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MEMENTO MORI  作者: 九JACK
side Haruto
30/40

梢は風に揺れて-Ⅲ-

 六年生になった。

 クラス替えがあり、教師の計らいか、俺と友人は同じクラスになった。計らいであれば、嬉しい。

 クラスメイトもほとんどが変わっていた。この辺りの地区は子どもの人数が多いから、進級ごとにクラスメイトが被らなくていいかもしれない。毎年名前を覚えるのは億劫だが、それは贅沢だ。

 当たり障りなく、一年を過ごして行こう。別にクラスには自分から干渉する必要もないはずだ。そう決意を固めたところで気にかかったのは、友人の方だ。

 噂は、去年までほどほどに遠かった俺のクラスにまで届くくらいのものだ。もしかしたら、友人は去年と同じクラスメイトがいるかもしれない。

 案の定、始業式明けから、暇なやつが友人に絡んでいた。

「なんでいるんだ?」

「お前、不登校だろ?」

「もしくは問題児の特別クラス」

「教室違うんじゃね?」

「うっわ恥ずかしー」

「出てけよ」

 がっと席を立つ。

「何してんの?」

 馬鹿? 死ぬの?

 浮かんだ罵詈雑言は声に出さずに押し留める。唐突に割り込んだ闖入者の俺に新しいクラスメイトはきょとんとする。

「誰? お前」

 わざわざ名乗る気もしない。

「どっかの誰か。出席簿でも見せてもらえば?」

 帰ろうぜ、と友人の手を引き教室を出る。

 刃はそう簡単にはなくなってくれないんだ。


「悠斗くん」

「ん?」

 帰り道。まだ葉のない銀杏並木を歩きながら、珍しく友人の方から声をかけてくる。

「悠斗くんはどうしてそんなに強いの?」

「強い? 俺が?」

 疑問は反射だった。誰でもそうだとは思うが自身を"強い"と思っている人はあまりいないんじゃないだろうか。

 俺も例に漏れず、故に友人の言葉は疑問だった。

「強いよ。だって、あの人たちから僕を守ってくれた。今まで誰も、手すら差し伸べてくれなかったのに。……ううん、違うね」

 ぱし、と友人は俺の腕を掴んだ。

「悠斗くんは、僕の取りたいと思う腕を持っているんだ」

 友人の手は肘の少し上を掴んでいた。俺はいつからかお気に入りのワイシャツに薄紫のカーディガンだ。カーディガン越しに伝わってくる友人の体温。……温かい。

 取りたいと思う腕──友人の言葉を反芻する。自然、俺の視線は俺を掴む手に注がれた。

 違うよ、友人。俺も、俺だって、取りたいから、お前の手を取ったんだ。そんなに綺麗な理由じゃない。紫苑と重なったお前をなくしたくなくて。

「お前の方が強いよ」

 俺は胸の中に凝る思いではなく、別の言葉を紡いだ。

「お前はもう何年も、あれに耐えてきたんだ。俺程度、足元にも及ばないよ」

 誤魔化したんじゃない。これは本音だ。

 もっともっと奥に、口にするには恥ずかしい本音を仕舞っておく。

「そんなことない。悠斗くんは僕を救ってくれたもん。僕の話を聞いてくれる。僕の側にいてくれる。僕がいることを許してくれる。形のない暴力にも抗えて、僕みたいに[死のう]なんて考えたりしない……とても強い人だよ」

 嬉しかった。

 悲しかった。

 友人と自由に語らえるのは嬉しい。友人が俺を認めてくれているのも。

 けれど、誤解だ。たぶん、俺のこれは偽善。偽善が言い過ぎなら、俺はただ、似たような目に遭ったから、どんなに辛いか他の人よりわかるだけだ。友人が本当に死のうとしたのを見たからわかるだけなんだ。

 だから俺は偉くもなんともない。きっと、同情なんだよ。俺と同じ名前で、俺より酷い仕打ちを受ける[ユウト]への。

 やっぱり、偽善じゃないか。

 悟ると尚更悲しかった。

「俺をそこまで認めてくれるなら、嬉しいよ」

 だから偽りは言わない。少し本音を隠すだけ。

 ……やっぱり、誤魔化しているなぁ。

「僕は悠斗くんみたいに強くなりたいよ。どうしたらなれるかな?」

 ある種、突き抜けた考えだった。

 でも、紫苑色の瞳はどこまでも透明で真っ直ぐだった。それに偏屈な答えは返せなかった。

「さぁ。自分がどうして強いのかなんて考えたこともないし、どうしたら強くなれるかなんてわかりやしないよ」

「そっかぁ」

 友人が少し残念そうな顔をする。翳る横顔に罪悪感を覚えた。言ったのは全部本当のことだから、悪いところなんてないはずだけれど。

 俺はどう言葉を次いだものか悩む。だがそれを知ってか知らずかわりとすぐに友人は顔を上げた。

「そっか。手っ取り早く、真似をしてみよう」

 あっさり放たれた案に俺はこてんと首を傾げた。

「真似って……俺を?」

「うん。あ、僕も[僕]じゃなくて[俺]って言ったらいいのか」

 俺、俺、と何度か確かめるように繰り返し、友人は満足げに笑った。

「俺、頑張るよ」

 そんな友人にその人称は合わない気がした。


 ところが不思議なもので、何ヵ月か使うと新しい一人称はあっさりと馴染む。秋の頃にはすっかり友人の人称[俺]は定着していた。

 秋。色づく銀杏を見て、ああ出会って一年か、とぼんやり実感する。

 家の庭には片隅に今年はちゃんと薄紫の花が咲いた。母さんも抜くような真似はしなかった。

 密かに咲いた花のことを嬉しく思いながら、俺は友人を見る。当初抱いた花のような儚さはもう見えなかった。

 いじめは続いた。けれど友人はその全てを無視した。無視することができるようになったのだ。

 友人が春に望んだとおり、俺に似てきたのかもしれない。心無し、語調が被っている気がする。紫苑のような友人が好きだった俺はちょっと……寂しいかもしれない。でも、友人の傷が少ないのならいい。

 複雑だなぁ。

 庭の片隅の花をつつき、俺はほろ苦く笑った。

 俺が忘れなければいい。覚えていればいい。あんな友人もいたんだ、と。弱くて脆い紫苑の友人が。

 俺だっていつの間にかあんなに苦しかった神楽の死を乗り越えてしまっている。そんな風に変わってしまっている。そう、人は変わるんだ。意外と簡単に。

 でも、忘れないでいれば、それはなかったことにはならないし、意味のないことでもなくなる。

 忘れない。

 それは俺の信念とも言える言葉だった。



 忘れないということはどうしてこんなに胸を突き抜けるのだろうか。

 俺のたった一つの決意は、信念は、矜持は、いつも俺を苛む。

 それでも、忘れないよ。忘れられないし、忘れたくないんだ。

 桜──

 あの日、君は笑っていたんだから。


 小学校の卒業式のことはほとんど覚えていない。出たのかどうかすら覚えていない。

 ただ六年生の後半は友人と一緒に必死に勉強して、中学は少し遠いところに行こうって、受験を受けた。

 小高い丘の上にある学校。風通しがよさそうだ。

 友人も気に入ったようだった。桜の木がグラウンドを囲っていて「春になったら綺麗だろうな」と微笑んでいた。

 覚えているのはそれくらいで最後の小学校での生活は全く印象に残っていない。楽しかった記憶なんかない。


「どうして、あんな遠い学校を選んだの?」

 入学式の日、母さんが問いかけてきた。ずっと思っていたのだろう。ただ、まだ少し迷いの残る顔でのコメントだった。

 うーん、と曖昧に応じる。グラウンドを横切りながら、何気なく木々を見回す。ドラマやアニメのように入学式に都合よく花が咲く、なんてことはなかった素っ気ない景色。

 母さんや叔父さんにはいじめのことは話していなかった。だからやっぱり、本当のことは誤魔化すしかない。

「桜が……綺麗だって言うから」

 曖昧さを拭い去るように風が梢を揺らした。


「まだ蕾だな」

 友人が校庭の桜を見やる。確かに、桜はまだ固くその蕾を閉ざしている。

 放課後、鞄を持ち、帰り支度を済ませて去ろうとしていた。

 昇降口は体育館の入口と向かい合っていて、涼しい風が抜ける。花の咲かぬ梢が揺れる。

「あと一週間もしたら、咲きますよ!」

 不意に聞いたことのない明るい声がした。振り向くと知らない女子生徒。

 風に靡く髪を押さえた少女。こめかみのところを押さえて、こちらに微笑んでいる。何か小さいラケットケースを抱えていた。

「山桜もありますから、全部咲き揃うのはもう少し遅いかもです。では!」

「あ、君」

 制止も聞かず、体育館の方へ走り去っていく少女の髪飾りに桜の花が咲いていた。

「へぇ、山桜か。それじゃ遅いよな」

 友人が無表情に呟いた。

 けれどその言葉は右から左へと流れて。

 少女の笑顔だけが鮮烈に脳裏にやきついていた。

 少女の頭に見えた桜がちらちらと瞼の奥で瞬く。


 風が梢を揺らした。




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