Scene 15 『黄泉姫』夜和泉静子
「ねー、剛毅。また『お外』のお話してよ」
「またか。そんなに『外の世界』も何時も変わり映えしないぞ」
「良いから良いから。『こっち』なんて、テレビ回しても何時も同じ番組しかやってないから暇なんだよ?」
「そうよ。まあ、良いじゃないの。彩乃ちゃんは女の子よ? あんたみたいな筋トレがあればどこでも生きていけるゴリラとは訳が違うんだから」
「ちょ、実の息子に向かって、母ちゃんひでえなあっ!?」
「うふふ」
霧が立ち込める周囲に灯る様に映し出される年季の入る木造アパートの内装。
その室内には台所と、コタツ、そして少し型の振るいテレビが台の上に乗っかっている。
非常に簡素な室内には、彩乃と呼ばれる一人の少女と、剛毅という屈強な体躯の男。
そして、その二人を眺め、微笑んでいる剛毅の母親が食器を洗っている。
「──何時か、この空間から出られる時が来るのかな」
テレビを眺めていた彩乃は、コタツに蹲りながら呟く。
「俺が出してやるさ」
告げ、剛毅は彩乃の肩を抱き寄せる。
「いつか、この『黄泉』の中からお前達を出させてやる。『あの方』の世界が実現すれば、『死んだ』お前達も生きている奴等も関係無い」
剛毅の言葉に、彩乃は顔を沈める。
「そう、なんだよね。私達、死んじゃってるんだよね?」
「お母さんは全然そんな感覚無いんだけどね」
そんな彩乃を慰める様に、微笑みながら剛毅の母は言う。
「でも、ここから見える『外』は、いつも変わらない。誰もいない、何も変化の無い霧の世界。食べた物も、使ったティッシュも、翌日には元通りになる。そんなのを眺めていたら、自分達がやっぱり遠い何処かにいるんだなって感じちゃうよ」
窓から見える白の世界を眺め、彩乃は告げる。
「でも、何だか妙な落ち着きがある、不思議な場所よね」
その彩乃の視線に釣られる様に剛毅の母もその外の世界を眺める。
「それは、ここが人の精神──アストラルの貯蔵庫だからだ。生命が死滅し、そのアストラルは数々の世界にある貯蔵庫に保存され、分解され、次世代の生命に受け継がれる。彩乃と母ちゃんは、本来はこことは別のアストラルの貯蔵庫に入る筈だったんだ」
「そして、分解される筈だった。けど、そのタイミングで、『この世界』にあの『黄泉姫』様が来て下さったんでしょ?」
「『黄泉姫』様には感謝しなきゃね。あのまま『この世界』の本来のアストラル貯蔵庫である『ゲヘナ』に行ったら、私達、消滅しちゃう事になってたんだから」
剛毅は母の言葉に頷き、口を開く。
「ああ。俺も、あいつには感謝している。何て言ったって、俺の一番大切な人達のアストラルを分解せずに残し、更にはこうやって対話をする時間もくれたんだからな」
そう告げる剛毅の眼は決意を滾らせ、霧の最奥を見つめる。
その最奥から鐘の音が鳴り、木霊してゆく。
「剛毅。そろそろ時間」
「ああ。さて、また一仕事するか」
剛毅は彩乃の唇に口づけをし、そして立ち上がる。
「剛毅。無理はしちゃ駄目よ。お母さんも、彩乃ちゃんも、本当はたまにこうやってあんたと話すだけでも満足なんだから」
背を向ける剛毅に、母は告げる。
「母ちゃん」
背を向けたまま、剛毅は母を呼ぶ。
その一寸の間を開け、口を開く。
「人は、欲に忠実だ。嘘はいけねえよ」
そう捨て台詞を吐き、剛毅はドアノブを捻って部屋を出てゆく。
低い声色のその台詞は、まるで自身に言い聞かす様であった。
黄土色の空が鏡面となる水面に反射する。
何かを隠す様に所々に密集する霧は、その世界が奇異的である事を示す。
「おかえりなさい。剛毅」
その世界に一人の女性が立つ。
満面に微笑み、その彼女は言う。
「ただいま……と言えば良いのか?」
頷き、水面の上をトントンと跳ね、かの女性は剛毅に近付く。
「そうよ。だって君は、私の家族みたいなものなんだから」
紫と赤の刺繍が施された和服。
妖しげな光を帯びた簪。
だが、暗い配色とは異なる手に持つ煌びやかな扇とその無邪気な仕草は、およそ彼女の本質を掴めない。
「家族? 冗談言うな。俺を『殺した』癖に」
「でも、『そうした方が良かった』でしょう?」
「結果的にはな。だが、『そうでない道』の可能性もあった」
「それはどうかしら? 例え、私がいなかったとしても、君は同じ道を辿っていたと思うわ」
「どうだか」
鼻で笑い、剛毅は否定する。
「だが、ありがとう」
しかし、剛毅は口を吊り上げたまま一瞥する。
「静子。お前が『この世界』に帰り、この『黄泉』に死んだ人のアストラルを貯蔵していなかったら、彩乃も、母ちゃんにも二度と逢えなかった」
後に頭を下げる剛毅を、静子と呼ばれた女性は屈み、その顔を覗き込む。
「感謝は、君の愛した人達に言いなさい。私は、その『愛』に惹かれただけ」
クスリと微笑する静子は、剛毅に背を向け、手に持つ扇を開く。
「だけど、君は選択しなければならなくなった。かつての仲間と、死んだ愛する者を天秤にかけて」
空間は、扇の一振りで裂かれ、その切り口は楕円に開かれる。
その先に映し出されるは古めかしい町々。
「分かっている。お前の『世界の創造』と、俺の愛する彩乃と母ちゃんの為に」
静子の言葉に、再度剛毅は口を吊り上げる。
「じゃあ、行ってらっしゃい。『志藤』達が待ちくたびれてるわ」
頷き、剛毅は空間へと歩む。
足先を伸ばし、一踏みする度、剛毅の決意は杭を打ち付ける様に強くなる。
「桐人、京馬……悪いな。俺も、お前らの様な野望が出来ちまった」
目を瞑り、黄土の空へと顔を上げる。
そして、その表情を険とし、剛毅は再度歩み始める。
「俺が、お前らの『想い』を打ち砕くっ!」
炎熱の様な滾る『想い』と共に、剛毅は『黄泉』から消え失せた。
「いっちゃった」
『黄泉』にとり残された静子は、呟く。
「遂に『天の声』さんが気付いてしまったんだし、もう私も退くに引けないね」
苦笑する静子に、だがしかしそんな気は無かった。
『世界の創造』。
それは、『この世界』を管理する『管理者』となるアビスの住民の機能を停止させ、更には世界を『司っていた』四界王のシンボルを『セフィロト』へと献上する事により、叶う事が出来ると言われる。
静子がその方法を知ったのは、一年前、ある少年が自身と『同類』となった後の事であった。
「全く。こんな大事な事を、あろう事かこの私に教えて……あの『天使』は、何を考えているだろう」
ミカエルが消え、その統率が無くなった数少ない天使の生き残り、『存命の天使』。
静子に『世界の創造』を教えたのは、その天使の一人であった。
全智全能を識るその天使の言葉に、静子は絶対的確信を持ってその事実を納得する事になる。
「ともかく、知ってしまった以上は、私も居ても立っても居られない」
一世紀を超え、それでも恋い焦がれる彼女はその事実を知った後、自身が取るべき行動に迷いは無かった。
「私とリチャードさんが永遠に結ばれる世界。それは、私の想い描く世界以外に無い」
胸に手を当て、静子は願う。
最愛の者との永劫の時間を。
それは、彼女の『想い』であり、そしてその永遠とも呼べる時間を生き永らえる事の出来る自身の生きる糧でもある。
夜和泉静子。
かつて『この世界』に人として生まれ、『他世界』を渡った『現人神』。
八百万の神々を率いる『伊邪那美』が『管理者』となったその他世界を『滅ぼし』、彼女は『この世界』へと舞い戻った。
突き動かすのは、その彼女の色褪せる事無き想い人への偏愛。
それは、『伊邪那美』の力と共に、彼女へと牙を剥ける様々な苦難を退け、打破してきた。
だが、その静子の『道筋』は決して彼女一人で標してきた訳では無かった。
「『天の声』さん……いえ、ガブリエル。あなたは、自身の愉悦の為に私と共にいたんでしょうけど」
黄土を照らす水面の上を、静子は扇を振りかざし、舞う。
しかし、その足先は水面に沈む事無く、只、地を滑る様に動く。
「残念だけど、これからは私がその愉悦を踏み躙る事になる。京馬君の『愛』も私が取り込んであげる」
舞う静子の周囲、噴き上がる水飛沫と土は、彼女を称える様に弾け叫ぶ。
その地からは呻き声と共に、見るに堪えない腐敗した醜女達が湧き出る。
「さあ、八百万の『他世界の概念』。その力を見せつけてあげましょう」
黄土の空で踊るアストラルの塊──魂魄。
静子が、本来の『貯蔵庫』となる『ゲヘナ』に向かう前に捕縛した、死後のアストラル達。
それらは、静子が『この世界』に訪れてから蓄えられた魂塊。
醜女達が地を抉り、骸を掘り起こすと、魂魄はその骸達に吸い寄せられてゆく。
そして揺れ動く骸は、未だ宙に漂う魂塊達と舞踏をする。
かつての記憶を呼び起され、分解されなかったアストラル達は様々な想いを微かに呟き始める。
「『愛』を持つ皆。未だ、生きたいでしょう? 逝きたくないでしょう? だったら、私に力を貸して。その『想い』を妨げる者達に『死』を」
黄土の世界の住民達は、静子と言う『黄泉姫』を称え、平伏す。
骸と魂塊の舞踏は神の所業をし、だが彼女は死を誘うのであった。