Scene 11 『総統』は只、誰も見えぬ道を向く
今から一年程前──
『フォールダウン・エンジェル計画』。
世界を支配する裏組織アダムの長年の敵であった『天使』を統べる存在──『熾天使長ミカエル』を仕留める為に練られた計画は、突発的に提案された。
「……そう。あんたが、『目覚めた』為にこの『私』が立てた大雑把で、簡素な計画だった。私の代でこんな快挙を成し遂げたのも、あんたの存在が在ってこそだった。感謝するわ」
古めかしく、そして異様で異常の雰囲気を醸し出す骨董品、魔術書が保管されているその執務室で、脚を組む少女は不敵な笑みを浮かばせて告げる。
「そして、もう一人……正直、あんたは力の発現があった時からマークしていたわ。その『創造』の力は、あらゆる過去のインカネーターの『固有能力』の常識を覆す万能の能力。今までは静観していたけど、事情が変わった。今回の件で公になってしまったあんたの能力、そして『神の実から生まれ出でるもの』という存在……とてもじゃないけど、もう『一支部』としての『管理対象』で収まるものでは無くなった」
そう告げ、少女──否、この世界の全てを牛耳る『総統』、シモーヌ・ダリエンツォは扉の前に立つ少年少女を見つめる。
「京馬、咲月。初めまして、ね。私がこのアダムという組織の『総統』、シモーヌ・ダリエンツォよ。よろしく」
両肘を机に付け、シモーヌはその交差した両手の上に顎を乗せる。
「今回、私があんた達を呼んだのは、そんなアダムの将来に変化をもたらす可能性のある二人がどのような人物であるのか、興味があったからなのよ? 色々なお話を聞かせて頂戴」
興味深げに、シモーヌは京馬と咲月の瞳を覗く様に見つめる。
「生憎ですが……今の俺に『感情』はありません。先日終えた『フォールダウン・エンジェル計画』で、俺はミカエルの力を受け継いだケルビエムを倒す為、自身の『感情』を代償に、自身の宿すアビスの化身と完全な同調をしてしまった。そんな人形と話してもつまらないと思いますよ?」
「ふふ、そうね。だから、あんたは昨日のサイモンの葬儀にも参加しなかった。そんな場所にひたすらに無表情の人物がいても不自然でしょうからね。でも、分かるわ。あんたは、決して感情が無いわけではない。それが、『表』に見えないだけ」
「どうして、そう思います?」
「一言で言えば、直感よ。今話していても、全く何を考えているのか分からないし、言葉一つ一つに全く感情が篭っていない。まるで、ロボットと話してるみたい。だけど、その内の精神──個人そのものである『アストラル』は確かに揺れ動いているのを感じる」
直感というあやふやな理由で、しかし断言染みたきっぱりとした口調で告げるシモーヌを、京馬は見つめる。
誰からも悟られず、だが、あえて告げなかった自身の状態の真実。
それを目の前にいる総統は、只、京馬と一寸の会話をしただけで見抜いてしまった。
内に溢れ出す驚嘆の声を、京馬は感じる。
「流石、と言えば良いでしょうか。その通りです」
「やっぱりね。まあ、そう言う訳だから……先程人形と言ったけれど、内にある君という一個人の考えは確かにあるわけよね?」
「はい。そうです」
無感情に眉の捻りも、口元の変化も無く、淡々と告げる京馬。
「……まあ、理解はしようとも、やっぱり調子狂うわね」
その京馬を見て、シモーヌは嘆息しながらも続ける。
「あんたは、どんな理由があってこのアダムに入ろうと思った訳?」
シモーヌが京馬に問う。
それは、京馬にとって至極単純な問いであった。
「この世界にいる人々を、救う為に加入しようと決めました」
口を開いた京馬は、問いの内容と同様の至極単純な回答をしたと、心の中で鼻笑いをする。
「あら、思った以上にシンプルなのね? それにとても倫理的。良いのよ? 『入らざる得なかった』って言っても」
悪戯に笑むシモーヌは言う。
「確かに、力に目覚め、インカネーターとなった者がアダムへの加入を拒否した場合、危険因子として監視をされ、少しでも怪しい行動を取れば、拘束対象となると聞いた事があります」
「そう。だから、『しょうがなく』加入する様な幹部も結構たくさん居るのよ。まあ、大半はそんなカテゴリに含まれるでしょうね。で、本当の所はどうなの?」
「まあ確かに、特に俺は『特異』でしたから……ですが、俺の根本の『本質』を理解して思いました。俺は本当に真の意味であらゆる人を救う、という事を目指していたんだと」
「『あらゆる人』? ふふ、面白い事を言うわね。それは、悪人、善人、貧富も問わず?」
「はい」
小馬鹿にする様に問うシモーヌに、京馬はきっかりとした二文字で答える。
「あんた、高校生よね?」
「そうです」
「なら、それが如何に大変で、不可能に近い所業なのか理解している?」
「分かっているつもりです」
「本当に? その絵空事は、あのアダムの『過去最高の英雄』、リチャードも目指していたものだったと知っても?」
「そうなんですか? ……いえ、それは知りませんでした」
シモーヌの言葉に、京馬は驚愕する。
リチャード・パーソンズ。
今から七十年程前、数々のアビスの住民や、アダムに反旗を翻したインカネーターの暴動の『置き換わり』による戦争の激化で荒廃とした世界を救った英雄。
その英雄は、かつて無い程の膨大な精神力を持ち、その宿した化身『マルドゥーク』の固有能力『改変』は、全ての事象を操作する圧倒的な力を持っていた。
──だが、京馬が知っているその英雄の情報はそこまでである。
かの英雄が、どの様な人で、どうような信念を持っていたのかは、京馬は聞いていなかった。
「あのリチャードですら諦めた所業を、つい最近まで普通の高校生だったあんたが出来るとでも?」
顔を顰めるシモーヌは、しかし、その口元を緩めて問う。
その問いに、京馬は一寸だけ頭上を見上げ、そしてシモーヌに一切の淀みない瞳で見つめながら口を開く。
「……出来るかどうかは分かりません。ですが、俺がそうしたいんです」
「そう。ふ、ふふ」
その答えに、シモーヌは頷き、そして含み笑いから甲高い笑い声を挙げる。
「あは、あははははっ! 良いわね! 只の馬鹿なのか、どうかはともかく面白いわね」
京馬の隣にいる咲月の不機嫌な表情を無視し、シモーヌはひたすらに笑う。
しばらくして、シモーヌは声を発するのを止め、ふうとため息を吐く。
「──で、その『世界平和』の為に、何かしようとか、そういう考えは持っている訳?」
先程の緩み顔とは異なる、厳かな表情でシモーヌは再度京馬に問う。
その問いに、京馬はどう返答しようか思索する。
自信がその目標の為に実行しようとしている事。
それは、確かにある。
だが、言える訳がない。
何故ならば、『その方法』が今目の前にいるシモーヌ、そしてこのアダム全体を裏切る事を意味しているからだ。
「いえ、ありません。今は少しでも多くの人を救い、そして自身の力を蓄える事に尽力しようと思います」
「そう」
京馬の言葉に、シモーヌはつまらなそうに視線を下に向ける。
「あんたは未だ世界というものの像や在り方を知らな過ぎる。そんな縮こまった世界しか見ていないあんたが、本当の意味で世界を知っても未だその思想を保っていられるかしらね?」
そうシモーヌが発した時には既に視線を京馬に向けず、窓から横薙ぎに差す陽を見つめるだけであった。
「じゃあ、次は咲月に問いましょうか」
「はい」
先程から京馬へと否定の言葉を畳みつけていたシモーヌに悟られないようなのか、微妙な眉の顰めをする咲月。
シモーヌはその変化に気付いていた。
だが、それを寧ろ楽しむ様に眺めながら口を開く。
「あんたが能力の発現して、アダムに加入した経緯はサイモンから聞いているわ。『エロージョンド』に成りかけた人間が、インカネーターになったのなんて、稀に見るケースだったし、私の記憶にも新しい」
シモーヌは、顎に当てる手を頬ずりながら咲月の顔を見つめる。
「あんたに関しては、全てがイレギュラーの存在ってのもあるけど、あの頭のぶっ飛んだ『メイザース』の方が興味があるかもね。だけど、私もいくつか聞きたい事があるのよ?」
そう告げ、シモーヌは咲月の顔色を覗き込む、否、その心理を抉り、凝視する様に瞳孔を開く。
「あんたが取り逃した天使に、多くの仲間が殺された時、どう思ったのかしら?」
頭が沸騰しそうな程に、体温が上がる。
その眉間には皺が寄り、見開いた瞳孔が視認対象を射殺す様に見つめる。
握る右手が更に縮こまる。
「一体……それを聞いてどうしたいんですか?」
憤怒。
シモーヌが放ったその言葉は、咲月の心の琴線に触れ、沸々と沸き上がる咲月の『それ』を解き放とうとする。
「単純な興味よ。あんたも、そして隣にいる京馬も、インカネーターになるという過程において、実質『試練』を省いている事になる。そんな存在が、そのような『取り返しの付かない』状態になった時、どう思っていたのか、気になるでしょ?」
「興味……? 失礼ですが、『総統』。あなたは、私と京馬君を馬鹿にする為に呼んだんですか?」
「馬鹿に……? そうね。そう受け取られるわよね」
ああ、そうだったわね。
そう表現する様に、視線を斜めに向けて頷くシモーヌに、咲月の口元は震え、それは外に吐き出される。
「何が、そう受け取れるですかっ! 馬鹿にしてるじゃないですか! そんなに、弱い人間を苛めるのが好きなんですかっ!? 人を見下すのが好きなんですかっ!?」
咲月の怒声に、だがシモーヌは表情一つ崩さずに告げる。
「そうかも知れないわね。……と言ったらどう思うかしら?」
「失望します! あのサイモンさんや桐人さん、剛毅さんみたいな真剣に世界の平和を願う人がいる組織のトップがこんな人だったなんてっ!」
「そう。なら、勝手にすれば良いわ。それが、あんたの『信念』ならね。良いじゃない。飼い殺された豚よりも、飼育小屋から抜け出そうと思索する猿の方が私は好きよ?」
そう告げるシモーヌの顔は、先程までとは異なった険の表情。
それは、決して咲月に侮辱されたからでも、図星を受けたからでも無かった。
只、真剣に咲月の激情を『観察』していた。
その咲月が予想していた反応の斜め上を行く総統の反応は、咲月自身を強く動揺させる。
「な、何か無いんですか!? わ、私は組織のトップに口応えしたんですよっ!?」
狼狽える咲月の声に、シモーヌは微笑して口を開く。
「別に? 強いて言えば、罰としてさっきの問いの返答を頂きたいのだけど?」
淡々と告げるシモーヌに、咲月は拍子抜けする。
はあ、と観念した様にぼやき、口を開く。
「……あの時は、正直、相当に自分を悔みました。何であの時、天使となる前の『羽化』の時に殺さなかったのか。自分の弱さを恨みました」
「『あの時』、ね。今はどうなの?」
「解決済みです。あの時の自身が起こした『悲劇』を繰り返さない為、私は私の為に死んでいった仲間の為に、あんな悲劇を起さない為に、『今の現状』を命を賭けてでも良くしたいと思っています」
その答えに、シモーヌは満足気にうんうんと頷く。
「そう。ありがとうね、咲月」
「い、いえ」
にこやかに笑んで告げるシモーヌに、思わず咲月は視線を泳がせて応える。
「ところで」
一旦落ち着いた空気の中、シモーヌは続ける。
その視線の先は、強く握られた双方の手。
「そんな二人の馴れ初めを知りたいのだけど?」
その視線の先を追い、咲月は赤面しながら答える。
「い、いや! これは、ですね。京馬君が『現人神』になった時に、『こっちの世界』に京馬君を戻す為に私が体をあげた副作用みたいなもんで……」
「体を、あげる?」
「いいい、いや! 違うんです! ともかく、京馬君と私はそんな関係じゃないですっ!」
(ふふ。懐かしいわね。あの時の、滅茶苦茶な咲月の狼狽っぷりは今でも笑える)
「そうだな」
読み終えた小説を閉じる様に、京馬は回想を終える。
『総統』シモーヌ・ダリエンツォ。
初めて会った時もそうだったが、作戦の度に言葉を交わすとより強固に想う。
「シモーヌ総統……強い人だ」
それは、力──権力、実力、財力……そして、その精神力。
あらゆる力を極限までに持つ彼女は、まさしく世界を牛耳る『総統』の役職に相応しい存在と言える。
だが、その発言や態度は案の定、良く思われていないらしく、所々で敵を作っていると京馬は桐人に聞かされていた。
咲月も同様に、未だにその総統の事を良く思っていないらしく、総統の姿を見る度、その表情を曇らせる。
だが、京馬はそうは思わない。
その言葉の裏に潜む、真意。
シモーヌは、ただ単に『振るい』にかける為に、その様な問い掛けを行っているだけでは無いだろうか。
そこに気付けるかどうか。
それが、シモーヌの中の色々な意味での評価に当たり、それこそは『支配者』である者の仕事の一部である為だと、京馬は最近は感じている。
「日本支部の監視、監査役の投入、そのメンバーの実力……」
(ふふ。もしかしたら、あの子。『私達』を見ている訳では無いかもね)
自身の中に宿る天使の呟きに、京馬は頷く。