犯罪者たちの狂詩曲-Ⅱ-
街の中を、一人で歩いていた。
「なあ、お前、榊りおだろ?」
俺は背後の気配に向けてそう呼び掛けた。背後の人物は立ち止まった。
「……名前、知ってたんだ」
柔らかい声が言った。俺も立ち止まり、振り向く。そこには例の綺麗な金髪の青年がいた。
「俺はそんなに人間できてねーよ。友達から聞いた」
「友達……」
「ここじゃ通行の妨げだ。どっかでゆっくり話そう」
榊の手を取り、近くの喫茶店に入った。
「もう気づいてるんだろう?」
席に就くなり、榊は笑みを浮かべた。何のことを指しているかは明白だった。──榊りおは爆弾魔である。
「ああ」
「それを知っていて、わざわざどうしたんだい?」
「話がしたいと思ってな」
「物好きだね、君も」
榊は愉しげにくすくすと笑う。犯罪者とは思えないほど爽やかな笑みだ。その笑みはどこか叶多と似ているように感じられた。
「……本当、何がしたいんだ?」
「どういうことかな?」
俺が切り出した一言に榊は首を傾げる。俺は続けた。
「お前は、人殺しがしたいわけじゃないだろう?」
「いいや」
核心をついた聞き方をすると、榊は即座に否定し、笑みを消して答えた。
「僕がしたいのは人殺しだよ」
自然とおは険しい表情になる。榊はそれを気にせず続けた。
「僕はどこかの誰かを殺したい」
冗談めいた言い回しで榊はふっと元のとおりに笑った。
「俺じゃないのか?」
意外に思って訊くと、榊は笑みを深くした。
「僕に君が殺せるわけないじゃないか」
「……なんでだ?」
榊は口を開きかけてやめた。店員がやってきて注文をとっていった。
「君は、強いから」
「強い? 俺がか?」
「ああ。……でも、君はもう随分と変わってしまった」
その一言はちくりと胸を刺した。
おそらくこいつの知る柊友人は小学生の頃の傷だらけだった「友人」だ。当時は桜とも出会っていなくて、悠斗はいたけれど、自分のことだけでいっぱいいっぱいだった。今にも現実に押し潰されてしまいそうな、どこか脆い「友人」。榊はそんな柊友人しか知らない。
そしてその「友人」はもう、どこにもいない。──その事実を思い出し、痛みに顔を俯けた。
「敢えて言うなら」
榊が口を開いたので顔を上げた。
「君をそんな風に変えてしまった人を殺したい」
「え?」
予想だにしない告白に、俺は思考が停止する。
「でもそれが誰だかわからない。だからたくさん殺すんだ」
「お……い……?」
「でもね」
底抜けに明るい笑みで彼は告げた。
「もうわかったから大丈夫」
ぞくり、と悪寒が走った。肌が粟立つ。胸がざわつく。
「待て、榊……それは、どういう意味だ?」
立ち去りかけた榊を呼び止めると、榊は立ち止まることなく、こう言い置いた。
「君の想像どおりだよ。きっと」
数時間後、俺は、叶多のいる大学が爆破されたことを知った。
「叶多は!?」
「命に別状はない、けど……」
病院にいた新太先輩は暗い顔で俯く。
「顔の右半分に火傷……痕が残るかもって」
顔に火傷。別に叶多は顔が重要な職に就くわけでもないし、俺は叶多の顔が好きだから彼女と付き合っているわけじゃない。だから冷たい言い方をすると、それは別にいい。
「叶多は、どこに?」
「そろそろ来ると思うよ。ほら」
顔の右側を包帯で覆われた人物がこちらへ歩いてきた。顔の半分が隠れていても、俺にはそれが叶多だとわかった。
「アラタ、待たせたな。……友人も、来てくれたのか」
痛ましい姿であるにも拘らず、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「来てくれて嬉しいよ、友人。こんな姿になってしまったが……」
「ごめんっ……」
叶多に対して、それしか言葉が見つからなかった。他に何と言ったらいいかなんて、見当もつかなかった。
「……何を謝っているんだ?」
「ごめん……」
それ以外の言葉が紡ぎ出せない。
「ごめん……叶多」
俺を嫌わないでくれ。
その思いは言葉にできず、俺はその場を去っていた。
* * *
「なあ、アラタ」
「どうしたの、カナタ?」
「……私は、友人に嫌われてしまったのだろうか?」
「また唐突だね」
「だって……さっきはまともに会話できなかった……」
「そうだねぇ……たぶん、ユージンくんはユージンくんで何かあったんじゃないかな? 例えば……犯人に心当たりがあるとか?」
「心当たり、か」
「ん? その様子だと、カナタもあるの? 心当たり」
「ああ……」
「ならきっと、それだよ」
「でも、本当かどうかは……」
「……わからないなら聞けばいい」
「え?」
「ユージンくんはちゃんと答えてくれるはずだよ。それともカナタはユージンくんが嫌いになっちゃった?」
「そんなわけないだろう!!」
「……なら、素直にそう言って、ユージンくんから答えを聞けばいいんだよ。二人とも、生きてるんだからさ」
"わかりあえますよ、きっと"
そんな声が叶多には聞こえた気がした。
それは懐かしい、かつての「友人」の声だった。
* * *
「また会いましたね」
夜闇の暗さに映える金髪の青年がにこにこしながら俺の前に現れた。榊だ。
「相模さんはお元気でしたか?」
とんだ皮肉を言うもんだ、と苦虫を噛み、俺はぶっきらぼうに「まあな」とだけ返した。
「では、もう一度、殺さなくてはいけませんね」
「てめぇっ!?」
激昂するのは一瞬だった。榊の襟首を掴み、殴りかけて、やめた。
「……殴ればいいじゃないですか」
さらりと榊がこぼす。僅かに肩を竦めたように見えた。それを無視し、俺は投げつけるように乱雑に言葉を放った。
「なんで叶多を狙った?」
「言ったでしょう? 君を変えてしまった人を殺したいって」
薄笑いを浮かべて榊は続けた。
「君は変わってしまった。僕の知っている君ではなくなってしまった。あの頃持っていた強さを君は失ってしまった。……要するに、君は弱くなってしまったんだよ。……それが、許せなかった」
「あの頃の俺は強かった? 今の俺は、弱い?」
か弱くて脆そうだと言われていた「友人」が強くて、強いと言われた俺が弱い……周囲と真逆のことを言う榊に俺は戸惑いながら、納得した。ああそのとおりだと。「友人」は何をなくしても耐えて生きてきた。それに対して俺は「友人」一人いなくなっただけで、その動揺をかなり引きずっている。心の傷から立ち直れないのを弱さと言わずして何というのだろう。今までさして関わりもなかった人物にそれを気づかされるとは。
「変えたのはあの女だろう? 君は守るべきものを見つけてしまって、自分を軽んじるようになった。自分の身を犠牲に、というと聞こえはいいけれど、要は誰かのためにする自殺だ。どれだけ苦しくても自殺という手段だけは選ばなかった君の理念はどこへ行ったんだ?」
嘆くように榊は語った。俺はその言葉を反芻しながら、ふと引っかかりを覚えた。
守るべきものを見つけて、そのために自分を軽んじる──それは俺が、以前からしていたことではないのか? 「友人」の心が解放されるなら俺という存在が消えてもかまわない、と──そう思いながら、ずっと生きてきたんじゃないのか?
「俺は、変わってなんか、いない……」
絞り出すように呟いた。
そうだ。俺も「友人」も同じ。「友人」だった俺は悠斗と出会っていなければあのとき自殺していた。俺はかつて「友人」を、今は叶多を守るためなら、自分の命を厭わない。
「俺は、変わってなんかいないんだ……!」
譬、「友人」というもう一人の自分が消え去ってしまっても、俺が柊友人であることは変わらない。変わっていない、と認めてくれる友がいて、支えてくれる人がいる。だから、俺は友人でいられる。
「変わったよ、君は。最初はこんなに弱くなかった」
俺の主張を半ばムキになって否定する榊に、今度はきっぱりと言い放った。
「違う! ……俺は元々、強くなんかなかったんだ……!」
その一言に榊の表情が凍りつく。
「そんな……そんなことない!! あの頃の君は強かった。強かったんだ!! だから僕はそんな君に憧れて、君を目指して頑張ってきたのに……っ!」
震える声でそう言った榊。その言葉で俺は悟った。
憧れ──つまりは、そういうことだったんだ。
自分と同じでいじめを受けているにも拘らず、自殺や自傷行為に走らない友人の「強さ」に榊は憧れていた。けれども、久々に見かけた俺を見て、一人では生きられなくなっている俺の「弱さ」を垣間見て、理想が音を立てて崩れたのだ。
ただそれだけのこと。ただこれだけのことで壊れた榊の心がこんな形で叶多に牙を剥いたのだ。
「勝手に憧れて、勝手に失望して……」
襟首を掴んだ手を引き寄せ、榊の目を見る。すがるような目だった。俺はそれを撥ね付けるように叫んだ。
「そして、勝手に他人の幸せを奪うのか!?」
そこではっとしたように榊が目を見開く。
「幸せ……そうか……僕が、本当に失ってしまったものは……」
呆然として呟く榊の体から力が抜けて、俺の手では支えきれず、崩れ落ちた。
「……なぁ、お前も辛かったんだろうが……それがわかったんなら、自首しろよ」
そう言い置いて、俺はその場から立ち去った。
* * *
僕が本当に失ってしまったのは、幸せ。
そして、彼も、同じ──
* * *
学校帰り、校門前である人物が待っていた。
「あ……」
「やあ、友人」
相模叶多だ。まだ顔の包帯は取れていない。それ以外は軽傷のため、普通に出歩けるらしいが……頬の包帯を見ると、かける言葉が見つからなくなる。
「話があるんだ。少し付き合ってくれないか?」
「……自宅までなら」
躊躇いつつ、俺は叶多と並んで歩き始めた。
「そういえば、制服姿の友人を見るのは久しぶりだな」
「……そうですか」
「ここのところ、色々あったからな。……いや、お前と出会ってから、何もなかったことの方が少ないか」
叶多の言葉に、俺は叶多と出会ってからを振り返り、苦笑した。
「本当ですね」
すると叶多は俺の顔をまじまじと見つめてきた。
「……何ですか?」
「ん。やっと笑ったと思ってな」
叶多は満足げに笑う。
「お前の色んな顔を見てきたが、やっぱり笑っているのが一番いい」
「ど、どこでそんな口説き文句覚えたんです?」
「口説くのは普通男だろうが」
「……口説かれたいんですか?」
「い、いや、あの……」
返す言葉を見つけられず、あたふたする叶多を見て、ふと、いつもの光景であることに気づく。
「……普通、か」
「ん?」
「俺たちにとって、普通って何なんでしょうね」
「……今、ここにこうしていることだよ」
叶多は柔らかな笑みを浮かべ、高らかに宣告した。
「自殺志願者には、これで充分さ」
「どういう意味ですか?」
「生きているって素晴らしいってことだ」
叶多が真顔で言うものだから、俺は思わず噴き出した。
「まさか、叶多がそんなことを言うなんて……思っていませんでした」
「ふふふ、驚いたか」
したり顔をし、直後、また微笑んだ。
「やっと、名前を呼んでくれたな」
「あ……」
この人を「叶多」と呼ぶのは「友人」の方……そう思って、俺は呼び捨てにしないようにしていた。「友人」がいないと実感して、辛くなるから。けれども、違った。
「叶多……と呼んで、いいんですか?」
「勿論だ。ついでに敬語もやめてくれるとすごく嬉しい」
この人はもう俺を、俺自身を受け入れてくれていたのだ。「友人」が消えた苦しみをもう乗り越えていたのだ。
「私のこの傷は消えないかもしれないけれど、それでもお前は傍にいてくれるか? 友人」
俺は、俺の言葉で答えた。
「ああ。勿論」
* * *
「ああ、よかったね、柊くん」
叶多と二人で歩いていく友人を見届ける一人の青年は、そう呟いて反対方向へと進み始めた。
金糸の髪が夕焼けの色に染まる。青年は警察署の前で立ち止まった。おもむろにポケットから取り出したカプセルを一つ、口に含んだ。
「僕は爆弾魔です。自首しに来ました」
* * *
携帯電話の着信音が鳴る。メールだった。
差出人は不明。
"僕が本当に殺したかったのはね……僕だよ"
その文で、誰かわかった。返信しようかと迷ったとき、電話のコール音が鳴った。悠斗からだ。
「もしもし?」
「友人? ニュース速報見たか?」
「ん? 見てないけど、どうかしたのか?」
「榊が爆弾魔だと自首して自殺したらしい」
「なっ……!」
「しかも、それとほぼ同時に自宅を爆破したって」
「そんな……」
「どうやってメアド知ったんだか、俺のところにメール来て、驚いてたらニュース流れて」
「メールはなんて?」
「僕は僕の生きた証を消すよ。……って」
「榊の両親は?」
「爆発で死亡。生きた証って何だ?」
ふと柳谷和成を思い出す。垂れ柳殺人を起こした柳谷は、自分のいた証を消すために知人全てを殺そうとした。きっと、榊にとっては両親が生きた証だったのだ。家にこもりがちの彼にとっては、家族が全てだった。
「……狂ってるよ」
「ああ、狂ってる」
「どうして死のうとするんだ。どいつもこいつも……」
「そうだな」
でも、俺は生きている。叶多も生きている。
犯罪者たちの狂詩曲を聴きながら……




