隼人と僕
「はぁ……ただいま」
「お帰り、さく。今日は遅かったね」
折角、長い時間を掛けて締めたネクタイを外される。
「どうしたの?」
軽く口付けをした隼人は僕の制服を脱がしてはハンガーに掛けていく。そして、ワイシャツだけの僕の頭を撫でると抱き締めた。
温かい。
「部活……もう無理かも」
「……さく」
弱音は吐かないつもりだったのに、隼人の感触が僕を包み込んだ瞬間、僕は全てを吐き出していた。
僕はバスケが好きだ。
最初は勘違いだと思ったんだ。
パスが来なくなった。
皆、僕を避けるように試合を進める。コートにいるのに試合をしている気になれない。
次に、練習相手がいなくなった。
今まで一緒に練習してきた子は、あんなにバスケに対する熱意を持っていたのに部活をやめた。何故かと訊いてもまともに答えてはくれない。そんな彼の腕にあった青アザは何を示すのか。
そして、今日。
ボールは確かに飛んできた。
明らかな悪意の隠ったボールが。
顔面に飛んできたそれを防ごうとして腕を上げた僕の足が他の足に引っ掛けられた。ボールは頭に命中し、受け身をとれずに頭を床に打った。お陰様で消えていた発作が再発した。床でのたうつ僕は、棒読みの心配する言葉を微かに聞き、誰かに踏まれた手の痛みを最後に気絶した。
起きたら病院。
部員も教師もいない。
誰もいない。
僕は一人ぼっち。
CTがどうのこうのと、今日は病院に泊まりなさいと言う医者に断って僕は病院を後にしたのだ。
病院にいたら、嫌でも今日のことを思い出してしまう。
どうしてこうなったの?
それはね……。
なんて思い出したくない。
それよりも、僕は何をしたというのだ。
そして、最初に戻る。
「部活やめたい……バスケがつまらない」
「さく……」
僕は隼人を困らせたようだ。部活に入っていない隼人は必死に僕にかける言葉を考える。
本当に、隼人は優しい。
「ごめん、隼人」
背の高い彼に抱き付いてキスをする。
「ごめん」
「さくは悪くないよ」
もう一度謝ると、隼人は僕をベッドの縁に座らせた。
「隼人?」
「赤くなってる」
踏まれた左手の甲が赤くなっていた。隼人は何処からか湿布を取り出して貼り付ける。
「冷たっ」
「さく、我慢だよ」
僕は目を瞑って堪える。
沈黙の時間は重くなく、柔らかかった。
「終わったよ」
貼り終えた隼人は僕の手に自分の手を重ねて囁く。
「隼人……明日、病院行かなきゃいけないんだ」
絶対にと、医者に何十回も言われた。
「俺も休む」
隼人は当然のように言った。
「え?あの……そういう意味で言ったんじゃなくて。明日は一緒に学校行けないって…」
僕は隼人には迷惑をかけたくない。
「さくはよく忘れるから俺が覚えるよ。これで、お医者様が何か重要なこと言っても大丈夫」
優しい。
優し過ぎるよ。
「……………………何で……」
「咲也?」
何で?
何で何で何で何で何で?
「どうして……どうして僕はうまくいかないんだよ」
何でもできる隼人を妬む気はない。
だけど、どうして僕はうまくいかないんだ。
部活で苛められるのも
母親が帰ってこないのも
体が弱いのも
こんな性格なのも
僕はうまくいかな過ぎる。
隼人に迷惑ばかりかけている。
咲也。
隼人は僕の名前を呼び……――
「――いーっ!!!?」
「さく、お散歩行こっか」
おもいっきり僕の頬を引き伸ばした。そして、散歩に誘う。
「おひゃんほ?」
「うん。お散歩」
もう外は暗いというのに……。
隼人は僕が散歩?と聞き返した時には僕のワイシャツを脱がしていた。
「隼人!」
「行く前に、肩にも湿布貼らないと」
指差す先、右肩も赤くなっていた。
「変なこと考えた?」
などと訊いてくる隼人はアホだ。
「アホ」
つい本音が……。
「アホはさくの方だよ。興奮してる」
……………………………………確かに。って同意できるかってんだ!
「散歩!」
「どこ行く気?」
「付いてこれば分かるよ」
怪我のしていない僕の手を握りしめて僕をぐいぐいと引っ張っていく。それでも、時折、僕の体を心配してゆっくりと歩き、疲れを癒す時間をくれる。
15分程歩いたところで、俯いていた僕は隼人の背中にぶつかった。
「隼人?」
顔を上げれば……。
「隼人!?」
僕は「街中で……!!」と、唐突に抱き締めてきた隼人に言い掛けて、空を見上げていた。
「ここ……」
「俺と咲也が初めて出会ったところ」
ちょうど森の拓けた場所。
カミツレの群生地は月光の注ぐ神秘的な場所。
「ここで俺はお前に会って――」
「告白」
隼人は僕に告白した。
「さく、お前は言ってたよ。僕は絶対に変わらないって」
そう、僕は正義の味方であり続けると。
いつもいない母親のようにはならない。大人になっても僕だけは、餓鬼みたいに正義を言い続けると。
「ホントはこの気持ちを仕舞って置こうと思った。だけど、咲也のその言葉聞いたら、好きって言ってた」
それを聞いた次の瞬間には、僕は隼人に胸に抱かれて地面に横たわっていた。ドクンドクンと誰のものだか分からない心音が響く。
「さくは変わりたくないんだろ?だったら変わらなくていいんだよ」
だけど、それとこれとは違うよ。
「隼人に迷惑を掛ける」
すると、
「さく、もっと俺に迷惑掛けてよ」
隼人らしい、僕としては困った発言をしてくる。僕は思わず聞き返していた。
「え?」
「迷惑掛けて……それで……笑顔を見せて。咲也の笑う顔、俺、大好き」
僕はこの時ばかりは女になりたいと思った。
こんなに胸が薄くては、苦しいぐらいに強く跳ねる心臓の動きが隼人に伝わってしまうではないか。
苦しい。
胸が苦しい。
「さく、検査終わったら一緒に空き地でバスケしよ?さくの大好きなバスケをね」
「僕の大好きな……」
何でこんなに隼人は……。
「お前は俺が護るから。って、咲也の性格だったらこんなこと言ったら―」
「僕は護られ続けられる気はない!」
「って言うと思うから……」
何で……。
どうして……。
「七瀬咲也……」
どうして……珠樹隼人は……――
「俺の傍にずっといて」
こんなにも簡単に僕の心を揺さぶるんだ。