Scene 38 『智』の御前の七天使、ラジエル
久しぶりに主人公回になります。
京馬の『本質』は、そういった理由で塞ぎ込んでいました……という話。
そして、今章のキーとなる『亡骸』について。
はてさて、彼は何者なんでしょうかねぇ?
他愛のない会話が響き続ける。
悪ふざけをしている男子に、女子が注意している。
燦々とする陽が、窓からその教室内に差し込んでいる。
一見の和気あいあいとした教室内には、触れてはいけないかの様な不自然なサークルが出来上がっていた。
そこに突っ伏して寝ている少年。
陽の光を遮る為であろうか。
腕で顔を覆い、静かに眠る。
否、それは、その顔が見えない様にしているのだろうか。
誰も気にも留めず……いや、『気に留めてはいけない』かの様に、皆は不自然にそこへの視線を避けているかに見えた。
「ほら、健史。そんなとこで寝てないで、グラウンドでバスケしようぜ!」
誰もが、背けるその少年の背中を、もう一人の少年が叩き、明朗とした声色で呼び掛ける。
「……京馬、君?」
その声に反応し、健史は机と同化していた顔を上げる。
寝起きで霞む視界が徐々に鮮明になる。
「お前、いつも寝てたら勿体ないって! ほら、俺から皆に声掛けてやるから、楽しもうぜ?」
告げる、京馬という少年は、澄んだ眼で健史に言う。
まるで──この世界を照らす『蒼』の様に、さながら『天使』の様な綺麗な眼。
「ありがとう」
だが、健史は、周囲の視線に気付いていた。
「でも、止めよう。京馬君も無視されるよ?」
京馬という少年の背後からの視線。
蔑み、あるいは『怯え』、敵視する眼は、健史を監獄の外から見つめる衆人の如く。
「何でだよ? ほら、お前ももっと軽くノリ良くすりゃ良いんだよ。ほら、笑え!」
「ふ、ふふ」
そんな監獄の中、向日葵の笑顔を向ける少年を、健史は理解出来なかった。
だが、そんな場違いな笑顔に、澄み切った『蒼』を宿した少年から読み取れる穏和な感情に、健史は笑顔を振りまく。
「ほらよ! 茂呂! 春樹! 皆、新しいメンバー入ったぜ! 外出ようぜ!」
「お、おう」
「良いのかよ、茂呂! こいつ、全然運動出来ねえんだぞ!?」
「おいおい、春樹―。お前、分かってねえなあ。健史の場を見る冷静な判断力を舐めるなよ?」
「何だよ、京馬。こいつの肩を持つのかよ?」
「肩も何も関係ねえよ! 俺のバスケ人生におけるプロデュース能力の真価を発揮するチャンス! こいつの光る才能を開花させてやる!」
「何だよ、それ」
「ほら、『ゴラムダンク』の安藤先生を見ろ! 格好良くね?」
「ぶ、はっはっは! 漫画の影響受けてるんじゃねえよ! ああ、分かったよ。じゃあ、手前が健史の世話しとけよ!」
「へっへっへ! 吠えずらかくなよ? 俺は、バスケ界の新生となる!」
ビシィと、ポーズを決める京馬に、周囲から笑いが巻き起こる。
「へへ。俺も、フォローするからよ。一緒に頑張ろうぜ」
耳打ちする京馬の言葉。
その言動から、自身が利用されていると思うだろう。
だが、京馬の表情、眼は、そう言っていなかった。
「お前も、幸せになる権利はある」
そう、告げているかのような京馬の無言の頷き。
「……うんっ!」
より一層、笑顔を深めた健史は、京馬の背を見つめながら、教室を出ていった。
「でも、救えなかった」
「何故?」
「やはり、ノリが違い過ぎたんだ。元々が、そういった性格の健史を、そう簡単に変える事が出来なかったんだ」
「……どうなってしまったの?」
「正確には、救えた……のかも知れない。俺も健史と周りの介入を一生懸命して、健史も明るくなっていった」
「良かったじゃない?」
「……でも、今度は、健史が加害者になった。自分を陥れた張本人達を完全に赦していなかったんだろう。教室内の地位が上がったあいつは、今度はその張本人達を苛めたんだ」
「君は、その人達を助けたんじゃないの?」
「頑張ったさ。だけど、健史の苛めはとても陰湿だった。携帯を使った組織立った苛め。元々の健史の慎重な性格もあってか、中々に輪を取り持つ事も出来なくなった」
「そう……」
「そして……遂に、健史のやり方に耐えかねた俺を始めとする皆がキレたんだ。そこからは、もう、健史の事を味方する奴はいなくなった。結局、あいつは学校に来なくなって、転校していった」
「成程ね。でも、しょうがないじゃない? 元々が屈折していた子だったんでしょ?」
「だけど……だけど! それだって、誰かが気付いて、正してやれば、変えられたかも知れなかったんだ! 俺は、気付けなかった! そんな、言い訳をして……自分の『平穏』の為に、結局はあいつを利用していた事と変わらない!」
「背負い過ぎよ」
「そう、俺も思った。高校に行ってからは、それを言い訳に、賢司や将太、尚吾、慎二……気の合う友達と、只、楽しむ事だけを考えてた」
「うん。それで良いと思うわ。正直、どうしようもないもの」
「だけど、そんな俺を変えた出来事が起こった」
「出来事?」
「そうだ。この、『天使』の力……お前との出会いだよ。『ガブリエル』」
「気付いたか。京馬」
「……ここは、どこですか? 剛毅さん」
仄暗い洞穴。
円状に拡がる一室。
黒い水が足底に浸るその空間。
「ここは、『黄泉』の最深部だ」
京馬の眼前に立つ、剛毅。
手を伸ばそうと、京馬は体を動かそうとする。
「ああ、その結晶に『縛られている』んだ。精神力もほぼ空。手足も動かせない今のお前ならそんな事も関係ないだろうが……念の為だ」
告げられた京馬は、視線を下に向ける。
プリズムの光を称える硬質な何かが、糸状に何重にも京馬を巻き付けている。
「何故、俺は生かされているんですか?」
「別に、殺すまでもねえ。と、うちの『黄泉姫』が言っていたよ。まあ、この世界で『同じ存在』であるお前への好と、そのお前に宿るガブリエルへの恩の為だろうが」
京馬を背に、去ろうとする剛毅。
「待って下さい」
「どうした?」
振り返る、剛毅へ何かを告げようとする京馬。
だが、その言葉が上手く紡がれず、閉口する。
「いえ、すいません。何でも、ありません」
「そうか」
再び、京馬へと背を向け、剛毅は闇に消えてゆく。
「剛毅さん……やっぱり、あなたと一緒に、俺の『世界の創造』をしたいです」
完全に剛毅が消え去り、そこで呟いた京馬の言葉。
響く事もなく、淡々とした自身の声色に、京馬は嘆息する。
「君は、ここがどこか知っているかい?」
突如、背後から声が響く。
「誰だ?」
拘束され、動けない京馬は、その声の主が誰であるか問い質す。
「僕は、『ラジエル』を宿すインカネーター。今のアダムで言えば、『孤独の天使』って言う存在かな」
少年の声色が告げる事実に、京馬は驚愕する。
「天使……? 馬鹿な。天使が、静子さんの肩を持ったのか? それとも、ここに潜入してきたのか」
「前者が正解。何を隠そう、僕が静子に『世界の創造』の秘密を教えたのだからね」
「何だと? 静子さんに、それを教えて、何がしたいんだ?」
「うーん。君に教えて良いのかね? ……いいや。君が衰弱している状態だと、ガブリエルと対話出来ないからねえ。今は止しておこう」
笑い、少年は告げる。
コンコンと、何か響く音を立て、少年は続ける。
「所で、君の背後にある『これ』。何なのか解るかい?」
「解る訳ないだろ。後ろ見えないの分かるだろ?」
「はっはっは! 確かに! ごめんねえ。『知恵』を象徴する天使なのに、困ったもんだ」
腹を抱えて笑う少年は、一寸の静寂の後、口を開く。
「君の背後にあるのは、『禊』を終えた『伊邪那岐』の『亡骸』さ」
「それが何だって言うんだ?」
「んー。今回の騒動の発端、かねえ」
「どう言う事だ?」
「アダムも、アウトサイダーも、この『亡骸』に首ったけなんだよ。全く、元々、静子の宝物なのに」
「宝物?」
「そう。これは、静子の化身『伊邪那美』の夫の言うなれば、『遺体』なんだ」
「つまりは……アビスの『本神』の遺体という事か? 有り得ない。アストラル体のアビスの生命体に死体が残るなんて」
「『器』……あの剛毅の『天叢雲剣』を覚えているかい?」
「ああ。それがどうした?」
「それと同じ理屈……いいや。あの『器』達は、この『亡骸』がベースになっているんだよ」
「その『亡骸』がベース……?」
「そう。この『亡骸』というものはね? 『伊邪那岐』が、『伊邪那美』への罪滅ぼしの為に行った『禊』の『最終段階』に至ったものなんだ」
「ちょっと待て。話が見えてこない」
「ふふ。まあ、聞けよ」
首を振る京馬へ笑い声を向け、少年は続ける。
「この『枝世界』に伝わる『日本神話』。それには、『伊邪那岐』が死して黄泉へ行ってしまわれた『伊邪那美』へ会いに行き、そして逃げ出した後に自身の体を清める為に『禊』を行ったとされる」
言い、少年はまた何かをコンコンと小突く。
「だが、『これ』の真実はこうだ。自身が黄泉へ行ってしまったが為に、『呪われ』、変質した『伊邪那美』への罪滅ぼしの為……自身が『あらゆるものの次元を引き上げる』という能力を引き継ぎ、『伊邪那美』の代わりに、『子』を産み落とす。その引き継ぎの儀式こそが、『禊』だった。何時の世も、真実とは時と共に都合良く改竄され、霞んでゆく。この世界の『第二の失楽園』の様に」
ふふ、と微笑し、少年は面白可笑しく言う。
「『あらゆるものの次元引き上げる』能力を授かった『伊邪那岐』は、その力を振るい、あらゆるものを一次元、二次元へと引き上げ、『素戔男尊』、『月読』、『天照』などの多くの神を生み出していった」
「まさか、それが……」
「そう。この『亡骸』……『十拳剣』の一つ、『天之尾羽張剣』はその『伊邪那岐』の力を持っている。この剣の一振りで、『神』を生み出せるんだ。そんな反則級のものを、誰が欲しがらない?」
不敵に笑んだかと思えば、少年はまた何かを小突き、続ける。
「そして、本題だ。『伊邪那岐』は多くの神を生み、そして『高天原』に、神の居城を創った。だが、そこで『伊邪那岐』は悟った。自分の罪滅ぼし──存在する理由はここまでと」
「それで、『亡骸』になったのか?」
「そうだ。『伊邪那岐』は、その世界の中心、『神の枝』に自身を同化する事によって、半永久的に存在を保つ事になった。後任の『管理者』に『天照』を据えてな」
「ちょっと、待て。それは──」
「『メタトロン』」
少年は、京馬の言葉を遮る様に、重ねる。
「そうだ。それは、『この世界を管理する天使』と同じ行為だったんだ。そうなった存在は、『世界が消滅しない限り』、半永久的に生を持つ」
「だが……『高天原』を『枝』とした『その世界』は滅んだんだろう?」
「ふふ。そうだね。『天照』が『伊邪那美』を宿す静子によって倒され、管理者のいないあの世界は確かに滅んだ。だが、それは『高天原』であり、その下に拡がる君達が住んでいる『この世界』と同じ様な人の世界だけだ」
「──つまりは、『ここ』は生きていたと?」
一寸の思慮の後に告げた京馬の言葉に、少年は大笑いして相槌を打つ。
「あ、あは、あははは! そう、その通りだよ! 凄いねえ、『あの時』は、そんな頭が回らなかったのに、インカネーターってのは、そんなに人を変えるものなのっ!?」
「……あの時?」
「う……! あ、はは、はは! 何だよ? 僕も一応は天使だ。君は、天使達の中で有名人だったんだよ? そんな有名人を僕が知らない訳ないじゃないか!」
はぐらかす様に笑い声を挙げる少年に、疑念を抱く京馬。
「まあ、分かった。続けてくれ」
だが、その疑念は恐らく晴れる事は無いだろう、と京馬は思慮する。
得体の知れない、異様な存在。
更には『ラジエル』。
その少年が宿す天使の存在を、京馬は知っている。
それは、『御前の七天使』の内の一人、『知恵』を司る大天使。
常に、自由奔放。
天使と人の争いが続いた数世紀。
その中で、唯一、人にも、天使にも『無関心』な存在。
京馬が『インカネーター指南書』で見つけた文献では、こう記される。
『かの天使。全知全能を知れど、自身の秘匿は明かさず』
「ふふ。どうやら、僕という存在をよく理解しているようだね?」
バシャ、と『何か』から飛び降り、少年は地を覆う水面へ足を付ける。
「お前が、いやらしい存在だという事はな」
近付いてゆく少年の声に、京馬は淡々とした声色で返す。
本当は、思いっきりため息を吐いて告げたい所だが。
「全く、酷いじゃないか。それに自分の立場を弁えてる? 君は、敵地に捕らわれてるんだ。そんな態度で良いのかね?」
「別に、俺は静子さんを、剛毅さんも敵だと思っていない。出来れば、闘いを避けたいと今でも思っている」
「あっはっは! こりゃ、凄いや。やっぱり、君は完全なお人好しだね」
「そうだな。それこそが、俺の『本質』だ」
何故だか、自分を旧知の存在の様に語る少年。
告げずとも、京馬は思っていた。
──この声、どこかで聞いた事がある、と。
「そうかい、そうかい。では、話を戻そうか」
そんな京馬の疑惑も知らず、徐々に耳元まで寄ってくる少年。
「そう、『ここ』──『黄泉』は残っていた。単純な話だ。なんて言ったって、ここは『伊邪那美』が統治していた世界だ。その『伊邪那美』そのものとなった静子が健在ならば、ここも維持出来るのさ」
「そして、ここが『神の枝』の代わりとなり、『伊邪那岐』の『亡骸』がここに存在していると?」
「そうだ。そして、『伊邪那美』──静子が討ち取った『神』は、『伊邪那岐』の力で変容した『黄泉』の中で『器』として残ったんだ。どうだい? すっきりしたろ?」
「そうだな。だが、何故そんな事を俺に教える?」
京馬の問いに、少年は薄ら笑いで、耳下へと口を近付ける。
「君が、この世界を救う救世主だからさ」




