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MEMENTO MORI  作者: 九JACK
side Haruto
28/40

梢は風に揺れて-Ⅰ-

「父さんとの約束、ちょっと破っちゃったな」

 空を見上げて友人が言う。

 つられて見上げると空より近くに銀杏の黄色があった。

「約束?」

 俺が返すと、友人はうん、と上を見たまま応じる。

「母さんがね、死んじゃったときに[お前は死ぬな]って言われてたんだ。だから、僕は父さんのその言葉を守るために頑張ってた。でも、駄目だね。こんなこと、しちゃった」

 友人は軽く包帯の巻かれた手首を持ち上げる。自嘲のように少し笑った。

「悠斗くんが止めてくれなかったら、どうなっていたか。──ありがとう」

 そこまで軽い調子で語っていたのに、最後の一言にだけ、熱がこもっていた。その熱に相応しいだけの真っ直ぐな眼差しを向けられ、俺はなんだかよくわからないけれど、咄嗟に目をそらした。

 秋の風が吹く。ひゅう、と梢を揺らした。


 友達と呼べたかもしれない存在を失って、俺は新しい友達を得た。

 因果関係はないけれど、神楽のことはまだ胸の中をちくちくと刺す。

 図書室で自殺未遂をしていた柊 友人と友達になった。自殺を止めたのと、[ユウト]同士なのをきっかけに。

 学校には未だに[自殺一家の子]の噂が蔓延している。[ユウト違い]の俺も[本物]の友人も、耐えなければならなかった。人の噂も七十五日というけれど、その噂によって根づいたものは簡単に消えてはくれない。

 噂で根づいたクラスの習慣──つまり、いじめだ。俺の方は神楽の死を境にいくらかましになったようだ。少なくとも、あの日のように机がなくなったりはしない。それでもクラスメイトを顔を合わせるのが気まずくて、俺はいつも図書室で過ごしている。

 友人の方は違うクラスだからよくわからないけれど、あまり変化はないらしい。机の上の花が毎日変えられていると聞いた。もはや友人の机は花瓶置きなのだという。他にも机の中やロッカーには砂袋が詰められていたり、机にセロテープを貼られてその上から[出ていけ]だの[来るな]だのと書かれているらしい。朝早く来る友人にだけ伝わるように放課後に貼り、朝のうちに何事もなかったように剥がすとか。随分とご苦労なことで。

 妙に几帳面というかこまめな仕打ちは尚更堪えるようで、最初のうちは自分で剥がして捨てていたらしいが最近はその気力もないと友人は語る。それならば、最初から教室に行かなければいいと思うのだが、友人は「本当に教室に行かなくなったら、終わりだと思うから」と。

 確かに、俺もそんな気がして、毎日一度は教室に行く。だから、反論できなかった。

 俺は銀杏に一旦目を戻し、こっそり友人の方を見やった。友人が言った[父さんとの約束]を思い返す。

 [死ぬな]。それは当たり前の言葉だ。俺も友人にそう言った。自殺を止めた。当たり前だ。だが、それはいいことなのだろうか。

 死にたい。俺も思ったことがある。神楽が死んだとき、頭の中に浮かんだ心境は言葉こそ違ったかもしれないが、要約するとそうなるんじゃないか。紫苑を母さんが踏み散らしたとき、そう思ったから、俺は今左手にリストバンドなんてしているんじゃないか。

 死にたいのに、死ぬなと言われる。だから死ねない。[死ぬな]って言葉は本当はとても残酷な言葉じゃないか? 苦しみ続ける人に対して。特に、友人のような真面目な人に対して。

 何か、悲しかった。


 どうしたら、教室に戻れるんだろうか。

 俺は友人と出会ってから、そう考えて過ごすようになった。

 俺がじゃない。友人がだ。俺の方は周りの状況は大丈夫なんだ。俺に踏ん切りがつかないだけで。考えると、そこはもう俺の気持ち一つでどうにかなる。

 だが、友人はそうはいかない。友人についた[自殺一家の子]のレッテルは簡単に剥がせない。なまじ真実であるだけに質が悪かった。

 母方の一族が自殺者ばかりだからといって、それが何だというのか。けれど、小学生の俺たちはまだ子どもで、それが何だとか、倫理的な論理は何も意味を成さないのだ。むしろそれこそ何なのだとなる。

 きっと、同じ目に遭っていなければ、他のやつらと一緒になって友人をいじめていたかもしれない。その情けない可能性に俺はやるせない思いを抱く。

 どうしたら終わるんだろうか。

 飽きもせず毎日図書室で俺と顔を突き合わせる友人を見て、俺はぐるぐると考えていた。自分のことでもないくせに。

「わぁ、悠斗くん!」

 今日もぼんやりと頭の中でごちゃごちゃと考えていた俺の耳にふと興奮気味の友人の声が届く。興奮気味で大きい声なのだが、少し遠い気がして顔を上げると、友人は図書室のあまり広くないベランダに出ていた。身を乗り出して何か見ている。

 俺の中でかんかんとけたたましい鐘が鳴る。

「ちょ、友人! 何してんだよ。危ないだろ!!」

 慌ててベランダに出ると身を半分乗り出した姿勢のままこちらに振り向く。ん? とこちらを向いた瞳は無邪気だ。……飛び降りようとか、そういう意思はないのだろう。

「悠斗くん、見てよあれ。葉っぱが踊ってる!」

 校庭の端で木枯らしに吹かれる落ち葉を指した言葉に俺は脱力した。何か、心配して損した気がする。

 でも見ると、木の葉が風に舞う様子はなかなか楽しげに見えた。興味とか好奇心が湧くのもわかる。

 だが。

「……寒い」

 木枯らしということは冬が近づいているということで。木の葉が踊るほどというと、結構風は強いのだ。

 図書室の中から出てきたから尚更思うのかもしれないが、このままだと風を引くんじゃないだろうか。

「友人、中入ろうぜ」

 ちょん、と服を引っ張るが、友人は木の葉の舞いに釘付けだ。

「いいなぁ……」

 つい零れてしまったのだろう。その一言を聞いたら、無理に引っ張っていけなかった。

 木枯らしに踊る葉は、楽しそうで、羨ましくて。目に映る憧れを引き剥がしてしまうのは、とても無情なことのように思えた。

 それに、友人の笑う顔なんて、なかなか見られるものではない。窓を見て、うっすら映った自分も笑っているのがわかった。

 俺たちは今、自由なんだ。

「へくしゅ」

 そんなことを考えていたら、友人がくしゃみをした。

 苦笑をこぼしながら、その肩にそっと紫苑色のカーディガンをかけてやる。

「ほら、言わんこっちゃない」

「ふわ、悠斗くん?」

 鼻をかんだ友人がカーディガンに触れ、驚き、振り向く。

 脆そうな光を湛えた瞳は、やはり紫苑の色に見えた。

「ありがとう」

 小さな唇が紡ぐ。何かくすぐったくて、俺は「入るぞ」と友人をせっついた。



 その翌日、友人は学校を休んだ。いつまで経っても図書室に来ない友人のことがなんだか不安になって聞きに行ったのだ。すると、担任によれば風邪で休みらしい。

 絶対、昨日の木枯らしのせいだ、と思いながら去ろうとすると呼び止められた。何だろう? その人は友人の担任であって、俺とは接点のない人物のはずだ。

 するとその人は言う。

「君は友人くんのお友達だね? 友人くんの家に届け物をしてくれるかな? 帰りでいいんだけど」

「友人とは、友達ですけど……なんで俺に?」

 普通、クラスメイトでは? とは思ったが、いじめを受けているあいつに届けてくれるやつなんていないだろう。それならそれで担任が届ければいいと思うのだが。

「どうして俺なんですか? 友達っていっても、家も知りませんし」

「家はね、君の家の近くだよ」

 簡単な説明をして、地図をくれた。だが、質問の答えにはなっていない。

 誤魔化されている気がして、ちょっとむすっとしながらもう一度問う。

「どうして俺なんですか?」

 少し睨み付けるようになってしまったが、仕方ない。誤魔化されないように警戒しなくては。

 友人の担任はぎこちない笑みを貼り付けて固まった。凍りついてしまったようだ。

「先生?」

 呼んでみる。すると

「友達なんだろう? あの子に友達がいて安心したよ。なんだか情緒不安定みたいでね。不甲斐ないことに先生も戸惑っているんだ。だから、よろしくね」

 戸惑っている、ね。

 誤魔化しこそしなかったけれどしっかり風呂敷にくるんでいる。

 要は友人と向き合うのを放棄しているんだろう? 友人がいじめについて担任に相談したというのは聞いている。それを友人の思い込みだとか、適当な理由をつけて突っぱねた。つまりこの教師は友人と関わりたくない──もっと言えば、自分のクラスのいじめを認めたくないんだろう。

 不甲斐ない?

 本当だよ。情けない。大人だ先生だって偉ぶっているくせに、いざというときに頼りにならない。そのせいで友人は苦しんでいるというのに。

 沸々と胸の奥から沸き立つものがあった。

 だんっ!

 気づけば教師の仕事机の上のものが若干跳ね──俺は拳をそこに叩きつけていた。

「何言ってるんですか? あんた担任でしょう? 友人に俺以外の友達いないのなんでかわかってますか? もっと言えば、友人にはクラスに友達がいないんです。それが何故か、考えたことあります? いいや、考えなくてもあんたは知ってるはずだ。だってあんたに友人はちゃんと言ったんだ。言いに来たんだよ。くだらない噂のせいでいじめられているんだって。あんたのクラスにはいじめがあるんだって。そのせいで友人は苦しんでる、苦しんでるんだよ!」

 乱暴に教師の襟首を掴んだ。さすがに小学生の力で大の大人を持ち上げることはできなかったが、キャスター付きの椅子がかたーんと派手な音を立てて転げる。何事かと辺りは騒然となった。

 構わず俺はできる限り教師を引き上げ、目線を合わせて告げた。

「情緒不安定? 不安定だから相談すんだよ。子どもが敵だから大人の力にすがるんだよ。自分ではどうにもできないから! なのに、情緒不安定って、突っぱねて、だから友人が図書室登校になったって、わかってねぇのかよ! 戸惑うって何だよ? 友人の言葉を真面目に受け止めてもいないのにそんな善人ぶったことを言うな! 自分のクラスのことを碌に把握してもいないのに俺に責任を移すな! 友人の家にくらい行くよ。行くさ! 友達だもん。あんたは"よろしくね"って俺に全部丸投げしてるじゃんか。普通は、本当は、あんたがやるべきことじゃねぇのかよ!? 担任なのに、風邪で休んだ友人の心配一つしねぇのかよ、あんたは」

「そ、そんなことは……ただ、友人くんには話しかけづらい空気があって」

「それはあんたが友人の話を聞かなかったからだろう? 後ろめたいからだろう? 自業自得じゃないか。どうして俺がそんなのの尻拭いみたいに使われなきゃならないの? クラスとは無関係の俺が。いいよ。友人は俺にとっても友達だもん。たった一人の、大切な友達だよ。けど、俺がいることが友人がクラスに戻れない理由には絶対にならない! 友人は言ってたよ。友人の机には毎日花瓶に花が生けてあるんだってね。ご丁寧に毎日まめに取り替えられてる。知ってた? 友人は教室に行く努力はしてるんだよ? 朝早く、自分の机まで行って、花を見て、セロハンテープで机にぺたぺた貼って書かれた悪口を見て、やるせない思いを抱えて図書室に来るんだ。それは知らないよな? やってる生徒はあんたにばれないようにセロハンテープを毎日捨てて、取り替えてるんだ。友人が見たのだけは確認して。他にも色々あったはずだ。俺だって全てを聞いたわけじゃない。でもさ、でも……」

 畳み掛けるように紡いだ言葉をそこで一旦澱ませた。今から言おうとしていることが広まったら、友人はまた傷つくんじゃないだろうか。俺もまた目の前の怯えきった教師と同じく友人の苦しみに加担してしまうのではないだろうか。

 ──いや、いい。今、授業のチャイムが鳴った。聞いている生徒は一人もいない。教師だけだ。大人なら少しはデリカシーを持っていると思いたい。

 俺は震えてきた手で襟首を掴み直し、宣告した。

「友人は一度、一度だけ図書室で……自殺しようとしてたんだ。それくらい、それくらい友人は苦しんでんだよ。それでもまだ、情緒不安定なだけだと、どう対応したらいいかわからないと、あんたは逃げ続けるのか?」

 職員室に沈黙が降りた。手が痙攣して教師を支えきれない。そのことを誤魔化すように俺は教師を投げ捨てた。

 教師はどてっとみっともない尻餅をつく。呆然と、何も考えいないように見える黒い黒い目で空をじっと見ていた。

 つかつかと別の教師の靴音がやってくる。硬質な足音だと思ったら、立派な革靴を履いていた。見ると白髪頭の男の人。記憶が正しければ、教頭先生だ。

 教頭先生が鋭い目付きで俺と転がった教師を交互に見た。

「君は確か、五年生の……」

「橘 悠斗です。何か」

「ちょっと、一緒に来てもらえますか? 話を聞きたいんです」

 断る理由はなかった。




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