Scene 39 アウトサイダーの歪み
予想以上に早く上がったので、投稿します。
終わりが見えてきた……!
島津県にある東出雲町、揖屋。
そこには、異常現象とも言える濃霧が一帯を包み、まるでその町全体を『隠蔽』しているかのような、一際の怪しさを醸し出す。
だが、その不可思議を思う人々の心は、違和感は、不思議な事にすぐさまそれこそが『あるべき事』と認識してしまう。
「ひゅー、ひゅー。 ……全く、煩わしい『アビスの霧』ですね。私達、インカネーターには全く効力を発揮しないと言うのに」
呻きにも似た、か細い声は細道から外れた草木から響く。
「それでも、『ここの異常』がアダムに発見されなかったのは、あの『黄泉帰り』とかいうゾンビ共の一人……『月読』の日向とか言う餓鬼のおかげでしょうね。ふ、ふひゃ、へへ……しかし、その若さ故の隙のおかげで、私に、『モノリス』を使う時間を与えてしまったというわけです」
よろめき、細道から顔を出したのは、『一匹の猫』であった。
みゃあ、とも鳴かず、呪言の様な『人の言葉』の呟きを放つ一匹の猫。
だが、それ以上の『外見』の異常は、人語を返すという驚愕を塗り潰し、視認した人を絶句させるだろう。
「や、れ、やれ……こんな陳腐な『肉体』……私の精神に直ぐに蝕まれて、一時間もすれば只の肉塊になってしまう……私としたことが、『フォールダウン・エンジェル計画』の時の『命』の様な『検体の準備』を怠ってしまうとは」
ばたり、と倒れ伏したその猫は、その顔は──『崩れていた』。
その胴から下で、辛うじてその生物が『何だったであろうか』が判断出来る。
「さて……どうしましょうかね? このままでは私のアストラルは消滅してしまう。この様に、『小動物』を辿って『亡骸』へ迫るとしても、それまでに私の精神力が持つかどうか」
霧で濁った空を眺め……猫に『精神寄生』を行った『マシリフ・マトロフ』は茫然とする。
通常のマシリフ・マトロフならば、アストラルを巡る『精神感応伝達物質』で思考回路をフルスピードさせ、現状の解決策を探るであろう。
しかし、疲弊し、深刻なアストラルへのダメージを負ったマシリフ・マトロフがした行動は『硬直』であった。
(『猫』という陳腐なアストラルを持った生物へ『寄生』したからでもあるでしょうね……同化しつつある脆弱なアストラルだと、思考がまとまらない……)
『死』。
それは、久しくマシリフ・マトロフが感じた感覚。
生まれてきて、『数百年』。
幾重もの精神を経て、この時代まで生き続けてきたマシリフ・マトロフには、大凡、その様な感覚が欠落していた。
『この世界最強』と言える『ルシファー』との対峙でさえも、代わりに残してきた『命』という少女の体があるおかげで、そんな『死』という予感さえも実は過りもしていなかったのだ。
だが、
「葛野葉、美樹……! あの小娘だけは、絶対許しませんよ……!」
そんなマシリフ・マトロフに久しく忘れかけていた『死』を、思い出させた少女。
その憎悪だけは、淀む感覚の中でも、マシリフ・マトロフの精神の中に根付いていた。
「相変わらず、すげえ霧だなあ。また迷っちまった」
煮え滾る感情に歯軋りをするマシリフ・マトロフの眼前、土を踏む音と共に声が響く。
「でも、ここらへんなんだよなぁ。『黄泉比良坂』は」
辺りを見渡す青年は、しかし、自身の足下にある異形に気付かない。
「絶対、『心霊現象』なんて起きるか。俺が証明してやる」
意気込みの独り言を呟く青年。
マシリフ・マトロフは、心の奥底で深く、深い笑みを浮かべる。
(ふ、ふひゃ、はは、はははっ! これはこれは……運命の神というものがいるのならば、どこまでも残酷なのでしょう!?)
歓喜は、瀕死のマシリフ・マトロフを動かし、立ち去ろうとする青年の足へと、その頭部を乗せる。
「ん?」
突然、ずしりと足の甲に響く違和感。
「う、うわあああああっ!?」
『それ』を視認し、青年は声高々に叫び声を挙げる。
「ですが、もう遅いです! 『精神寄生』!」
反射的に、『顔が崩れた』猫を跳ね除け、後ずさりしようとする青年。
だが、その眼光と目を合わせた時、ブツリと青年の意識は途絶える。
「ぶ、ぶあ、ああ! はあ、あ」
しばらくの痙攣の後、首を寝かせ、一寸の沈黙。
「ふふ、ふひゃ、ははは! はははっ!」
続くは、とても先程の青年のものとは思えない、下卑た笑い声。
「……さあ、行きましょうか。亡骸を手に入れ、私は、崇拝するあのお方の為に──!」
青年の『精神を乗っ取った』マシリフ・マトロフは生き生きとした口の吊り上げを見せる。
だが、
「そうだよね。これは『美しい』んだ……! 『私』はこの『混沌』が好きなんだ!」
「止めろっ! 『誰だ』、貴様はっ!? 私に、声を聴かすな、触れるな、その眼を向けるなあぁぁぁぁっ!」
頭を屈め、マシリフ・マトロフは狂ったかのような悲鳴の叫びを挙げ、拳を地に打ち付ける。
「『あなたは、あなたよ』? 何を怯えているの? 怖かった? 恐れてた? 何で、『泣きながら笑っているの』?」
「う、うあ、うわああああっ! 止めろ、『私』は、『私』は、『壊れたく』ないぃぃぃぃっ!」
それは、マシリフ・マトロフという存在を知っているものが見れば、唖然とする『彼女』の状態であった。
泣き崩れ、ガクガクと体を震わせ、怯える眼を滲ませる。
「はあ、はあ……! ふ、ふひゃ、ははは! あの『月読』め。こんな『幻覚』を見せおって……貴様も、覚えている、がいい……!」
過呼吸の吐息を徐々に整え、マシリフ・マトロフは、震える膝を立たせる。
──内心は、気付いていた。
日向という『黄泉帰り』が『月読』で見せたもの──それは、幻覚では無かったという事を。
だが、マシリフ・マトロフは認めたくは無かった。
「私が……そんな愚かな『少女』である訳が無い……!」
その『月読』が写し出した──『自身の過去』を。
「どうやら、潮時のようだね」
「そうだな」
「『キザイア』? では、『彼女』は?」
「『その様な物語』だよ。ふふ。華々しく、『彩どってくれ』」
「可哀想に」
「何が? 『好』だ。光栄だろうよ」
「嘘だね」
「まさか」
「君は、あの『一翼』に興味がある筈だ」
「馬鹿な。『サイモン』である訳ではあるまいに」
「では、『あの時』、『深淵の深淵』に『彼』を招待したのは何故だい? 『彼女』が気付けば……」
「それはない。あんな『小鳥』、取るに足らない脳無しさ」
「だから、君はそんな『小鳥』の成長が愛おしいのではないか?」
「馬鹿な」
「『サイモン』や『賢司』の例がある」
「ふん。逆に貴様がそう思っているだけではないのか?」
「……」
「沈黙、か」
「分からない」
「分からない、とは?」
「分からないんだ」
複数の心臓の鼓動音が脈々と波打つ。
それは、まるで興奮冷めやらぬ、初恋の鼓動?
否、脈打つ性的な情熱とも形容出来る。
「ほら、起きて! さっちん! こんなとこで死んじゃダメだよー!」
そんな心地好いのか、騒々しいのか分からない鼓動音を凌ぐ、頬への衝撃が咲月を直撃する。
「いやだー! さっちん、未だ魔道少女メイガスももこの劇場版アニメ一緒に観にいってないじゃんかー! 一緒に劇場にコスプレして行ってくる約束はどうしたんだよー!」
更に、一発、二発、三発と、平手打ちが容赦なく咲月を襲う。
「い、いた、痛い! 痛い!」
「うわーん! このまま死んじゃったら、私が京馬の初チュー奪い取ってやるんだからね! だから、生きろー!」
「それは許せん」
止め処なく襲い来る平手打ちは、その『加奈子』の一言で完全に目を醒ました咲月によって塞き止められる。
「え?」
何が起きたのか、分からないといった表情で、開いた眼を更に開かせる加奈子。
「『え?』じゃないよっ! 加奈っちー! 見てよ、この頬! 絶対めっちゃ赤くなってるでしょ!?」
がっしりと掴んだ加奈子の手を払い除け、咲月は自身の頬へと指先を向ける。
「え? わわ、ごめん! だって、心臓だって止まってたし、てっきり本当に死んじゃったもんかと──」
むすりと赤ばった頬を膨らます咲月へと、手をぶんぶんと振って、弁明の言葉を言う加奈子。
正に死人が生き返ったかの様な、驚愕の表情をそのままに。
「──私は、『心臓が機能しなくても大丈夫』なんだよ。私の精神の深層にいるイシュタルがいれば、『黒山羊』の力のおかげで、幾らでも生き永らえる事が出来るの」
ため息を吐き、少し忌々しげに咲月は告げる。
「そ、そうなんだ。 ……いやー、流石、インカネーターは凄いね。『一般人』の私の感覚じゃあ計り知れない事ばっかですわ」
と、告げながらも、驚愕を徐々に安堵に変え、加奈子は言う。
「……ところで、ここはどこ? あれ? 私は、『命ちゃん』と戦って──」
腸壁の様な赤ばった地面と壁に覆われる空間。
所々に紫の骸骨が埋め込まれている、グロテスクであるが、どこか見惚れてしまう様な神秘性を持つその空間を見渡し、首を捻る咲月。
「ああ、ここはですね?」
ハッとして加奈子が告げようとした時であった。
「ここは、『私の』捕縛結界。ようこそ、咲月ちゃん」
いつからいたのであろうか。
妖艶なフェロモンを周囲に撒き散らし、美しい艶美な笑みで少女は答える。
「……! 美樹ちゃん!」
「久しぶりだね。尤も、私は影からずっとあなたの事を見ていたけど」
戦慄の眼差しで美樹を見つめる咲月。
しかし、黒いチャイナドレスの様な服装を身に纏う美樹の強烈な色香は、女である咲月であっても思わず頬が上気してしまう。
「見ないうちに、随分と『精神力』が上がったね」
咲月は、自身に発生した劣情の『要因』を、そう結論付けて美樹に言う。
「ふふ。そうだね。私も、『強襲部隊』、『禍』のリーダーとして箔が付いたかな?」
惚けるように無邪気に笑み、美樹は答える。
「しかし、危ない所だったね。私が助けなきゃ、今頃、咲月ちゃんはマシリフ・マトロフに体を奪われて、下手したら『封印』される所だった」
「私の……体が乗っ取られる!? ……というか、マシリフ・マトロフって誰?」
美樹の言葉に驚愕するも、咲月は問う。
「咲月ちゃんが戦っていた『命ちゃん』の正体だよ。あの下衆は本体は『アストラル体』のみで構成されているんだ。そして、その『精神』を別の生物の体に『寄生』し、何世紀も生き永らえているんだよ」
「嘘でしょ……! いや、だからこそ、あんなに強い精神力を持っていたんだ。そんな危険な相手だったなんて……!」
「危険? あいつなんか、そんな咲月ちゃんみたいな『神の実から生まれ出でるもの』を宿す子に比べたら、取るに足りない『羽虫』だよ」
微笑し、美樹は告げる。
「『神の実から生まれ出でるもの』……か」
美樹の言葉に、咲月は顔を曇らせる。
『神の実から生まれ出でるもの』。
それは、咲月が宿す『イシュタル』の宿敵であり、その奥底で『封印』している『アビスの住民の最上位』に位置する『世界を容易く滅ぼす事が出来る』化物。
『フォールダウン・エンジェル計画』以降、咲月は覚醒し、その『化物』の力を『解錠』する事によって、自我を保ちつつその一部の力を行使出来る様になった。
「そうでしょ? さっきだって、その『羽虫』を倒す為に、無理やりに力を解放させたおかげで、危うく世界が滅びそうになったんだから」
「私が……世界を!?」
美樹の続く言葉に、更に咲月は驚愕する。
「やっぱり、覚えてないのね。逆にマシリフ・マトロフに感謝すべきね。あいつはそれを防ぐために、危険な咲月ちゃんを新たな寄り代として選んだんだから」
「じゃあ……何で私が今の『私』で残っているの?」
「私が助けたんだよ。私の『黒炎』は、限定的に相手の精神を焼き尽くす事が出来る」
「そうなんだ……ありがとう、美樹ちゃん。流石だね。私が敵わなかった敵と相手して、そんな涼しい顔してるなんて」
安堵の表情の咲月に対し、美樹は首を振り、告げる。
「確かに、あんな莫大な精神力だけの戦闘センス皆無の『羽虫』は弱かったけど……それでも、私一人では咲月ちゃんを助けられなかったんだ。まあ、『彼』のおかげだね」
美樹はそう言い、脇に体を逸らす。
「適材適所だ。何にせよ、無事であった事に俺も感謝するよ。後味が悪くなるからな」
美樹の後続に控えていた男が言う。
月明かりの様な淡い黄色で施された袴に身を包む長髪のその男は、無表情に咲月を見る。
「申し遅れた。俺の名は日向。『黄泉姫』に仕えている『黄泉帰り』の一人であり、その女の『毒牙で魅了』されてしまった哀れな存在さ」
日向は、自嘲気味の笑みで告げる。
「『誘惑の奴隷』ね……」
顔を伏せながらも、気に食わなさそうに咲月は美樹へと眼差しを向ける。
「そんな顔しないでよ。咲月ちゃんも分かっているでしょ? 私は『色欲』の『本質』に捕らわれた哀れな少女なの。ねえ? アスモデウス?」
「ふ、はは! その通りだ。それこそが、我が主であり、この大悪魔が魅入られた『美樹というアストラル』だ。しかし、咲月と言ったな? 以前よりも好い目になった。さぞ魅力的なアストラルとなった様だな。まあ、美樹には劣るが」
美樹の内から拡声器の様に、響く大悪魔の低く、野太い声は嘲笑する。
「アスモデウスの声も、他人に聴こえさせる様になったんだね。美樹ちゃん」
「そうだね。そう出来た方が色々と融通効くし。それ相応の精神力を得たわけだから」
屈託ない笑顔で告げる美樹に、だが咲月はふと疑問に思う。
「だけど、どうして同じ『アウトサイダー』のマシリフ・マトロフを殺したの?」
「『総統閣下』直々の命令だよ」
咲月の問いに、さも可笑しい茶番劇を語るように、笑んで美樹は告げる。
「内も、そっちのアダムと同じで、『一枚岩』ではないという事よ」
「どういう事?」
「あの『羽虫』が崇拝するのは『混沌』。だけども、それはあくまで『浅羽閣下』との『協力体制』なんだ。一つ、ヒントとしては、『浅羽閣下は、その混沌をあくまで滅したいと思っている』。そして、それは『混沌も同じ』」
「『滅したいのに協力体制』? 益々、訳分かんない」
「総統閣下はそれだけの力を持っているという事。この『亡骸』を巡る争いにおいて、不穏分子を少しでも排除したいの」
「そうなの……色々と聞きたいけど」
「私も馬鹿じゃない。それ以上は、秘密ね」
人差し指を口元に近づけ、美樹はウインクして告げる。
「これから、私達をどうするつもりなの?」
一寸の静寂の後、咲月は問う。
美樹は微笑を崩さず、その腕を咲月へと伸ばす。
「私達の目的は、『失踪事件の大元の解決』。それは間違いないわ。さあ、一緒に『大元』を解決しましょう?」
「……本当に?」
猜疑の眼差しを向ける咲月は、美樹の手を取ろうとしない。
だが、美樹は未だ表情を変えず、明朗に続ける。
「本当。『嘘は言ってない』よ。目指すは、『黄泉の最奥』。日向の情報に寄れば、京ちゃんもそこに捕らわれている。行かない理由はないと思うのだけれど?」
美樹の言葉に、咲月は眼の色を変え、その差し出された手を握る。
「京馬君がっ!? それなら……!」
猜疑感は拭えない。
しかし、咲月はその手を握るしかなかった。
「えっ!? もしかして、私も?」
一人、会話に取り残されていた加奈子は動揺と共に声を挙げる。
「勿論。あなたも少しは戦えるし、いないよりはマシ」
「マジでか」
どんよりとした表情で、加奈子は頷く。
マシリフ・マトロフ。
美樹。
日向。
咲月。
加奈子。
各々は、最終決戦地となるであろう『黄泉の最奥』へと向かう──




