Scene 3 違った少年と少女の歩み
「ごねんねー、待った!? 京馬君」
「いや。いつも通り、10分程待っただけだ。さあ行くぞ、咲月」
「ふぐっ……! ホント、いつもごめんなさい!」
顔を沈め、そして直角に腰を曲げて謝る咲月は、お茶目に舌を出して謝る。
だが京馬はそんな咲月を無視し、駅へと向かう。
「ご、ごめんねえっ! 待って京馬君!」
その京馬へと駆け出し、そして咲月はその手を握る。
そこから滲む、京馬の微笑の感情は、咲月を安堵させる。
通勤ラッシュの電車の中。
談笑する学生達。
ニュースを見る大人のサラリーマン。
その『日常』に、『非日常』を送っている京馬と咲月はいる。
「昨日は大変だったね」
「ああ。桐人さんが上手く交渉してくれなかったらどうなっていた事か」
京馬は告げ、咲月を見やる。
「どうした、咲月?」
何故だか、キョロキョロと辺りを見渡す咲月を不思議に思い、京馬は問う。
「いや、何だかね」
揺れる電車の中、京馬と咲月は吊革に手を掛けていた。
互いを結びつける様に繋ぐもう片方の手は、傍から見れば二人の関係が恋人の様に写っている。
「だが、違うだろう? 俺達は、そういう関係ではない」
そう。傍から見れば、何時までも互いの手を握る二人が、『その様な』関係に見えなくもないだろう。
しかし、それはその様に見えるだけあって、そうではない。
「分かってる。これは、私が京馬君の『想い』を知る為にやっている事だもん」
そう告げ、咲月は互いを繋いでいる手を見る。
「私だけしか……京馬君の事を分からないんだから」
嬉しそうに咲月は告げ、微笑む。
その笑顔は、女神の様に可憐で、京馬はその笑顔を愛おしく思う。
だが、
「ごめん」
「分かってるよ。私は、美樹ちゃんには未だ敵わない」
ため息を吐き、咲月は呟く。
「自分で言うのも何だが、何故、俺なんだ?」
「さあ? 分かんない。母性、なのかなあ……? 私は、京馬君の事しか写らないし、放っておけないし……正直、誰かに取られるのも嫌」
京馬の手に、咲月の『感情』が流れる。それは、言葉と同様の戸惑い。
「もしかすると、私の中の『性愛の女神』がそうさせているのかも」
告げ、だが咲月はそうは思ってはいなかった。
自身が超常の力を得て、初めて会った同い年の『同族』。
初めは、その嬉しさから、目の前の少年を特別視していたのかも知れない。
だが、今までその少年と共に、幾度となく困難を乗り越え、そして知った少年の『本質』と『想い』。
それは、澄み渡った『蒼』の如く、純真な美しさであった。
咲月は、心の中で断言する。
その少年の『蒼』に自分は染め切られてしまった事を。
「こんな偽善で、お人好しの『想い』を気に入ってくれて、ありがとう」
京馬は、その咲月の『想い』を感じ取り、感謝する。
しかし、その愛おしい少女以上に、少年の心の中を埋める少女が、京馬の奥底に過ぎる。
ふと、電車の中を見る。
「だけど、俺は……」
京馬は追憶する。
自身が超常の力を得て、初めて対峙した最も愛した女性を。
「美樹ちゃんは、今どうしているんだろうね」
京馬の『想い』は、咲月の声で語られる。
「ごめん。やっぱり、美樹の事が未だ忘れられない」
京馬は無表情、無感情で告げる。
「いいよ。分かっている事だし。辛いけど、それこそが京馬君だもん」
だが、咲月は『表』に出ていない京馬の申し訳ないという沈む『想い』を感じ、苦笑して答える。
「丁度、一年前だもんね。京馬君と美樹ちゃんが覚醒したのは。振り返っちゃうのも無理ないよ」
「ありがとう、咲月」
「間もなく、導異―、導異―、電車とホームの間が開いています。足元にご注意下さい」
電車のアナウンスが響く中、そう告げる京馬の視線に、手を振る美樹が見えた様な気がした。
だが、それは似たような風貌の女子高生であった。
「流石、『色欲』の大悪魔を宿した存在だな」
心の中で深いため息を吐き、京馬は呟く。
朝陽が照り付ける一室。
乱雑な部屋の中、そのベッドは更に荒れ果てていた。
「ふ、んん……」
少女は照り付ける陽に、目を眩ませながらも、起き上がる。
「ふあーあ。おはよう、私」
眠気眼で呟く少女は、手探りでベッドの中を模索する。
「あった、あった」
掴んだゴムを手に取り、髪に結ぶ。
「ふふ。『愛』をありがとう」
誰ともない対象に、悪戯な笑顔をし、少女は呟く。
立ち上がり、床に捨てられた様に置かれた衣服をまとめ、少女は着替え始める。
同時、床下の携帯電話が鳴り響き、急いで少女は手に取る。
「ああ。もしもし、ミシュリーヌ? 私? ちょっと、『頂いて』たよ」
着替えながら、少女は着信相手と会話をする。
「え? 浅羽閣下から召集があったって? うんうん、分かった。夢子にも伝えとく」
少女は着替え終え、部屋内の鏡をじっと見つめる。
「やっぱり、私は何時でも可愛いね」
満面の笑みで呟き、少女は自身が寝ていたベッドを見やる。
「もうちょっと、満足させて貰いたかったかも」
告げ、少女は部屋を出てゆく。
微笑して少女が見つめた先には、微動だにしない白眼を剥いた男が大の字で倒れていた。
常闇に燃え上がる炎が立ち上がる。
聳え立つ山々には、高く延びる針葉樹が立ち並ぶ。
燃え上がる炎の下には、年季の入る塔、そして、山々に勝るとも劣らない威厳を持った城。
その中世の世界には蠢く鉄の甲冑が無数にいる。
「遅かったじゃない、美樹ちゃん」
城の城門に立つ甲冑姿の綺麗なブロンド髪をピンで整える女性は、淑女と言うべき高貴さと、気高さを併せ持つ。
「ごめんね。夢子の奴がまた新島と揉めてね。仲裁してたら、こんな時間に」
その女性へと歩み寄る、ハーフアップの黒髪の少女は、対して妖艶な色香を持ちながらも、今時のフリルの可愛らしい衣装によって、可憐な純潔さも兼ねる。
その笑顔は屈託がなく、まるで男の願望が具現した様な少女は、しかし、その風景には似つかわしくは無い。
「ったく、あんたみたいなゴリラが校門に立ったら、嫌でも目立つのが分からないの?」
「でも、そうでもしなきゃ召集が分かんねえじゃねえか」
「だからって、校門で『夢子―! 迎えに来たぞー!』とか、言うんじゃないわよっ! 私はあんた達と違ってねえ! 未だ、『日常』を捨ててないんだからねっ!?」
「じゃあ、携帯に連絡先教えろよ」
「だ、か、らぁっ! 私のは、普通の携帯会社のふっつーの電波の携帯なの!」
「じゃあ、携帯変えろよ」
「……あんたねぇ。戦い以外の記憶は、三歩歩けば忘れるの? 『日常』の私がそんなのを持ってたら、アダムの連中にバレて、最悪、『ここ』も割られる事になるのよっ!」
「じゃあ、その『日常』を捨てればいいじゃねえか」
「そこは譲れないのよ!」
「譲ればいいじゃん」
「あー、うざいぃぃぃぃっ!」
にこやかに話す美樹の後続、二人の男女の喧騒──否、女が一方的に男を罵倒する声が聞こえる。
「ま、まあ、これもいつもの事よね」
苦笑し、ミシュリーヌは呟く。
「ところで、ミシュリーヌ。今回は何故、私達『禍』に召集が? この前の中国の件で何かあったの?」
「いや、美樹ちゃん。それが私にも分からないの。とにかく、緊急事態だって」
「緊急事態?」
「そう。そう言った事なら、強襲部隊である私達『禍』より、同じ王下直属部隊の『煌』辺りに任せておけばいいのに」
その美樹の言葉に、不貞腐れる様に、口を尖らせて夢子は口を開く。
「ふん。『煌』の奴らはお高くとまってるからね。私達みたいなやっすい仕事をする部隊の方が動かしやすいんじゃないの?」
「俺は殺し合い出来ればそれで良い」
「あんたには言って無いよ、新島」
「ひでえ」
夢子の鋭利な刃物の様な言葉に、新島はふさぎ込む。
「さあ、皆そろった所だし、行こうか?」
美樹は微笑し、城門へと踏み出す。
(くく、楽しそうだな)
その美樹の中から響く低い声に美樹は頷く。
「私の、やっと出会えた仲間達だから」
その『悪魔』の声に、美樹は嬉しそうに告げる。
初夏の季節、一年前のこの日──京馬は、超常の力である『アビスの力』を扱える人を超越した存在、インカネーターとなった。
時を同じく、その京馬の愛する美樹もその力に目覚め、対峙した。
その後、少年と少女は自身の『本質』から、互いと互いの目的の為に競い合う事を決意した。
違った少年と少女は、異なる『道』を只、ひたすらに歩み続けていた。