Scene 21 戦神の格闘王は只、勝利を渇望する
「『限定結界』……成程。あの得体の知れない奴ならば、使えても不思議では無い」
長大な石膏の柱が多数突き出る。
その地には整備された様な芝生が敷かれ、遠方を見渡せば、天をも穿ちそうな聳える壁面が周囲を取り囲む。
円を描く様に壁で満たされたその世界は、一言で言えば天然の闘技場。
「何にせよ、早速お出ましと言った所か」
桐人がマシリフ・マトロフの『限定結界』による強制転移によって送りこまれたのは、その様な『捕縛結界』であった。
「ぶわっはっは! さあ、『元管理者』とやらの実力、試させてもらおうか」
響かせるその声は、桐人の頭上。
世界を照らす陽に被さる様に、巨躯の男の影が迫る。
桐人へと振り下ろされる剛腕の一撃。
「……速い。が、単調だ」
だが、桐人は地を蹴り、後ろへと大きく跳躍する。
「そんな避け幅で、大丈夫か?」
対象を見失った男の拳は、地を打ち付ける。
地は陥没し、多量の砂塵が舞う。
鳴動し、激しく揺れ動く空間。
空振りの一撃は虚しく世界に変化を与えたに過ぎない。
だが、それでも男は口を吊り上げて笑む。
「──ぬっ!?」
突如として、砂塵から桐人へと接近する物体。
一つだけであれば、桐人は如何様にしても楽々とその追撃を避けられた。
だが、それは砂塵の影から桐人を取り囲む様に、幾重も迫ってくる。
「『風の巡礼者』」
緑の魔法陣から介すは、極小の風の精霊達。
それらは、桐人に空中の『足場』を造らせ、桐人は次々と出現する不可視の足場を使い、跳躍してゆく。
「追尾するのか」
だが、桐人へと襲い掛かる物体は、進行方向を変えて牙を剥ける。
さあ、どうするか。
『シルフィード・ライン』で叩き伏せる?
その物体がどの様な作用を及ぼすか分からない。
ならば、七十二柱の内の一つ、『ダンタリオン』の多重幻覚?
その物体の追尾機能がどの程度まで洗練されているか分からない。
それに、『準備』が必要だ。
「では、こうしよう」
避け続け、東京タワーをも軽く上回る1,091フィートより更に上空まで飛翔する桐人はしばらくの思慮の下、行動に移す。
「『アンドロマリウス』」
緑の魔法陣から介すは、鉄製のスコープ。
片目に装着されたそのスコープで桐人は、その物体を見る。
高々と登る物体は、砂塵が晴れ、その姿を露わにする。
油が水に滲んだ様な、奇妙な模様が描かれた紫の正方体。
その周囲を何らかの『固有能力』の『氣』が充満している。
「解析」
桐人は、その氣へと焦点を合わせる。
ロックオンされた桐人を襲う『力』は、スコープによって瞬時にその『種類』を観測される。
「『二物体で挟んだものを潰す』。成程。アビス的観点で言えば、『有無を言わさず絶対的』と考えれば良いか」
解析で導き出された相手の固有能力。
それは、対象を『潰す』。
それだけの能力。
だが、桐人の言う『絶対的』とは、つまりは『どんなに強靭』であり、『どんな手を使おうとも』、その物体の狭間に食い込まれたは最後──
ぐしゃりと、『存在』を潰される。
深く息を吸い、桐人の表情はそこで初めて険となる。
スコープを霧散させ、その解析結果から、桐人は結論する。
「中々の、強敵だ」
だが、同時に『アンドロマリウス』の解析は、桐人へ打開策を打ち立てる。
桐人の周囲を蚊の様に旋回し、執拗に挟みこもうとする敵の『固有能力』である物体。
これらが付け狙うは、桐人という精神──アストラル。
それは、アビスの力を持つ者が等しく備わっている相手の精神力の感知を上回る精密性だ。
「『軽快な足音』」
緑の魔法陣が桐人の全身を駆け上がる。
極限までに俊敏性の上昇に傾倒したその魔法により、先ずはその物体を躱し切る術を身に付ける。
「『フルカス』」
更に桐人は七十二柱の悪魔の一人の名を呼ぶ。
桐人の側に、挽肉を詰め、無理矢理に人型とした『肉人形』が形成される。
「何時もは、『加工』するんだけどね」
桐人がその悪魔を使用する際、相手の『視覚』をもカモフラージュする為に自身の映し見をコピーさせる。
だが、『自身の精神を注入した』その肉人形の役割は、今回ではそこまでと判断する。
「ふ、はは! さあ、出だしの種は分かった!」
タイミングを見計らい、桐人は不可視の足場を勢い良く蹴り上げる。
その行き先は、遥か下で口を吊り上げる角刈り金髪の白人──恐ろしい『固有能力』を持つ敵。
桐人のアストラルを保有する『肉人形』は物体達に挟まれ、無慈悲にもミンチとなる。
その後、桐人へと向かうが、もう遅い。
『軽快な足音』にて超瞬速と化した桐人が勢いをつけたその速度は、現実のジェット機をも軽く凌駕する光速に近い。
「『雄大なる軍神の腕』」
だが、男はそれでも双眸を光らせ、茶の魔法陣を展開する。
「ははっ! だろうなぁ! その程度でやられちゃあ、困るぜ!」
発現されるは、両肩から生え出る八本の腕。
「格闘王、エルネスト様の本番はここからだぜぇ!」
光をも置き去りにし、残像を残す程の桐人の神速の突き、斬撃。
だが、エルネストと名乗った男は、ナックルを装着した八本の腕をしならせ、その一撃、一撃を容易に弾き返す。
「手数には自信があったのだがな」
エルネストの首元、胸元、脚──致命的、若しくは行動不能となるであろう箇所を狙う桐人の攻撃は、しかし、エルネストへと一切届かない。
「ぶわっはっは! ああ、前評判にしちゃあ、肩透かしも良い所だぜ!?」
徐々に、守勢から攻勢と入るエルネスト。
振りかぶる拳撃の勢いを強め、その乱打は次第に桐人のシルフィード・ラインを弾き始める。
「さあ、さあ! 俺の『クラッシャー』も背後から迫ってくるぜ!? このまま、俺に撲殺されるか、物体に潰されてぺしゃんこになるか! てめぇで選びなっ!」
意気揚々と、エルネストは歓喜の笑みで力強く桐人のシルフィード・ラインを殴打する。
「くっ!」
めり込む剛拳は、剣先に亀裂を生みだす。
「おら、おら、おら、おら、おらぁっ!」
更なる連打により、バキバキと破砕音を響かせ、砕け散る桐人のシルフィード・ライン。
剣先の欠けたその剣槍で、桐人は必死の防御を試みる。
「不味いな」
背後から迫る死を宣告する様な禍々しい物体。
更には、桐人の瞬迅をも上回るエルネストの乱打。
「『フラロウス』」
だが、その瞳は絶望へと染まる事は無かった。
その眼は赤の魔法陣と共に、紅く染まり切る。
それは、単純な充血で血走る眼では無い。
滾る様な灼熱色へと化した桐人の眼は、エルネストを睨みつける。
「ぬ、ああぁっ!?」
突如、エルネストの顔面に火の手が上がる。
目をきつく閉め、エルネストはその屈強な体で見悶える。
「『ガープ』」
その隙に、桐人は茶の魔法陣と共に、悪魔の名を呼ぶ。
「んな、チャチな攻撃、してんじゃねえよ!」
炎を払い切ったエルネストは、更に速度を上げた光速へと到達するであろう拳撃を放つ。
僅かな時間であった。
一寸のエルネストが払う動作。
アビスという『概念』で『高速化』された二人の会話、反射神経。
『払う』という動作も同義であり、実際の物理概念では、電流が流れるかの如く、ほんの僅かな間。
その僅かな間で、桐人は勝利を確信したかの如く、口を吊り上げる。
「んなっ、だとぉっ!?」
エルネストの必殺の一撃は、確かに桐人を、否、そのアストラルを捕えた筈であった。
だが、その拳は空を切る。
エルネストの拳圧で、周囲を取り囲む石膏の柱が綺麗に吹き飛ばされる。
再び砂塵が舞う空間。
エルネストは、喜々とした笑みを消し去り、張り詰めたその空気を吸い込む。
「ち、今度はどんな『悪魔の力』を発動させやがった」
視線を周囲に配らせ、エルネストは身構える。
──何も『感じない』。
先程までいた桐人という『存在』。そのアストラル。
それすらも途絶え、対象を失った多数の物体は、宙をひたすらに漂う。
その状況。
只ひたすらに、不気味である。
「ふん。舐めるなよ?」
だが、口を吊り上げ、エルネストは呟く。
『殲滅部隊』、『朧』。
彼がその部隊に入るは、或いは必然であったかも知れない。
その精神の根源は、『勝利』への執着。
かつて、『人であった』時──
彼は当時では無類の総合格闘技のチャンピオンであった。
だが、その座を固執するあまり、その界隈での禁忌に触れてしまった。
そこからは、転落の転落の人生。
多くの、金も名誉も恋人も、そして尊厳も失った彼は、スラヴ神話に伝わる軍神『スヴェントヴィト』を宿す事になる。
その後、アダムの追手を振り抜き、只ひたすらに彼は『勝利』を求める様になった。
「『勝利』を、我にっ!!」
手を翳し、空に吠える勝利への飢餓者。
「『覆されぬ王者の威厳』」
エルネストが告げるが同時、周囲を漂う物体群がエルネストへと収束する。
正方形とした形状のそれは、折り畳まり、湾曲、展延。
「ぶわっはっは! さあ、一気に、ぐちゃぐちゃに『潰してやんよぉっ!』」
『潰す』物体が収束し、エルネストの体表に形成するは『鎧』。
怪しく、そして鈍く光る氣を凝縮した鎧の周囲。
粉塵の一つ、一つが触れる度、プスリと霧散してゆく。
「絶対防御、絶対攻撃、絶対無敵! この俺様の『粉砕鎧』の前に、どう攻める!? 『元管理者』様よぉっ? ぶわっはっは!」
意気揚々に、高々と笑うエルネスト。
(やれやれ、よく吠えるゴリラめ)
そして、桐人はそのエルネストの様子に嘆息する。
(そろそろだ。では、『俺も本番といこうか』)
口を吊り上げ、桐人は左手の薬指に嵌めた指輪に口付けをする。
「汝らの主、ソロモンが告げる! 『ベリアル』、『ダンタリオン』、『シャックス』!」
突如として、エルネストの背後から桐人が姿を現す。
威厳を持ち、放たれた言葉と共に、桐人は七十二柱の悪魔の内、三柱の悪魔の名を叫ぶ。
「ぶわ、ははははっ! 待ちくたびれたぜぇっ! この臆病者がぁっ!!」
振り向き、エルネストが瞬迅の速度にて桐人へと突貫する。
「我がアストラルを持って、『服従』されよ! 『幻影無尽の炎獄車輪』」
桐人が発現するは、赤と青、そして黒の魔法陣。
その発現と同時、周囲を宵闇が取り囲み、桐人が跨るは宵闇を焦がすかの様な焦熱の炎を放つ『戦車』。
桐人が握る手綱の先、繋がれるは様々な『生物』の顔を多頭に生やす黒馬。
「『合成魔法』……くく、内の『教授』と同じ、手前もイカレ野郎って事かい!」
その異様な威厳を持つ戦車へと乗る桐人に対し、エルネストは寧ろ、その闘志を焦がし、高揚で深く口を吊り上げる。
「『潰れて』、『弾けな』っ!」
エルネストが地を踏む度、その地は浮き、そして空中で『潰され』てゆく。
それは、エルネストが身に付ける鎧が放つ、固有能力の氣が成す、不条理の粉砕。
「もう終わりだよ。お前が限界を超える『過負荷駆動』を使わなければね」
桐人へと到達し、振り抜かれるエルネストの拳。
「ふ、ぐ、おおぉぅっ!?」
だが、それは振り抜かれる事は無かった。
否、『振り抜いた筈が、自分の胴体に拳をめり込ませていた』。
『潰す』と『潰す』の氣の対衝突。
圧縮された氣は、爆迅となり、エルネストを吹き飛ばす。
「ぬ、があああぁぁぁっ!」
何柱もの石膏の柱を吹き飛ばし、だがエルネストは地へと振り抜いた『粉砕』の氣の反動でその一方向への力を緩和させる。
「ふふ、『殲滅部隊』。そんなものなのか?」
不敵に笑む桐人の声。
しかし、エルネストの視界には、何も見えない。
「う、うぐ、ぐ、は、はああぁぁっ!?」
否、その眼が映すは焦土に焦がれる『自分』。
何十もの自分が焦がれ、灰塵と化してゆく。
エルネストも長い事、このインカネーターの世界にいる。
だからこそ、これは『幻覚』であると理解していた。
だが、眼が映す自身が燃え尽きる度、その『精神力』が削られてゆくのが分かる。
「甚振られるのも、辛いだろう? 楽にしてやる」
響く桐人の声と共に、迫る地獄の戦車。
そこに跨るは、炎を纏いしシルフィードラインを持つ桐人。
「ふ、ざけやがってええぇぇぇっ! ああ、やってやるよ! 俺の『大サービス』を拝ませてやるぜ!」
エルネストの周囲を取り囲み、四方から迫る多数の桐人の『幻影』。
この自慢の『鎧』ならば、まとめて『潰す』事も容易であろう。
だが、エルネストは判断する。
桐人と言う男は寧ろ、それが狙いだと。
自身が氣を一方向へと発した際に出来る鎧の氣の減少。
そこを、この『多重幻覚』のどこかしらから狡猾なこの男が狙いに来るに違いない。
故に、エルネストは一撃勝負に賭ける。
否、寧ろ消耗戦となれば、明らかに多数の手を持つあちらが有利であろう。
「『過負荷駆動』!」
だからこそ、この判断は適切で必然であろうとエルネストは思う。
そして、同時、沸々と沸き上がる高揚感が彼の心へと注ぎこまれる。
(さあ、『勝利』を我が手に!)
その高揚を放とうとした瞬間であった。
「貴様らか。俺達の『黄泉姫』を陥れようとしたのは」
言葉と共に、エルネストの目下、雷電を纏う剣先が突き出る。
「な、何、だ、とぉ?」
嗚咽と共に、エルネストは口内から血を噴き出す。
予測不可避の奇襲。
だが、それよりもエルネストが驚愕したのは、その鎧の『粉砕』の氣をも潜り抜け、自身の胸を突き刺すその一撃。
「『技の盗難』。頂くぞ。お前のその『固有能力』」
無情にも倒れ伏せるエルネスト。
「お前は……そうか。『あの時』、行方不明とあったが」
自身を追い詰めようとした強者を呆気なく屠った男は、崩れ落ちるエルネストの背後から姿を現す。
「生きて、『そっち側』に付いたか。『志藤』」
だが、桐人はその男を見て、合点がゆく様に頷く。
「久しぶりだな。桐人」
やや痩せた体型の少しばかり老けこんだ顔立ち。
落ち着いた紺のコート、そしてジーンズを着るその男を桐人は知っている。
「『元』アダムのお前が俺の援護をしてくれた……何て事は無いだろうな」
苦笑し、志藤は頷く。
自嘲染みたその笑みは、まるで自身を呪っているかの様であった。
「ふ、はは。桐人。お前のそれは皮肉か? 『リチャード』の過去を知るお前ならば分かるであろう? 『黄泉姫』の『巫女』としての以前からの能力を」
呆れ声で告げる志藤は、両手を水平に持ち上げる。
その右手には雷電纏う突起が多数に突き出た刀。
一方の左手には五指に挟み込んだ多量のナイフ。
「お前は『死んで』、そして狙いは俺を『攫う』事か?」
「御名答」
口を吊り上げ、志藤は両手に持つ武器群を構える。
「やれやれ、キツイ戦闘の直後であると言うのに……」
桐人はため息混じりのお茶らけた声色で呟くも、戦慄する。
(こいつは、一筋縄ではいかないな)
焦炎の戦車──地獄の様な圧倒的な恐怖に跨る桐人は、しかし、その額に冷や汗を伝わせる。
(不味い。不味すぎる。あの『混沌の崇拝者』が『限定結界』を使った筈。勿論、狙いは『咲月』だ。それに、京馬君……この現状、予測すると『あいつ』も──充分に有り得る。『あいつ』の望みは、恐らく、静子の『世界の創造』の理想と同じだ)
歯を引き締め、桐人は雷神の如く、紫の雷を迸る男と対峙する。
(京馬君。君は、『あいつ』と戦う事が出来るのか?)
不安を拭い去る様に、桐人は更に強く得物を握り締める。




