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MEMENTO MORI  作者: 九JACK
side Honoka
23/40

蕾を貴方に-Ⅱ-

「入らないのか? 桜 ほのか」

「相模さん……」

 あれから数日経って、私は柊先輩のいる病室の前に立っていた。

 正直、どうしたらいいかわからない。会って、いいのだろうか。また拒まれるだけなんじゃないか。傷つけてしまうだけなんじゃないか。……色々考えて、でも、謝りたくて。ここまで来て、私は未だに迷っている。

 そんな時、相模さんがやってきたのだ。

「だって私、来るなって言われてて……」

 躊躇う理由を正直に話すと、相模さんはきょとんという文字が出そうなほど、目を丸くして私を見つめた。

「でも、来たのだろう? なら、遠慮することはない。入っても多分、友人は怒らないぞ?」

「え? でも……」

「それでも気まずいと思うなら」

 反論しかけた私を遮り、相模さんは続けた。

「笑うのをやめろ」

「えっ……?」

「あいつはな、桜 なのはの顔で歪んだ笑みを見せられるのが嫌だったんだよ、きっと」

 私ははっとした。

 そうだ。私は今、なのちゃんの顔だったんだ……

 なのちゃんは、無理して笑ったりしない。苦しいとか、悲しいとか、自殺したあの時以外、なのちゃんは自分の感情を隠したりしなかった。

 だからなのちゃんはいつも可愛く笑えていたんだ。だからなのちゃんは可愛いと言われていたんだ。

 私の中で、この答えがすとんとはまった。

「それに……お前は[なのは]ではないのだろう?」

 更に続いた相模さんの言葉に、私はとん、と胸を衝かれた。

 そうだ。

 自分のいつも思っていたことじゃないか。どうして忘れていたのだろう。

 私はなのちゃんじゃないのだから。

 [ほのか]は素直になれないからって、躊躇う必要なんかなかったんだ。

「そういうことだよ。行ってこい」

「ありがとうございます……! ……でも、どうして相模さんは私の背中を押してくれるんですか? 私は柊先輩にひどいことしたのに……」

 不思議だった。柊先輩のことが好きなこの人が、こんなにも先輩を傷つけた私を勇気づけてくれるのだろう?

 すると相模さんはくすぐったそうに笑った。

「……だって、月が綺麗なんだろう? 友人と見ると、さ……私もそうだからだよ」

 相模さんは少しくすぐったそうに言って、笑った。


 深呼吸を一つ。

 私は静かに扉を開けた。

「ん、誰?」

 柊先輩の声。先輩はベッドの上に起き上がって、橘先輩と話していたようだった。予想していたより声は軽い。

 対して、ベッドの側に座っていた橘先輩は私の姿に言葉を失っている。なのちゃんと同じ顔の私にまだ慣れないのだろう。

「柊先輩……こんにちは、ほのかです……」

 固まってしまった橘先輩の代わりに私は自分で答える。

 私だと知っても、柊先輩の表情は変わらず、予想外にも私を手招いた。

「先輩、この椅子、座っていいですか?」

 ベッドの脇に重ねられている椅子を示して訊いた。緊張が拭いきれていなかったため、変な台詞になる。

「どの椅子かは知らんが、好きにしてくれ。俺は今、何も見えないんだ」

「えっ……」

 返ってきたのは思いがけない事実だった。

 その間に平静を取り戻した橘先輩が、座りなよ、椅子を勧めてくれた。

「……先輩、見えないって……どういう……」

「その前に……ごめんな」

 先輩は多分、私を見ているつもりなのだろう。けれど、焦点は私を通りすぎていた。

 それでもなお、先輩は私に語りかけた。

「お前、ちゃんと謝りに来たのに、追い返して、さ」

「い、いいんです! そんなことっ……私が、先輩に酷いことしたから……」

「ああ、いいよ。俺もこれからお前に酷いこと言うからお互い様だ」

 私は自然と身を固くした。それを察してか、橘先輩がそっと肩に手を置いた。大丈夫だよ、という声が聞こえた気がした。

「俺はもう、お前の知っている[柊 友人]じゃないんだ。多分もう二度と元には戻れない。……ごめんな、ほのか」

 意味はよく、わからなかった。

 でも、柊先輩が何か違うというのはわかった。[ほのかちゃん]と呼んでいた先輩が、私を[ほのか]と呼び捨てにした。

 以前の先輩に戻ったような……でも、悲しそうな先輩の光を返さない瞳に、私は自然と理解した。

「ほ、ほのか……?」

 狼狽えたような先輩の声。自分の手の上に降り注いだもので、私が泣いていることに気づいたのだろう。

「ありがとう、ございます……」

 誤解を受けないうちに、私は言葉を紡いだ。

「ありがとうございます……ちゃんと私に……ほのかに言ってくれて……なのちゃんじゃなくて、私に……」

「な、泣くなよ!」

「嬉しいんです! ……悲しいけど、嬉しいんです……!」

 理解に苦しんでいる先輩に、私は言葉を募る。

「先輩、ごめんなさい! ごめんなさい……! 私、なのちゃんに嫉妬してたんです。その私の独りよがりな思いに巻き込んで、こんなことになってしまって……ごめんなさい!!」

 やっと言えた。

 全て言い尽くせたことに安心して、聞いてくれたことが嬉しくて、さっきの言葉が悲しくて……もう、何がなんだかわからないけれども、私は声を上げて泣いた。ずっと、本当は、泣きたかったから。

 ひとしきり泣いた私に橘先輩がハンカチを貸してくれた。私はそれで顔を拭き、いずまいを正した。

 今なら、言える。

「最後に一つだけ。……もう答えはわかっているんですけど、言わせてください。……私、先輩のこと、好きです」

 どんな答えが返ってきてもいいと思った。でも、優しい先輩はこう言った。

「……ああ。……答えなくてもいいか?」

「……はい」

 ああ、よかった。

「ありがとうございました」

 晴れ晴れとした気持ちで、私は柊先輩の元を去った。


 私は、美容院に行った。

 なのちゃんを真似て伸ばしていた髪をばっさり切った。

 私じゃ、なのちゃんみたいに簪でまとめるなんて器用なことはできなかったから。

 私は、なのちゃんの遺品をいくつか預かっていた。リストバンドと簪、文房具、その他諸々……文房具はまだ使えるものばかりだったから、再利用という意味で使っていたし、リストバンドは自殺未遂の傷を隠すためにつけていた。けれども、簪だけは使えずにいた。

 元々運動部だった私は基本的に短髪にしていたので、髪を結ぶという行為に縁がなかった。それに元々の不器用が災いして、結い上げるのもままならない。

 そんな私が簪でまとめ上げるなんてことができるはずもなく、けれども捨てるのは忍びなくて、ずっと持っていた。

 なのちゃんのトレードマークの桜の簪。

 私はこれを手放そうと考えていた。……別に、捨てたりしない。私より持つに相応しい人がいるのだ。


 髪を切って、すっきりした。なんだか身が軽い。実際、結構伸びていた。肩よりは長かった気がする。それが、今は耳にかからないほどだ。ちょっとボーイッシュだが、悪くない。

 身も心も軽くなって、若干舞い上がりながら、私はある人の家に向かっていた。

 その人の家には一度だけ行ったことがある。なのちゃんの忘れ物を取りに行ったんだ。

 なのちゃんが部活の合宿で忘れ物をしたのに気づいたその人が、翌日に学校で渡すからと伝えてほしいと連絡を寄越した。私はその人に一晩気を揉ませるのは悪いと思って、取りに行った。

 優しい人だ。その人は。少なくとも、私のばっさり切った髪を見て、失恋でもした? とは決して聞かないだろう。

 その人は、一生モノの失恋をしている。

 その人自身は何も言わないけれど、その人はなのちゃんが好きだったんだ。でも、なのちゃんの想い人が柊先輩であることを知っていた。──告白前から失恋していたのだ。

 そんな人に、これを渡すのもどうかな、と迷ったけれど、渡すことにした。

 きっと、誰よりもなのちゃんを想ってくれている人だから。

 ……というのは、実をいうと、柊先輩の受け売りだ。

 私は一度、柊先輩に簪を渡そうとしたが断られ、代わりに彼に渡してくれ、と頼まれたのだ。

 家に着く。

 チャイムを押すと、はい、という聞き慣れた声。

 がちゃ、と玄関の扉が開けられ、一瞬、時間が止まったようにその人は固まる。

「こんにちは、橘先輩」

「ほのか、ちゃん……」

 未だに私の顔に戸惑いを拭えずにいる橘先輩は、私を笑顔で迎え入れてくれた。


「髪、切ったんだ」

 橘先輩は私にお茶を出しながら、さりげなく話題を出した。

「はい。イメチェンです」

「い、イメチェン……?」

「あ、でも、先輩からすると、前に戻ったって感じですか?」

「……そうかも」

 笑顔に少し戸惑いが滲む。私を傷つけないように、言葉を探しているのだろう。

「……嘘です」

「え?」

 先輩にこれ以上気を遣わせるのは悪いと思って、私は早々と本音を明かすことにした。

「本当は、これを渡すために切ったんです」

 白い質素なデザインの細長い箱を先輩に差し出した。

「これは?」

 私は中身を言わず、開けるように促した。

「……桜の……」

 先輩は息を飲んだ。

「君が、持っていたんだ……」

「はい。一応、姉妹ですから。遺品のほとんどは私が」

「何故俺に?」

 先輩は悲しげだった。少し、私は後悔する。先輩にこんな顔をさせたかったわけじゃないから。

「私より、適任だと思ったので。……受け取って、もらえますか?」

 答えはわかっていた。

 先輩が、受け取らないわけがない。そういう人なんだ。橘先輩は。

「……わかった。預かるよ」

 ほら、ね。

 私は卑怯だ。いざというときの殺し文句まで考えていた。[なのちゃんのために]──そんなこと言ったら、橘先輩は絶対に断れない。誰よりも、なのちゃんのことが好きなのだから。

 先輩のなのちゃんへの想いが今も続いていることを、私は柊先輩から聞いていた。俺は一生、桜一筋だ、と橘先輩は言っているのだ、と。

「……橘先輩が私に優しいのは」

 私はふと、聞いてみたくなった。

「なのちゃんと同じ顔になったから、ですか?」

 ばんっ!!

 先輩が、テーブルを思い切り叩いた。

「違う!! 何を言うんだ!!」

 珍しく、先輩が怒った。

「でも、先輩、私にはなのちゃんが好きだってこと、話してくれなかったじゃないですか」

「っ!?」

 なんでそのことを、というような顔をしていた。

「バレバレですよ」

「……」

 先輩は窓の外に視線を逃がした。

「……君を、傷つけたくなかった」

 小さな小さな声で、先輩は呟くようにこぼした。

「桜が死んでから、友人と上手く話せなかった時期があった。俺は、自分勝手な理由を桜のことだしにして誤魔化して、友人を傷つけていた……それを、あいつは、全部受け止めて……だから、俺はもう、誰も傷つけたくないんだ……」

 ぎゅっと叩きつけた手を握りしめ、先輩は続けた。

「君が、桜にコンプレックスがあるのは気づいていた。どうして桜に顔を似せたのか、俺はわからないよ……でも、俺は、今の君を見ると、どうしても桜と重ねてしまう。君はそれが、一番嫌なのに。……わかっているのに、君を傷つけるようなことはできないよ」

 吐露を終えて、橘先輩はほう、と息を吐く。顔には後悔の色があった。……そんな顔、しなくていいのに。

「やっぱり、先輩は優しい」

「いや、だから……」

「優しいから、先輩が与えてくれる痛みになら、耐えられます」

「……え?」

 あーあ、また変なこと言って。

「先輩の痛みになら、耐えられますから……隠さないでください」

 先輩の痛みは、柔らかく痛むけれど、どこか心地よい。

 だから、痛みをください。

「私も大概、勝手なんです。なのちゃんと柊先輩に贖罪したいんですよ。自分が痛みを負い続けることで」

 ううん、本当は違う。

 私は痛みが欲しいだけ。それも、橘先輩のじゃないとだめなんだ。我が儘だから。

 でも、そう言わないのは、私が卑怯だから。橘先輩が断れないような言葉を使っている。どこまでも小狡い人間なんだ、私は。

「……それが、君が選んだことなんだね」

 寂しそうに先輩は笑った。そして、ごめんね、と俯いた。

 先程渡した箱を開ける。中からなのちゃんの簪を出して、無言で私の短髪に差し込む。ささった仕組みは全く理解できないけれど、確かに、私の頭に桜の花が咲いた。

「……ちょっと長さが足りなすぎ」

 橘先輩が苦笑した。

 ふふ、と私も笑みをこぼす。

 この優しい先輩は、気づいているのだろうか。

 私の狂った愛の求め方に。






 いつか私が素直に咲けるその日まで──気づいていてくれるといいな。





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