犯罪者たちの狂詩曲-Ⅰ-
先日、垂れ柳殺人という連続殺人事件の犯人が自殺した。
犯人が死んだことで一応事件は終結したのだが、どうにも後味の悪い幕引きだった。
犯人・柳谷和成は俺たちの目の前で死んだのだ。
柳谷と相模叶多は小学生の頃の同級生だったらしい。いじめを受け、自殺しようとしていた柳谷に叶多は声をかけ、知り合ったのだという。話したのはそれ一度きりだったが、柳谷も叶多も互いのことを覚えていた。
柳谷は自殺志願者だった。そう、叶多は語った。
「あいつ、私が声をかけたときに言ったんだ。"どうしたら誰にも知られずに死ねるのか?"と。私は"みんないなくなってから、誰も来ないところで死ねばいい"と答えた」
自分を知っているみんなが消えれば──垂れ柳殺人はそんな思いから引き起こされたのだろう。
「"みんながいなくなってから"……ですか。叶多は本当にそうしたいと思っているのですか?」
「……私に人は殺せぬさ。殺さない。……けれども、お前を置いていくような真似はしないよ、友人」
「心中はよしてくださいね」
苦笑して答える。
俺は「友人」と呼ばれることにまだ慣れていない。それは確かに俺の名であるはずなのに、違和感が拭えない。そして無意識のうちにもう一人の俺を探してしまう。かつていた、もう一人の「友人」を。
少し前、俺は大怪我をして入院していた。まだよくならないうちに動いて、更に怪我をして、一時的に失明していた。それを救ってくれたのが、もう一つの人格の「友人」だった。粗雑な性格の俺とは対照的で繊細で温かだった。「友人」の存在が完全に消えてから、一人になった俺の記憶と性格は自然と「友人」のものと融合したようになっていた。それでもこの呼び名の違和感だけは拭えなかった。
相模叶多は俺の恋人みたいなものである。元は部活の先輩で、自殺志願者という異様な一面を持つ。彼女が多く接していたのは学校での人格だつ「友人」の方だ。俺は特別な存在として「ユージン」と呼ばれていた。俺自身、「友人」とは別物だと思っていたから、言葉にしていたほど気にしてはいなかった。やがて消えるのは自分だと思っていたから、他人くらいの仲が調度いいと距離を取っていた。それなのに、消えたのは「友人」の方だった。叶多が好きだった「友人」が……
本当は、もうここにいない「友人」に呼び掛けているのではないかと感じる。それが、どうしようもなく、苦しい……
* * *
友人は以前のあの「友人」に似てきたように思う、と叶多は溜め息を吐いた。
きっと友人は私があの頃の「友人」を思っている、と考えているのだ。思っていない、といえば嘘になるが、思っているのは「ユージン」のことも同様だ。どうして自分を過小評価するのだろう、と叶多は疑問を持ち続けていた。
「きっと、正しく伝えられていないんだ……」
私の思いは友人一人に、友人の全てに向けられているのに、それが伝わっていないのだ。どうにかして、伝えなくてはならない。けれども、どうしたらいいのだろう?
その術を知る「友人」はもうどこにもいない。
* * *
土曜の朝。俺は叶多と待ち合わせしていた。
「すまない、友人。待ったか?」
「いいえ」
待ち合わせ時間の十分前。俺もつい先程来たばかりだった。
「几帳面なやつだよな。いつも人を待たせない」
「別に……やることやってあったんで、暇だっただけですよ」
「人間できてるなあ……では、行こうか」
今日は所謂デートだった。コースは叶多が決めているらしい。
「まずはどこに行くんですか?」
「……公園から大通りを歩いて、どこか適当な場所で昼食を摂ろう」
「要するに、具体案はないんですね」
「注文があるならどうぞ」
叶多はそう言ったが、俺は首を横に振った。特に自分にも案はない。行き当たりばったり、何も考えないというのも一つではあるだろう。「なら、決まりだな」と叶多が歩き出すのについていく。
「……急に、どうしたんですか?」
「何がだ」
デート中のカップルというには些か早足で歩きながら俺は叶多に問うた。
「貴女の方から会いたいなんて、珍しいじゃないですか?」
「そうか? 私はむしろ会いたくないと思ったことがないぞ?」
さらりと放たれた言葉に俺は呆然としてしまう。叶多は、今じゃ高校と大学だからなかなか時間も合わないしな、と付け加える。
「会いたくても会えない、というのも一興だが」
叶多のその一言に、俺は「友人」を思い出す。俺以上に「友人」はこの人と一緒にいた。この人の思い出の中の柊友人は俺ではなく、もう一人いた「友人」の方なのだ。きっとこの言葉は、会いたくてももう会えない、消えてしまった「友人」に対してのものだ……
「おい友人、聞いているか?」
沈みかけた思考がその声に掬い上げられる。
「はい、なんですか?」
「この店に入ろう」
叶多が示したのは全国チェーンのファーストフード店だった。
「昼食にはまだ早いんじゃないですか?」
「歩いていても面白くないからな。ゆっくり話でもしよう。この時間なら空いているだろうしな」
「……そうですね」
いそいそと店に入ると、店は朝食時も終わってがらんとしていた。俺と叶多はドリンクを頼んで店の奥の方の席に座った。
「お前の言っていたとおり、こんな風に改まった呼び出しで会うのは初めてかもしれない」
席に就くなり、叶多はそんなことを呟いた。
「俗っぽい言い方をすると、こういうのはデートというのか?」
「貴女が言うと異次元の単語みたいですね」
相模叶多は自殺志願者だ。ただ最近は以前のように自殺に関するワードを連発したり、リストカットをしてみたりなどというのはない。そろそろ過去形にできるのかもしれない。「自殺志願者だった」と。
「まあ、恋愛なんて別の世界の出来事だと思っていたからな。それはお前もだろう? 友人」
そう、俺。母が死んでから恋愛は勿論、楽しいだとか、幸せだとか、そう思えることは全部別の世界のものだと認識していた。
「……家族を亡くすのも友達をなくすのも、辛いですからね」
そう返して、俺はコーヒーに口をつけた。叶多も紅茶を飲む。静かな時が流れていく。
しばらくすると、新たな入店者がやってきた。人気店であるから客が来るのは珍しいことではない。珍しいのはその客の容姿だった。
その客はパーカーにジーンズというラフな格好の青年で、顔立ちは日本人にしか見えないのだが、髪は染めたにして綺麗な金髪だった。
「日系外国人か?」
叶多も気づいたらしく、そう訊いてきたが、俺は首を横に振った。
「あの人は日本人ですよ。さっき店員に英語で対応されて困ってましたから」
「……よくわかるものだな」
「まあ。あの人も待ち合わせですかね」
二人掛けのテーブルに就いた青年を見て俺が言うと、さあな、という素っ気ない声が返ってきた。
「そろそろ別なものを頼もうかと思うのだが、お前は何かいるか?」
「俺が行きますよ」
「いいって。ここは私が奢るから」
叶多に押し切られ、俺は席で待つことにした。手持ち無沙汰になって、先程の青年を見る。青年はちらりと入口のカウンターに目をやり、妖しげな笑みを浮かべた。その目が冷たく鋭い輝きを放つのを見、俺はぞくりとして視線の先を追う。そこには叶多がいた。俺が思わず立ち上がり、カウンターへ向かう。ちょうど商品を受け取った叶多が振り向いた──
かちり。
次の瞬間、カウンターからの爆発音。お盆を持った叶多はそのまま前のめりに倒れ、カウンターは煙で見えなくなる。俺は叶多に駆け寄って怪我がないか訊ねる。幸い、爆発の規模もさして大きくなく、カウンターから少し離れていたため、打撲程度で済んでいるようだ。
「大丈夫だ。しかし……どういう状況だ?」
「とりあえず逃げましょう」
俺は叶多の手を取り、カウンター前にあるはずの出口を探したが、見えないので諦め、窓際へと向かった。窓際の席に座っていたあの金髪の青年の姿は既になく、窓ガラスは豪快に割られていた。おそらくここから逃げたのだろう。俺たちもその経路を使わせてもらい、外に出た。他の客も外にいた。店員の姿はない。勿論、あの青年の姿もなかった。
誰かが呼んでいたらしく、消防車と警察がやってきた。
火は一時間ほどで消し止められたが、従業員はカウンターにいた二人が死亡したという。
これが連続爆弾魔の引き起こした最初の事件だった。
「垂れ柳のときもそうだったが、私たちほよくよくろくでもない事件に巻き込まれるものだ」
「……そうですね」
連続爆弾魔は何故か俺たちの行く先々で現れた。犯人はおそらくあの金髪の青年なのだが、決定打もなければ、見つかりもしないので捕まらずにいる。
「せっかくのデートが毎度台無しではないか」
「別に、それはいいんですけど……」
「よくないぞ!」
「……ここまでくると、俺たち、狙われてません?」
計五回である。偶然にしては、居合わせた回数が多い。
「顔を見られたからかもしれんぞ?」
「それなら、こんな回りくどい手を使わなくてもいいじゃないですか。それに……毎回現場に来ておいて、"見られたくない"はないでしょう」
「それもそうだな」
俺は現場で何度も青年を見かけていた。目が合ったこともある。しかし、直接手を下されそうになったことはない。
「じゃあ何だ? お前の知り合いか?」
「いえ、わかりません。そっちは?」
「私の知り合いにあんな綺麗な金髪はいないさ」
二人で頭を悩ませながら時は過ぎていった。
「綺麗な金髪の男? 外国人か?」
俺の連続爆弾魔の話を聞いてそう聞き返してきたのは数少ない友達の橘悠斗だ。悠斗は小学校の頃に出会った親友だ。
「いや、顔立ちは日本人っぽかった。でも、染めたにしては綺麗だったよ」
「地毛か、もしくはよっぽど染め方が上手いかだな……ん?」
不意に悠斗が首を傾げた。
「そういや、綺麗な金髪の男子、いたよな。小学校の頃に」
「え?」
「榊りおって奴。クラスメイトだったんだ」
俺の記憶には全くない。
「覚えてないのも無理ねえよ。あの頃のお前は他に目を向ける余裕なかったろうし、あいつは大人しい奴だったから。むしろいじめられている側だったかな」
記憶を辿るように視線をさまよわせて続けた。
「あの金髪、地毛らしいんだけど、あの頃はガキだったからみんな信じなくてさ。悪い奴だーって、貶してたよ」
「いじめられてたんだ、そいつも」
「ああ、不登校で二、三年学校に来られなくなってた時期があったから俺たちより年上だった。それもあって、いい標的だったんだろうよ」
そこまで言うと、ふと思いついたように手を打った。
「卒アルに写真あるかも。あいつ、一緒に卒業したはずだし」
「本当か!?」
確かめるべきなのかどうかはいまいちだったが、俺は家に帰り、小学校の卒アルを開いてみることにした。
答えはすぐに出た。
* * *
「うわー、あいつキンパだキンパ」
「マジだー! うわ、キンパってヤクザなんだぜ?」
「こわー」
「ヤクザって悪い奴なんだろ? 悪い奴学校にいたらだめじゃん!」
「よし、俺たちで懲らしめようぜ!」
「やーい、ヤクザ! 学校から出て行けー!!」
一番憎いのは、あのときの子ども。
一番憧れたのは──




