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MEMENTO MORI  作者: 九JACK
side Haruto
29/40

梢は風に揺れて-Ⅱ-

 なんだか、ややこしいことにしてしまった気がする。

 放課後、銀杏並木を一人で歩きながら思った。普段ならまだ日のあるうちに帰るのに、見るともう沈みかけている。これから友人の家には行くつもりだから、一応学校の公衆電話で家に連絡しておいた。

 いじめについて、友人について、自殺未遂について……色々訊かれた。校長先生も交えて。解決するかどうかはわからない。けれど、話を聞いてくれる人が現れた。それだけでも充分な気がして、俺が知っていることは全部話した。迷ったけれど、自分のことも話した。

 突き飛ばした教師のことは知らない。だが、乱暴な振る舞いは控えるようにとたしなめられた。

 帰っていいよ、と長々とした説教のような尋問のような時間は終わり、友人への届け物を預かったのは本当に日暮れ頃。図書室の閉館時間は過ぎていたが、図書室の先生が気を回してくれたようで、鍵は開いていた。黒いランドセルを背負い、友人への届け物を抱えて出て、今に至る。

 銀杏はもうほとんど葉を散らしていた。秋はもう終わり、肌寒くなってきた。気づけば今年ももう一月しかないのか。

 母さんに電話をしたら、「友達ができたの。よかったわね」と興味があるのかないのか計れない淡白な答えが返ってきた。「なら、年末年始は友達と遊んだりするのかしら?」と訊いてきたから、一応関心事の中には含まれているのだろう。

 友達と遊ぶ、か。考えてもみなかった。いじめが始まってからこっち、人との関わり方なんて考えたことがなかったんだ。

 もっと考えていたら、神楽とは仲良くできたかもしれないのになぁ、と自虐的な笑みを浮かべる。視線を落とすと、黄色い葉がかさかさと音を立てて踏みしめられた。他にもたくさんの人が踏んでいったのだろう。土色に汚れている。

 ひゅう、と冷たい風が横から来た。黄色い葉を何枚かさらっていく。風はそのまま空へ舞い上がり、梢を揺らした。

 友達と遊ぶ。そういえば、友人の親とはどんな人なのだろう? 母親は亡くなったと聞いているから、父親と二人暮らし……なのか? 兄弟はいるのだろうか。うちの叔父さんのように親戚がいたりするのだろうか。

 [死ぬな]と言った友人の父さんは、どんな人なのだろうか。

 緊張してきた。けれど呼吸を整える間もなく、家に着いてしまう。

 [柊]と簡素に彫られた石の表札。呼び鈴を押すと、ぴんぽん、とちょっと電子的な音が響いた。

「はぁい」

 若い男の人の返事の後、がちゃりと扉が開く。温和そうな背の高い男性。なんとなく、この人が友人の父親なんだと察した。

「こんばんは。橘 悠斗って言います。友人くんの友達です。友人くんが今日お休みだったので、プリントとかを届けに来ました」

「おや。上がって」

 友人の父さんはすんなり通してくれた。

 中はこざっぱりしていた。整理整頓されていて、適度な明かりのあるリビング。四人掛けのテーブルがあったり、本棚があったり。どこにでもありそうな一般的な家だ。

「あの友人くんは……」

「部屋で休んでいるよ。呼んで来ようか?」

「いえ! ちゃんと治るまで休まないと。でも、ちょっとお話を伺っても?」

 友人の父さんはきょとんと「私にかい?」と聞き返す。俺がこくりと頷くと、椅子を勧めてくれた。

「お茶を淹れるよ。あ、ジュースの方がいいかな?」

「いや、お構い無く。話っていっても、そう長いものじゃありませんし……あの」

 少し、詰まった。

 何を言おうか、迷っていたわけじゃない。言って、いいのだろうか。

 迷いは消えない。窓の外に見える木が風でゆらゆらと揺れていた。だが、不意に風が止み、梢は止まった。

 今だ、と意を決して口を開く。

「手を……合わせても、いいですか?」

 俺の発言に友人の父さんは息を飲む。静かな衝撃をもたらしたようだ。

 だが、ほどなくして、梢は再び揺れ動いた。

「こっちだよ」

 友人の父さんはある扉の前に案内してくれた。扉には持ち主を表すと思われる札が裏返してかけてあった。

 しゃらん、と確かめるように札の裏側を見てから、どうぞ、と扉を引く。きぃ、と小さく軋む音がした。

 中は他より少しだけ埃っぽかった。部屋に入ってすぐ脇に、仏壇がある。仏壇は整えられているがそれだけで、線香も蝋燭も、全く手がつけられていなかった。

 戸惑いながら、神楽のときを思い出し、蝋燭を立て、火を点ける。線香の先に火を当てれば、ふわりと独特の香りが漂う。

 綺麗な更地の灰の中には線香は立てやすかった。作法などはよく知らないが、三本を立て、かねを鳴らす。かねの音が室内に響いた。

 不思議なことに仏壇には友人の母親らしき人物の写真がなかった。部屋が全体的にうっすらと埃を被っているような気がする。リビングはあんなに綺麗なのに、と思いながら、火を消して部屋を出た。

 部屋の外で友人の父さんは待っていた。

「ごめんね。私も友人もまだ家内を失ったことから立ち直れていなくて……碌に掃除もできていないんだ」

 いえ、と(かぶり)を振るくらいしかできなかった。何も言えるはず、ない。聞いたのが間違いでなければ、友人の母親は自殺だから。人が死んだだけでも悲しいのに、自ら命を絶たれたら……想像もつかない。

「家内が死んだ部屋なんだよ」

 友人の父さんは説明した。友人の母親は自分の部屋で自殺を図った。以来、友人も友人の父さんも、自分でその部屋に入ることはほとんどないという。どうにか友人が夏休みに片付けて、お盆くらいはきちんとするが、客が来るわけでもないから、とほろ苦く笑いながら友人の父さんは語った。

 ありがとう、としっとりとした声が言った。

 リビングに戻ると、友人が下りてきていた。寝間着姿で、少し顔が赤く、ぽやんとしている。

「や、悠斗くん」

「友人! ちゃんと寝てなきゃ駄目だろ!?」

 いつもよりいっそう儚げに見える友人に慌てて駆け寄る。ふらっと倒れかけた肩に触れるとほんのりと温もりが伝わってきた。

「まだ熱あるじゃんか」

「え、でもお客さんが来たと思って」

「お客さんは俺なんだから、気を遣わずに休んでろって。プリント届けに来ただけだ」

「でも」

 譲ろうとしない友人は言葉を次ぐ。

「お線香、立ててくれたんでしょ?」

 かねの音か。

「すまん。起こしたか」

「ううん。悠斗くんこそ、気を遣わないでよ。ありがとう」

 とりあえず、友人を手近な椅子に座らせる。

 俺も座ると友人の父さんが飲み物を取りに台所に立った。友人が、僕がやる、と立ちかけたのを押し留めて座らせる。簡単に今日持ってきたプリントの説明をした。ほとんどが宿題だ。支障はないだろう。

 しかし、友人は俺に訝しげな目を向けてくる。

「……何かあった?」

「え?」

 不意打ちの問いに心臓がどくりと跳ねる。今日、職員室であったことについては話すまいと思って何も言っていないはずだが。

「なんか、浮かない顔だから」

 鋭いことを言う。

 昼間やったことを少し後悔していた。昼間の怒りの爆発は果たして友人のためになることだっただろうか。ただの俺の独り善がりだったのでは? 言うだけ言ったはいいけれど、友人の状況をよくすることになったのか? むしろ気まずくしてしまったんじゃないか。

 何か、友人の力になりたい……それはいいことだったんだろうか。

 そうぐるぐると考えて、結局曖昧な笑顔で誤魔化した。

 誤魔化されるのはあんなに嫌だったのに、俺は平気で誤魔化すんだ。……卑屈な笑みになったかもしれない。



 翌朝。早くに俺は出た。各家に微かに動きがあるけれど、まだ誰もいない朝六時。いてもせいぜいランニングとか散歩とかをする大人、朝練のある学生くらい。登校目的の小学生なんて、いないだろう。

 何故こんな時間に道端を歩いているかといえば、友人のためだ。

 いや、友人のためというと少し違う。──友人の机を見に行くためだ。

 現実を見なくては。

 そんな思いが俺を駆り立てていた。

 昇降口が開いてすぐ、俺は自分の教室に行くより先、聞いていた友人の教室に足を踏み入れる。当然、まだ誰もいない。

 友人の席はすぐにわかった。教室に入って、すぐに目に入ったのだ。秋桜の紫が。花瓶に生けられたいとも容易く手折れそうなその花は、友人の席にじっと佇んでいた。半ば時期を過ぎた花だからかもしれないが、少し萎れていた。紫が一枚(ひとひら)、茶色の上に散らばっている。

 花は美しいのに、それでも怒りは沸いた。その行為の意味を理解していたから。

 俺は花瓶を叩き割りたい衝動を抑え、ひったくるように花瓶を手にした。近くの流しに水をぶちまけ、花を抜き、花瓶を丁寧に、神経質なくらいごしごしと洗った。持っていたハンカチで水滴を拭く。教室の隅にある棚の上に戻した。

 秋桜を胸に抱いたまま、もう一度、友人の机を見る。目に飛び込んできたのは──


「なんで生きてるの?」

「なんで生きていられるの?」

「なんでこの机あるの?」

「邪魔」

「消えればいい」

「さようなら」

「あはは」

「なんで学校来んの?」

「なんで来れんの?」

「その神経がわかんない」

「ねぇねぇ教えて」

「ええと」

「誰だっけ?」

「まあいいや。名無しくん」

「ねぇねぇ名無しくん。教えておくれよ」

「ねぇねぇねぇねぇねぇ?」


 てらてらと光を返すほどに机を埋め尽くすセロハンテープ。流麗な字、丸い字、角ばった字、乱れた字、ふにゃふにゃな字、殴り書きの字、汚い汚い黒い文字たち。

 整列のようでそうでもない、本当に適当に貼ったのであろうセロハンテープの文字は、毛虫よりも醜かった。

 どうしてこんなに人は醜い? たかが噂一つで、どうしてここまで一人の人間の存在を否定できる。

 花を踏み散らかすように。

 母さんが引き抜き、散らした紫苑の花が浮かぶ。

 紫苑の色は、友人の瞳に重なって。


「父さんとの約束、ちょっと破っちゃったな」


 瞼の奥で友人が呟く。

 紫苑色の残影が、自らを切り裂く。

「……っ!!」

 べりり。

 耳をつんざく、テープを剥がす音。思った以上の音量で鼓膜を叩いてくる。べりり、びりり、べらっ。びいぃぃぃ、びりっ。べっ。びぎぃぃぃ。

 その雑音は書かれたことに見合った分の不快さを伴っていた。

 机の茶色い塗料が少しだけ移ったテープがあった。汚い。

 土色に見えた。

 花びらを汚す土色に。

 なんだか机まで憎たらしくなってきた。

 沸々となかなか絶えない怒りを覚えながら、片隅で冷たい自分もいた。何を馬鹿馬鹿しい。こんなのにいちいち神経を削るんじゃない、と。

 こんなちっぽけな抵抗が何になるというんだ。友人が少しだけ、悪口を、同い年の持つ凶刃を見ずに済むというだけじゃないか。たった一日、たった今日一日だけだぞ? 今後も同じように続けるつもりがないのなら、むしろお前は残酷だ。

 俺が俺を責め苛む。愚かだと罵る。短絡的だ、阿呆だと。

 もやもやした気持ちを誤魔化すように力任せにテープの残骸をごみ箱に投げ捨て、教室に背を向けた。何かを振り払うように、あるいは逃げるように。

 自分の教室にも行かず、図書室に行くと、入口でばったり友人と出会った。思わず動揺が走るがどうにか最小限に止める。……気づかれなかっただろうか。

「おはよう、悠斗くん」

「おはよう。風邪はいいのか?」

 普通の会話をする。

「うん。昨日はありがとね。おかげでよくなったよ」

「そんな、俺のおかげってことはないだろ」

 言葉の綾だというのは知っている。だから俺も半分冗談のつもりで返したんだ。

 けれど。

「そんなことないよ。悠斗くんが来てくれて、心強かったから。──僕を待っている人がいるってわかったから」

 予想を超えて真っ直ぐに、紫苑色の瞳は俺を射抜いて。

 ──そう、残りの半分は本気だったかもしれない、と思ったんだ。

 待っている人。

 そうだな。たぶん俺は、お前を待っていた。ずっとずっと待っていた。

 お前に会いたかったんだよ、友人。

「……友達だ。当たり前だろ」

 目頭が熱くなったのを誤魔化すように目をそらした。

 あーあ。なんだか友人には誤魔化してばかりだ。誤魔化されるのは嫌いなのにな。

「そっか、僕らは友達……友達なんだね、本当に」

 噛みしめるように確認する友人の顔をなんか恥ずかしくて直視できない。よくそういうことをさらっと言えるもんだと思う。あれ、先に言ったのは俺か。

「ところで悠斗くん、その秋桜は?」

 訊かれて、はっと思い出す。すっかり存在を忘れていたが、友人を苦しめる存在の一部だったものはまだ俺の腕の中にあった。処分するのを忘れていた秋桜。

 投げ捨てて、散らかすのも気が引ける。

「花は、好きか?」

 だから俺はなんでもない質問をして。

「うん」

 花が咲いたように頷く友人にそれを突き出した。

 今日、自分の机に生けられていた花とは知らない友人は無邪気に喜ぶ。屈託なく笑う。花を愛でる。

 俺はそっと、友人に背を向け、先に図書室に入った。

 俺の中の梢を揺らす風は、目の熱までは奪ってくれないようだ。




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