Scene 18 濃霧の町
地下の一室──否、その巨大な格納庫は、一つの建築物を覆うほどの巨大さを誇る。
「さて、各々準備を終えたか?」
様々な顔を浮かばせる一同に向かい、織田が問う。
「ええ、大丈夫です」
その先頭に立つ桐人は頷き、その背にいる京馬達を見やる。
「俺も大丈夫です」
「私も」
その視線に呼応する様に京馬と咲月も頷く。
「あたいも準備万端だぜ」
「私も大丈夫だ」
更にはヴェロニカとフランツも。
「俺は準備なんてもんは必要ねえしな」
「銀二のおかげで絶好調よ」
そして、ウリエル、エレンも頷く。
「さっさと出発しましょう」
只、美龍は告げるのみ。
「座標は、島津県東出雲町揖屋! では、各自席に付いて下さい!」
自動で開かれた鉄格子の様な扉に一同は入ってゆく。
「本当に『黄泉比良坂』には直接行けないのね?」
拡声音で響く銀二の声に、エレンが問う。
「はい。超高速転送装置『メイザース・ウォーカー』。メイザース様のこの渾身の発明でさえも、そこに座標を合わせようとすると不可思議な遮蔽によって、ピンポイントに目的地に照合出来ません。恐らく、特異な結界によって阻まれているんでしょうね」
「益々、あの『おじいちゃん』の不倫相手……怪しいわね」
「おい。別に俺は不倫なんてしていないぞ」
顎に手を置いて呟くエレンに、桐人はため息交じりに告げる。
「だって、『おばあちゃん』がいるにも関わらず、他の子に手を出したんじゃない? しかも婚約前よ?」
「いや、あの時はもうあの艦にいた皆が全滅したと思って──」
「だったら、直ぐに他の子に手を出すの? 全く、桐人は何時の時代でもそうなのね?」
「お前が言うか?」
「あら? 確かに私は桐人と会う前はとっかえひっかえだったけど、ちゃんとそこらへんは弁えてたつもりよ? あんたは智子ちゃんがいるのに──」
「ああー、俺が悪かった。悪かったよ」
エレンが放った言葉に、焦燥と目を泳がせ、桐人は言う。
「では、揺れるので皆さん気を付けて下さいね」
遮る様に銀二が叫び、一同を載せるドーム型の装置は地響きの如く揺れ出す。
「ふん」
エレンがため息を吐くのと同時、閃光と共に、装置内の京馬達は忽然と姿を消した。
「く、はは。桐人。健闘を祈るぞ。私はこの基地で安穏と番をするからな」
口を吊り上げ、織田は呟く。
辺りが濃霧によって遮られる。
僅かに視界に写るは、ぽつりと佇む一軒の藁の屋根の民家と鬱蒼と茂る雑草。
そして、それらを取り囲む木々のみ。
「何だ。ここは、捕縛結界内なのか?」
「いや、この『アストラル・リサーチャー』には、ここが『私達の世界』と分析されてるわ」
首を傾げる桐人に、エレンは告げる。
「あのメイザースの発明だ。どっかしら早速ガタきてんじゃねえのか?」
眉尻を下げ、ヴェロニカは言う。
「とりあえず、あそこの民家に入ってみます? 何か分かるかも」
咲月の提案に、一同は頷き、歩を進める。
「ごめんくださーい」
恐る恐る暖簾を捲り、咲月は部屋内に入る。
家畜の肥料のつんとくる匂いに鼻を抑え、咲月は周囲を見渡す。
「誰だい?」
「ほわっ!?」
突如、咲月の顔面を覗き込む様に下から突き出た老婆の顔。
その突然の出現に、思わず咲月は息を呑む。
「あ、はは! 失礼しました! 私達、観光者なんですけど、ここ霧酷いですよねー? 迷子になっちゃって」
「そうかい。こんな何も無いとこに観光なんて物好きも良いとこだね」
愛想笑いを浮かべる咲月を気にも留めず、老婆は畳に座り込み、機織りを始める。
「あのー、ここって何時もこんな霧がかっているんですか?」
「うんや。こんな霧が出たのは、つい最近でね。丁度、一年ほど前からかね」
老婆の返答に、一同は顔を見合す。
一年前──それは、『この世界』であの『現人神』が姿を現した時と同時の時期。
「ご老人。僕達は、この地方にある『黄泉比良坂』を探しているのですが、心当たりはありますか?」
桐人が前に出て、老婆に問う。
「そりゃ、知ってるともよ。長年、この地に住んでるんだ。だが、あそこに行くのはお勧めしないねえ」
「何故?」
「この霧が出てからかねえ? あそこには『死者』が徘徊してるっていう目撃情報があってね。とにかく物騒なんだよ。荻山さんの家の子供も神隠しにあったって言うし」
「神隠しですか?」
「そうだとも。あそこは、代々『伊邪那美』様を祀る揖夜神社の近くにあるんだが、そこにたまたま遊びにいってた荻山さんの子供が遊びに行ったきり行方不明になってねえ。 警察が調査したんだけど、何も手掛かりがなく、ここらでは最近の信仰不足による『伊邪那美』様の祟りじゃないかって」
恐ろしい話をしているのに関わらず、老婆は表情を変えずに淡々と機織りを続ける。
「どうする?」
桐人は、隣にいるエレンに問う。
「まあ、『黄泉比良坂』に行くのは重要でしょうけど、それ以上に神隠しの件が気になるわ。もしかしたら、インカネーターの失踪事件に何か関与しているのかも」
「そうだな。ご老人。その荻山さんの御自宅はどこにあるのか分かりますか?」
エレンの言葉に頷き、桐人は老婆に問う。
「ああ。荻山さんの家はここから丘を超えた集落にあるよ。表札が出てるから直ぐ分かると思うね」
「ありがとうございます」
桐人は一礼し、一同を促し、民家から出てゆく。
「神隠し、か」
老婆の告げた通り、歩を進める一同の中。
京馬は呟く。
(信仰不足ね。所詮は『伊邪那美』も他の神も『アビスの住民』。そんなもので怒りを覚える筈も無いでしょうし、子を攫うには『目的』がある筈よ)
「それは、何だと思う?」
心の中に響くガブリエルの声に、京馬は問う。
(静子はあの世界のアストラルを管理する貯蔵庫『黄泉』を所持しているのよ? 生けたものよりも寧ろ、死後のアストラルに興味を持つ筈だから、今回の失踪事件で私はずっと疑問に思っていた。だけど……)
その後、言葉を詰まらせるガブリエルに、京馬は訝しげに思う。
「どうした?」
(いえ。もし静子が『世界の創造』を知り得たのなら、その行動も納得出来ると思って。あの佇まいの癖に無駄に行動力のある子だったから、可能性はあるかも)
何やら、深刻そうに物思いに耽る、何時もとは異なったガブリエルの態度に、京馬は妙な戦慄を覚える。
(あの子、『この世界』のあらゆる生物を、『死』なせようとしているのかも)
「何だって?」
後に続く言葉に、京馬は驚愕する。
「どうしたの? 京馬君?」
その無感情な独り言と取れる言葉に、咲月は反応し、すかさずその手を握る。
そこから伝うのは、強い衝撃と戦慄。
「咲月。やっぱり、今回も大事になりそうだ」
京馬が手から咲月にガブリエルが伝えた言葉を発信する。
「え!? まさか……!」
「いや、未だ分からない。とりあえずは、もう少し様子を見よう」
「うん……」
不安で顔を曇らせる咲月の手を握り締め、京馬は神隠しのあった家族の家に向かう。
「ああ、どうぞどうぞ! いやあ、久しぶりの客人だ!」
神隠しのあった荻山宅。
そこは、定食屋を営む、先程の老婆の民家よりはきちんとした風貌の家であった。
一同は木造りのテーブルに腰かけ、桐人はそのままでは悪いと思い、朝食として軽い茶菓子を頼む。
「いやはや、よくこんな何も無いとこに観光して下さって。最近は霧のせいで余計にお客が遠退いて、大変だったんですよ」
愛想良く笑む気さくな亭主に、桐人は口を開く。
「そうなんですか……実は、僕達、この地で有名な『黄泉比良坂』に行こうと思っていまして──」
「『黄泉比良坂』!?」
その桐人が放った単語に、亭主は異常な程までに驚愕する。
否、それは恐怖と言ってもいい。
先程までのにこやかな笑みを引き攣らせ、亭主は言葉を無くす。
「あ、ああ。すいません。実は最近、あそこはここらでは『心霊スポット』として話題が持ち切りで……」
「心霊スポット?」
「は、はい。何でも、死人が蘇って、その近辺を徘徊するという事で、家の倅も興味本位で探索しに来たんですが……」
「その探索している最中に行方不明になったんですね?」
桐人の言葉に、亭主の顔が沈む。
「そうです。不気味だから近付くなとは言ったのですが、年頃でね……友達と一緒に肝試しをすると言って、その翌日……どうしてそれを?」
「ここの外れにいた御婆さんから聞きました。気が気でないしょでしょうに、すいません」
「いえ、いいんですよ。それに未だ捜索中ですし、希望は持たないと」
言葉を連ねる度、消沈する亭主。
だが、桐人は構わずに話を続ける。
「行方不明になったのは、御子さん一人ですか?」
「はい。他の子が言うには『ゾンビみたいな化け物が地中から這い出てきた』と。そして、内の倅はその化け物に地中に引き摺られたとも言っていました」
亭主はさぞ可笑しな話とばかり鼻笑う。
「今の御時世、化け物なんて、それもゾンビだなんて、馬鹿馬鹿しいですよね。警察もまともに取り合ってくれませんし、真実は何処か、ですよ」
「そうですか。では、その御子さんはその時、他の子がしなかった様な事はしていませんでしたか?」
「はい? 特には……あ、そう言えば」
首を傾げる亭主は、はっとした表情に変わる。
「家の倅、この霧が出る以前にも『黄泉比良坂』に行って、そこで凄い美人なお姉さんと仲良くなったって言っていましたね」
その言葉に、桐人の表情は変わる。
眉間に皺を寄せ、一寸、思慮に耽た後、口を開く。
「その女性は、赤と紫の刺繍の和服を着ていました?」
「……! そうです! その方を知っているんですか!?」
「ああ、そうですね。まあ何と言うか、知り合いです」
桐人の言葉に驚愕した亭主は、興奮して話す。
「そうなんですか!? でしたら、あの人は何者なんですか!?」
テーブルに叩きつけるかの如く手を打ち付け、亭主は問う。
「ちょっと待って下さい。その女性と、先程の件と何か関係が?」
興奮する亭主を制し、桐人はあくまで冷静な口調で言う。
「あ、ああ。すいません、取り乱して……」
桐人の淡々とした対応は、亭主に平静を取り戻させる。
「まあ、特に関係は無いと思ったんですが、不思議な方でした」
亭主は、視線を上に向け、当時の事を思い出しながら言葉を並べる。
「倅が、あの人と会ったのは、一年半程前ぐらいでした。まあ、所謂、反抗期だった倅がその人と出会って、少しずつ変わり始めたんです」
「変わり始めた?」
「はい。何故だが、急に私と妻に優しくなり、今までこの地に文句ばかり言っていたのがパタリと止んだんです。それどころか『俺、ここに生まれて良かった』とか、『奇跡ってあるんだな』とか、前向きな事を呟いてたりしていました」
にやけ、亭主は続ける。
「私は、本当に感動しましたよ。ろくでもない事ばかりやっていた倅が、家の店を手伝ったり、勉強に精を出すようになって……近所でも評判の良い子に様変わりしたんです。そこで、お礼にと、その人に私は会いにいったんです」
何故だか、亭主は顔を赤らめ、深いため息をつく。
「そして、実際に私もお会いしたのですが、本当に、綺麗な方でした。まるで、雪の様な透き通る肌、整い過ぎている位の顔立ち。そして、その顔からは想像がつかない位、無邪気な笑顔──はっ! と、ともかく私は『黄泉比良坂』の石碑で何時も座っているというその人と会話をしました」
我を忘れそうになる亭主は首を振り、平静を保つ。
「本当に、本当に不思議で、何か神々しさを感じさせる人でした。まるで『神様』と話している様な、思わず平伏したくなる様な高貴さもありました。そして、自然と納得してしまったんです。ああ、倅もこんな気持ちになって改心したんだな、と」
しばらく黙っていた桐人は、何故だか、ふふ、と優しい笑みを浮かべる。
「桐人……?」
もの想いに耽る様な、何処か懐かしさを思い出す様な、そんな桐人の仕草に、エレンの胸に妙なざわめきが起こる。
「ですが、その人は直ぐにいなくなってしまいました。何でも、『最愛の人に会えるかも知れない』と、それだけを残して。妻がいる私とした事が、ちょっとその『最愛の人』という方に嫉妬してしまいましたよ。だって、あんなにも美しい人に想ってもらえるんですから」
はは、と苦笑する亭主。
桐人も自然と自身から笑みが零れている事に気が付かなかった。
「──ちょっと、桐人」
だが、それは背後から響く、低く、唸りそうな声色でかき消される。
「そ、そうですか。で、しばらく経って、濃霧がこの地を覆い、御子さんが、行方不明になったと」
伝う冷や汗をそのままに、桐人は話を逸らす様に、切り返す。
「はい。すみませんね。あまり関係無い事だと思ったのですが、つい……あまりにも衝撃的な事だったもので」
「いや、貴重な情報でした。その女性は、何時も石碑に座っていたという事ですが、家とかは分からなったんですか?」
「いえ。それが、これも何というか、不思議な事なんですが……どうも生活観の無い感じでした。何時も同じ和服なのに、綻びもなく、その石碑の周辺以外には行っていない様子でした」
「そうですか。……やはり、間違いないな」
亭主の言葉に頷き、桐人は呟く。
「先程、あの人と知り合いと仰っていたのですが、あの女性は何者なんでしょうか? こう言ってしまっては失礼かも知りませんが、まるで人では無い様な──そう、さっき言った様な『神様』みたいでした! もしかしたら、あの人に会えば、倅がどこにいるのか、分かるかも知れない!」
亭主は、自身でも無茶苦茶な事を言っているのを理解していた。
だが、それは自身の息子の安否、そして、惚れ溺れする様な美しい女性と再度会いたいという感情が塗り潰す。
「まあ、信じないでしょうが、彼女は『神』そのものです。あなたが、感じた『それ』は全く正しいと思いますよ」
「え、え……!?」
きっぱりと、絶対的と言える断言の声色は、亭主の『願望』を肯定し、亭主は急な期待の言葉に、自ずと言葉を失う。
「お代になります。ぴったりなので、領収書はいらないですよ。さあ、皆、行こう」
テーブルに紙幣と銭を置き、桐人は席を立つ。
「やっと終わりか? あー眠かった。さっさと、『黄泉比良坂』に行こうぜ」
桐人の言葉に、椅子にだらけるヴェロニカが反応し、その言葉と共に、一同は席を立つ。
「え、あ、ちょっと!?」
「ごめんなさい。混乱しているでしょうけど、そんな『超常』もたまにはあるんですよ?」
店を出ていく一同の最後尾、咲月は振り返り、亭主に告げる。
唖然とする亭主を残し、京馬達は『黄泉比良坂』へと向かう。
ひたすらに、濃霧が辺りを包み込む。
先が全く見えない路地を、舗装を目印に一同は進む。
「結局、失踪事件の事は何も分からなかったわね」
嘆息し、呟く様ににエレンは桐人に言う。
「だが、分かった事もあった」
「何?」
「やはり、静子はここにいる。そして、『何か』をしようとしている事だ」
「『何か』って、何よ?」
「俺らしくは無い抽象的な答えだと思うが、俺達に対し、何か『良くない』事だろう」
「何よそれ?」
「まあ、『朧』以外にも警戒する必要があるという事さ」
「結局、分からないって事じゃない」
ジト目で桐人を見つめるエレンは呟く。
「しかし、この方角で合ってんのかね? アビスの力の範囲内なのか、GPSも使えねえ」
携帯を弄りながら面倒くさそうに歩くヴェロニカは、欠伸をしながら桐人に尋ねる。
「銀二から貰った手製の地図の通りなら、この近辺の筈だ。それらしき目印もある」
「はは! メイザースはともかく、銀二の仕事なら信頼出来るな」
桐人の応えに、ヴェロニカはうんうんと頷き、その疑惑を取り払う。
「しかし、不思議なものだな。濃霧で交通が困難とは言え、ここまで人影が無いとは」
「そうですね。まあ、既に敵の術中に嵌っている可能性もある。ですが、落ち付いて下さい。この面子ならば、このまま一固まりの方が安全です」
不審に思うフランツに、桐人は宥める様に告げる。
「可能性では無く、事実の様ね」
京馬達の最後尾で、その行動をずっと見つめるのみだった美龍が告げる。
霧の霞み。
その視野感覚では曖昧なビジョンに、だが一同にははっきりと認識出来るものがあった。
それは異常、危機。
殺意、悪意──京馬達を脅かすであろう未知。
霧に映し出させられる幾人もの人影は、京馬達に立ちはだかる様に制止している。
「ふ、ふへ、へ。『限定結界』」
下卑た笑いと共に、京馬達は多重の世界へと招待される。