壇の一部が涼しいことになっていた。

 瞬間、脳裏をよぎった『泥棒?!』の言葉。

 だが勿論、ここにいるメンツでそんな手癖の悪い人間がいるはずもないし、外から許可なく人が入ってこれる様なところでもない。ただ手癖云々に関しては、約一名、美雪を除いてと言う注釈付きだが。

 ちなみに、だからこそマリは、美雪を怒鳴ったと言う経緯もある。

 「あんたに聞かずして、誰に聞くってのよ!」

 「ちょーーっと、俺の扱い酷くなぁい?」

 その二人を見て、どうしようと固まっているのは有汰と桜羅。面白そうに眺めているのは尚杜。下手に入れないなぁとのんびり構えているのは弓。困惑しているのは千景である。

 そして本格的に睨み合いを始めた二人に割って入ったのは、ジェイドだ。

 「まあまあ、お二人さん。言い合っても仕方ないんじゃね? とりあえず、ここは千景にソコ見てもらう方が良いかもねぇ。あ、ついでに俺も一緒に聞けばいっか」

 「ああ、その手があったわね」

 見れば美雪の悪戯がはっきりすると言わんばかりに、マリは余裕の微笑みで美雪にちらりと視線をやると、受けて立つとばかりに彼はふふんと腕を組んでふんぞり返った。

 「俺の無実が証明されるってことだよね!」

 「ユキちゃんの有罪が証明されるってことに決まってるでしょ!」

 再度、まあまあとジェイドはいなした。

 「てかさ、この短い時間に隠すってのは、結構ケイカクテキハンザイだと思うんだわ。だって、眼を離したのって、ホンの一瞬っしょ? それに確かユキはマジックボックス持ちじゃないでしょ」

 「む」

 そう言えば……とマリの眉間に皺が寄る。

 そう言う便利能力があるなら、今までの仕事は随分楽になったはずだと思い出したのだ。

 「私で良いなら、見てみるよ」

 千景はそう頷きつつ言うと、雛壇へと近寄った。




 涼しくなった雛壇へと、千景はそっと手を置いた。そしてジェイドはその横に立ち、同じように雛壇へと手を置いた後、千景の肩へと手を置く。

 二人が集中。

 雛壇をじっくりと観察する千景の瞳は、淡い燐光を上げて金に染まっていた。隣で耳を澄ましているジェイドの瞳も、その固く閉じた目蓋の下では瞳が金色に輝いているのだ。

 ゆっくり、彼らの意識が周囲に溶け合って行く。

 脳裏に浮かぶのは、三人官女に五人囃子、そしてそれらを見つめる他の雛人形達。

 不意に。

 声が響いた。

 『酷い……。酷い……。あんまりです』

 『あんまりです』

 その声を聞いた二人は、揃って同じく眉を顰めた。

 『何が酷いんだい?』

 思わず千景がそう問いかけるが、当然ながらそれは聞こえてはいない。

 何故ならこれは過去のことだから。

 だが、それに答えたかの様な会話が、更に続いた。

 『私達だって、ひな人形なんです』

 『そんなことは、誰にだって解ってることじゃないさ』

 宥めに入っているのは、女雛である。

 『ドレイやシモベなんかじゃありません』

 その光景を認識している二人が、『え?』とばかりに怪訝な面持ちを見せた。

 さめざめ泣き始めると、その内の一体が強い意志を見せて言う。

 『家出です』

 断固とした響きだった。

 『えっ?! ちょっとお待ちよ、あんた達』

 それに驚き止めようとした女雛の言葉も空しく、八体は一致団結したかの様に頷いた。

 『『私達がドレイやシモベなんかじゃないと認めるまで、こちらへは絶対、絶対、ぜぇぇぇったい! 戻ってきてあげません!』』

 八体心の叫びと言うか悲鳴と言うか絶叫は、それをトレースしている千景とジェイドの脳を激しくシェイクさせる。いきなりのことに、二人して思わず額を押さえている光景は、どこか笑える。

 だがしかし。

 笑っている場合ではなかった。

 頭痛に苛まれたままの二人の脳裏では、八体の姿が徐々に霞み、そして。

 ――消えた。




 ふぅとばかりにため息を吐いた千景は、じっとマリを見つめながら口を開いた。

 「今回の件は、ひな人形のストライキから来る家出だね」

 千景の言葉に、ジェイドがうんうんと頷いている。

 「マジで?」

 「大マジ」

 実直そうな千景からは、想像がつかない台詞である。

 ふらぁーーっとばかりに、大仰な仕草でマリが目眩を起こしたフリをした。

 「何よ、何なのここの雛人形。曰く付きはこの館だけにしてよぉっ!」

 「流石互助会備品。ハンスト起こす雛人形なんか、普通ないよねぇ」

 たまらんとばかりに、尚杜が笑いをこらえてそう言った。

 互助会、一般的な登録名は『異文化交流研究所』と呼ばれるのは先述の通りだ。だが本来の意味を理解している者達から『異能者互助会』と呼ばれるここは、その名の通り、異能を持つ者達が助け合うことを目的として設立され、長い期間をかけて様々な情報を収集し、トラブルを解決する機関へと転換を果たしている。

 出入りする者の大多数は、世間様に能力を隠して生きている者達であった。

 つまり、ここにある物品の大多数も、曰く付きのものの可能性が高い。

 ある意味、嘆くマリが間違っている。

 「マリ、俺に言うことは?」

 怖いまでの笑顔で美雪が促しているのは、当然受けてしかるべきであると思う言葉。

 「ご、ごめんなさい……」

 悪いと思ったことは、即座に謝るのがマリの美点だと言える。

 が。

 「それにしても……。どうしてストライキなんか起こしたのかしら」

 だが小首を傾げた桜羅の言葉の答えから、またもや状況は一変する。

 「ああ、なんかさ、自分たちはドレイやシモベじゃねぇぇって激しく憤ってたみたいよ?」

 生暖かい笑みを浮かべたジェイドと、目が点になったマリ。

 そして明後日の方向を向いている美雪がいる。

 生暖かい笑みを浮かべているジェイドの表情はともかく、そのマリと美雪二人の反応が他の人間にはさっぱりである。

 目が点状態から、漸く復活したマリが怒り心頭に叫んだ。

 「てか、やっぱユキちゃんが悪いんじゃないのよぉーーー!!」

 「げっ! マリ、何すんの! 俺の美しい顔の形が変わっちゃうじゃない!」

 素晴らしいフォームで右フックを繰り出すも、黙って殴られ上げる様な美雪ではなく、さっくり半身を引いてそれを避けた。

 避けたら避けたで更にヒートアップして行くマリなのだが、流石に不味いと思った尚杜がその手を掴んで止める。

 この二人のマジ喧嘩は洒落にならないのを、経験則として知っているのだ。

 「マリ、美雪殴るのは後にしよう。ちゃんと後で捕まえといてあげるから」

 据わった眼で尚杜を見るも、捕まえとくと言う言葉に反応した様だ。

 「その言葉、忘れたらあんたも同罪だからね」

 「解った解った」

 可成り理不尽だが、ここで言い返しても始まらない。尚杜は軽くそう返した。

 『まあ、殴られるの、僕じゃないしな』と言う心の声は、口チャックで封印したが。

 端で美雪が、『尚杜酷い……』と嘘泣きをしているが、誰しも超スルーである。

 「で、これってどう言う状況?」

 有汰がさっきの桜羅の疑問が放置になっているのを、拾い上げてきた。

 「この超ナルシー男が、歌ってたのよ」

 「?」

 おめー、歌えとばかりに、据わった眼で美雪を睨み付けるマリ。

 嘘泣きを止めた美雪が、ぽりぽりと頬を掻きつつ歌い出す。

 そう、冒頭初っぱな一番最初の始まりな歌を。

 「灯りをつけましょキャンドルにー、お花をあげましょ薔薇の花ー、ドレイやシモベを引き連れてー、きょーおは楽しいひな祭りー」

 沈黙の大天使が、顔を隠しながら駆け足で過ぎ去っていく様を、七人はしっかりと見ていた。

 「ナルホド」

 弓は呆れた様子で呟いたが、それは美雪以外の人間の総意を代弁しているとも言える。

 「うん、まあ、取り敢えず、それが原因なのは確かだね。まあ、とにかく探し出そか。見つけて美雪に謝らせれば、済む話みたいだし」

 歌の出来はノーコメントのまま、建設的方向へと話を持って行った。

 通常家庭ではダイニングテーブルとして使われてそうなそこへ椅子を持ち寄り、家出した三人官女と五人囃子の捜索をする為に話し合いを始める。視線先には、残った雛人形達が良く見える。

 「取り敢えず、班分けするとして、雛人形の行方なんか、誰か想像つく?」

 ちらと七人を見回す尚杜だが、当たり前ながら本日初めて雛人形にお目見えした様な五人に解る筈もない。聞いてる尚杜ですら、備品としてあるのは知っていたが、特段興味もなかった為、その雛人形がどう言う経緯でここにあるのかは知らないのだ。

 必然、マリと美雪に全員の視線が向かった。

 「んーー、んーーーーーー。……忘れた」

 てへぺろとばかりに、誤魔化す美雪のドタマをがっつり殴ったマリである。

 「痛いしっ! てか、ちかちゃんに見て貰ったら早いんじゃないの?」

 反省の色って何色? な美雪の言葉に、苦笑しつつ千景が応える。

 「私は、そこにある物や思念を媒体にして見るのだよ。この状態では、流石の私も厳しいさ。出来ないとは言わないが、消耗が激しすぎる」

 「ちなみに俺も同じだからな」

 次に振られそうな予感がびびっと来たジェイドも、口を揃えてそう言った。

 捜し物の場合は、何か目印になる物、つまりは思い入れのある何かがあるのがベターだ。この雛人形の場合、ほとんどの人間が初見。一番の思い入れのあるマリであっても、この雛人形のことは一度雛祭りをやりたいと言った程度のものなのだ。

 何処かアタリをつけて探したり、元からマーカーをしていた物を探すのならともかく、それもないままでは、時間が掛かりすぎる上に二人の負担も大きいし、効率も大変悪くなる。

 「有汰がテキトーに歩いて見るとか」

 言う弓も、美雪と思考レベルに大差がない。

 「俺、犬じゃないんだけど」

 「ダイジョウブ、ちゃんと解ってるから」

 「有汰くん、捜し物得意よね」

 大変心許ない弓の返事だが、ある意味、桜羅が言う様に、有汰は捜し物に向いているのは確かなのだが。

 「てことは、マリの記憶が頼りだな」

 尚杜がそう締めてマリに視線をやった。

 「確かあれって、人形師のところから引き取って来たよーな気がするわ」

 ぶつぶつと顎に手をやり、記憶をほじくり出していく。

 「所長が引き取って来た筈……。曰くは聞いてないんだけども、粗末にしないってことを条件に、今回レンタルさせてもらってるのよね」

 所長とは、美雪が悪態をつきまくっているところのジサマ――美雪の祖父である。

 「なぁーんとなく読めた気がするなぁ。多分、精魂込めて作った人形に魂入っちゃって、手に負えなくなったから引き取って? って感じじゃね?」

 「曰くは知らないから、なんとも?」

 その答えに、ジェイドはデスヨネーとばかりに肩を竦めた。

 「取り敢えず、台帳ってなかったっけ?」

 これまた古くさい言い様だが、尚杜の意を受けた美雪が、取ってくると言う風に片手を上げて出て行った。




 美雪が探し出してきたそれから、解ったことが数点ある。

 まずは、この雛人形が貰われてきたのが、既に一世紀を超えると言うこと。

 「一世紀……」

 この異能者互助会と言う場所が、どんなところか解っている者達ですら、戸惑ってしまう年月ではある。

 「当然、本人生きてないわよね」

 当たり前である。人形を作っていたと言うのなら、ある一定の年齢に達しているだろう。例え0歳児であったとしても、長命種(メトラ)であればいざ知らず、一般の人間様がそんなに長く生きている筈がない。

 そして次に、この雛人形の元の持ち主について。

 人形師とはあったのだが、どんな人物であるかと言えば、特段後世に名を残したと言う訳でもなく、個人的に所長と知り合いであった人物の様だ。

 人形師と言うのが本職ではなく、趣味の領域で作っていたのが高じて、知る人ぞ知る的な感じであったと言う。

 ちなみに本人は、何処に出してもミジンコほどにも疑われない人族である。

 「私達と同じ種と言うことだねぇ」

 美雪や尚杜、弓、有汰、桜羅ではなく、言った本人である千景を含め、ジェイドやマリと同じ方である。

 そしてこの雛人形が貰われた理由。

 「これはちょっと予想外」

 まさかの引っ越しであった。

 区画の整理――当時の耕地整理が行われる為、取り敢えずは落ち着き先と保管先が出来るまでと言うことだったのが、それも適わず、そのままここに引き取られることになったらしい。

 最後、雛人形についてだ。

 結論から言えば、やはり普通の雛人形ではなかった。

 作り主が愛情を注ぎ、そこを訪れる様々な種が眼をかけて扱った結果、魂入っちゃいましたとなったらしい。

 まあ、所長と交友があったと言うところで、その種と言うのはお察しだろう。交友範囲が普通とは少々違っていた為、雛人形以外も色々と曰く付きの物が出来上がっていたらしい。

 これを預かる際に約束したことは、手入れを怠らずに毎年飾ってやること。

 今年マリが飾るまでは、本日お手伝いしてくれた黒子の皆様がお仕事としてやっていたらしい。

 「飾ってるのは知ってたんだけど、ちょうどこの頃って何時も依頼入っちゃってて雛祭り出来なくて悔しい思いしてたのよねぇ。今回初めて出来て凄く嬉しかったのになぁ」

 台無しにしたのは、彼女のパートナーである美雪だが。

 ちなみにその台無しにした張本人は、台帳探しで埃をかぶった為、風呂と着替えに行っている。

 「まあ、美雪もそろそろ戻ってくるだろうし、分担決めよか。取り敢えずパートナーは何時もので良いよね」

 尚杜がそう言うと、七つの頭がこっくりと頷いた。

 「どうするとか何か決めたことあったら先言って」

 「俺は桜羅と一緒に、雛人形が元々あった場所行こうかと思うんだけど……」

 直接行って探した方が早いと考える有汰だが、その場所が今一ぴんと来ていない。

 一番若い彼に、生まれる遙か昔の大して知られてもいない出来事から察せよと言うのは、少々厳しいだろう。

 「舎人だと思うな」

 すっきりして戻ってきた美雪が、さっくりと結論を出す。

 「そうか、この中で一番の年寄りだったか、ユキちゃんは」

 「見た目若いから無問題。ほら、城跡がどうのってあるでしょ?」

 確かにあった。

 「これ、ジサマの字。多分人形師と知り合う前から、ここいら辺には行ってたんだろ。てか、むしろ彷徨いてたからこそ知り合ったんだろうねぇ」

 百年ほど前の区画整理があった場所と言えば、現在の東京都内ではそれほど多くない。その中で『城跡』云々が当てはまる場所と言えば、確かにこれくらいしか浮かんで来ないと言うのもあるのだろう。

 「ん。取り敢えず、俺と桜羅は、そこ辺から探してみる」

 舎人の言葉を聞いて、即座にスマホで検索をかけていた桜羅から場所を確認した有汰が言う。

 「K。んじゃ、俺と弓は念を入れて他の候補を洗ってくる。千景とジェイドはどうする?」

 「取り敢えず、私はもう少しここの雛人形から、事情とやらを聞いてみようかねぇ」

 「その後、有汰達か、尚杜達、どっちかビンゴの方だったらそっち追うわ」

 千景・ジェイドのコンビの行動も確定。

 「あ、俺とマリも……」

 「ユキちゃんは、掃除よ」

 思いっきり美雪の台詞をぶった切ったマリは、腕組みをして彼を睨め付ける。

 「ええええええええーーー。俺、何の為にお風呂に入ったんだよ……」

 「ユキちゃんの個人的理由でしょ。私がここで連絡係になるんだから、あんたはちゃんと見つかるまでお雛様が帰って気易い様に、綺麗にお雛様置き場をお掃除してなさい」

 まあ、三方向から動くのなら、誰か連絡係がいた方が良いだろう。

 しかし美雪を遊ばせる訳にはいかない。だって元凶なんだもんと、マリは美雪が一番イヤがる掃除を振ったのだ。

 約一名、大々的に拒否したのだが、当然の様にそれは黙殺されて各々が散って行ったのである。




 さっくりと後を振り返らず出て行った四人。美雪はマリに引っ張られ、雛人形が収まっていた倉庫へ連れられて行き、最後に残ったのは千景とジェイドの二人だ。

 「さて、聞いてみるか」

 「そうだね」

 二人揃ってまずは女雛に近づいた。

 何故女雛であるかと言えば、やはり女性(?)の方が様々なことが読み取れそうだと思ったからである。

 先ほどのリーディングでも、家出人形をほのかに気にかけていた様でもあるし。

 二人は同じ様に、女雛へと手を置き、ジェイドが千景の肩に手を乗せる。

 通常、千景は見るだけ、ジェイドは聞くだけなのだが、二人に接触があれば、こうして互いが見聞きした物を統合し、認識することが出来る様になるのだ。

 女雛の記憶を遡る。

 『ちょっと、勝手に覗き見ないどくれよ』

 何処か拗ねた様な声が、脳裏に響く。

 本来ならば、彼らの見聞き出来るのは、物品や場所等、そこにある物の記憶であるが、やはり通常の雛人形ではなく、ほぼ付喪神へと変換途中の物であれば会話程度は可能になっているらしい。

 『あたしだって女なんだから、見られたくないことの一つや二つや三つや百くらいあるさね』

 いきなり数が飛んだことに何とも言えない感じがするが、こうして答えてくれるなら好都合だ。

 『それは失礼。会話が出来るなら言うことねーし、聞かせてもらえる?』

 当然ながら、女雛は微動だにしていない。

 『家出したやつのことだよね?』

 『ええ』

 『まあ、あの綺麗な人がさ、悪気があって言ったんじゃないことくらい、あたし達だって解っているさね。でも、一年ぶりに広い場所に出られて、しかも何十年かぶりに本気であたし達と楽しく雛祭りをしようとしてくれて嬉しくなってるところに、あの内容聞かさて、あの子達泣けて来ちゃったんだろうねぇ……』

 はぁと、ため息一つ着くと、再度話始める、

 『ここでは確かに大切にしてもらっててね、ありがたいと思っているんだよ。でも、あの女の子みたいに、本当に楽しそうに嬉しそうに、心から喜んでいるってのが解るくらいにまであたし達のことを手にしてくれたのはね、久々のことだったんだ。あたし達の主様のところにいた時を思い出すくらいにはね』

 実際の飾り付けは美雪であるが、まさにその飾り付けの時にマリからの思いと美雪の言い草の落差に憤ってしまったのだろう。

 しんみり懐かしむ様に言う女雛が思い起こしているのは、過去の楽しかった日々。これに関しては二人が読み取ったと言うより、女雛が二人に見せても良いと解放している記憶であろう。

 昔懐かしい日本家屋。広々とした庭と、それに向かう縁側。室内には、綺麗に飾られた、今はここにある雛人形達。

 慈しむような眼差しで人形達を愛でているのは、恐らく女雛が言うところの主様である本来の持ち主なのだろう。

 ちょうど雛祭りの日の記憶。持ち主と客が、楽しげに雛祭りを祝う……と言うより、人形達を愛でている。

 『普通ならばさほど気にもしないことだけれども、その時の記憶が相まって、ユキの言葉がより強く心に刺さったと言う訳でしょうね』

 千景は淡々と言葉を紡ぐが、別段彼が冷淡な訳ではない。一番近い感情は『ユキ、やらかしたな……』と言う感じだろう。有り体に言えば、呆れたのである、美雪に。

 まあ、女雛の言うことだが、そうそう外れたところではないだろう。

 そして本題だ。

 『流石に貴方達も、彼らがいなくてはお困りでしょうし、どちらへ行ったか検討はつきませんか?』

 『気分転換も出来たことだろうし、戻ってきてほしいところだね。ただ、あたし達が知っているところと言えば、ここへ来る前、あたし達がいたところくらいなんだよ』

 だからそこからそんなに離れたとこにはいない筈だけれど、と付け加えた。

 『何処にいたんだい?』

 『近くから川の潺が聞こえてきてたねぇ。あまり大きな川じゃないみたいだったけどさ。縁側から、庭の大きな木の、綺麗ぇな桃色の花びらがちらほら落ちてきて……』

 確かに人形に、住所を聞いても解らないだろう。更に百年後の地名を問いかけたとしても、答えられる訳がない。

 『ああでもね、主様が言っていたね。昔々、あそこら辺にはお城があったんだって。お殿様は戦争で死んじゃったらしいけどねぇ』

 やはり城が出てきた。尚杜が挙げていた箇所で、城がある場所は有汰と桜羅向かったそこ一つ。

 『何だかんだ言ってもさ、あたし達にはね、今いるここと、そしてあの頃にいた主様の元しか、行くところはないんだよ』




 「ある意味さ、あたし達二人のコンビが一番今んとこフツーよね」

 「まあ、ここではそうなるねぇ」

 地点を確定し、空間を飛ぶのに付き合ったやつがフツーと言うのが、ちょっとばかりおかしい。更に言えば、それを当たり前の様に肯定する、実際に飛んだやつにも首を傾げたくなる。

 それぞれ弓と尚杜である。

 数カ所回る必要がある二人は、尚杜が現在使用できる能力であるテレポートを使って確かめるつもりであった。候補地は有汰・桜羅組のそう離れていない区であるのは、東へ西へと振り回されるよりはマシなのだろう。

 まず最初に来た地は、板橋区である。

 ちょうど次に足を向ける予定の荒川区とも近い位置にある場所に、耕地整理が行われた場所があるのだ。

 人がいるところにいきなり出ると不味いので、互助会で予め某検索サイトマップのストリートビューを使用し、調査場所近くで人が通りたくなさ気なポイントを選んで飛んでいる。

 「取り敢えず、僕は今は飛ぶだけだけしか取り柄ないし、予定通り、地道に図書館行って場所絞ろう。そこで弓のアンテナに何かかかれば、そこ行けば良いしね」

 「あたしも有汰みたいに、犬形態とれたらなぁ」

 「有汰が聞いたら、それ、泣くぞ」

 「うん、まあ、犬じゃないけどね。あたしの勘、当てになると良いんだけど」

 うーんとうなってみると、尚杜に着いて歩き始めた。

 「弓の場合、勘て言うより可能性の域だよな」

 はっきり言って、現在の弓は、あの八人の中では一番の一般人だ。

 しかし才能は未知数。何時何処で何が起こるか解らない、不確定な博打要素を持っているのが現在の彼女である。

 種は有汰と同系統。だが微妙に彼とは出自が違う。

 尚杜は美雪と同系統。二人の違いは、クォーターと純血種であるが為、尚杜の方が色々と不可能なことが多いと言うところだ。

 図書館近くに飛んだ為、二人は大した時間もかけずにその前に着く。

 手続きを済ませ、区画整理資料と郷土資料、そして現在と過去の地図を持ち出して突き合わせを始めた。

 「……あたし、こう言うの眠くなっちゃうのよねぇ」

 何とも情けない台詞を吐いている弓だが、何もせずにいると尚杜から大変鬱陶しい嫌味が聞こえて来る為、仕方なさげに郷土資料をぺらぺら捲りだした。

 そこで郷土資料なのは、その方がせめて興味が持てるものがあるかもしれないとの思いからである。弓にしてみれば、区画整理資料などただの記号と漢字の羅列にしか過ぎないし、地図などは意味不明な抽象画だ。

 「まあ多分、有汰・桜羅ルートが正解だと思うよ。あの二人が何か見つけるまでは、取り敢えずこっち側も調べておいた方が良い」

 半分居眠りしながら弓がページを捲っていると、尚杜がポケットに手をやりスマホを取り出した。マリからの着信だ。図書館に入る予定であったから、呼び出し音は切っている。

 ちょっと出てくるとばかりに、弓に仕草で示すと、ずるいとばかりに彼女は頬を膨らませたが、さっくり無視して閲覧ルームから退出し通路脇へと歩いて行く。

 「はい、尚杜」

 『お疲れさん。ちかちゃん達から連絡よー』

 そう言うと、連絡係をしていたマリは、二人が女雛から聞いたことを伝えた。

 連絡事項なので、さほど時間は掛からない。最後にありがとうと伝えて通話を切ると、そのまま弓の元へと戻った。

 「出よう。やっぱり有汰達と合流だ」




 長閑である。

 捜し物なぞ放り出し、このまま散歩をしたい気分だった。

 有汰と桜羅は、城跡と聞き、まずは舎人城があったと言われる現在地に来たのだが、そこは今公園となっていた。

 池やキャンプ場にテニスコート、バーベキュー場などもあったりする。

 まあ、一部工事中なのは仕方ないだろうが、色々と盛りだくさんなことが出来るらしい、それなりに広く人もいる公園だ。

 そう、有汰と桜羅が来ていたのであって、断じて桜羅が犬の散歩をしにきているのではない。

 しかしそこにいたのは、可成り無理がありそうではあるが形態的に犬と思しき一匹と、それのリードを持つ桜羅だ。

 犬しては、通常の大型犬よりもでかい気がする。更に言うと、お散歩していた他の犬が、びびりまくって避けまくっている。

 「有汰ちゃん、何か解る?」

 小声で桜羅がその漆黒の毛並みを持つ犬――いやこれホントに犬なの?と言う、実は有汰に声をかけた。

 確かに有汰なのだと言うのは、リードの先が彼がしていた様な黒革の首輪であると言うことで解る。

 『結局犬のフリするんだよね、俺……。まあ、良いけど』

 何処かため息交じりの声が、桜羅の脳裏に響くが、彼女が驚いた様子はない。当たり前の様に散歩のフリを続けていた。

 所謂有汰は人狼と言う種族に当たる。まあ、細かいことを言えば、少々違うのだが、取り敢えずは今必要な話ではない。

 通りすがる犬達が恐れ入ったのは、そこにいるのが犬のフリをしているオオカミである為、身の程を知っていた結果であった。人間がそれに気付かないのは、こんなところにオオカミなんぞいる筈がないと言う思い込みからだろう。

 人間形態の時は、思いっ切り動物全般に懐かれまくるのが謎ではある。

 『今まで歩いた中には、あそこにあった雛人形と同じ匂いのやつはないよ』

 可成り大きい公園の為、まだ全部を回り切れてはいない。

 さあ、後は何処を回ろうかと思案していたところ、桜羅のスマホへマリから連絡が入った。

 「え? 川の近く?」

 『そう、どうやら人形師の家は、川が近くにあったらしいの。それほど大きな川じゃないらしいけどね』

 先ほど聞いたことを、千景・ジェイド組からマリを経由して有汰・桜羅組へと連絡が行ったのだ。

 聴力が強化されている有汰にも、その会話は聞こえている。

 『桜羅、北側になら川がある』

 「あ、有汰くんが、川近くにあるって言ってるわ」

 『そう。じゃあ、一度行って見て?』

 「うん、解った。連絡、ありがとうね」

 見られてもいないのに、ぺこんとばかりにお辞儀する桜羅。それを見たオオカミ姿の有汰が、笑った様な雰囲気を漂わせる。

 『こっち』

 くいと首を引き、方向を示す。

 「うん」

 そう言うと、二人は少しばかりの急ぎ足で進んで行った。




 『ここ、匂いが違う』

 先ほどの公園を北に上がり神社を超え、遊歩道の様になったそこで、有汰が足を止めた。

 そう言われても、桜羅には良く解らない。一見して平穏そのものの風景が広がっているだけだ。だが、有汰が違うと言えば違うのだろう。それは信頼とも言える。

 「連絡するね。有汰くん、さっきの神社で戻った方が良いと思うわ」

 『うん。そうする。鞄背中につけて』

 有汰は今まで桜羅が持っていた、リックタイプのそれをかけて貰うと、周囲を見回し人気がないのを確かめ素早く駆ける。例え人の横を通ったとしても、何が駆け抜けたかを確認出来る者はいないだろう。

 あっと言う間に神社へと戻って来ると、素早く木々の合間へと身を潜ませる。

 『神社って木がいっぱいだからありがたいよなぁ』

 そうのほほん考えつつ、人がいないことだけを念入りに確認すると、有汰は鞄を振り落とす。

 そのまま四肢をぐっと伸ばす様に背を反り返すと、徐々にその姿が揺らぎ始めた。

 全身の黒々とした体毛が、まるで早送りしているフイルムを見るかの様に、身体に吸い込まれ白い肌が見えてくる。四つん這いに這いつくばったまま、ほぼ一瞬の間に人へと変化した有汰は、はぁとため息一つ。

 「今誰かに見られたら、完全に変態さんだ」

 確かに変態さんだろう。首輪に見えるチョーカーをつけた状態で、他は見事にマッパなのだから。先ほど振り落とした鞄を開け、そのまま着替えを取り出すと、彼は手早く身につけた。

 常々思うのは、あの立派すぎる毛皮が何故服にならないのかと言うことだ。

 『ま、今更か』

 有汰は人として不自然にならない最高速度で、桜羅の元へと戻るべく道を辿る。

 本当はもっとのんびり出来る状態で来たかったなと思うも、まあ、また別の機会に散歩をしにくれば良いかなと考えた。

 先程の獣化状態よりは数段落ちるが、やはり徐々にそこへと近づくにつれ、気配と言うべきか、有汰流に言うところの匂いが変わってきているのが解る。

 更に足を進めると、桜羅が見えた。彼女は所在なさげに、スマホを握りしめたままさっきの位置から動かずいる。

 「ごめん、遅くなった」

 「おかえり。大丈夫よ。あ、マリさんに電話したら、そのまま他にも連絡してくれるって」

 「そか。あ、マリなんて言ってた?」

 「ちょっと必要になりそうなもの用意するから、何処か入って待っててって。待つとこ決まったらまた連絡して欲しいって。後、多分、界が違うんじゃないかって言ってた。そうだった場合、そこ行く為の準備なんだと思う」

 「そか」

 一気にそう話すと、桜羅は何処で待とうかとばかりに周囲を見回している。

 桜羅の言う、界渡りとなると流石にサポートがない状態では無理だろうと、有汰は納得した。

 「取り敢えず、川が見える周辺の茶店で良いんじゃない?」

 有汰にそう言われ、桜羅は素直に頷いた。




 「ここだな」

 そう断言する尚杜に頷く有汰。だが、言った場所に何かある様には到底見えない。

 川縁に見かける、何処にでもありそうな遊歩道だった。

 そこには八人が揃っている。見た目からして、何の集まりか解らない八人だ。誰かが通ったならば、何をしているのだろうと訝しむだろうが、既に薄闇が降りているのが幸いであった。

 千景が一つ頷くと、その場にしゃがみ込んで地面に手をつけた。長い髪が揺れ、耳に銀色のカフスがつけられているのが見える。

 瞳が淡い金色に輝くと、彼の脳裏に風景が浮かんだ。

 所在なさげに川を見つめている雛人形達。

 何処か消沈した様子なのは、多分自分達の知る風景がそこにはなかったから。そんな気がした。

 どれくらいそこにいたのかは解らない。

 不意に――。

 その場が蜃気楼の様に揺らぐ。

 そして風が雛人形の周囲を包み込むと、屋敷の時に見たのと同じく、その場から姿がかき消えた。

 「確かにここで、移動したようだねぇ。消える前に揺らぎがあったよ」

 「でもさ、界移動って、そんな簡単にできるもん?」

 ジェイドは眉間に皺を寄せ、そう言った。

 「誰か手を貸したやつ、いるんじゃなぁーい?」

 のほほんかましたのは美雪だ。

 「人形師、戻ってきてるんじゃないかなぁーってさ」

 「どう言うこと?」

 マリが怪訝な様子で問い返す。

 「どうしてもここが……てより、ここで過ごした時間が忘れられなかったんじゃない?」

 「いやだからね」

 更に問いかけるマリを制して、耳元のカフスを弄っていた尚杜が言う。

 「取り敢えず、追いかけよう。こっちには僕が残るよ。美雪もほら、ちゃんとカフスつけて。それつけないと、迷子になるよ」

 千景や尚杜だけでなく、有汰と美雪以外の全員が耳元にカフスをつけていた。ちなみに有汰の場合は、チョーカーがカフスの代わりになる。

 「へいへーい。やっぱ俺は入らないとダメな訳ね」

 「戻って貰うには、ユキちゃんが謝んないとでしょうが」

 尚杜が止めたからなのか、マリは途中で遮られたことを気にもしていない様だ。

 何言ってんのよとばかりに、美雪へと呆れた様子でのたまった。

 「んじゃ、開けるよ」

 目を閉じ、カフスに片手をやったまま、尚杜がゆっくりともう片方の手のひらを持ち上げた。

 何かを探る様にその手を動かしつつ、カフスの感触にも神経を研ぎ澄ましている。

 その場を微動だにしていないものの、尚杜は他の七人とは別の世界を知覚している。

 彼の意識下では、周囲は薄闇ではない。時に日の光の下、青銀の髪を棚引かせたアイスブルーの瞳を持つ男と共に船上にあり、時に真夜中の聖堂で自身の胸の内から取り出す剣を持った、中性的な人と対峙していたり、そしてまたは七色の砂漠で疲れ果てた心と身体を休めている男の横をすり抜けて行くと言う、様々な異界を駆け抜けていた。

 そして。

 『見つけた』

 常春の様な世界。そこは飛沫の様な異界である。確たる世界を築いているのではなく、夢の一時の様な儚くも切ない、そして暖かく優しい異界だった。

 尚杜の眉が微かに動いた。

 薄闇の中、淡い光が生まれていく。

 点だったそれが線になり、面になる。

 そして遠目でもはっきり解る程に光り輝いた後、散る花びらの様な吹雪となり、その場にただ一人残った尚杜の手のひらへと吸い込まれて行った。




 僅かばかりの浮遊感。

 誰しもが、軽い目眩に似たものを覚えた。

 「何かちょっと、身体に魂ずれてる感じ」

 有汰の呟きに、桜羅や弓、千景が僅かに苦笑した。

 その感覚は、確かに言えて妙だと思ったからだ。

 異界を抜け終えた後には、大抵そう感じるのを何度移動しても有汰は慣れないらしい。

 それでも尚杜の送り出しは、他の者よりは数段上手くはあるのだ。場の固定をしていれば、通り抜けた後の違和感が全く感じられないのだから。

 見計らった様に、彼らのカフス、もしくはチョーカーから声が響く。

 『僕は先に屋敷に戻って、帰り道を固定しておくから。あ、そうそう、僕達の様な者が長くいてはいけない場所だからね。美雪は可及的速やかに、そして誠意を持って謝罪をして、さくっと戻ってくる様に。出来なかったら、美雪残して他の人間は強制退去させるからね』

 無慈悲とも言える尚杜の言葉に、思いっ切り美雪が顔を顰め、そして他の人間は生暖かく笑った。

 「んじゃ、行こう。もう見えてるしね」

 マリが示す先には、千景やジェイドが見た日本家屋があった。

 花を散らす大木の先には、縁側らしきものが見える。

 距離はあってない様なものだ。この異界は、何処かにあるべくしてある現実ではなく、ただ一人の思いから形成されている夢の様なものだから。

 願えばそこへ到達する。つまり行きたくないと思えば、何時まで経ってもそこにいるだけになる。

 だからマリは、しっかりと美雪を掴んでいた。……ぐずらない様に。

 「ホント、ユキの信用は地に落ちてるなぁ」

 その様を見るジェイドが、口元を引き攣らせつつも笑う。

 「あのさ、尚杜は言ったらマジでやるからね」

 「うん。ばっさりさくっとやるね」

 付き合いがそれなりなマリと弓は、至極真面目な顔でそう言った。

 「そうなっても俺達帰れるし、問題ないんじゃない?」

 さり気に酷い有汰であった。

 「それでもその場を動かないなら、着いてから私が引き寄せても構わないしね。まあ、行こうか」

 再度の千景の促しで、七人は意識を眼前の家屋に集中した。

 瞬き一つの時間、それで用は足りた。

 「ほら、お前達、お迎えが来たよ」

 暖かな眼差しを人形達に向けた、壮年の男がそこにいた。

 この異界を象徴するかの様な、穏やかな雰囲気を纏っているのは、間違いなく雛人形を作った人形師なのだろう。

 弓、桜羅、千景は、彼に向けて軽く会釈をした。

 「本当にごめんなさいね。貴方が可愛がってた子達に可哀想な思いさせて」

 人形に謝罪するのは美雪だと考えるマリは、まず人形師に相方の言動を詫びた。

 それに言葉で答えるのではなく、人形師は笑顔を見せる。

 三人官女に五人囃子は、何処か戸惑っているかの様にも見えた。

 今までいた界では、動くこともままならない状態であったが、ここでは違う。

 姿形は人形そのままに、彼らはその身体も表情も動かすことが出来ていた。

 『ほらユキちゃん』とばかりに、マリが美雪をつつく。

 少々きまり悪げに美雪が頬を掻き、明後日の方向へと視線をやるもその後。

 「ごめんねぇ。俺、別に特に意味があって言った訳じゃないんだよ。その場のノリって言うか勢いって言うか、語呂合わせって言うか。でも、気分悪くしちゃったんだよね。ホントにごめんね」

 きっちり三人官女や五人囃子に視線を合わせてそう言った。

 だが流石と言えるのは、頭を下げなかったことだろうか……。

 そのことに気付いた千景やジェイド、有汰は苦笑しているが、マリはそれだけで当然済ますつもりがない。

 自分より遙かに背の高い美雪の頭を押さえつけようと、奮闘していたが、それを遮ったのは、雛人形達だ。

 「良いんです。こうして私達を迎えに来てくれただけで……」

 「戻ってきて、また主様と会うことが叶いました」

 「あのことがなければ、こうしてここには来ることもなく、主様と会うこともなかったでしょうし」

 「主様と久方ぶりにお話して、何故私達があんな風な行動に出たのか、きちんと解りましたし」

 「私達、やはり寂しかったのですね。だからあの場を抜け出す理由が欲しかった」

 「ここに、主様と暮らした場所……、いえ、主様の元に戻る理由が欲しかった」

 「ですから、私達もご迷惑をおかけして申し訳なく思っているんです」

 「主様にも、お手を煩わせてしまいましたし」

 少し照れた様に、そして寂しそうに、人形達は言った。

 ここへと来たのは、やはり人形達の能力ではなく、この異界の主である人形師の様だ。

 はらりはらりと、止まることなく散る花びらは、地に落ちると雪が溶ける様に滲んで消える。そして微かに聞こえる川の潺。ここは彼らが過ごしていた風景だけを再生している、本当に小さく閉じられた界なのだろう。

 「この子達があそこに居続けたら、通りかかる人達に見つかって捨てられてしまうかもしれませんしね」

 穏やかに微笑む彼に、マリが小首を傾げて尋ねる。

 「やっぱりこの子達、んーと、他の雛人形達もだけど、こちらに連れてきた方が良いのかな?」

 「いえ、人形は愛でて大事にしてもらうのが華。今まで通り、そちら様でお預かりいただければと思いますよ」

 笑みを崩さない彼は、そっと人形達を見やるとそう言った。

 「ん。解った。慌ただしいけど、尚杜からも長居するなって言われてるし、この子達連れて戻るわね」

 良いかな? と、人形達にも視線をやると、揃って素直に頷くのが見て取れる。

 「んじゃ、尚杜、任せた」

 それを確認すると、カフスをタップしてマリが声をかける。

 『了解。任された』

 それぞれが人形を胸に抱くのを待っていたかの様なタイミング。彼らが光の花びらに包まれると、瞬き一つの間に彼らの姿はそこからかき消えた。

 残されるは、人形達が主様と呼ぶ一人。

 彼は目蓋を閉じ、降りしきる花びらへと感慨深げに面を向けた。

 「もう一度、会うことが出来て嬉しかったですよ。本当にありがとうございました」

 彼の姿は、その異界が飛沫と化して崩れ行くまで続いていた――。




 界から互助会本部へと戻ってきた彼らは、無事ここにいた雛人形達と連れ帰ってきた雛人形達を対面させ終えると、雛祭りパーティをお開きとした。また来年ねとお別れの挨拶をした後、美雪が綺麗に掃除した部屋へと戻しに行く。

 料理の類いは、既に黒子の皆様達が綺麗にお片付けしてくれていた為、現在そこにあるのは各自の望んだドリンク類のみである。

 ほっと一息ついたところで、美雪がそう言えばとばかりに余計な一言を呟いた。

 「てかさ、結局俺、出汁に使われただけなんじゃないの?」

 『え? 何言ってんのこいつ』と、美雪以外の者が思った。

 「こいつ、全然反省してやがらねぇ……」

 マリが暗い声でそう呟いた。

 確かにあの場で言わなかったのは、少しだけ偉かったのかもしれない。

 が。しかし。

 「ある意味、台無し」

 弓の眼も据わっている。

 「うん、流石ユキ」

 ブレないやつとばかりに、ジェイドも口元を引き攣らせる。

 雛人形もきちんとしまい直した後で良かったと、誰もが思った。

 折角落ち着いたのに、あの台詞を聞いた後では、もしかするともう一度家出してしまうかもしれない。

 「さて。尚杜」

 マリが良い笑顔で呼びかけると、尚杜も了解とばかりに手を挙げる。

 危機察知能力は抜群な美雪が、尚杜とマリを警戒し、すぐさま逃げの体勢に入った。

 しかし援護の手が、予想もしないところから入った。勿論、美雪への援護ではない。

 見えない何かが、思いっきり美雪を尚杜の方へと叩きつける。

 「ちょぉぉーーーっと!」

 「千景、ジェイド、GJ」

 流石に能力発動をキャッチ出来ても、二方向から同時に来るそれに対処出来る筈もない。本気の戦闘行為でもないと、高を括っていた美雪の負けだ。

 叫ぶ美雪に頓着せず尚杜が言うと、援護の手であるジェイドは任せろとばかりにサムズアップ。千景は明後日の方向へと顔を向けている。

 桜羅は次に来る事態に、思わず息を飲んで有汰にしがみついた。

 がっちり美雪をキャッチした尚杜は、それを外そうと力比べを仕掛ける美雪に負けじと張り合った。

 互いが怪力を誇る二人だ。それぞれに青筋が浮いてきている。

 「んじゃ、行っちゃうからねー」

 「え、待って! 酷いし!」

 「待たない。か弱い乙女の一撃なんか、ユキちゃんには蚊に刺された程度でしょ」

 じりじりと迫るマリに、本気で顔を引き攣らせる美雪。

 握りしめた拳を思いっ切り振りかぶると、マリは軸足に全体重をかけて美雪めがけて突っ込んで行った――。




 爽やかな朝の気配、そして何処か懐かしい気配を感じて、彼女はそっと目蓋を開けた。隣に眠る人がぐっすり寝入っているのを確認し、彼女は呟く。

 「……そりゃそうよね」

 何処か憂いを帯びたような声音だが、反して表情は楽しげにも見える。

 よいしょっとばかりに身体を起こした彼女――弓は、肩をこきこきと鳴らして軽く一息。見目は二十代後半だが、実年齢はもっと上。現在二人の子持ちである。日頃の疲れが出たかなと考えつつ、今まで見ていた夢をさらりと思い出す。

 あり得ない夢。

 でも、弓には泣きたくなる程心が温かくなる夢だ。

 既に、美雪もマリも、そして尚杜も、いない。

 そして有汰や桜羅が自分と変わらない年であることなど、間違ってもないのだ。

 ただそれだけなら、己の願望が見せたものかと思うのだが、それにしては心当たりのない者も何名かいた。

 「尚杜からかなぁ……」

 多分それは未来の記憶かもしれない。彼女は、以前に尚杜から聞いた時間の概念からそう思ったのだ。

 彼は言った。

 『人は意識のスイッチが入った瞬間を、現在として認識する。現在として意識のある時間を元に、時間軸を辿って過去と未来を判断し、過去のことは記憶としてストックされ、そして未来のことは未だ起こりえないことと判断し消去され、稀に残る未来の記憶は、デジャブとしてその形を変えるんだよ』

 正確に思い出せる自分を褒めたくなるが、朝っぱらからそんなことを思い出してもまた眠くなりそうだ。

 「ああ、そうか、今日って雛祭りか」

 既に雛人形は飾り終えている。

 自分の為ではなく、娘の為のものだ。

 勿論、夢に出てきた雛人形ではない。そもそもそんなものが存在するのかどうか、弓は知らなかった。

 「さて、懐かしい顔も見れたし、ちょっと今日は頑張っちゃおうか」

 雛祭りだし、弁当は雛祭り仕様にすることにした。

 息子は顔を顰めるだろうが、娘はきっと喜ぶだろう。

 「取り敢えず、早く帰ってこい」

 ここにはいない誰か達に向かってそう呟くと、弓は唇をくいっとつり上げ、笑みの形へと作り替えて行った。

大変久しぶりに文章を書いた気がします。……てか、書いてますね。

色んなお話のキャラが混じっていますが、誰が何処にどんな風に出てくるのかは、その時になってからのお楽しみと言うことで一つよろしくお願いしますw

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