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MEMENTO MORI  作者: 九JACK
side Honoka
18/40

仄かに光る菜の花畑-Ⅰ-




 桜のことにようやく向き合い、踏ん切りをつけた友人の前に現れた桜の妹・ほのか。

 彼女が姉に、そして友人たちに抱いていた思いとは──?





 私には姉がいた。

 一歳年上の姉の名は桜 なのは。菜の花が好きなお母さんがつけた。

 私は桜 ほのか。名前の由来は[仄かに慎ましやかに]なのだそうだ。お父さんがつけた。

 私は、この名前がことのほか気にいっていた。慎ましやか、いい言葉じゃないか。


 でも、私は嫌だった。嫌になった。

 それは、姉を──なのちゃんを疎ましく思い始めたのと同じ時期からだった。


 私は姉のなのちゃんを[お姉ちゃん]と呼んだことがない。

 年が近かったせいもある。周りの大人もみんな[なのちゃん]と呼んでいたから、知らず知らずのうちに私にもその呼び名で定着したのだろう。

 それは小学校にあがるまでの理由だ。

 そう、小学校に入ってから、私はなのちゃんが嫌いになった。自分が嫌になった。


「あら、あなたがあのなのちゃんの妹さん?」

「妹ちゃん、よろしくね!」

「ああ、なのはさんの妹さんね!」


 誰も私を[ほのか]と呼んでくれない。代わりに私を[なのはちゃんの妹]と呼ぶ。


「妹さん、なのちゃんと違って、運動得意なんだね」

「なのはさんはもっと勉強頑張っていましたよ?」

「なのちゃんみたくもっと優しくできないの?」

「時々不器用なのは、そっくりだね」


 みんな、私を[桜 なのはの妹]としての価値基準でしか見ていない。あるいは[桜 なのはの比較対象]でしかない。

 みんな、なのちゃんの方が可愛いだとか、なのちゃんの方が優しいだとか、なのちゃんの方ができた子だとかいう。

 私はなのちゃんより劣っている、と。取り柄の運動神経でさえ、霞んで見えない。みんな、なのちゃんを褒めて、私を貶す。私が、なのちゃんのいいところを引き立てるためだけに存在しているかのように扱う。私にはそれぐらいしか存在価値がないとでもいうように。

 確かに、二重で目がぱっちりしているなのちゃんは、私より可愛い。性格だって、怪我した子がいたらすぐに手を差し伸べるし、落ち込んでいる子を励ましたり、優しいところがたくさんある。

 肌も綺麗だし、心も綺麗。だから笑った顔がとても可愛い。それだってわかる。

 でも、だから何? それが私までそうならなきゃならない理由になるの? 私は私。普通だよ。なのちゃんは私より少し、気の回る子なだけ。何がいけないの?

 確かに私はそばかすだらけで可愛くない。隅っこで泣いている子にはあまり自分から関わろうとしない。でも、そんなのみんな同じでしょう? なのちゃんができるだけ。

 なんで妹はできないんだ? っていう目で私を見るの?

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌もういやっ……!!

 なんで妹なんて呼ぶの!?

 なんであの子と比べるの!?

 なんで劣っているっていうの!?

 ただ同じ親から生まれただけじゃない!!

 ただ得手不得手が違うだけじゃない!!

 ただ容姿が違うだけじゃない!!!!

 何がいけないっていうの?

 私にどうしろと? 劣っているから妹を名乗るなと? そっちが勝手に呼んでいるんでしょう? 私だって、なりたくてなのちゃんの妹に生まれたわけじゃないわ!!


 がらがらと音を立てて壊れていった。

 私は壊れていることも知らぬまま、あの人に出会った。


「こんにちは~」

 私が中学にあがる前。つまりなのちゃんが中学に入った年の夏に、なのちゃんは二人の男の子を家に招いた。

「……こんにちは。なのちゃんの友達ですか?」

「ああ、まあ」

「ただの部活仲間」

 前者は愛想のいい笑みを浮かべて、後者は何故か仏頂面で答えた。

「そういう君は、もしかしてほのかちゃん?」

「え」

 愛想のいい方が言った。その一言に胸がとくん、とやけに大きく脈打った。

 今、この人、ほのかって……

「あれ? 違った?」

「あっ、いえ、そうです!私は桜 ほのかです!!」

 ぼーっとしていたみたいで、変な答えになってしまった。ああ、なんで上手くいかないんだろう。

「……うん、可愛い子だね」

「へっ?」

「そうだな」

 私は目の前の二人の短い会話に戸惑った。可愛い? 私に言ってくれたのかな?

 それを聞き返す前に、すっと手が差し出された。

「俺は橘 悠斗。よろしくね」

 愛想のいい男の子はそう言って握手すると、もう一人の子を示した。仏頂面に目で促す。

「……俺は柊。柊 友人だ」

 仏頂面の男の子も手を差し出した。

 どちらも、温かい手だった。


 二人はなのちゃんが入った卓球部の男子部員で、しかも同じクラスなんだそうだ。

 なんでも、卓球が上手くなりたいから、なのちゃんに教えてもらうんだ、ということで。

 なのちゃんは運動はからっきしだめだけど、卓球に関しては知識が豊富なのだ。実践はできないけれど。

 なるほど、そういうことね、と私は軽く流した。


 二人はよく家に来た。

 そんなある日のこと。


「ほのかちゃんは、何かスポーツやってるの?」

「バレーボールを。でもスポーツはなんでも好きです」

「……ん、じゃあ、これ」

 橘先輩に答えた私に、柊先輩が卓球のラケットを差し出した。

「……えーっと?」

「友人、言葉足りなすぎ」

「わかってるよ!」

 橘先輩の指摘に少し頬を赤くして、柊先輩は続けた。

「ラリー、やろうぜ。桜はてんでだめだし、悠斗とはやりすぎて飽きたし」

「うわ、飽きたとか酷っ!」

「だって長引くだろ、お前とだと」

「いいじゃん、楽しいし」

「お前、変なとこに打つから疲れるんだよ」

 そんな軽口を叩き合う二人に、私は自然と笑みがこぼれた。

「ふふ、先輩たちって、仲いいんですね」

「まあな。……頼んでいいか? ほのか」

 どきんっ……!

 わかりやすい心臓がびくんと跳ねた。

「はい。よろしくお願いします」

 ラケットを受け取り、なのちゃんたっての希望で家に置かれた卓球台に向かった。

「じゃ、サービス俺からで」

「はい」

 ふわり、と柊先輩の手からボールが放たれる。さあっと空気が心地よく動き、先輩の前髪を揺らした。ぽん、と独特の柔らかい音を立ててボールが弾む。先輩の姿勢はいつも背筋がぴんとしていて綺麗だ。──なんて、見惚れそうになりながら、自陣に一度ついたボールを返す。

 ぽーん、ぽぽーん、ぽぽーん、ぽぽーん、ぽぽーん……

 リズミカルなラリー。卓球は素人である私でもわかるほど、柊先輩は上手かった。

 私がどんなに変なところに打っても、リズムを崩さず、私の打ちやすいところに返してくれる。体育教師でもこんなに上手い人はいない。

 それに……

 柊先輩、綺麗だ。

 元々、整った面立ちをしている先輩だが、普段の仏頂面のせいでその魅力は半減している。けれど、卓球をしているときは、仏頂面なんて微塵も残っていない。とても生き生きとしていて、輝いている。私の下手な返しに反復横跳びの要領で激しく左右に振り回されながらも、涼しげな表情のまま。それがどこか神秘的で神聖な雰囲気を醸し出していた。


「なあ、友人」

手持ちぶさたの橘先輩が話しかけた。

「ん、何」

 柊先輩は興味なさそうに聞き返した。というか、本当にラリーさえできればいいのだろう。柊先輩はばかがつくほど卓球に熱心なんだとなのちゃんから聞いていた。実際、柊先輩の動きには一ミリも乱れはなかった。

「桜のこと、どう思う?」

 すぱーんっ

 妙にキレのあるスマッシュが決まってしまった。あ、と柊先輩は自分の後ろに飛んでいったボールを拾う。

「ナイス! 友人を抜いてスマッシュ決めるなんて、ほのかちゃんすごいね。筋がいいのかな?」

 橘先輩が我が事のように喜んでいるのはわかったけれど、私の耳にはその言葉は全く入ってこなかった。

 桜のこと、どう思う? ──先輩たちの言う桜は、なのちゃんのことだ。

 どう思うって……先輩は、なのちゃんのことが気になっているのだろうか。でも、それを今ここで、私の前で言うの?

「どうって?」

「あー……そっか、そういや、お前は鈍だったな」

「は?」

 不満げな表情をあらわにした柊先輩とは裏腹に、私はほっとした。そういうことか。

 橘先輩が言いたいのはこうだ。

 [桜のこと、好きか?]

 ──なのちゃんは、柊先輩が好きなんだ。

 思えばそうだ。なのちゃんは中学に入ってから、卓球の話ばかり。柊先輩と橘先輩の話ばかりなのだ。柊先輩に負けず劣らずの卓球ばかのなのちゃんは、卓球の上手い二人の同級生、どちらかに惚れても不思議じゃない。

 橘先輩はどうか知らないけれど、柊先輩は、卓球であんなにも輝く人なのだ。なのちゃんがそこに飛びつかないわけがない。

 冷静に、私は状況を把握した。そして把握するごとに、したっと心が凍りついていくのが感ぜられた。

「どんくさいのは桜だろう? なんで俺が鈍なんだよ?」

「ははは……そういう意味じゃないって……」

 橘先輩が乾いた笑いをこぼしたところで、私は飲み物を取りに行くという名目でその場を離れた。


「あ、ほのちゃん。柊くんたちどうしてた?」

 塾から帰ってきたなのちゃんがちょうど入ってきた。

「今は雑談中。さっきまで私、ラリーやってた」

「そうなの? ありがと、ほのちゃん。いっぱい待たせちゃったね」

「今、飲み物持ってくから、なのちゃんは行ってて」

「うん、ありがと」

 立ち去りかけて、なのちゃんがはたと立ち止まる。

「ねね、ほのちゃん」

「何?」

「柊くんと橘くん、どっちとラリーした?」

「柊先輩だよ」

 きらーん、と擬音がつきそうな笑みを浮かべ、なのちゃんがずいずい寄ってくる。

「どうだった? どうだった?」

「どうって……」

「すごかったでしょ?」

 寄ってくるなのちゃんが少し鬱陶しかったが、正直に答えた。

「……綺麗だった」

「でしょーっ!!」

 まるで我が事のように満足げに言うなのちゃん。いつもなら微笑ましいその姿に、今日は何故だか苛々した。

「でしょ、って言われてもね……」

「卓球してる柊くんは格別。普段は普段でいいんだけど、やっぱりあの瞬間が一番きらきらしてて……」

 す、の形になりかけた口を慌てて押さえ、なんでもない、と勢いよく去っていく。林檎みたいに耳まで真っ赤だった。

 ……苛々する。

 私はわざとそのとき、なのちゃんの分だけ飲み物を持って行かなかった。



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