Scene 2 不穏は猜疑を生み、そして彼等は動き出す
東京都。
それは、この小さい島国の中心地であり、最も人口密度が高い首都。
だが、多くの一般人は、その地下に眠る広大な地下基地の存在を知らない。
否、その建造物は『隠匿』されていた。
それは、『この世界』には在るべき筈の無い、『他世界』の『概念』によって構築された巨大な秘密基地。
「民衆の暴動、天変地異とも言える各地の大災害──中国は未曾有の危機に瀕しています」
「もう中国は滅茶苦茶です。首都は壊滅、通信手段も侭ならない。緊急で日本を始め、異例の各国々での援助活動を始めていますが、長くは持たないでしょう」
「まさか、こんな『偶然』が重なり、長い歴史を持った国家が壊滅しようとしているとは誰が予想したでしょうか。中国は本当に運が悪かったとしか思えませんね。私は只々、その被害が少しでも抑えられ、より多くの国民が無事に平和を生きられる事を願うしかありません」
「その中国の崩壊と共に、日本でも各地で輸入・輸出産業が痛恨の大打撃を受けています」
その会議室で、脚を組みながらヴェロニカは携帯電話の画面越しにニュースを眺めている。
「中国は終わったな。ったく、『元凶』をぶっ潰したのに、胸糞悪い」
嘆息し、ヴェロニカはそのニュース映像を閉じる。
「確かに、そうだな。私がこの『アビスの力』を得る以前にもよくあった事だが──こういうものは、決して慣れないものだ」
ヴェロニカの呟きに応える様に、軍服の厳めしい風貌の男が言う。
「フランツの兄貴は、そういうものを死線を掻い潜りながら何度も見てきたんだよな。その兄貴が慣れねえ様じゃ、あたいは一生無理だろうねえ」
「この力を得ても、この有様だ。世界とは、非道なるものだな」
顔を伏せ、悲しそうに告げるフランツを、ヴェロニカは不安そうに見つめる。
「だが、ロシア支部から派遣されたフランツさんとヴェロニカのおかげで、『四凶』の日本への被害は最小限に抑える事が出来た。改めて、お礼を言うよ」
「ふん、どの口が言ってるんだか。『元管理者』の『七十二柱支配の貴公子』さんよぉっ!? 手前らの力に比べれば、あたいらなんて小間使い程度じゃねえか」
微笑む、モデルばりの端正で整った顔の青年に、ヴェロニカは悪態つく。
「何を言う。俺は、お前と同等のAランクのインカネーターだぞ?」
「Aランクねえ? ったく、この島国は尺度がおかしいんだよ! 手前みたいな反則級の化け物がAランクだと? 単体で、『四凶』の一角、『饕餮』を殺した後、あの『アウトサイダー』の『王下直属部隊』、『禍』のメンバー二人を相手に大善戦したっていうじゃねえか」
「まあ、報告に奴らの能力があったからな。種が解れば、対策はとりやすい」
「あー、そうかいそうかい」
不貞腐れ、ヴェロニカはため息を吐く。
「まあまあ、桐人さんは確かに『特別』で他とは一線を画してるけど、ヴェロちゃんも充分強いじゃん?」
「うっせーっ、咲月っ! 手前に言われるのが一番腹が立つっ! 『森羅万像の創造姫』だか何だか知らねえが、手前があたいと同等ランクってのが、一番腹立つんだよっ!」
「はは……そうだっけ?」
「そうだっけ? ……じゃねーよ! くそぅ、何だか自分で言ってきて、惨めになってきた」
恍ける様に視線を逸らして告げる咲月に、ヴェロニカは憤慨し、そして項垂れる。
「ふはは、面白い。貴様はそこまでに強さを求めるか。ならば、アダムのランクなぞ気にするな。あれは、功績によるものが大きい。真に強さを求めるならば、儂の様に幾重も戦い、そして何百年も生き延びるがよい」
一連のやり取りを口を吊り上げながら聞いていた、会議室の奥席に座る初老の人物が告げる。
灰色の袴を着た白髪の老人の帯には、妖しい光を放つ不気味さを滲わす刀が差さる。
その眼光は、とても老人とは思えない威圧を持っていた。
「……あんたの話は聞いてるぜ、『憤怒の第六天魔王』。この『アビスの力』で人の寿命を超越している日本の偉人だってな。長年就いていた支部長の座にまた返り咲いた『暴君』は、この世界の現状をどう思ってるんだ?」
「くく、そうだな。儂にとっては只、『それだけ』よ。儂は儂が儂である事。只、それだけの事」
「はぁ?」
「く、はは。分からんか? そうだのぅ。つまりは、儂は儂である事の様に『憤怒』し、そして高みへと昇華出来ればそれで良い」
「まっっったく、分からねえ」
首を捻り、眉をへの字曲げ、ヴェロニカは告げる。
一寸の沈黙の後、会議室を取り囲む様に配置された楕円の円卓席、その皆の視線が集中する手前側の空間に、ホログラムで一人の少女の姿が投影される。
「──っと、お待たせしたわね。皆、揃ってるかしら?」
ふう、とため息を吐くツインテールでゴスロリ衣装の少女は、若干幼く見える風貌とは対比する様な大人びた口調で言う。
「ウリエル以外は皆、揃っているよ。シモーヌ『総統』」
少女の誰とも言えない問いに、桐人が応える。
「そう。まあ、あの変わり者の天使はどうでもいいわ」
面倒くさそうにシモーヌは告げ、そして皆を見渡す様に視線を動かす。
「ここも、随分と様変わりしたわね」
ふと、ちらりとシモーヌは咲月の傍に座る無表情の少年へと目を向ける。
「新しい『居場所』はどうかしら? 『管理者殺し』」
「どうもこうも無い。俺は、任務を全うするだけです」
少女の意地の悪い笑みから放たれた言葉に、京馬は淡々と答える。
「そう。ふふ、『世界平和』の為に、頑張っているようね」
『何か』、含み気味な表情のシモーヌの言葉に、隣の咲月の表情が不機嫌に変化する。
「さっさと本題に入りましょう? シモーヌ総統」
その抗議の様な鋭い声に、シモーヌは微笑し、口を開く。
「あー、そうね。まずは、皆ありがとうね。このアダム日本支部の精鋭達によって、中国から攻め入った『四凶』含め、我がアダム敵対組織の中枢となった『アウトサイダー』の『エロージョンド』及びインカネーターの侵攻を喰い止める事が出来た」
「インカネーターの『成り損ない』の哀れなエロージョンド共は、末端の奴らで雑魚散らしすれば良かったのによ」
「ヴェロニカ。あんた、脳まで筋肉で出来てたかしら?」
「んなっ……だとぉっ!?」
顔に青筋を立て、椅子から乗り上げて映像のみの少女へと殴りかかろうとするヴェロニカを、フランツが制する。
その様子を面白可笑しそうに見つめ、シモーヌは続ける。
「一年前までは、そんな化身との精神の勝負に競り負けたエロージョンド共は、『この世界』を管理するミカエル擁する天使共に『断罪』されていた。だけど、それはあの『破壊神の英雄』サイモンと、そこの『管理者殺し』──京馬がミカエルとその力を受け継いだケルビエムを倒した事によって無くなった」
「ち、つまりは、他のCランクとかの雑魚インカネーターは、その『断罪』の代わりに野良エロージョンド共を排除しなくちゃいけなくなったって事かよ」
平静を取り戻し、ヴェロニカは机に打ち付けた足を戻し、席に付く。
「そういう事よ。分かった? あんたの実力は買っているけど、そのおつむがあるという理由も一つとして、フランツと共にロシア支部から派遣したの。今回の一件でそこも成長してくれたらこちらも助かるのだけど」
「……ち、どいつもこいつも。あー、分かったよ」
「素直な良い子ね」
まるで思ってもいない口調で告げる少女は、ヴェロニカの眉の引き攣きを気にも留めずに言う。
「さて、話が逸れたわね。今回の侵攻を阻止したおかげで、しばらくは日本支部に対する外国からの侵攻は無くなるわ。だけど、不穏な因子が一つ」
シモーヌが告げると、更に立体上のモニターが空間に出現する。
そこに表示されるのは、今年の一か月に渡る日本国内の行方不明者数であった。
「……これは、俺達、インカネーターのものか?」
そのモニターに表示された数字を見て、桐人は問う。
だが、端正な顔を歪ませたその表情からは、確信めいた不安を内包する。
「ええ。死者数ではなく、あくまで行方不明者数よ」
こくりと、シモーヌは頷き、そしてその眼を奥席に座る男へと向ける。
「あんたは、何か心当たりはあるのではなくて? 『織田』日本支部長」
問われた初老の男は、口元を歪ませて深く笑む。
「ああ、心当たりがあるとも」
にやりと、織田は桐人を見やる。
「だが、儂よりもそこの『元管理者』の方がよぉく、知っていると思うのだがねぇ」
くく、と含み笑い交じりに告げる織田の言葉に、桐人は苦笑する。
「やはり、『彼女』か」
自嘲気味の呆れ声で桐人は言う。
その反応に、合点とした様にシモーヌは笑む。
「やはりね。『帰還者』である『伊邪那美』ね」
その言葉に、咲月は目を見開き、驚愕する。
「『伊邪那美』……! 京馬君と同じ、『現人神』の『夜和泉静子』さんですかっ!?」
「静子さん……」
席から立ち、叫ぶ咲月の言葉に、京馬は心の奥底で驚愕する。
「静子さんが、何らかの理由でこの日本のインカネーターを攫っていると言うのか……?」
「ふふ。あんたの中の、『ガブリエル』の導きによって、管理していた別世界を『滅ぼし』、そして『この世界』へと帰還した、『アストラルの貯蔵庫』を保有する彼女……あの一年前の『フォールダウン・エンジェル計画』以降、足取りが全く掴めなかったのだけれど──」
シモーヌは告げ、そして険の表情で京馬へとその視線を向ける。
「あんたの中の、『異端者』である『アビスの住民』は何を言っているのかしらねぇ?」
シモーヌの疑惑の視線に、京馬はだが無表情で淡々と答える。
「いや、俺の中のガブリエルもその事実を聞いたのは初めてだと驚いている。──そもそも、完璧にガブリエルも静子さんの精神に干渉する事は出来ない。『伊邪那美』と完全に同調し、『伊邪那美』そのものとなった以降の静子さんには単純に『語りかける』事しか出来なくなった」
「そう。では、話が早いわ。今ここで彼女に語りかけなさい? 本当に彼女がインカネーターを攫っているのか、そしてどうしてその様な行動を取っているのかをね」
「今やっている。だが、返答は無い」
「本当に? 宿した化身と通常のインカネーターは語り合う事は出来ない。だけど、より『濃く』同調しているインカネーターは、『神の夢』というアビスと精神の揺らぎの中で化身と語り合う事が出来る。そして、京馬。あんたは、それすらも超越した、『本神』との同調によって、常に宿したアビスの住民と会話出来る。そのあんたの感覚はあんたと同じ『現人神』でしか分からない」
「何が言いたい?」
「ここで、容易に嘘を付く事も出来るって事よ」
「俺を疑っているのか?」
「当たり前でしょう? 場合によっては、この件が片付くまで拘束させてもらうわ」
シモーヌの言葉に、京馬は弁明の言葉を模索する。
その間に、堪えかねた咲月が叫ぶ。
「京馬君がそんな事、やるわけ無いじゃないっ! だって、京馬君は──」
だが、後に続く言葉を、はっと咲月は呑み込み、別の言葉を探そうと目を泳がす。
「あんたも疑いがかけられてるのよ、咲月」
その咲月へ、シモーヌは呆れ声で告げる。
「あんたは、その京馬がガブリエルと完全に同調する際、京馬の存在が『アビス側』になってしまいそうな時に、『その能力』で彼に自身の体の一部を譲渡し、『表』にでない『素』の感情を読み取る事が出来る様になってしまった。そのあんたが共犯である可能性も十分あるのよ?」
「そ、そんな、私達は──!」
「待て。では、俺から進言しよう」
このままでは不利になるであろうと判断した桐人が告げる。
「あら、桐人。あんたも、あんたの『英雄』としての『空白』の過去で疑いがかけられているのよ?」
「分かっている。だが、期間を設けてくれないか?」
「期間?」
[ああ、そうだ。一か月。そう、一か月で俺達がこの件を解決しよう。インカネーターの失踪と、静子の捜索及び動向調査をその期間内に完璧に解決しよう」
「そんな提案、呑めるとでも?」
「だから、本部の息がかかっている者の同行をお願いする。そうすれば文句は無いだろう?」
その桐人の提案に、シモーヌは顎に手を当て、一寸の思慮をする。
「……いいわ。では、飛びっきりの、厄介な同行者を指名しておくわ」
「ありがとう、シモーヌ総統」
「まあ、あんたが裏切るにしても、『今のタイミング』ではないでしょうからね。あんたの『彼女』は、別件のスパイとして私が雇っているわけだし」
「そうだな」
微笑し、シモーヌは告げる。
その言葉に、桐人は全く動じずに答える。
「だけど、期間は短縮してもらうわよ? 二週間よ。二週間で全て解決しなさい」
「い、幾ら何でも──」
「いや、良い。二週間で全て解決しよう」
咲月の抗議の声を遮り、桐人は告げる。
「では、よろしくお願いね。良い報告を期待しているわ」
告げ、そしてシモーヌの姿は消え失せる。
一寸の静寂の後、咲月は桐人に問う。
「だ、大丈夫なんですか? 桐人さん。幾ら何でも、何もかもが分からない状況で二週間で解決だなんて」
「咲月ちゃん。これが、大人の世界さ。やり切らなければならない事もある。それに、これは総統の俺達、日本支部への疑惑を晴らすチャンスでもある。逆境を好機へと変えるんだ。それに、俺は本当に二週間で充分だと判断した」
「え?」
桐人は驚愕する咲月に、清々しい笑顔で答える。
「ブラフにも近いものさ。自分でも長いと思う期間を提案し、短縮されようと充分な期間を設ける。割と良くある手法だと思うけどね?」
ぽかんと拍子抜けした咲月は、後に安堵の表情でため息をつく。
「さ、さっすが、桐人さん……」
「どうでもいいけどよぉ。あたいら達、『雇われ組』はどうすんだよ?」
一連のやり取りをつまらなそうに眺めていたヴェロニカが問う。
「まあ、俺の指示があるまで通常の業務をこなしていけばいい。と、言いたいところだが……」
告げ、桐人は織田へと視線を向ける。
「くく、まあ良いのではないか? 儂は、『個人的には』主らには恨みがあるが、今回の件では儂にも旨味はある。主の好きにせい」
不気味に笑み、織田は桐人に告げる。
「ありがとうございます。『信長』さん」
「くく、だが主が『殺した』儂の同胞達の『憤怒』は、儂の中で燻っておるぞ? 今回の件が好転しても、主への儂の恨みは晴れていない事を覚えておくがよい」
「はい。分かっています。その分だけ、この日本支部へ俺が貢献出来る様、尽力します」
「くく、まあ良い。同じ支部同士、それに儂もあの『事件』はどうしようもない事は分かっておる。この言葉は当てつけだ。儂の『憤怒』を滾らせる為のな」
告げ、織田は席を立ち、会議室の奥にあるドアへと歩む。
が、そのドアの前で止まり、桐人へと告げる。
「ふ、はは。どうも、儂の愛刀が疼いておる様だ。桐人。トレーニングルームへ来い。仕合おうぞ」
「分かりました。直ぐに」
桐人は頷き、その織田と共に、会議室を後にする。
「おい、そう言う事ならあたいも混ぜろっ!」
更に、それを追う様に、ヴェロニカも部屋を出る。
「厄介な事になったな。京馬君」
「フランツさん。すいません。巻き込んでしまって」
そう告げる京馬の無感情の声はおおよそ、その言葉通りの謝罪を『表』に出さない。
「いや、良いんだ。所詮は我々は雇われの身。それに、私は『フォールダウン・エンジェル計画』で君と出会い、そしてこうしてまた共に任務をこなす事が嬉しい。人の言う善意の神はいないのだが、今だけは神に感謝したい」
だが、フランツは京馬の『感情』を受け取り、告げた。
「私はあの時、君の純真で曇りの無い、そして強固な『意志』を、君へと『想い』を捧げた時に感じ取った。私は、どこまでも君を信じようと思う。あの熾天使の管理者を葬った『蒼』を信じて」
微笑み、フランツも会議室を出てゆく。
残された京馬と咲月は、お互いを見、そして頷く。
「予感だが、今回も大事になりそうな気がする。ガブリエルも感じている。何かの揺れ動く『想い』を」
「だけど、私は京馬君に着いていくよ。みんながみんな、世界のみんなが微笑む、『世界の創造』をしようっ!」
「ああ。やって見せよう。俺達の『想い』で」
そして、紡がれ、きつく結ばれた様に手を繋ぐ二人も、静寂とした会議室を後にした。