Scene 20 不浄者の標的
「ふ、ふへ、へ。『限定結界』」
邪悪を彷彿とさせる不気味な笑みを霧の中で構築し、少女『となった』狂人は告げる。
京馬達を引き裂かんとする抗えない空間のうねりは、一同を各々の別の捕縛結界へと取り込んでゆく。
「『探索者』である私にはこの程度、造作も無い事」
ふひゃはは! と、不気味な雄叫びの如く叫ぶマシリフ・マトロフの眼前には、一人の少女。
「京馬君っ!? 桐人さん、エレンさんっ!?」
突如として孤独となった咲月に相対するは、かつて川辺で遭遇した無垢なる少女。
「お姉ちゃん、また会ったね」
その自身よりも背丈の低い少女を咲月は見、そして本来、居る筈の無いその存在に問い掛ける。
「み……命ちゃん?」
「そうだよ! 覚えててくれたんだね!」
そう明朗に告げる『命』は、嬉し顔を浮かべ、咲月へと駆け出す。
「嬉しいなあ! また、お姉ちゃんと会えた!」
少女らしい屈託ない笑顔をそのままに、『命』、否、マシリフ・マトロフは告げる。
瞬時にして、緑の魔法陣と共に発現された群青色の鞭。
それは、マシリフ・マトロフの化身である『ドゥルジ』の『不浄』の氣を放ち、咲月へと振り上げられる。
「ガメちゃん──食べて」
だが、その一撃が咲月の体を腐食させ、抉り散らす事は無かった。
何時の間にやら地から生え出た黒光りする巨大な食虫植物の様な『生物』が、その体を抉られながらも、マシリフ・マトロフの一撃を止める。
だが、『ガメちゃん』と呼ばれた植物の群は、そのまま増殖し、マシリフ・マトロフへとその蔦を伸ばしてゆく。
「何と……ふひ、ふへ、へへ。無挙動で、隙無く発現させるとは。それが、あなたの『固有武器』ですか」
その深緑とした生物の襲撃に、つま先を蹴り上げ、マシリフ・マトロフは後退する。
「命ちゃん……あなたは、何者?」
そうマシリフ・マトロフへと告げる咲月の表情は、先程までの穏やかな、ごく普通の女子高生然としたものでは無くなっていた。
明らかな殺意をその眼差しに投影した様な冷やかな瞳は、異質な存在であるマシリフ・マトロフでさえも、戦慄を覚えさせられる。
「ほう。ふへ、へ。成長したものですねえ。貴方も」
心底、関心した様に、頷く少女の様であり、そうでない者。
「私を、知っているの?」
「勿論。貴方は、我が愛しく、崇高なる『混沌』が一目置くとされる存在」
後、口を大きく吊り上げ、マシリフ・マトロフは告げる。
「『神の実から生まれ出でるもの』──この世界を、破滅に陥れる、『究極の生物』なのですから」
マシリフ・マトロフから放たれたその言葉。
それは、咲月の眼を充血させ、瞳孔を開かせ、だが、その激情を抑える様に、唇を引き締まらせる。
「あなた『も』、『這い寄る混沌』なの?」
その咲月の問いに、マシリフ・マトロフは首を左右に振る。
「いいえ。ですが、私はあのお方を崇拝していますので」
周囲の道路がバキバキと音を立てる。
風化し、枯れ果てた根が飛び出し、地はたちまちに黒々と変色してゆく。
空を漂う蝶は皺枯れ、木の枝を鋭敏に動くリスは腐肉を撒き散らす。
「あなたを、『封印』します」
告げるマシリフ・マトロフから円弧に拡がる『腐食』の氣は、辺りに腐臭を撒き散らしながら、破滅させてゆく。
「そう。だったら──」
辺りを、多角の世界が駆け巡る。
人という存在では、およそ掴めないであろう多次元が通り過ぎた後、二人が立つは黄金の神殿の中庭。
「異形なる神を纏いし、決意を込めて!」
旋回する咲月の周囲を、様々な色彩の光が包み、そこに黒々とした氣が纏わりつく。
それらは、咲月の身体へと収束し、型を取る。
魔法少女。
どこかしらのアニメなどで既視感のある、そのような衣装へと咲月の服装は変化する。
髪色はおよそ一般社会では常識的では無いピンクに。
だが、その髪を止めるピンには、異形とする神を称える漆黒の紋章。
相対する様に、鮮やかな青と緑のグラデーションで象られる女神のペンダント。
「邪神を従えし、創造の魔道少女、ここに見参っ!」
くるくると発現した杖を回し、咲月は声と共に決めポーズをとる。
その黄金の杖には、取り囲む様にして深緑の蔦が絡まれている。
「邪神を従えし……ですか」
ふへ、へへ。と、マシリフ・マトロフは不気味に笑む。
「『喰い破られる』の間違いでは?」
愚かしそうな、蔑みの眼は、咲月を見つめる。
「『エレメント・ビット』、『ウンディーネ』、『サラマンダー』」
だが、マシリフ・マトロフの問い掛けに、咲月は無言の敵意で応える。
「あらあら、咲月。どうしたの? あなたらしくないじゃない?」
「ふほ、ほほぅっ! うっひゃー、滾るぜ、滾るぜ! もっと燃えてくれよぉ! 咲月!」
清らかな水の潤いを滲ませる鱗をはためかせる掌に収まりそうな極小の体の人魚。
対して、闘志の様に燃え盛り続ける鱗を持つ蜥蜴。
それらの青と赤の眩きを放つ『群』が、咲月の呟きと共に発現される。
『森羅万像の創造姫』。
それは、咲月の『あらゆるものを生み出す』という固有能力によって、神の行いと同義とも取れる『創造』をいとも容易く行える為に付けられた『肩書き』。
だが、生み出すものによって、その精神力の消費が変化する為、万能とは言い難い能力。
「その様な『創造主』の真似事で、この私を倒せますかね?」
純真な少女の微笑みで、マシリフ・マトロフは告げる。
「『枝』の真似事? 違う。あなたも言ったでしょ? 私は、『枝では無く、果実』」
咲月は、口を吊り上げる。
元々は非好戦的な少女。
本来の相手ならば、咲月もこの様な敵意と戦意を見せる事は無かった。
「『果実』は、新たな『芽吹き』を与える」
だが、目の前の標的において、咲月はその『目的』の為、そして『自らに滲み入った憎悪』の為、強烈な『それ』を剥き出しにする。
その咲月の戦意に呼応する様に、地から大量の触手が生え出る。
多頭龍。
その戦意が剥き出したおぞましく、果敢な触手群はそう形容されるだろう。
「ふ、ふへへ。そうですねぇっ! 成程、あなたの中の『孕み神』は無限増殖する癌と同義ですよ!」
迫りくる、灼熱の火炎と叩き付けるかの如く圧を持つ水流、そして喰らい付くかの如く俊敏にしなる触手群。
直射で迫る咲月の攻撃は、しかし、マシリフ・マトロフの周囲から発生する『不浄』により、消し炭となり、水勢は衰え、触手は枯れ果てる。
口を吊り上げ、喜々としてマシリフ・マトロフは炎と水流を退けながら、咲月へと向かってゆく。
「ふ、へへ。さあ、その足でも腐らせて身動きを封じましょうか? それとも手を腐らせて何も抵抗出来ない上で、『深淵の最奥』に封じましょうか?」
鞭を振り回し、易々と咲月の数々の猛攻を払い除けるマシリフ・マトロフ。
「聴こえる? 『イシュタル』」
迫りくる脅威。
だが、咲月は戦慄とせず、自身の深層に潜む『女神』に問い掛ける。
「聴──るよ──咲月」
ノイズ交じりに心奥に囁かれる言葉。
だが、咲月にとって、その頷きの反応があれば、その後の言葉は関係無い。
「解放」
咲月の精神の奥底、美しい青と緑の衣を羽織る美女が『錠』を突き刺す。
黒々とした扉が軋む音を立て、開かれる。
覗くは、異形の眼光。
『黒山羊』。
そう形容出来る頭部が、深淵から咲月を覗き込む。
「う、あ、ああ!」
同時、咲月は喘ぎ、その瞳は魔に魅入られた紫へ。
「rjdotfm」
どの言語にも属さぬ言葉が呪いの如く囁かれる。
「『シュブ=ニグラス』!」
咲月は、その異形の名を叫ぶ。
地に生え出た触手は悶える様に荒々しく、そしてその表皮はより強靭に変化してゆく。
「な、何と……!」
全てを腐らせるマシリフ・マトロフの『不浄』の氣。
だが、より強靭と化した触手は、その氣に当てられようと、マシリフ・マトロフへと襲い掛かる。
「ふへへ、やりますね!」
マシリフ・マトロフはその身を翻し、自身が放つ『不浄』を意に返さない触手群の襲撃を躱し続ける。
「さあ、畳み掛けるよ! ウンディーネ、サラマンダー!」
「ふふ。力が漲ってきますわ」
「おらおら、パワーアップだ! はははっ!」
『創造』によって咲月が発現させた水と火の精。
それらは、咲月の言葉と共に、その光を更に眩かせる。
「『アンチ・エレメンタル・フュージョン』!」
咲月はその手に持つ杖を振るい、叫ぶ。
青と赤の眩きが混ざり合い、杖に凝縮。
大気が震える程に、その氣が膨れ上がる。
「『イグニショナル・フロード』!」
煮え滾る炎熱。
荒らしく渦巻く水塊。
科学的概念ではおよそ理解出来ない、混合物が杖に纏わり、大気を擦り切るかの如き金切り音を響かせる。
「まずいですね。『漆黒の沼』」
駆け出し、触手への攻防で精一杯のマシリフ・マトロフへと咲月はその一撃を叩き付ける。
黄金となる神殿の床下は水圧で抉られ、その土壌は溶解。
だが、それは緑と黒の魔法陣から発現された、マシリフ・マトロフの『混合魔法』によって、かき消される。
「ふへ、へへ。成程、成程。限定的にその『孕み神』の力を解放すれば、自我を保ちつつもその力を行使出来る訳ですか」
周囲を濁りきった深緑の流動体が包み込む。
ヘドロの様に空間を纏わりつく流動体は、マシリフ・マトロフを咲月の視界から消し、その気配すらも遮断する。
「ですが、その程度でこの『探索者』である私を屠る事が出来ますかね?」
下卑た笑い声を響かせ、マシリフ・マトロフは言う。
「出来なきゃ、意味が無い」
咲月はその声に応える。
「その程度じゃ、京馬君と共に戦えないから」
その言葉は、咲月自身へと決意を打ち付ける。
深緑の空間に、黒々とした触手が再度、産声を挙げるかの如く、勢いよく飛び出す。
それは、咲月の身体を包み込み、異形の球体へと変化した。
「そうですねえ。もっと、力を『魅せて』もらわないと」
だが、マシリフ・マトロフはその咲月の次の一手に、ニタリと笑むを深くするだけであった。