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八尋(2)

 俺の立場はかなり面倒だ。

 面倒というのは俺以外の煉葉(れんば)関係者から見た俺の立場だ。

 本来、煉葉の後継者は俺の兄の煉葉璃央(りおう)に決まっていた。

 だからこそ、俺の兄は後継者として必要なものを全て与えられてきた。兄の成人に合わせて計画的に。

 しかし、兄は成人となる前に煉葉を出た。

 喩え、煉葉に金と権力が有ろうと、縁を切られても構わない兄を後継者の席に座らせる訳にはいかない。無理強いはできても、煉葉の行く末に待つのは滅びしかなくなるからだ。

 結局、煉葉は兄と縁を切って赤の他人とし、俺を煉葉家の長男とした。

 つまり、俺は兄の身代わりだ。勿論、望まれずに仕方がなく。

 何故なら、長年の『煉葉璃央の後継者計画』が水の泡となり、次は今までないがしろにしてきた『煉葉八尋の後継者計画』だ。この計画には後がないから失敗は許されない。

 すっかりひねくれた次男だった子供の機嫌を損ねないように常に注意を払わなくてはならないのだ。

 かなり面倒臭い。

 そして、それまで使用人達は呼び方からすら俺の次男という立場を厳格にしてきた。

 兄には『璃央様』と。

 俺には『八尋(やひろ)君』と。

 しかし、兄が家と縁を切ってから直ぐに俺の呼び方は『八尋様』に変わったのだ。

 それは露骨で吐き気がするぐらい気持ち悪かった。





「や、八尋君っ!大変だよ!!!!」

 その夜、勢い良く開いた扉から大野(おおの)が飛び込んできた。廊下からの光が珍しく取り乱す大野の横顔を照らす。

「…………何だ?」

 今は何時だろうか。

 眠ったのが10時頃だから、今は次の日の朝か。

 カーテンの向こうは暗く、朝の3時ぐらいだろう。

 兎に角、起きるにはまだ早すぎる。

「奥様が!!」

 ああ…………そういうことか。

 そのたった一言で俺は彼の言いたいことが分かった。

「急な発作で、今さっき――――」



 ――――母が死んだ。



 母の急死に煉葉は大混乱になったが、それも一時的だ。

 気付いた時には俺は母の実家にいた。布団と枕と毛布しかない畳部屋にいた。

 それでも決まった時間には食事が運ばれ、部屋の外では忙しなく誰かの足音がする。

 母の葬式の準備だ。

「八尋君、暇でしょ?」

「大野?」

「おやつにしよう。サーターアンダギーを買ってきたんだ」

 紙袋には沢山の揚げ菓子。サーターアンダギーは確か沖縄のお菓子だったはず。

「プレーン、黒糖、紅いも、カボチャ……あとココア味があるよ。一緒に食べよう」

 大野は俺に紙袋を渡すと、皿を取りに部屋を出て行った。

 俺の胸元からは仄かな甘い匂い。

 サーターアンダギーは映像でしか見たことがなかったが、これは旨そうだ。


『八尋様』


「何だ?」

 襖の向こうから女の声。

『明日のお召し物の調整をしに参りました』

 喪服か。

『あ…………』

『大野さん?お皿……ですか?』

『いえ……えっと、八尋君に…………』

 不味いな。

 勝手に外の菓子を食べていたとバレたら大野が怒られてしまう。

 俺は特には何もない部屋を見渡し、押し入れに紙袋を隠した。

「入っていいぞ」

「失礼します、八尋様」

「や、八尋君、お皿……いる?」

「…………いる」

 端から見たらかなり怪しいのは分かるが、皿に関しての辻褄を合わせるとなるとこう返事をするしかない。

「大野さん、少々……」

「構わない。大野もここに居ろ」

「分かったよ」

「では、八尋様、こちらに着替えて貰えますか?」

「ああ、分かった」

 俺はこの家に仕える女中が完全に出たのを見計らって押し入れを指差した。

 大野はキョトンとしながらそっと押し入れを開け、紙袋を見付けて俺をじっと見詰める。そして、腹を抱えて失笑。

 俺も失笑。





 驚いた。

 人間は焼くとあんなにも小さな壺の中に入ってしまえるのか。

 そして、こんなにも簡単に自らの存在をなくせてしまえるのか。


 もう俺には、母が“何”だったのか解らない。



 母の火葬を見守り、俺の役目は終了した。そして、俺は父や他の者を置いて先に煉葉の家に帰ることになった。

 大野の運転する車で陸奥(むつ)と一緒に。

 車内では大野も陸奥も無言だった。

 俺も無言だった。

 別に喋り辛かったわけでも喋りたくなかったわけでもない。ただ、俺には喋ることがなかった。

 何も考えられなかった。

 普通は母の死について考えるのかもしれないが、その時は本当に何も考えられずに頭も回らずに、目が勝手に見て耳が勝手に聞いていただけだった。

 そして、眠った。

 時折目覚めては頭が重たくて起きれずに再び眠る。それを繰り返し、合間で水分を取らされたりした……と思う。

 何日経ったのかは分からなかったが、眠気も消えてどうにか起き上がれるようになり、俺は運動がてらにベッドを降りて窓に近寄った。

 すると、窓枠に置かれた鉢植えのスミレが枯れていた。

 窓の向こうの庭のバラも枯れていた。

「………………枯れた……」

 庭の隅から庭師達が枯れたバラを片付けている。一体、この庭のバラの片付けには何日かかるのだろうか。

「八尋君……?起きたの!?」

 声の方へ振り返れば、大野が嬉しそうな泣きそうな顔をして俺の手を取った。

「大丈夫?調子悪いとこある?頭痛いとかダルいとかない?」

「別に……俺は寝ていただけだぞ」

「だって3日だよ!?先生も原因は分かりませんとか言ってさ!あ、先生!先生呼ばなきゃ!いや、先ずは八尋君はベッドに!」

「もう眠れないが……」

 頭もすっきりとしていて、今は起きているより眠る方が難しいくらいだ。

「いいの!起きてていいから横になってて!」

 大野の過保護は俺が煉葉の(一応)長男という以前に彼の性格だ。

 良くて思い遣り深い。

 悪くてお節介。

「なぁ、父さんはどこまで片付けたんだ?」

 俺は大野にベッドへと背中を押されながら訊ねた。

「“どこまで”?」

「庭だけじゃないだろ?」

 振り返れば、大野の体も表情も固まっている。

 この反応だと、どうせ母の部屋は既に空っぽだろう。

「もう何もないみたいだな」

 記憶の中以外には。

 と言っても、俺の母さんの記憶はほんの少ししかないが。

「八尋君が眠っている間に勝手にごめん……」

「別に構わない。父さんの指示は誰にも止められないしな」

 そうだ。

 俺は別に構わないのだ。

 この家ではそれが当たり前で常識なのだから。

 母さんは俺と兄の“母親”としてこの家に存在していた。だから、母さんが“死者”となった今、この家に“母親”の居場所は必要ない。

 必要のないものは捨てるだけだ。




 そうしていつか、俺の全ても捨てられるのだろう。









 『嗚呼、私が欲しいもの。それは――――』



 いつも通り手紙を劇場スタッフに渡し、いつも通り家に帰ろうとしていた時だった。

「あ、あの!」

 あの声だ。

 美しいあの子の声。

「本日は僕達の舞台を見に来てくださり、ありがとうございました!」

 涙を流したあの子とは髪型や服装が全然違うが、大きな目と上気した頬、鼻や唇、体のラインまであの子と同じだった。

「ウンディーネじゃないか!」

「今晩は、三木(みき)さん」

「会社が忙しくて中々来れずにいたんだが、やはりウンディーネの歌声を聞くと癒されるよ」

「ありがとうございます」

 あの子の隣に立っているのはウンディーネと呼ばれている役者だ。音楽には疎い俺でも聞き惚れるぐらい歌がとても上手い。

 そのウンディーネ(多分、男だ)が常連らしい客ににこりと会釈した。

「おや?君は……」

「は、はい!マリアです!」

 名前は“マリア”でいいのか。

「初めまして、マリア君。私は三木と言います」

「初めまして、三木さん!」

「新人さんだよね。今日の舞台を見たのは初めてなんだけど、君のマリア役は本当に素晴らしかったよ」

「いえ、僕はまだまだで――」

「こら、マリア。お客様は君の演技を褒めているんだよ?ありがとうございますでしょ?」

「あ、あ……ありがとうございます」

 舞台の上とは全然違う。

 恥ずかしがり屋みたいだ。

 それもかなりの。

 まだ舞台での興奮が冷めていない状態であんな感じなら、本心はかなり内向的だろう。

 それだけ舞台が好きなのが分かる。


 それにしても――


「マリア……」

 俺はまだ君に声を掛ける勇気がでない。

 匿名で君に手紙を書くことしかできない。

 近いのに…………遠い。





 劇場を出る寸前、俺は三木と言う男と話すウンディーネの背中に隠れたマリアと目が合った気がした。


 澄んだ瞳と心の底からの笑顔。




 ――君は何て綺麗なんだろうか。

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