Scene 14 少女の皮を被る醜悪
夕陽が沈む住宅街。
そこに佇む一等地、中村一家には命という少女がいる。
その少女は明るく、友達も多く、好きな男の子もいる。
そして、両親に愛され、可愛がられ、何一つ不自由ない一般的な少女であった。
だが、そこに住む人々はふと思う時がある。
一体、何時からその少女は生まれ、そして何時からその存在を自身が認識にしたのかと。
だが、その問いに答えられるものはいなかった。
否、その問いは問われるまま終息する。
そして周囲の人々は思う。
その少女は『居て当然』の存在だと。
「坂口京馬。ふ、へへ。私の崇拝するあのお方が一目置く存在だと言っておられたが、なんて事は無い只の『肉』の一つではないですか」
夕暮れが差し、薄暗い少女の部屋。
本棚の上には可愛らしい縫いぐるみがあり、画用紙に色鉛筆が無造作に置かれた学習机には、『中村命、6歳誕生日おめでとう!』と書かれたハート型に切られた折り紙が張り付いてある。
「ああっ! 我が親愛なる無貌の神よ! 何故あのような愚肉にお目をかけられるか! アビスを『探索者』として探求し、英知の数々を得たこの私めを、どうしてお目にかけられないのかっ!?」
その部屋の学習机に座り、ぐるぐると色鉛筆で『何か』を描く少女は、およそ少女らしく無い、おぞましい声で呟く。
「命ー? 変な声出してどうしたの? 具合でも悪いの?」
その少女の少女らしからぬ声を聴き、母親がドアノブを捻って、部屋に入る。
「え? いや、何でもないよ、お母さん! 早く夕飯食べたいなあーって」
咄嗟に、少女は何時もらしい声色で、笑顔を浮かべて告げる。
「え、あ、ああ……い、いやあああああぁぁぁぁっ!?」
筈だった。
その少女の顔を見た途端、母親は狂った様に叫びを挙げる。
「ちっ!」
少女は、はっとして自身の顔に手を当てる。
爛れる皮、崩れ落ちる肉片。
少女は判断する。『今』の顔は、人であって人では無いものであると。
「あ、あ、あ、あ!」
「どうやら、ここまでの様ですね」
その顔を見、硬直したまま動かない母親。
だが、少女が手を払うと、その声は止み、母親の体は崩れ落ち、只の肉片となる。
「ふう……これで何件目でしょうか。あの時は緊急を要する為、即座にアストラルに寄生したのですが、どうも拒絶反応が著しい。しかも、頻度も日に日に大きくなっている……」
呟く少女の顔にずりずりと、母親であった肉片は粘土の如く張り付く。
「くそ、昨日の内に桐人に寄生出来ていれば……!」
「どうも。ご機嫌が悪そうね。マシリフ・マトロフ」
顔に塗り込ませる様に手を動かす少女の背後。
その少女よりも大人びた声色の女性の声が響く。
「葛野葉美樹……一体、何の用かね?」
顔につけた手を離し、命──否、マシリフ・マトロフは振り返る。
「忠告をしにきたんだよ」
本棚に腰掛けて告げた美樹は、マシリフ・マトロフを蔑む様な眼で見つめていた。
「忠告?」
首を傾げるマシリフ・マトロフの顔は、何時もの可愛らしい少女のものに戻っていた。
「京ちゃんに手を出したら、許さないから」
そのマシリフ・マトロフの顔は美樹の言葉から更に変化する。
戦慄。
自身へと剥き出された、美樹の殺意と、禍々しい『氣』は、屈託ない笑顔のマシリフ・マトロフの表情を一瞬で崩す。
「ふ、へへ。一体何を今更……奴は、アダムの幹部。しかも、あの天使長を葬った輩ですよ? 当然、私が長を務める『朧』の殲滅対象に──」
「関係無い。手を出したら、殺す」
美樹のとても少女とも思えない射殺す視線は、マシリフ・マトロフの声を閉ざす。
「ふ、へ、へへ……もしかして、反逆ですかぁ?」
「違う。京ちゃんだけは特別なんだよ」
「そんな話、浅羽閣下が何と言うか」
「いや、浅羽閣下は『京ちゃんに手を出したら、私が敵味方問わず殺しても構わない』と承諾してくれたよ」
「……! 馬鹿なっ! そんな特例がまかり通る筈……!」
「出来るんだよ。だって、『私自身』が特例ですから」
堂々とした佇まいで告げる美樹に、マシリフ・マトロフは猜疑の視線を向ける。
「まあ、真偽はともかく、良いでしょう。『今日の一件』は、何と言えば良いか。敵地視察みたいなものですよ。私は彼に直接どうこうしようとは思いませんからねぇ?」
だが、その表情を緩め、マシリフ・マトロフは言う。
「そう。だったら、同じ『王下直属部隊』の長として仲良くやって行きましょう? 当然、こっちだってあなた達の力は必要ですので」
「そうですね。私だって、こんな現状です。早く、任務を遂行し、新しく素晴らしい体を手に入れたい」
「そうね。だけど、だからと言って昨日は早急過ぎると思ったよ。今回の作戦で桐人の身体が必要だとは言え、相手はミカエル以前にこの世界の管理者を務めたルシファーの生まれ変わりだよ?」
「ああ。ふ、へへ。そうですね。この体の体調が思わしくないから、あの時はつい先走りし過ぎました。反省しております」
お辞儀をするマシリフ・マトロフを、美樹は胡散臭そうに見つめる。
「……ふん。まあ、いいよ。じゃあ、明日の早朝にまた落ち合いましょう」
マシリフ・マトロフが美樹の言葉に頷くと、美樹は部屋の窓に手を掛ける。
(ふへへ。どうやら、今日の一件の真意は知らないらしいですね)
「ああ、それと」
去ろうとした美樹の背を見つめ、口を吊り上げたマシリフ・マトロフは、即座に振り返る美樹に体をビクンと硬直させる。
「何かね?」
平静を取り繕うとするマシリフ・マトロフを見透かした様な、嘲笑の笑みは告げる。
「あなた『達』のお気に入りの玩具……手に入ると良いわね」
「……!」
美樹の言葉に、マシリフ・マトロフは目を見開く。
その反応を満足気に見つめ、美樹は窓から跳躍し、消え去る。
「ふ、ひ、ひ。まあ、あいつが知ろうが知った事ではないですがね」
気を紛らわす様に微笑し、マシリフ・マトロフは呟く。
「それに、今回の作戦では、この私が主軸です。あの女も迂闊に手を出しにこないでしょう」
ふひ、ふへ、ふひゃはははっ!
下卑た笑い声を響かせ、マシリフ・マトロフは心躍らせる。
そして視線を下げ、自身が先程に描いていた画用紙を見つめる。
そこには、何色もの色が混じり合い、黒く混沌と濁る異形が描かれていた。