Scene 5 代償の力
東京都。渋谷区内。
ハチ公の銅像が象徴とするその駅前には、多数の人々が横切る大きなスクランブル交差点がある。
(いきなり一人になりたいなんて……咲月が可哀そうよ?)
「今日はこの力の『記念日』だからな。何となく、望郷に浸りたいと思ったんだ」
人ごみの中、京馬は呟く。
「まあ、咲月もヴェロニカと親交を深めたがってたし、女子だけでたまには遊ぶのもいいだろう? それに、あの『監視班』の加奈子もいる。問題になっても、上手く収めてくれるさ」
(そう。まあ、それはいいとして──今回の件。やっぱり、静子が怪しいわね。私の『声』に全く反応が返ってこない)
「そうなのか。あの人には、過去に色々と助けてもらったからな……下手したら対峙する事になると考えると、気が引ける」
(まあ、確定ではないけどね。でも、もしもあの子と戦う事になったら……あの天使共の精神力を全て吸収し、ミカエルの『一翼』を身篭ったケルビエムと対峙した時以上の死線を潜り抜ける事になるわ)
「そうなのか? いや、静子さんの『固有能力』を考えると、そうなるか」
(ふふ。以前よりも少しは思考が働くようになったわね?)
「そうだな。『あらゆる概念に死を与える』……すなわち、その静子さんの精神力を常に上回っている様にしなければ、即死」
(その通り。静子の能力は、このアビスの枝の先端にある世界達の生物に最も有効な能力なの。さらに、この騒動が静子の持つ死者のアストラルを貯蔵する地の一つ、『黄泉』にアストラルを集めているのであれば、その静子の精神力は上昇し続ける事になるわ)
「つまり、早急に事の真意を確かめ、手を打たないと……」
(静子に敵う者はこの世界にいなくなる)
その言葉に、京馬は心の中で息を呑む。
「だが、仮に静子さんが犯人だとして、何故このような事を? 過去にアダムの英雄であるリチャードと関係を持ち、その『生まれ変わり』の桐人さんに固執しているのは知っているが、直接、世界をどうこうする人では無かった筈だ」
(寧ろ、それが理由かもね)
「どういう事だ?」
(あの子の、リチャードへの偏愛は異常よ。もしそんなあの子が、『世界の創造』の事実を知っているのであれば……)
「アダムを滅ぼし、自身の世界に『この世界』を創り変えるつもりか?」
その京馬の問いに、ガブリエルは微笑する。
(ええ。私と京馬君がしようとしているみたいにね)
ガブリエルの言葉に、京馬は心の中で『決意』を固める。
「ああ。それだけは、やらせはしない」
視線を真っ直ぐに呟く京馬は、しかし、途端に動揺の感情で揺さぶられる。
「きーっ! っの野郎! 何で手前だけそんなにモテんだよ、将太!」
「そりゃ、このルックスと女の子への徹底的な立ち回りのおかげですよ。尚吾ぉ。もっと女とヤる事ばっか考えねーで、そこらへんの勉強したらどうだ?」
「うっぜー! 俺は入学当初にやらかしたせいで、最初からラヴラヴ高校生活ハードモードなんだよ! 手前のキープしてる女、分けろ!」
「まあ、そう言うなって。俺にも彼女入るんだし、お前もチャンスが来るさ」
「慎二! お前に彼女がいる事が一番むかつく! カラオケ行った時もよぉ……何度も何度も着信やらメールやらで部屋から出て行くわ……見せつけかっ! この野郎!」
京馬の眼前を横切る、今の京馬の通う制服とは異なった制服を着る三人の男子生徒。
京馬は只、じっと彼等を見つめるだけであった。
目が合い、だが彼等は直ぐに目を逸らし、何事も無かったかのような表情でまた話し始める。
(……そうね。この『力』の対価だったものね。私との完全な同調で私と『融合』した以前の京馬君を覚えている『普通』の人はもういない)
「そうだ。これは、結局は俺が選択した事だ」
告げる京馬は、しかし心の内を複雑な『もどかしさ』で逆巻いてゆく。
「人は何かを得る時、何かを失う……そうですよね。サイモンさん」
呟き、京馬は振り返らずに、その場を過ぎてゆく。
「あ、どうした? 将太?」
「うん? いいや。何か、さっきの奴どっかで見かけたような……」
将太は首を捻り、思慮する。
「いや、気のせいだろ。あんな制服、見たこともねーし。おい、待てよ!」
何やら慎二の話を真剣に聞き込む尚吾に、将太は叫び、駆けて行く。
京馬の苦悩の中、『以前』の友人達は『日常』を謳歌していた。
(何か、嫌なものを見たわね。やっぱり、咲月達と一緒にいつもどおりに基地に行った方が良かったんじゃない?)
「いや、俺がインカネーターでも異端な力を持った代償だ。ある意味では、踏ん切りが付いたのかもな」
(嘘。前にも言ったでしょう? 私と京馬君は既に『一体』なの。私が京馬君で、京馬君が私。自分の『感情』を騙せると思って?)
「……そうだとしても、割り切れないものがある。それが、『人』だ」
(まあそうでしょうね。……分かってる筈なのに、どうして問うんだって? 意地悪なお姉さんでしょう?)
「そうだな。というか、日に日にお前、人間臭くなってないか?」
(それは、こっちも同様よ。どうも、京馬君の考え方が『私達寄り』になってる気がする。これも、『現人神』による弊害かしら?)
「……そうかも知れないな。只でさえ、インカネーターになる事によって、思考が少し変化すると言われているんだ。その中の異端である俺達には、何ら不思議な事ではないか」
(まあ、この世界では初めての存在だからね。数多ある他世界でも稀有な事象だし、多少のイレギュラーは想定内よ)
「思ってないだろう? 全く、自分を騙せると思っているのか?」
(それ、私の台詞)
心の中で、心の中の天使に京馬は笑う。
──良い関係になったものだな。
そう、京馬は思う。
「ねえねえ。道、迷ってるみたいだけど、俺が案内してあげようか?」
「い、いえ、結構です……」
「そんな事言わないで。こんな事言っちゃあれだけど、あまりここら辺詳しくないでしょ? 君みたいな可愛い子が何度もぐるぐる回ってるから、気になってしょうがなくてさ」
「そ、そうですけど……」
「でしょ? ほら、店名教えてよ? 案内してあげるから」
京馬が横切ろうとした公園で、男が女を説得しようと必死に口説いている。
「ナンパだな」
(ナンパね)
呟き、京馬は視線を戻そうとする。
「で、でも! あなたみたいな如何にもな短小包茎そうな一見チャラそうに見せてるだけの中途半端ギャル男はお呼びじゃないんですぅ!」
「……っ! だとぉっ! このアマ!」
「きゃっ!」
「おい、手前ら、止めだ。ちょっとこの勘違い糞女をやっちまおうぜ?」
途端、周囲から三人の男の取り巻きが集まる。
「おいおい……いいんすか、浜松さん。それって、犯罪じゃあ……」
「おい、デブ崎。手前、この俺に口答えすんのかぁっ!? 誰が手前の借金帳消しにしてやったと思ってんだ!」
「へ、へい! すいやせんでしたぁ!」
そう叫び、男達は女の両腕を背中に縛り上げ、近くの車に担ぎこもうとする。
(どうする?)
「分かってるだろ? 俺の『本質』に従う」
呟き、京馬は駆け出す。
瞬間、『アビス』という他世界の概念が供給する超常の力が、京馬の内を駆け巡る。
「まず一人」
「ぐはぁっ!?」
京馬は背中を向けた男の一人に、強烈な浴びせ蹴りを噛ます。
生々しい感触が京馬の足に伝わる。
「何だ、手前っ!」
もう一人、振り被った拳が京馬の顔面に迫る。
「遅いな」
だが、京馬は涼しい顔で、その拳を逸らし、勢いづいた相手の顔面へカウンターパンチを放つ。
「ふぶっ!?」
京馬の放ったパンチは、綺麗に相手の顎にヒットし、ぐらりと相手の意識を飛ばす。
「餓鬼がっ! 死ね!」
次は、車内にあった鉄パイプを握り、振りかぶる男の一撃。
「隙だらけだ」
だが、京馬はその軌道を瞬時に読み取り、横薙ぎの鉄パイプを跳躍し避ける。
その跳躍から男の持つ鉄パイプ上に乗って、駆ける。
「……っ!」
駆け上がりからの京馬が放った蹴りは、男の頭に鞭の様に叩きつけられる。
声も無く意識を失った男は、泡を吹き、倒れ伏せる。
「す、すごーーい……!」
圧倒的なまでの京馬の戦いに、女は口を開け、呆然とする。
「上手く『アビスの力』を制御して、致命傷は避けたつもりだが……」
(思った以上に、『極小』への力のコントロールって難しいわね)
その周囲には、明らかな『かたぎ』ではない者達への高校生の見事な戦いぶりに、驚愕し、集まる人だかりが出来ていた。
「な、何だ……この餓鬼! 内の組の奴らが全滅だとっ!? こんな失態が広まったら……!」
焦燥とした男が、拳銃を取り出し、背を向ける京馬へと銃口を向ける。
だが、それは放たれることは無かった。
「こーんな、シチュエーション。期待してたのよねえ」
一瞬だった。
女はおよそ、常人では捕らえられない程の瞬間的な手の動作をする。
それは、『銃口が向けられているのを理解していた京馬も分からないほどに』。
「あ……え、どうして?」
手が銃に触れる刹那。
男の持つ銃は忽然と消え失せる。
「さあ、こいつらと一緒に、病院に行って来るといい。放置したら、後遺症が残るかも知れないぞ?」
「ひ、ひいいっ! て、手前! 俺ら、黒崎組に手を出すとどうなるか分かってんのかっ!?」
「分かっている。お前ら全員、こうなるんだ」
告げ、京馬は顎で意識を失った男達を指す。
「こ、後悔しても知らねえぞ! 調子に乗るなよ、餓鬼の分際でっ!」
捨て台詞を吐き、男は車を置いて逃げ出す。
その男に目もくれず、京馬は女へと視線を向ける。
「何故、あんな暴言を吐いた? あの格好からして、ああいう事をする輩だと思わなかったのか?」
その言葉は、決してその女を労う言葉ではなかった。
「そこはお姉さん、大丈夫? でしょうが」
聴こえない位、か細い声で女は呟く。
「……何だって?」
「い、いえ! ありがとう! 君、すごい強いねぇ! 私びっくりしちゃった!」
「俺がいなかったら、どうするつもりだった?」
「え? や、やだなぁ。私ったら、後先考えず行動しちゃうから……」
京馬の問いに一寸、女はぎくりとするも、平静を装って告げる。
「そうか。じゃあ、今後は気を付けるんだ。ここも決して治安が悪いわけじゃない。だが、あんな輩もいる。今回は俺がいたから良かったものの、次は分からないぞ」
「うん! 気を付けるよ!(こいつ、年下の癖にめっちゃ偉そう……)」
女は、若干の眉のひくつきを覚えるも、笑顔で告げる。
「何か言ったか?」
「ん? 別に何も言ってないよ? ああ、そうそう。行くとこの道、思いだした! ありがとうね。もう後は一人で大丈夫だからっ!」
告げ、ささくさと女は逃げる様に去ってゆく。
(助けなかった方が良かったんじゃない?)
京馬を避ける様に去ってゆく女を見て、ガブリエルは呟く。
「ああ、そうだな」
肯定し、京馬も野次馬を縫って、歩みだす。
その肯定は、女の助けた際の反応の為では無かった。
「あの一瞬の精神力の増幅……」
(間違いなくあの子、インカネーターだわ)
別次元の世界の力を持った存在であるインカネーター。
自身が所属する組織『アダム』の国内における『その力』を持った人物を、京馬はこの一年間で知り得ていた。
だが、先程助けた女の風貌を、京馬は知らない。
それに、この世界の『管理者』を倒した京馬を、同時にあの女は知らなかった。
「尾行してみるか」
(そうね)
頷きと同時、京馬は女の後を追う。