国都へ(2)
「ネクタイ曲がってる」
董子さんの運転する軽自動車の後部座席に乗り込んだ蓮と僕。
蓮に職場での心得を教えて貰っていると、彼は僕のネクタイに指を伸ばしてきた。
「ありがとう」
向かい合ってネクタイを直される姿はまるで、
「僕達、新婚夫婦だね」
同意。
僕はふと訊きたくなった。
「なぁ、蓮」
「んー?」
僕はネクタイを直す蓮にある人を重ねていた。
「親友より親しい間柄だった人とちょっとした事件で互いに責任感じてさ、離れてる内に連絡すらできないようになって……でも……忘れられなくて……それって、僕達は今もまだ……」
「隼人?」
ざっくり。
蓮があっさり“ある人”をばらした。
「何で分かったの!?」
「それよりも親友より親しいってどういう関係さ。最も親しい関係が親友だろ?それで、多分、咲也の悩みは尋常じゃないほど親しいらしい隼人かなって」
そうだよ……隼人だよ……。
僕が図星なことに黙っていると、蓮がネクタイで僕の首を締め上げてきた。
「ちょ!?死ぬ!」
「君はいつもうじうじと……餓鬼じゃないか」
ネクタイをぱっと放した蓮は独白のように述べた。
僕は、
ネクタイで主張なんてどっちが餓鬼さ!
と思いつつ、餓鬼の自分に反省。
何度も思うが、僕は隼人と隼人との思い出に囚われている。
違う。
きっと、囚われていたいんだ。
隼人にとって僕は過去の恋人でしかないという事実から目を逸らしたくて僕は隼人との思い出に浸る。
何故なら、僕はどんなに正義を掲げても、それでさえ、僕が一人ぼっちであるということから目を逸らす為でしかないのだから。
僕は劇場の皆を信用しないわけではないが、僕は僕自信が一人ぼっちであるという事実から逃げたくて“隼人”という逃げ場を残している。
高校を中退し、今までどうにか生きてきた僕を人は立派な大人だと評価するかもしれない。
だけど、実際の僕は金の有りそうな家の周りを彷徨いて同情を買おうとした。
生きるためなら隼人との約束を破ってこの体を使うことも考えた。なんせ、一度は隼人以外の男でさえ僕に欲情したんだから。そんな最低な僕に引っ掛かったのが蓮。
蓮は僕に仕事場を紹介し、何とか独り暮らしできるまで、蓮が舞台の日は二之宮家の食事の用意をするという割りに合わない程の高給のバイトを用意してくれた。
そんな蓮を僕は心の中で薄笑いしていた。
彼の優しさを笑っていた。
しかし、蓮や遊杏ちゃん、劇場の皆を知るほど、僕は笑えなくなっていた。
彼らはとても綺麗だった。
今では感謝してる。
そして、昔を思い出して吐き気を覚える。
だからこそ、こんな僕だからこそ、幸せ過ぎた隼人との思い出しか信じられない。下心なく、本当に愛していた“隼人”しか逃げ場にできない。
そんな“隼人”との壊れた関係は見なかったことにしなくちゃいけない。
だから、正義を掲げなきゃいけない。
偽物のヒーローにならなきゃいけない。
ぽんっ……――
アッタカイ。
「……蓮」
「咲也、泣きそうだよ」
あぁ……蓮はきっと、全てを分かっている。分かっていて僕の傍にいてくれる。
「一度泣く?」
泣きたい。
しかし、僕は首を振る。
「泣かない」
泣けないんじゃない。
「蓮」
「何?」
「僕……」
言いたいことがあるが、臆病な僕はもごってしまう。
それはずっと前から考えていたこと。
僕は……。
変わりたい。
国都で変わりたい。
「咲也、できるよ。君なら諦めなければ何でもできる」
まだ言ってないのに……。
「僕は君とかなり長い間過ごしてきたからね。分かるよ。大丈夫、君はまだ隼人と繋がってる。隼人が好きなんだろう?君は頑張れるんだろう?」
最初、ごめんと謝りかった。
「ありがとう」
だけど、僕はありがとうと感謝したくなった。
ホテル手前の公園の駐車場に車を停めた董子さんは素早く車を降りると、後部座席の方のドアを開ける。
勿論、僕の方ではなく、蓮の方。別に悲しいとかじゃなくて、流石、蓮が雇うだけのことはあるなぁと思う。
董子さんは先ず、トランクを開けて畳んであった車椅子を広げる。
「蓮様」
「ありがとう」
蓮は董子さんに身を委ねてお姫様抱っこをされていた。お姫様は男なのに、なんか絵になる。
僕も反対のドアから降りて蓮の方へ回ると、何処にどうしていいのか分からなくてただ立って国都での自分を妄想する。
だが、失敗する自分しか妄想できない。
意気込んだばかりなのに……。
何故なんだ。
「咲也」
すると、ふと呼ばれた。
「もう時間になるね」
「あ、うん。行かなきゃ」
「ちょっと、おいで」
そう言って手招きされたので、買ってもらったスーツを汚さないように気を付けながら、蓮の前にしゃがんだ。
「何?」
すっと伸びる蓮の指先。
じっとしていると、右頬に触れた。
「蓮?」
「咲也、じっとして」
じっとしてるよ……。
心の中で言う。
…………チュ……。
と聞こえた。
それは…………キスの音。
「れ、蓮!!!!?」
「頬へのキスは友情。ずっと友達だよ。……咲也、無理しないように頑張って。諦めずに頑張って」
そう言って抱き締めてくれる蓮。
僕は無性に蓮が愛しくなって抱き締め返した。
あぁ……蓮は僕の最高の友達なんだ。
本当に、蓮に会えて良かった。
「うん。ずっと友達だよ……蓮」
董子さんが目をぱちぱちさせているが、お手伝いだからなのか、見慣れているのか、それ以上の反応はない。
「行ってらっしゃい、咲也」
「うん。行ってくる」
僕は二人に背を向けた。
僕は絶対に国都で変わってみせる。
「アイ、ラブ、ユゥー!!れーんっ!!!!」
この声は……。
蓮と董子の目が合った。
やっぱり。
咲也を見送り、折角来たのだからということで公園を散歩していた二人。
そんな中、公共の場で大声で蓮を呼んだのは、
「千歳坊ちゃま!」
と、黒服サングラスのボディーガード数名に追い掛けられながら、それら全てを無視して二人に駆け寄るいい年した男。
「千歳かい?」
「ハニーっ!」
30いってる桐千歳は蓮に抱き付いた。
赤銅色の短髪とメタリックの十字架のイヤリングが揺れる。
「どうして君が?君が出没するのは下町のバーだけかと思ってた」
「お仕事」
「公園で?」
「いんや。そこのホテル」
そう言って指したのは都心で一際高いホテル。
国都ホテル。
「あそこ?」
「ん?何か気になんの?そういや、何で蓮がこんなとこに?引きこもりだろー?」
怪訝そうに顔をしかめる蓮。
ふーんとだけで終わらせると思っていた千歳はハグをやめて彼を見下ろす。それに蓮は、心外だ。といった表情を見せた。
「ただ、外に行くのが面倒なだけ。引きこもりじゃない。それに、仕事があれば外に出る」
半引きこもりだ。
「仕事いる?別の舞台のエキストラ」
「要らない。この様だしさ……」
軽く膝を叩いた蓮は苦笑いをした。そんな彼の乱れたマフラーを董子が後ろからそっと直す。
千歳はポリポリと頬を掻くと、目を細めた。
「蓮……義足にするか?いいとこ知ってるし」
そしたらまた自由に歩ける。
しかし、蓮はそれに首を縦には振らなかった。
「今もまだ、この足には血が通ってる。温かいんだ。切れないよ」
ジーンズを捲し上げた蓮は白い肌を見せる。千歳は初春の寒さの中でも温かい彼の足に優しく触れた。
「すまん」
そして、気ぃ回らんかった。と謝る。
「いいよ。それよりもさ、何で国都?だってあそこは―」
「桐じゃねーなぁ。それに、中立でもない」
クスリと笑った千歳は草原に直に腰を下ろした。そして、足下の草を抜いては息を吹き掛けて飛ばす。
そんな彼の手を蓮が握った。
「ならどうして?」
千歳は蓮が手を握ることで草を弄ることができなくなったので、蓮の意思に合わせて彼の質問に忠実に答える。
「なんか、今まで厭がって逃げてたあそこの坊っちゃんが急に上に立つことを決めたらしくってね。中立の桐としては気になるわけだ」
桐の行動は桐以外には極秘だ。
たとえ、それが政府にも軍にもつかない中立の同じ仲間でもだ。しかし、桐の若きトップである千歳は恩人の蓮には甘い。
それに、千歳は蓮が裏切り、敵になるとは思わなかった。
何故なら、蓮は中立にいることで、彼が過剰なまでに心配する少年の盾になれると信じているからだ。
「それでか。実質上のトップが君のとこの人間じゃなくなってたね」
「よく知ってたな。んで、そいつはまだ24の若僧。そのくせ、次期社長になるってことに反対するやつが一人もいないほど人望厚い。でもなぁ、社長になる代わりにって妙な条件出したんだ。そんで、俺が見に行くわけ」
「裏がないか?」
蓮はその手の裏社会にも関わりがあるため、さも普通に訊ねる。
千歳は千歳でさも普通に蓮の頬にキスをすると、ニヤリと笑った。
「そ。なければ中立に引き入れたい。あそこが中立に来れば、迂闊には軍も政府も動けなくなる」
現在の日本の三本柱は軍と政府、そして中立。
表向き、『政府が日本を牛耳ろうとしてるから、軍が民の為に戦う』で、中立は『政府にも軍にもつかず、政府にも軍にも干渉されない団体』ということになっている。
実際はいつ、一般人の目にも見える形で現れるか分からない戦争への反対派だ。
干渉されないということで、中立は政府、軍の恩恵を受けない変わりに、政府、軍の権限が効かない。中立は日本にありながら日本政府でもなく、日本軍でもなく、中立派として独立しているのだ。
「あの頭の堅い爺がいなければ、今すぐにでも当の本人とガチで膝くっ付けて話し合うのになー。お陰様で俺は客だ。高校の時の写真しかないから、一度でいいから見れればいいかなと」
現在、国都を所持する某大富豪は軍についている。崇弥と櫻が力なら、その富豪家は資金。
本来、政府が資金、軍が力でバランスが取れるが、その富豪家の際限のない資金によって、バランスが崩れてきている。いつ、軍が戦争を始めてもおかしくないのだ。
「君も頑張れ」
蓮は千歳に労う笑みを見せる。
しかし、心中はどうにかバランスを保っている政府の力、崇弥洸祈で一杯なのだろう。
「俺も?ま、頑張る。そんで、崇弥はどうだ?」
千歳は形式的に返すと、ダメもとで訊いた。
「大丈夫だよ」
体調はいいよ。と返される。
「なぁ、駄目か?」
「駄目。洸祈だけは捲き込ませない。彼には彼の問題がある。彼を今も苦しめる問題が。それを彼自身が解決するまではこっちに捲き込ませない」
即答に千歳は素早く引き下がった。
父親とは違うらしいその若き次期トップを手に入れた後は、その身一つで軍と政府の勝敗を分ける崇弥洸祈が欲しい。
千歳は一度だけ崇弥洸祈を見たことがある。
見た目純粋そうな子供なのに、妙に冷静……ではなく、酷く冷めていた。
千歳が自らの身分を明かさずに、
「正義はあるかい?」
と訊くと、
「ないですよ。そんなもの、要らないですし」
と答えられ、
「じゃあ、正義をどう思う?」
と訊くと、
「正義なんて馬鹿馬鹿しい。正義なんて自己満足の塊です。世の中に正義なんてない。あるのは汚れた正義という名の自分勝手で迷惑なものだけ」
と答えられた。
彼はきっと政府も軍も中立ですら憎み、遠ざけている。
崇弥洸祈を完全には得られないなら、蓮だけでいい。
蓮が中立にいれば、自然と崇弥洸祈がついてくる。
利害の一致だ。
痺れを切らしたサングラスのボディーガードに手を振った千歳は蓮の頭を撫でて踵を返す。
「わーったよ。んじゃあな。今度、三人で飲もうぜ。董子ちゃんも一緒に」
「うん、バイバイ」
「ありがとうございます」
蓮がその後ろ姿に手を振り、董子が深く頭を下げた。
「帰ろうか」
「はい、蓮様」
それぞれが、自らの思惑の為に動き出す……――