Scene 1 少年、坂口京馬
輝かしい陽が、砂浜を、そしてその先の海を照らしつける。
「ヴェロちゃーん! 沖縄の海、めっちゃ綺麗だよ! 一緒に泳ごうよー!」
「うっせ、咲月っ! あたいは、そんなしょぼい海遊びは嫌いなんだよ!」
透き通る様な海の浅瀬を、咲月と呼ばれたサイドテールの髪型の少女ははしゃぎながら泳ぐ。
砂浜で座るヴェロニカの悪態に、気にも留めず咲月は浮かんでいるビーチボールを掴み、ヴェロニカの胸元へと投げる。
「ほーい、パス」
「っち」
咲月が投げたビーチボールを、ヴェロニカは片手で鷲掴みする。
「おおおっ!? さっすが、ヴェロちゃん! 元『マフィア』は伊達じゃないねぇ!?」
「面倒くせえ。おい、京馬。お前が相手をしてやれよ。手前らは、すげえ仲良いだろ? 『心と心が通じ合う』程のよ」
嘆息し、ヴェロニカは一人、シートで寝そべる京馬へと告げる。
その京馬の体は、先程とは異なる。
自身で染めたであろう茶髪の髪、黒の瞳。
何より生やした羽も、白い導衣も消え去り、上裸の海パンという極めて、『少年』らしい格好となっていた。
「ヴェロニカ。咲月は、同じ支部になったお前と只、親交を深めたいだけなんだ。勿論、俺もだ。だから、そんな壁を作らず──」
「嫌だね。『フォールダウン・エンジェル計画』で多くの『インカネーター』を失い、更に度重なる敵対組織のこの島国への侵攻によって受けた被害で、『あたしら』はこの日本支部に派遣された。だがな? これはあくまで『仕事』なんだ」
「仕事だったなら、尚更、親交を深めた方が良いだろ?」
「ああ、そうだな。だが、何度も言う様だが、あたいはお前らみたいなお気楽頭お花畑と、しゃべる無表情自動人形が気に食わねえんだよ」
吐き捨てる様に告げ、ヴェロニカは砂浜の後続に拡がる林へと姿を消す。
「あーあ、ヴェロちゃん。なっかなか心開いてくれないねー」
京馬の横隣り、海から上がってきた咲月が腰掛ける。
「まあ、しょうがないさ。人は過去に形成した価値観を中々変えられないものさ。その『本質』も」
「そんなこと言って」
微笑して、咲月は京馬の手を掴む。
「やっぱり、悲しんでる」
そう告げた咲月の表情は、さらに笑みを深める。
咲月を京馬は見やる。
先程の明朗な笑みとは異なる、艶美な笑み。
その手から『伝わる』、その咲月の感情──
「いいよ。私は、京馬君の全てを包み込んであげる。だから──」
視線を下に向け、再度京馬へと咲月は向ける。
京馬へと顔を近付けた咲月は、その耳へと唇を近付ける。
「京馬君は、私を好きにしても、良いんだよ?」
艶やかなか細い声は、京馬の心臓を激しく鼓動させる。
ハイビスカス柄の情熱的な水着。
咲月のバランスの取れた均整な肢体。
自身の体が火照り、体温が上がる。衝動が鼓舞する。
その感覚が沸き起こる。
だが、それらは決して『表』に出る事は無かった。
「ごめん、咲月」
京馬の奥底でのた打ち回る、その『感情』に耐え切れないと判断し、京馬は立ち上がる。
「喉が渇いた。咲月も、何か欲しいものがあるか?」
「そっか。じゃあ、サイダーでお願い」
「分かった」
頷き、京馬は咲月へと背を向ける。
「……もう」
照りつける陽を浴びながら背を向けて歩く少年を見つめながら、咲月は呟く。
「好きだよ。京馬君」
少し、寂しく。だが、そんな少年との『繋がり』に咲月は安堵し、満足していた。
自身の中に眠る、『世界を破滅に招くもの』を縛り付ける性愛の女神は、咲月の中で微笑んでいた。
「ふう」
京馬は、自身の中の劣情を静めながら、自販機へ向かう細道を歩いていた。
(そのまま身を任せれば良かったのに)
京馬の中、心に響く声が聞こえる。
「そんな事言うが、ガブリエル。俺は──」
(あの『色欲』が好きなんでしょ? 知ってるわよ。何て言ったって、私達は精神が完全に同調しているんだから)
はあ、とガブリエルは京馬の心の中でため息を吐く。
(さっさと咲月とヤっちゃえば良いのに)
「何でだ」
突然の自身の宿している天使の声に、京馬は動揺する。
(私としては、京馬君と誰がどう結ばれようと関係無い。というか、何時までも『あの子』を引き摺るから、今回も『逃した』んでしょう?)
「何の事だ?」
(もう、何で恍けようとするのかしら?)
嘆息し、ガブリエルは呟く。
「京、ちゃーんっ!」
心の中の天使に、京馬が抗議しようとした時であった。
京馬の体を、背後から細い腕が抱き寄せる。
ぎゅむ、と京馬の背に何か豊満で柔らかなものが当たる。
この感触。背後の声。そして、男を強烈に惑わす様な『色』を持つフェロモン。
「久しぶり」
だが、その色香の権化とも取れる存在であるに係わらず、屈託ない、純潔を匂わす声が告げる。
知っている。否、忘れる訳がない。
「美樹」
京馬は振り返り、その少女の名を告げる。
「こんな所で会うなんて、偶然だね」
そう言って、少女は笑む。
その笑みは可愛らしく。だが、妖艶で美しい色香は、再度、京馬の劣情を炸裂させようとする。
ハーフパンツにTシャツというシンプルな服装でありながらも、その彼女のいやらしく悩ましい贅沢な肢体は、肌の露出が多かった咲月の水着以上の破壊力を持っていた。
「どうして、ここに?」
京馬は、自身の『感情』を抑え、問う。
「ちょっと、『仕事』でね」
目を逸らし、頬を掻く少女を見て、京馬はもどかしい感情が沸き起こる。
「『仕事』っていうのは何だ」
「仕事は……仕事だよ?」
告げる少女の言い訳を探る様な仕草は、京馬の心の中を深いため息で埋める。
「ヴェロニカを、殺そうとしただろ?」
「え?」
京馬の言葉に、美樹は一寸、目を見開いて驚愕する。
だが、その表情は直ぐに妖艶な笑みで塗り替えられる。
「何で分かったの? 京ちゃん」
「『四凶』が一人、『渾沌』のインカネーターと戦った時、『影を伝う』人影が見えた」
京馬の応えに、クスリと美樹は微笑する。
「私の『誘惑の奴隷』で同志討ちさせようとしたのに、京ちゃんが邪魔するんだもの。困っちゃう」
「やはりな。だが、あの時、お前も参戦していたら、こっちも相当な被害が出た筈だ。何故、下がっていった?」
「単純だよ。私は、あの女だけを殺そうとした。間違って、京ちゃんを傷つけたく無いもの」
告げ、美樹の周囲に黒の魔法陣が発現する。
美樹の服装が塗り潰される様に、黒のチャイナドレスへと様変わる。
同時、京馬も『力』を発現し、その服装が変わり、多量の天使の羽を生やす。
だが、美樹の両腕から生え出た赤の触手によって、縛られ、そして地に打ち付けられる。
「ね? 私と京ちゃんの力は、ほぼ同等なの。もし私達が闘りあったら、どっちとも無事じゃ済まされない」
倒れ伏せる京馬を眺める様に美樹は見る。
「今ここで戦う事も出来るが」
「もう、嘘付いちゃって……」
思わせぶりに、美樹は京馬をいやらしい笑みで見つめる。
体を沿わせ、そしてその手を京馬の秘部へと運ばせる。
「約束した筈だ。俺達は、自分の『理想』の為に対峙するって」
「ここで、京ちゃんが諦めて、私と共に歩む事も出来るんだよ?」
「それは、こちらも同じだ。美樹が、俺と共に理想を追い求めるのなら、俺も美樹を受け入れる」
「……そう」
嘆息し、美樹は触手を利用した飛び上がりで、京馬から離れる。
「まあ、分かってはいたけどね。私は、京ちゃんの『意志』を改めて確認して見たかっただけ」
美樹は告げ、京馬に背を向ける。
「お前達、『禍』の他のメンバーはどこにいる?」
京馬は、どこか寂しそうに見える背に問う。
「それは、いくら京ちゃんでも言えない……と、言いたいとこだろうけど、もう無駄になりそうだから教えても良いかな?」
ふふ、と微笑し、美樹は言う。
「今は、そっちの『概念操作の無法者』と『七十二柱支配の貴公子』と対峙してるよ。流石、内の元『二番手』とかつての『元管理人』だよ。他の四凶の相手の後なのに、全く歯が立たない」
「ウリエルと桐人さんの所か……道理で、未だ『捕縛結界』から帰って来ないわけだ」
「随分、余裕だね? 敵に味方が襲撃を受けているのに」
「美樹も言っただろう? 『歯が立たない』って。二人とも、『規格外』なんだよ」
「それは、私も、京ちゃんも、そして咲月ちゃんもじゃない」
「今の日本支部は、かつて『サイモンさん』がいた時に負けず劣らず、手強いぞ?」
「そうだね。でも、私は負けないよ。絶対、『色欲の世界』を『創造』して見せる」
「俺もだ。俺の根本の『本質』は曲げられはしない」
「それが、京ちゃんだものね? ふふ、『無感情』になっても、京ちゃんは京ちゃんで何か安心したよ」
言葉と同時、美樹は『影』に潜り、そして消え失せる。
静寂とした空気の中、初夏の熱風が舞う。
「そうか……俺がインカネーターになってから、もう一年が経つのか」
風が肌に触れ、その暑さは京馬に過去を追憶させる。
京馬は心の中で微笑し、再び歩み始める。