同居人
澤谷隼人に会ってから2ヶ月たった。
ここ国都ホテルの装いもクリスマスムード一色となり、僕ら従業員は“クリスマスの悪夢”に向けて大忙しである。
そして、僕の日常は……やっぱり変わらない。
「龍間様、こちらは千原と七瀬。息子様のホテル案内を担当させていただきます」
紹介してもらい、僕らは二人に頭を下げた。
しかし、彼女もまた僕らに頭を下げてくる。
礼儀正しいお母さんだなぁ――と、僕は思った。
「息子をよろしくお願いします、千原さん、七瀬さん」
「はい。お任せください」
スーツを着こなした千原さんが今朝も爽やかに微笑む。
「風太、挨拶して」
「僕は……たつまふうた…………です。……よろしくお願い……します…………」
母親の足に隠れ、不安げな顔だけを覗かせながら僕から目を逸らす少年。
櫛の通った艶々の黒髪をすっきりと切り揃える龍間風太君は小さな声で自己紹介してくれた。
「僕は七瀬咲也です。よろしくお願いします、風太君」
小さなお子様への心得、お子様目線を忘れるな。
僕は膝を曲げ、姿勢を低くして頭を下げた。
しかし、一瞬で穴に隠れる干潟の蟹のように、風太君は僕の一挙一動でびくりと肩を震わせ、お母さんの足に隠れた。
…………ううむ。
かなりの恥ずかしがり屋さんだな。
「すみません。風太は人見知りなんです。ほら、風太。お母さんの足に隠れないの」
「風太君はシャインちゃんが好きなの?僕は千原本希って言うんだ。こんにちなふー」
“こんにちなふー”?呪文?
千原さんが僕の隣でしゃがみ、手を狐の形にする。
狐は顔を傾け、耳をぴょこぴょこと折り曲げた。
すると、千原さんのよりも小さい狐が足の影から現れ、ゆっくりと千原狐に近付き…………キスをした。
「こんにち……なふぅ……」
もしかして挨拶とか?
「千原さんも綺羅星ガールズを?」
綺羅星ガールズ?アイドルか何かのユニット名?
「はい。毎週見てます」
「そうですか。風太も毎週欠かさずに見ていて。土曜日だけは早起きなんです」
土曜朝のテレビ番組だろうか。
僕も綺羅星ガールズを知っていれば……。
千原狐と風太狐が熱烈なキスを続ける。
「シャインちゃんと言えばやっぱり、『満天の星に代わって――」
「おしおきしちゃうなふー!』」
阿吽の呼吸で千原さんと風太君の台詞が連なり、風太君がいつの間にか母親の足の影から出てきていた。
風太君が先程と打って変わって明るい笑顔だ。
……僕、千原さんに感嘆しちゃうなふ。
「ここにはねー、満天のお星様が見れるところがあるんだ。一緒にお星様の下でシャイニーチェンジしない?」
「シャイニーする!」
僕もシャイニーチェンジしちゃうなふ?
…………そろそろ毒されてきたかも。
「それじゃあ、お母さんにお仕事行ってらっしゃいしよっか」
「お母様、行ってらっしゃいませ」
「行ってきます、風太」
風太君は背筋を伸ばし、母親に頭を撫でられると顔を綻ばせた。そして、千原さんと一緒に母親の背中に手を振っていた。
「おかあ……さん……」
「七瀬君?」
「あ、いえ。プラネタリウムですね。担当に電話します」
本来なら営業時間ではないが、頑張ってお母さんを見送れた風太君には満天の星を見せたい。
「頼むね。先に行っているよ」
「はい」
他人の母親に“お母さん”だなんて……。
僕は気を抜くと妄想ばかりするんだから。
悪い癖だ。
今日の僕の仕事は簡潔に言えば、子供のお守りだ。
詳細に言うなら、女手一つで小学生の息子を育てるカリスマ女社長の龍間さんがこの度、重要な案件で東京へと出張することとなった。
普段なら、息子の風太君はお手伝いさんとお留守番だが、風太君の誕生日が出張と重なってしまったのだ。風太君は母親を気にして何でもない風を徹底していたが、龍間さんはそんな彼とどうしても誕生日を一緒に過ごしたかった。
そんなわけで、千原さんと僕は龍間さんが仕事の間、風太君がつまらなくならないよう彼と遊ぶという任務を仰せつかったのだ。えっへん。
国都ホテルでの滞在期間は4日間。そして、3日目は風太君の誕生日だ。
つまり、明日の12月16日が風太君の誕生日である。
明日は龍間さんの仕事が終わる夜まで、国都流『誕生日お祝いプラン』が念入りに組まれ、既に各担当が動いている。そのため、今日は彼らの邪魔にならぬよう風太君に国都を案内することになっているのだ。
さて、現在時刻、午前11時2分。
僕らはプールで遊ぶ風太君を休憩所から見下ろしながら、風太君が目を離している隙に昼食を取っていた。この後は風太君が疲れてきた頃合いを見計らって、プール遊びを中止し、レストランに彼を連れて行って昼食にする予定である。
しかし、僕らは従業員。
レストランで用意されるのはお子様ランチと二人分のコーヒーだけである。
そう、“従業員には取り敢えず、コーヒー用意しとけ。勿論、一番安いのな”みたいな。
そんなこんなで午後3時ぐらいまで昼食時間が取れそうにないので、僕らはこうして今、こそこそとサンドイッチを食しているのである。
「千原さん、風太君と直ぐに打ち解けて凄いです」
何これ……おからコロッケサンド意外に美味しいんだけど。
「偶々だよ。風太君の好みがシャインちゃんで良かった。メインキャラじゃなかったら詰んでた」
「詰む?」
「小学生に今人気のアニメとかゲームとか、3日前から連日徹夜で勉強してたんだけど、最近はマイナーも受けがいいみたいで、勉強しなくちゃいけないタイトルが多くってね。メインキャラしか覚えられなかった。でも、風太君は王道中の王道を行く綺羅星ガールズ好きで良かったよ。それも綺羅星ガールズの主人公、シャインちゃん好き。シャインちゃんと同じグリーンラインのセーラー姿だったから、一目瞭然。ズボンの裾から見えた靴下もグリーンスターだったしね」
千原さんの話を理解するのに、たっぷり1分要した。
「でも、龍間さんに毎週見てるって……」
「いや、あそこで3日漬けで覚えましたとか言えないでしょ。風太君と仲良くなるきっかけがなくなっちゃうよ」
………………千原さんって凄い。
「あ、今、僕のこと凄いって思った?」
「はいっ。凄いです!」
「それは嬉しいなぁ。でも、そろそろ元チーフだけじゃなくて僕も君の対象にしてくれたら、もっと嬉しいかな」
真顔で『嬉しい』とか言われても……対象って何?
「それにしても、おからコロッケサンド美味しいよ。手作りだよね?」
「!」
そこを突っ込まれるとは。
「ん……僕の手作り……では…………」
「えー。君への手作りなのに僕も食べちゃったよ?謝らないと」
「いえ……構わないですよ」
「でも、七瀬君って一人暮らし……………えーっと……彼女さん!?ご、ごめん!!勘違いしてた!!」
…………………………勘違いしてます。
どうしようかな。
なんか僕に彼女できちゃってるし。
「あの、同居人がまぁ、作ってくれただけで……」
どこから聞き付けたのか、「昼飯食う時間ちゃんと取れないだろうから」と朝からサンドイッチ弁当を作っていた、半ば無理矢理の同居している同居人さん。
毎日、飼っている魚の様子を見に一度は帰るが、欠かさず僕の狭い家に来るのだ。
一度、鍵を掛けて居留守を使ってみたが、ピンポンが鳴り止まない。どうしようもないので、家に入れてやれば、子犬みたいな目をし、しかし、居留守に文句は言わない。
それ以来、僕は同居人が来るまで鍵を掛けられずにいる。
僕の弱いところ知ってんだから……子犬め。
「同居人……もうそれ付き合ってるよね?」
「別に付き合ってはないですよ。勝手に上がってきてるだけで……」
「でも、七瀬君の為にお弁当作ってくれるんだから、七瀬君のことが好きに決まってるよ。でも、あー……マジか」
これ以上、話を掘り下げれるのはマズイかな。
そう思っていたら、千原さんの携帯電話が鳴った。
「はい。……あ、はい。ありがとうございました」
プールを覗けば、お客様の中に風太君の姿はない。
おそらく、千原さんの電話はプールの監視員からだろう。
なら僕は――
「七瀬君」
「はい。レストランには電話してます」
「僕は風太君迎えに行ってるね」
「はい」
サンドイッチが3つ残ってる……。
「……食べきらなきゃ悪いじゃないですか」
僕はレストランに風太君が向かうことを伝えてから、休憩所が無人であったこともあって、サンドイッチを両手掴みで口に入れた。
誰も来ませんように。
“七瀬君の為にお弁当作ってくれるんだから、七瀬君のことが好きに決まってるよ”
…………そんなこと知ってますよ。
イベントの余り物に風船があったため、千原さんの秘めた才能――バルーンアートを体験したのち、営業開始前のバーでティファちゃんに練習がてらピアノ演奏をしてもらい、それを僕らは鑑賞した。例のバーテンダーのお兄さんには風太君にジュースを奢って貰った。
僕らも奢って貰ったのは秘密だ。
そして、風太君がピアノ演奏のなかでうとうとしだした頃、千原さんの電話が鳴り、僕らは龍間さんのお迎えをしにエントランスへと向かった。
「お母様!」
「風太」
タクシーのドアが開いた瞬間、風太君が車内へ。
運転手にお金を払おうとしていた龍間さんに抱き付く。
「こらこら。お母さん、お金払うから。少し待ってね」
「んん」
可愛いなぁ。
龍間さんにくっついて頭をぐりぐりと彼女の腹に押し付ける風太君。
初対面の僕達と1日沢山頑張ったね、風太君。
「今日は風太をありがとうございました。風太、皆様に迷惑かけませんでしたか?」
「いいえ。風太君は本当にいい子でいてくれましたよ」
お世辞ではない。
千原さんの評価通り、風太君はいい子だった。
そして、その風太君は、母猫に擦り付く子猫のように龍間さんの膝に座った瞬間に眠りに落ちていた。お母さんの為に自力で作ったバルーンワンちゃんを抱いて。
今日は歩いたり泳いだり変身したから、お母さんに会えてどっと疲れが出たのだろう。
「明日は風太君の誕生日ですね。とびっきりの企画を用意しています」
「ええ……。明日はなるべく早く帰ります。だから――」
「はい。お母様の存在には及びませんが、風太君には絶対につまらない思いはさせません。お誕生日ケーキはご一緒お食べくださいね」
「本当に……親切にありがとうございます。母親なら息子の誕生日ぐらい仕事から離れて息子とゆっくり過ごすべきなんでしょうけど……。この子には寂しい思いを……」
風太君の横顔を見詰める彼女は、もう息子を愛する母親の顔だった。
だからだ。
風太君はどんなに長く離れていてもお母さんを信じて待つことができる。
二人は離れていても互いが近いんだ。
僕もこんな風にあの人と通じ合えていれば、二人みたいに……もう過去の話か。
「風太君は、働く龍間さんは自分の自慢だと言ってました。風太君は龍間さんのお仕事のことを十分理解しています。たとえ、親子の時間が短かろうと、その分濃い時間をお二人は過ごされているのだと、僕は思いますよ」
千原さんって、仕事以外ではふらふらしているのに、真面目モードになると紳士だ。
千原さん的には仕事が濃い時間なのかな。
「そうですね。本日はお世話になりました」
「はい。では、僕たちは失礼いたします」
「失礼します」
折角の親子の時間、僕らはそろそろお暇しよう。
僕は最後に風太君の寝顔を見てから、客室から退散した。
「奥様と風太君見てるとさ、なんか温かくなるよね……僕もさ…………」
「?」
廊下のど真ん中で立ち止まり、宙を見る千原さん。
意識がどっかに飛んでいっているような。いつ帰って来るかな。
まぁ、前方にも背後にも通行人がいないから迷惑にはならないけど。
2分。
「あ、同居人さんに、サンドイッチ美味しかったですって伝えてくれる?…………でも、他人の僕が食べて気を悪くするなら言わなくていいからね。寧ろ、その時は土下座しに行くから」
「だ、大丈夫です。美味しかったって伝えます」
再び千原さんが歩きだした。
さぁ、帰ろう。
こんなに寒い真冬の夜でも、僕の日常は……やっぱり変わらない。
僕の部屋に誰かいる。
薄いカーテンから明かりが漏れていた。
僕も早めの上がりだったのに、同居人に先越されたか。
そして、僕は自分の家のドアの前で考えていた。
普通に鍵で開けるか、ドアチャイムを鳴らすか……。
そんな、他者には「どっちでもいいだろ」と思われそうなことで僕は悶々と考え込んでいた。
しかし、そろそろ寒い。
寒いな………………寒い。
ならば、より行動量が少ない方を――
ぴんぽーん。
「………………」
「おかえり。寒いだろ?早く入れ」
「…………はい」
なんで僕が入れてもらうんだろう。自分の家なのに。
「夕飯はハンバーグの予定だが、好きか?」
「ハンバーグ、好きです」
「うん」
僕が靴を脱ぐのもじっと待つ同居人。
背の高い同居人のせいで、居間からの明かりが来なくて暗いなぁ。
「えっと………………昼飯、どうだった?」
おからコロッケサンド…………。
「あの、サンドイッチ沢山あったし、千原さんがお昼御飯を用意していなかったみたいなので…………」
「分けたんだろ?いいよ。お前、優しいからな」
あなたに優しいとか言われたくない。僕は優しくなんか――。
でも、ややこしくならなくて良かった。
僕の鞄を奪った同居人は「ここも寒いな」と僕を居間へと急かす。
「美味しかったです」
「ん?」
「サンドイッチ美味しかったですっ…………千原さんも美味しかったって……」
「ん。どういたしまして」
こいつの手、あったかいな。
真冬の空気で冷えた頭を撫でられると、熱いぐらいだ。
「じゃあ、夕飯はハンバーグな。座って待ってろ」
そして、同居人はエプロンを付け、台所へ。
僕はコートを脱ぎ、そさくさと脱衣所に逃げてパジャマに着替えた。
居間に戻れば、リズミカルな包丁の音がする。
なんでだろう。
同居人と同居し出してから、若干、居間が明るくなっている。
暖房も設定温度を変えていないのに、前より部屋の中が温かい。
それに…………ほっとする。
「……あの!」
「うん?」
彼は僕を見る。
僕は彼から目を逸らす。
「た、ただいま……です」
「ん。おかえり」
彼は僕に微笑む。
僕は彼に下手くそな笑顔を返せた……と思う。
先輩と同居を始めて1ヶ月半。
僕の気持ちは先輩に何一つ伝えられていないけど、
僕の日常は……少し温かくなった。
最近、ハエトリグモさんと同居し出しました。
でも正直、益虫と言えど、クモが傍に居るという状況は辛いです……(;´Д`)
今年は例年より寒めの秋に突入しそうですね。
今が過ごしやすくていいのか、極寒の冬が待ち受けているのか……悩みどころです。って、私が悩んでもお天気は変わりませんねwww
ではっノシ