Scene 22 追憶の亡霊
僕の小説を見て頂いている読者様方、いつもありがとうございます。
南の島から戻ってまいりました。
今回の話は第一部の二章、Scene10、16辺りを見れば何となく理解出来るかと思います。
一応、第二部からでもすんなりと入れる様にしているつもりですが、上記の回を見れば、より理解しやすくなると思います。
視界を遮る濃霧が、相も変わらず漂っている。
「ここは……どこだ?」
しかし、広々とした湿地帯、黄土の空、周囲から迫る様な圧迫感、不安感。
その場所は間違いなく先程まで京馬がいた『世界』では無かった。
(いえ、京馬君。あなたは、ここがどこか知っている筈よ?)
心の中で響くガブリエルの声は断言的な物言いで告げる。
「『黄泉』か」
一寸の思慮の後、京馬は自身の問いへと返答する。
(そう。どうやら、誰かしらが発動させた『限定結界』の後、更にまた別の誰かが『二重結界』を張った様ね)
「静子さんだろ?」
(それ以外、無いでしょうね)
頷いた後、京馬は『力』を解放し、多量の羽と、青白く光る『弓』を発現させる。
(出来れば、使いたくないのだけど)
ガブリエルの声に、再度京馬は頷く。
ゆっくりと歩を進めようとした時であった。
「やあ! 久しぶりじゃないか。偽善者」
濃霧の中、明朗とした声が響く。
この静けさの中、その声色は返って不気味と感じる。
「嘘、だ……」
だが、京馬の心情はその様な不気味さを超越する驚愕で塗り潰されていた。
「嘘なもんか。はは、そんな能面になっちゃって」
有り得ない。
そんな訳が無い。
そんな事が起きてたまるか。
そんな事が起きないでくれ。
その顔、その表情、そのアストラル──
「全く。君が僕を『殺した』時は、もっと人間らしかったのに。随分と変わってしまったね?」
その男の言葉に、京馬の背筋がひやりと張り詰める。
「この分だと、僕の名前も忘れてしまったのかも知れないね? 『氷室』と言う名前、覚えているかい?」
おどけた調子で問う、氷室と名乗る男は満面の笑み。
不自然と感じるくらい、にこやかに笑む氷室は、一見、気さくな人相に見える。
しかし、その表情の裏に隠されているであろう男の『狂気』は、静寂の世界の中においても滲み出ていた。
「覚えていない訳が無い。俺が──俺が、『初めて』殺した人だからな」
何故、ここにいる?
何故、『殺した』俺を前に、そんな笑みを向ける?
何故、そんな俺の前に姿を現した?
「俺に復讐をしに来たのか?」
全ての『何故』を呑み込み、京馬は口を開く。
様々な負の『想い』を心の奥底に染み込ませ、京馬は最も可能性のある言葉を紡ぐ。
「あはは! 何でそう思うんだい?」
「当たり前だろ。俺は、殺したんだぞ?」
「そうだねえ。僕は、君の『想い』の力が憎らしかった。何故、想い、願い続けた僕にその能力が無かったのか。何故、君の様な青臭い餓鬼がそんな『本物』の能力を持っていたのか」
笑みを消し、氷室は赤子を抱く様に両手を掲げる。
「──もし、僕が『復讐』で君の前に現れたなら、君の大事な者達に手を掛けようとするなら」
氷室の手に沿う様に発現された大鎌。
滲み出る氣は、禍々しい漆黒。
「君は、どうするっ!?」
氷室は両手で持った大鎌を旋回させ、遠心力最大に京馬へと振るう。
空気を裂くばかりの猛襲に、京馬は一寸の戸惑いを残しつつ、冷静に青白い弓で受ける。
「どうするだと? そうなれば、また『殺せなきゃ』いけない」
振り出された大鎌の一撃は、しかし、京馬の腱すらも微動だにさせなかった。
故に、否、京馬とって視線を向けた時から分かっていた事だった。
圧倒的な力量差。
どう贖っても、今目の前にいる男は、今の京馬に傷一つさえ付けられないと。
「本当に、そう思ってる?」
大鎌を退け、再度、氷室は振るう。
今度は、水平の振り抜き。
京馬の胴体目掛けて振るわれる一撃は、やはり、いとも簡単に受け止められる。
「この力の差だよ? 今の君ならば、本気を出さなくたって、一瞬で僕なんか消し炭になっちゃうよ」
「……それを知っているのに、何故、俺と戦おうとする?」
弓の握り部で受けた大鎌の一撃は、やはり、微動だにしない。
もし、目の前の男が『復讐』として、今、京馬と対峙しているのならば、明らかな準備不足だ。
だが、氷室は作った笑みを崩さずに告げる。
「只の、『自己満足』さ」
笑みを深め、氷室は再度、大鎌の一撃を叩き付ける。
「止めておけ。無駄死にだ」
打ち下ろされた大鎌の一振り。
しかし、それは振り上げた京馬の弓の殴打と激突し、拮抗する事無く大鎌は空中に放り出される。
「本当に……何が目的だ?」
大鎌を放り出され、手持ち無多汰の腕を垂らす氷室。
だが、その状態であるにも関わらず、氷室は呆気に取られるのみ。
そこに、危機も何も無い。
だが、京馬は理解していた。
目の前にいる男が、自身に対して何も『憎悪』が無い事に。
京馬は、その氷室に対し、弓の弦に新たに発現した青白い五つのを矢かけ、その照準を向ける。
「打たないのかい?」
「戦意の無い人間を殺すのは、俺の『信念』に反する」
「ふふ。そうか。ばれちゃったか。君……成長したね」
嘆息し、氷室は告げる。
諦めなのか、悟りを開いたかの様な口の吊り上げに、京馬は首を傾げる。
「今の俺を……試したのか?」
おおよそ考え得る現状のもっとも該当するであろう答えを、京馬は口にする。
戦意も無し、問答を続けるこの男の行動理由を、京馬はその答え以外に思考出来なかった。
「まあ、その通りだね。風の噂では、君の活躍を聞いていたけど、実際に手を合わせてみないと分からないかな、と思って」
「だけど、確信したよ。君が僕を葬った、その蒼──『想い』は、更に強大になって、他の人を惹き付ける程までに魅力的になったって」
何故だか楽しそうに告げる氷室。
だが、京馬は知っている。
目の前にいるこの男が、京馬の『想い』と、世界を憎んでいる事を。
「──俺が、憎く無いのか?」
だからこそ、京馬は疑問に思う。
何故、その様な男が自分ににこやかな笑みで居続けられるのかを。
「ふふ。やっぱりね」
氷室は、確信付いた様に、口元を吊り上げる。
「君は、未だに『迷い』があった。僕を殺したのを皮切りに、君の中で打ち立てた信念とやらの一欠片の欠陥。この一年間の間に悪──自身の目指す先に立ちはだかる多くの敵を手に掛けた事への躊躇いがあったんだ」
「それは、『人』である限り、誰であってもあるだろう?」
「そう。だけど、君は『人』を止める事を決意した。その全ての人を幸福にするという『世界の創造』の為に」
氷室は、その指を京馬に向ける。
その指先と共に、視線を京馬の澄んだ蒼の瞳へと。
「君は、もう僕達『葬られた側』を背負って生き続けなければならない。それは、重く、辛く、悲痛な枷だろう?」
「そうだな。だが、俺は全てを背負い、無駄にしない為にも、自分の『世界の創造』をしなければならない」
「それが、お世話になった人とも対峙するとしても?」
悪戯に笑む氷室の問い掛けに、京馬は頷く。
「ああ、そうだ」
「そうか。それを聞いて安心したよ」
ふう、と胸を撫で下ろす氷室。
以前に京馬が対峙した時とは打って変わったその表情、仕草。
「氷室……お前は、未だ俺を憎んでいるのか?」
それは、とても自身を憎んでいた者と同質のものでは無い。
京馬は、不安を内包しつつも問う。
「憎む? だって、僕自身が言ったじゃないか。君に『殺してくれ』と」
「だが──」
「本当に、君は底無しに馬鹿で良い人だね。──僕は、君に救われたんだよ。その『蒼』に包まれてね。そして言ってしまえば、僕は君を尊敬しているよ。誰もが背ける茨の道を選択し、進み続けているんだから」
霧が氷室を包み、徐々にその姿を覆い尽くしてゆく。
まるで、夢の世界の様な、幻惑の様な──
「ありがとう。坂口京馬」
再び、屈託なく笑む氷室は、完全に霧の彼方へと消え去る。
「……ありがとう。氷室」
それは、或いは本当に幻であったのかも知れない。
だが、その幻が告げた言葉は、長い間続く京馬の葛藤を優しく撫で下ろすかの様に、その精神を清めた。
「お前の『想い』。俺は無駄にはしない」
微かに強める弓の光。
京馬は、その弓を抱き締め、霧散させる。
京馬が霧の世界に投げ出され、そして歩を進めてしばらく経った。
辺りは、相変わらずの黄土の空、滲む様な泥が靴下に付く湿地帯。
「あれは……?」
前方に、幽かに揺らめく町々が見える。
その蜃気楼の町は、足下の水面の様に波紋を拡げ、波立たせている。
(あれは……『貯蔵庫』だわ)
京馬の疑問に、ガブリエルは答える。
「『貯蔵庫』? この黄泉自体が貯蔵庫じゃないのか?」
(そう。だけど、あそこは……所謂、君達の世界で言う『霊体』──アストラルのみの『人』が暮らす居住区)
「じゃあ、そこには『俺達の世界』で死んだ者もいるというのか」
(アストラルが『分解』されなきゃね。もしかしたら、さっきの氷室も完全にそのアストラルが分解されず、アストラルのみで漂っていたのかも)
「じゃあ、もしかしたら、あの『フォールダウンエンジェル計画』で死んだ人達もいるかも知れないのか」
その蜃気楼の町に足を向け、京馬が向かおうとした矢先であった。
「お前、もしかして京馬か?」
その町を護るかの様に、堂々と胡坐をかいて座る男。
その男が地に突き刺すは、焔を纏いし双剣。
目を細めるその男を、京馬はしばらく見続ける事しか無かった。
言葉が出ない。
薄々では、死んだと思っていた。
諦めかけていた。
苦楽を共にした、かつてから慕っていた人物──
「いや、その風貌は間違いないな。久しぶりだな」
「お久しぶりです。剛毅さん」
涙が出そうになる。
否、京馬は流しているつもりであった。
この感動の再会を、忌々しい『代償』はどうして邪魔をするのだろう。
京馬は、自身の呪いとも言える感情を表に出せない事をこれほど無く悔んだ。
「生きていた……いや、『死んで』、ここにいるんですか?」
京馬の問いに、剛毅は首を横に振る。
「残念だが、俺は『死んだ』。だが、『交渉』の後に俺は疑似的な『生』を得た」
「『交渉』……?」
「お前も知っているだろう? 静子は、黄泉の支配者。あいつと俺は、ある『利害の一致』の下で協力する事にした」
感動の後の暗雲。
嫌な予感がする。
それは、京馬の内の歓喜を打ち消し、高揚を不安の一色に塗り替える。
「どう言う事ですか?」
聞きたくは無い。
だが、暗雲を取り除くため、聞かなければならない。
淡々としたそれこそ能面とした言葉。
しかし、苦渋の問答は、京馬の奥底の口元を震えさせ、放たれた言葉も震えさせるかの様な想いと共に紡がれる。
「俺は、静子の『死と生が調和する世界』の『創造』を手伝う事にした。そう。つまりは、俺とお前らは敵同士ってこった」
再び、言葉が出ない。
暗雲とした不安と言うものは、相場的に言って的中するものである。
京馬の沈む様な悲しみともどかしさは、だが、その表情には表れない。
「何故? 何故ですか?」
悲痛の叫びで、問い掛けたかった。
激しく訴えかけて、かつての恩師の一人である目の前の男を止めたかった。
「俺には俺の、『叶えたかった』ものがある。お前等の命を犠牲にしてでも」
地に突き刺した双剣の片方を抜き取り、剛毅はその剣先を京馬へと向ける。
「ほれ、餞別だ」
そして、もう片方の剣が突き刺した後方。
京馬からは死角となった所から、剛毅は何かを鷲掴みし、投げ入れる。
それは、ごろごろと京馬の足下へと転がり、その全貌を現す。
「人の頭、か」
恐怖は無い。
京馬は、この力を得て、幾度とない死線を潜り抜けてきた。
だが、それ以上に目の前の『元』恩師が行った行動に、深い悲しみで包まれる。
「そいつは、お前を捕縛結界に取りこんだ奴だったんだろうな。『朧』が何だとか抜かしていたが、俺が葬っておいたぜ」
言い、剛毅は左手にもう片方の炎剣を握り締める。
「俺の『想い』は、そんなにも苦難を必要とするのか?」
決意は、出来ていた。
アダムという組織の『世界を在るべき姿の戻す』という目的に反し、自身の望む『世界の創造』をする。
その為に、いつかはかつての味方とも刃を交える事になるであろう。
だから、今の様な現状も『ある程度』は予想していた。
しかし、その予想をも超える無慈悲な現実は、京馬の奥底に深く突き刺さる。
「闘いたくは、無かった」
呟く声は、しかし単調そのもの。
言葉で説得しようにも、こんな平坦な声では届く訳が無い。
「さあ、その骸は俺とお前等、アダムへの決別の証だ! 言葉は入らねえ。とっとと始めるぞ!」
京馬の沈む想いとは裏腹に、剛毅の滾る『信念』と『決意』を象徴するかの様な燃え盛る炎剣は、その熱量を増してゆく。
自身の仲間を裏切り、自身の『想い』を成就する。
剛毅と言う男が、その決断を下すのならば、それは絶対の決意。
「だが、闘わなければならない。俺が下した、人々の為に」
所詮、その剛毅に説得は無駄なのは分かっていた。
なればこそ、自身の『信念』と『想い』の為、かつての恩師と刃を交えよう。
この『蒼』をもって、この『想い』と共に。
この燻る『想い』を解き放て。
全身全霊を持って、その『想い』を勝ち取りに。
「『壊れた世界の反逆者』」
京馬は、蒼い奔流を迸らせる剣を発現させ、強く握り締めた。




