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MEMENTO MORI  作者: 九JACK
side Haruto
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儚く、脆く、ひび割れて-Ⅳ-

 考えてみれば、あの日頷く必要はなかった。

 恋愛相談なんて大それたことはできないよ、と笑って断ることだって、できたはずだ。

 それなのに俺は桜のためだと思って、一言言ってしまった。

「思い切って告白してみればいいんじゃないか? あいつ、人の好意には疎い方だから」

「へぇ、そうなんだ……でも、わ、私、告白なんてしたことないよ……!」

 焦り、あわあわとする桜の頭を俺はぽんぽんと優しく撫でた。

「焦らなくても、桜なりの告白でいいんじゃないか?」

「そ、そっか……」

 考えてみるね、と言ってから、桜は俺にぺこりと頭を下げた。大変参考になりましたと。そんなに大したことは言えなかったけれど。




 そんなあの日を俺は思い出すたびに後悔する。

 もっと最善策があったはずだ。少しずつ距離を縮めて、物語みたいな、陳腐でもいい、ハッピーエンドの方法があったはずだ。

 桜が傷つき、死なない方法があったはずだ。その後友人が人格が割れるほどに苦しむこともなかったはずだ。

 きっと、俺のせいじゃないと二人は言うだろうけれど、それでも俺を苛む後悔は止んでくれないから。






 夏。全国大会にまで駒を進めた俺たち。最後の決勝戦だ。それは中学生として最後という意味でもあった。

 桜は誰よりも努力した。努力したが、ついに最後の最後まで練習試合にすら出ることはなかった。一方、一年からずっと友人は当然のようにレギュラーの座に座り続け、決勝も友人の実力で引っ張り上げたようなものだ。

 学校として初優勝。そんな圧すら感じていないほど、友人は冷静だった。冷めていたとも言えるだろう。

 俺は勘違いをしていた。友人は俺の真似をした結果、こんな性格になった。そう思っていた。だが、本質は違う。

 俺の真似をしたとしても、性格まですっかり真似たら、それはもう友人ではない。友人が真似たのは口調だけで、それが友人の心境の変化と共に進化を遂げて、今の友人になっている。

 そんな簡単なことすら俺はわからなかった。




 決勝の直前、桜がちょん、と俺の裾を引いた。振り向くと、照れくさそうにはにかんだ顔。もうそれが自分のためでないことは重々承知していたから、もはや何も思わない。ただ用件だけを訊く。

「どうしたの?」

「……しようと思うの」

「何を?」

「告白」

 答えははっきりとした声で返ってきた。桜も腹を決めたということか。

「この決勝が終わったら、私、柊くんと話してみる」

「そう……」

 肝心の友人が桜をどう思っているかなんて俺は知らなかった。知らない方がいいと思った。桜の思いの妨げになるかもしれなかったから。

 俺は何と声をかけたらいいのだろう、と少し考えた。頑張れ、とか、応援してる、とか、そんなありきたりな言葉でいいのかな、と悩んだ末。

「……いってらっしゃい」

 それだけ告げた。桜は満面の笑みでありがとうと告げて、応援席に向かった。






 まさかこれが最後の会話になるなんて、思いもしなかった。






 初優勝。あんまり感慨が湧かないのは、その優勝をもぎとった友人が、何の感動もなくそれを受け入れていたからだろう。

 三年間の集大成となる試合で全国大会優勝。かなりいい終わり方だ。だが、友人には感動も何もなく、我らが卓球部代表として優勝トロフィーを授与されていた。優秀選手賞も授与されていたが、友人の顔には、やはり何の感情も浮かんでいなかった。

 果たして友人はこんなに感情が希薄な人物だっただろうか、と思いながら、俺は観衆と一緒に拍手を送っていた。

 ふと、気づく。

 桜の姿がない。

 どこに行ったんだろうと思いながら閉会式を終える。どうやらレギュラーでもなく、試合に出てもいない生徒の不在など教師は気にしないようで、薄情なものだ、と思った。

 居場所を知っているんじゃないだろうかと思われる友人に訊くと、桜は帰ったという。

 何故かわからないが、胸騒ぎがして、俺は顧問に止められるまで桜を探して回った。

 顧問には具合が悪くなったと言ったらしい。

 普通に見えたけどなぁ、と首を傾げながらも、俺も素直に帰ることにした。




 よくよく考えれば、察せることだった。

 友人に告白する、と宣言したのが桜の最後の言葉だったのだから、


 その結末が、どうなったかくらい──






 翌日、今日は休みのはずの部活から連絡網が回ってきて、学校に緊急招集された。しかも、運動着ではなく、制服で来い、と。

 俺は昨日から胸をざわつかせるものの正体が近いような気がして、急いで支度をした。夏の暑いこの時期、制服の学ランはさすがに羽織らない。俺は半袖シャツに黒いズボンで学校に向かった。上着も持ってくるように、という通達に奇妙な違和感を感じた。

 学校に着き、卓球部の活動場所である体育館ギャラリーに向かう。そこに集まる生徒は戸惑いを隠せない様子で、どこか落ち着きがなかった。

 そんな中、唯一冷静な眼差しの友人に歩み寄り、何なんだろうな? と問いかけた。俺も胸騒ぎがある分、落ち着けなくて、気を紛らすために友人に声をかけたのだが、友人はさぁ? と軽く首を傾げただけで、そこで会話は終わってしまう。俺は(こうべ)を巡らせ、大体全員が集まったのを確認した。大体というのは、ただ一人、来ていない部員がいたからだ。

 桜 なのは。誰よりも卓球を愛し、卓球部を愛していたはずの少女だけが欠落していた。その欠落が、俺に漠然とした不安を抱かせる。いつかの秋に抱いたような不安だ。

 俺がその不安の答えに気づくより先に、重々しい足取りで顧問が入ってきた。その表情は暗い。そして黒いスーツに黒いネクタイ。……俺は宮城 神楽を失ったときのことを思い出した。黒い衣装は喪服だということ。

 喪服を着ているということは、誰かが死んだということ。




 前置きもそこそこに、先生は暗い声でその死んだ「誰か」の名前を口にした。

 え、とか、そんな、とか、嘘でしょ、とか、色々な声が聞こえた。仕方ないだろう。その名前は大きな影響をこの部に与えていたのだから。

 誰にとっても印象深い人物だったはずだ。卓球はできないけれど、知識が豊富でサポート上手で、優しかった、




 桜 なのはという人物は。




 桜は昨日死んだ。自殺したらしい。今時珍しくもないだろうか、リストカットという方法で。

 あれって本当に死ねるんだな、というのが率直な感想だ。リストカットはやったことはあるから知っている。死ぬためにやったことはなかったけれど、死にたいと思ってやる場合が多かったと思う。

 痛みがじりじりと手首を蝕み、赤く刃を染める。血は恐怖の象徴で、痛みもまた、恐怖の象徴のはずだ。きっと、手首を切った桜は、痛くて怖くて仕方なかったにちがいない。けれど、そんな思いをしてまで死にたいと思ったことにもちがいないだろう。他人の感情を否定することはできない。自分はその人になれないのだから。




 そんな小難しいことを考えて、俺は現実逃避を試みていた。桜の家は学校から近い。学校に集合した卓球部一同は葬式に参列することになった。他にも同じ制服を着た連中がいた。クラスメイトだ。なんとなくだが、桜と他愛のない話をして笑っていたような、そんな顔が集っている。

 誰かが言っていた。葬式で涙を流す人の数はその人がどれだけ慕われていたかを表す云々。

 俺は十五年ほどの短い人生の中で、二度目の葬式となった。まだ以前参列した葬式のときの記憶はある。後輩の手本となるよう、知る限りの礼儀作法で臨んだ。

 遺影の桜は花のように笑っている。桜らしい。まあ、大抵遺影に選ばれる写真は笑っているのだろうけれど。

 俺はそれを痛ましく見上げた。ずきずきと胸が痛んだ。けれど、涙を流すことはしなかった。俺が桜を慕っていなかったからではない。俺が涙を流すには、後輩たちが泣きすぎていた。それを宥めることに時間を割いた。桜が死んだという事実にとても平常心を抱いてはいられなかったけれど、俺が泣くのは後でいい。

 ……今泣いてしまうと、余計なことまで口走ってしまいそうだった。桜、好きだった、とか。臆面もなく、そんなことを叫ぶクラスメイトもいたが、俺にはそんなに簡単にはできなかった。俺は好きだと叫ぶには桜のことを知りすぎていたし、桜が誰を好きだったかも知っている。




 大勢が手を合わせていき、顧問が涙ぐみながら、今日は突然召集してすまなかったという旨と、しばらくの休部宣言をすると、解散、と告げた。涙を流すもの、こらえるもの、嗚咽するもの、様々いたが、ゆっくりと帰っていく。

 そんな後輩たちを見送り、俺はその場に留まっていた。ようやく感傷に浸れる時間になった。だが、俺は涙を流さなかった。いや、涙を流すよりも気にかかることがあったのだ。

 不自然なまでの友人の無表情。

 友人はずっと俺の隣にいた。暑い学ランを着て、桜の家まで歩いて、葬式に出て、終わって、みんなを見送って──ずっと傍らに、友人はいた。全て無表情で行っていた。

 友人にだって、思うところはあるはずだ。三人で休日に自主練をするような間柄だったし、距離感も近かった。俺ほどでないにしろ、何かを感じているはず……と思ったのだが、人気がなくなっても、友人の表情は不自然なまでに崩れない。何も言わない。後輩たちにも黙礼するだけだった。

 だいぶ人のいなくなったところで、心配になって顔を覗き込んでみる。しかし、まだ無表情のままだ。涙をこらえているというわけではないようだ。

 俺が友人に問いかけようとすると、そこへ桜の母親がやってきた。桜に面差しが似ていて、俺はそっと目を逸らした。

 俺には構わず、桜の母親は言う。

「柊 友人さんというのはどなた?」

「……俺です」

 ようやく口を開いた友人は表情とは全く異なる、感情が入り乱れたような声で答えた。喉にせり上がってくるものをこらえるような、悲しみのような、後悔のような、懺悔のような──後悔? 懺悔?

 何に友人は後悔して、何故友人は懺悔する?

 疑問が渦巻く俺の前で桜の母親が友人に手紙のようなものを渡す。友人は何も聞かずにそれを受け取り、さらりと目を通し、それから絞り出すような声で呟いた。

「やっぱり……」




 俺ははっとする。

 友人の眦から透明な雫が零れていたから。

 友人がここで感情を露にした。その引き金となった手紙とは一体。

 俺が訊ねるまでもなく、友人は俺にそれを見せた。そして、俺は……




 やがて、ぐしゃりとその手紙を握り潰す。




「友人、お前……」




 自然と声が低くなり、剣呑な空気が流れるのがわかった。脇で見ている桜の母親が不安そうにするのも構わず、俺は友人の襟首を掴まえて、問う。


「お前、桜になんて答えた?」


 友人は顔を逸らした。答えなくても、答えはそこに書いてあった。




 昨日、桜と友人が話をしたのは知っている。

 どういう話をしたのかは知らないが手紙に書かれていたのは話した内容について語ったものだろう。

 桜はおそらく踏み切れず、例え話でもしたのだろう。それに対し、友人は、意味を汲み取ったか否かに拘わらず、こう答えたらしい。






「大嫌い、って言ったんだ」




 掠れた友人の声に、事実を再認識すると、俺の体は勝手に動いた。

 がっという鈍い音がする。手が痛いが、仕方ない。俺は、友人を殴ったのだから。




「その一言が、桜をどれだけ傷つけるのか、考えなかったのか、お前は!?

 ……何も知らないくせに!!」


 俺は友人を乱雑に放り、その場を去った。

 何も知らないくせに、桜を傷つけた友人を許せなかった。




 傷ついた桜に気づかず、救えなかった自分も許せなかった。






 涙は渦巻く怒りで蒸発した。



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