本音の証明
夜道をとぼとぼ。
人通りは全然だが、周囲の家から漏れる明かりで更に暗くなった細い道路を歩くのが僕は好きだ。
耳を澄ますと聴こえる笑い声と共に、キラキラ輝く家々の光は僕の胸を温かくする。時折、その温もりに願望が混じってしまうこともあるが、幸せな家族の存在自体が僕には心地好い。
何て言うのかな。
僕は温もりに嫉妬することもあるけど、他人の僕にも温もりを感じさせてくれることが嬉しいのだ。
ま、勝手に感じているだけかも知れないけどね。
兎に角、その時の僕は靴がアスファルトを鳴らす音をベースにし、周囲の温もりをメロディーにしてその音楽に酔いしれていたのだ。
しかし、
「なぁ、遠回りじゃないか?」
先輩が“僕の”空気も読めずに繊細な演奏にズカズカと割り込む。
それよりもだ。
確かに、今日の昼頃、僕は先輩と一緒に帰る約束をした。しかし……一体、いつまで一緒に帰るのだ?
「遠回りなのは先輩の方では?道、真逆ですけど」
先輩の家は既に僕の進行方向の逆。
先輩の家に真っ直ぐ帰るなら、5分くらい前に通った駅で僕と別れるべきだった。なのに、先輩は当たり前という顔をして僕の隣をいつまでも歩き続ける。
呆けて自分の家の位置を忘れた?
駅からここまで、「先輩の家は真逆ですよ」と僕は何回か言っているし、先輩は「ああ」と何回か返している。となると、先輩はわざわざ僕の隣を歩いているのであり、このままだと……僕の家まで付いて来る気か!
というわけで、僕は遠回りをしている。遠回りが嫌いなわけでもないし。
「今日、七瀬の家に泊めてくれ」
道草を食っていれば先輩が帰るかと思えば、先輩は図々しかった。
しかし、“僕の家に泊まりたい”という先輩の望みには俄然バリバリ気付いていた。寧ろ、帰宅する僕にぴったりと付いてくる超金持ちの先輩が、向こうの激安スーパーの激安売れ残りを買いに来たなどと考える方が不自然だ。
でも僕は、激安スーパーの激安売れ残りを地道に待つ迷惑な客の一人だけどね。
いや、ホントに安いんだよ。
しょうが焼き弁当を2桁で売ってくれるし。
………………つまり、少し逸れたが、僕は先輩が僕に付いてくる理由には気付いていた。しかし、それにオッケーを出すかは僕次第。
僕の返事は……――
「申し訳ありません。今は部屋の中が汚く、とても他人様に見せられるものでは」
やんわりと拒否。
「他人じゃなくて恋人だ」
夜とは言え、公共の場で堂々と言わないで欲しい。通りすがりの野良猫に聞かれたらどうしてくれるんだ。もし聞かれたら、明日には地域の野良猫皆のネタになる。そして、僕の部屋の傍で「にゃーにゃーにゃ?」「にゃぁあああ」って僕を笑うんだぞ。
「なんなら、俺が掃除してやるから。だからいいだろう?飯も作るから」
俺様の先輩が一瞬、仔犬に見えた。「何でもするから拾ってよ」って感じ。
僕はこういうのには弱いんだ。
この前、蓮が言っていたのだけれど、幼い赤ちゃんが突然微笑むのは戦略的行為だという説があるらしい。赤ちゃんはああやって大人の前で微笑むことによって大人の母性本能を擽る。そして、構ってもらう。
赤ちゃんは自分ではなにもできないからこそ、生き残る為に大人に“ウケる”行為をするのだとか。
僕はとても恐ろしい話を聞いたんだなぁ。赤ちゃんだけではなく、子猫の「にゃあ」も疑わしく思えてくる。そして、ついでに先輩も疑わしい。
ま、僕がこの手の行為に弱いことには変わりはない。
「分かりました……ですが、持て成しは期待しないでください」
お茶請けにはせいぜい、湿気た煎餅ぐらいしか僕の家にはありませんからね。
「ありがとう、七瀬」
先輩が笑った。
「どうだ?」
これは不覚にも――美味しい。
「旨いか?…………不味いか?」
いや、美味しい。
僕がひねくれようがないほど美味しい炒飯だ。
24時間以上放置されていた炊飯器の固いご飯が、何故、黄金色の炒飯に変身できたのだろうか。美味しいし、凄い。
僕は先輩への返事の代わりに炒飯を口の中へと掻き込んだ。しかし、先輩には僕の気持ちが伝わらなかった。
「不味いなら……無理しなくていい……食材を無駄にしたな。すまない」
先輩は変なところで遠慮がちになる。国都では“俺様”だったのに、僕の部屋にきたらこれだ。
僕の調子が狂うなぁ。
「あの、とても美味しいです」
「………………良かった。実は、炒飯を作ったのはこれが初めてなんだ。電話で大野に聞いて作ったんだが……大野の炒飯はこれより旨いからな」
優一さんに聞いたとは言え、初炒飯でこれだけのものを作った先輩には料理のセンスがある。
人望厚く、料理ができ、顔もかなりいい方で筋肉有りで人柄良し。もっと周囲にアピールしたら、これはモテるだろうなぁ。
対して、僕は平々凡々な貧乏人。でも、料理なら頑張れば……。
――――って、おいおい。
先輩は俺様セクハラ野郎だろう?
先輩は変態。以上!
しかし本当に、先輩は優一さんにも陸奥さんにも信頼を置き、二人とは遠慮なく頼れる仲なのだ。
“世話役とお坊っちゃま”ではない。
先輩にとって二人は……本物の家族よりも“家族”なのかもしれない。他人の僕がそう推測すること自体が無粋かもしれないが、僕は先輩に誰よりも近いのは二人だと思うのだ。
嗚呼……………………僕もそんな家族が欲しい。
「なぁ、七瀬。……お前は誰かに本音を言ったことがあるか?誰かと腹を割って話したことがあるか?」
そんなことを言われたのは、覚悟していた“寝る場所”について議論したことから始まる。
「先輩は布団を使ってください」
「お前は?」
「余った毛布で寝ます」
直に畳はキツいから、下にコートを敷いて寝ればマシだろう。
「風邪を引く。一緒に――」
「寝ませんからね!」
「…………。お前、俺の家ではいつも一緒のベッドなのに」
はあ!!!?
その言い方は誤解を生むだろ!
『先輩の家ではいつも(気絶した僕をベッドに寝かせて)一緒に寝ている』だ。
まるで僕が許して一緒に寝ているかのような言い方はやめて欲しい。
隣部屋の人とか、その隣部屋の人とかに聞かれたらどうしてくれるのだ。
きっと、12月のクリスマス会も1月の餅つき大会も誘ってもらえなくなるじゃないか。そしたら、手作りのクリスマスケーキもつきたての餅も食べれなってしまうのだ。
それは嫌だ。
まぁ、僕の寝る場所の用意をしてしまえばどうにかなる。だから僕はなるべく布団と距離を開けて、自分の寝床を部屋の隅に作ろうとした。
なんだか秘密基地作りの気分で楽しい。
が、
「…………あの……」
畳を映していたはずの僕の視界は天井の豆電球に変わっていた。見慣れた天井板の木目も見える。
因みに、右端の木目は上下反転させると顔っぽくなるのだ。ひょっとこみたいな木目は、気を抜いた時にそれを見ると笑える。
「……七瀬。俺のお前への気持ちは分かっているよな」
「…………っ……」
口には絶対にしたくはないが、先輩の「好き」は見え見えで、それは反応の薄い僕へのわざとなのは分かっていた。先輩は偽物ではない好意を僕に持っている。
しかし、この状況にまで持ち込まれることは予測できていなかった。
「ぼ……僕は、先輩が泊めて欲しいと言うから泊めたんです」
僕は先輩に押し倒される為に先輩を家に招いたわけではない。
あくまでも、先輩が頼むから……――
「あ、あの、僕、シャワー浴びるので……じゃ、じゃあ、おやすみなさい!」
僕は先輩を渾身の力で押し退け、押し入れ内のタンスから適当に下着と衣服を掴んで脱衣場に駆け込んだ。この時、勢い余って脱衣場の棚にぶつかり、中に並んだタオルを自分の頭に降らせてしまったが、今は無視だ。
そして、覚束ない指でどうにかドアに鍵を掛ける。
「……………………はぁ……」
やっとできた個室だ。
誰にも邪魔されない僕だけの空間。
僕はドアに背を預けて煩い拍動に耳を傾けて休憩し、足が痺れたので床に座った。
…………疲れた。
あーあ、せっかく大きさごとに並べたタオルがぐちゃぐちゃだ。
もうシャワー浴びる気力もなくなったし。
このままここで眠って……――
『なぁ、七瀬』
ドア越しに聞こえた先輩の声。不意のそれに心臓が飛び出すかと思った。
僕はホラー映画みたいな脅かす系が本当に苦手なのだ。心臓にも悪い。
「…………はい……」
僕は前の先輩への対応に少々の罪悪感もあって、慎重にだが返事をした。そして、僅かな振動をドアから感じ、先輩が廊下に腰を下ろしたのが分かった。
薄くて冷えた板を挟んで感じる先輩の存在。
沢山の従業員達を背負う大きな背中。
国都ホテル最高責任者、煉葉八尋。
僕とは違う。
『……お前は誰かに本音を言ったことがあるか?』
いいえ。
『誰かと腹を割って話したことがあるか?』
いいえ。
僕の本音は自分でも目を逸らしたくなるほど醜い。
だから、誰かにさらけ出すことはできない。
たとえ……隼人でも。
『俺はない。だが、大野と陸奥は俺が本音を言わなくてもそれを見破る』
隼人もいつも僕の本音を見破っていた。
だけど、僕は隼人の本音が全然分からなかった。
何度もキスをし、何度も体を重ねたたった一人の相手だというのに、僕は隼人の言葉と温もり以外は何も分からなかった。
そして、今も分からない。
でも、先輩は違う。
優一さんとも陸奥さんとも心から通じ合っている。
僕とは違うのだ。
僕は誰の本音も分からない。
“分かりたくもない”
『七瀬、俺がお前を好きなのは俺の本音だ。だがお前は――』
――僕はその言葉自体が本音かどうかすらも分からない。分かりたくもない。
『俺にはお前の本音が分からない。だから、先ずは俺の本音をきちんとお前に伝えたいんだ』
僕には本音は分からない。寧ろ、他人の本音なんて分かりたくもない。
父の本音も。
母の本音も。
隼人の本音も。
何も分からなければ――感じなければ、僕は足を踏ん張って立っていられるから。
『お前が好きだ』
先輩は本当に僕が好きですか?
心の底から僕が好きですか?
『これが俺の本音だ』
それが本音だという証拠はありますか?
先輩は僕が好きだという証明はできますか?
先輩は僕を愛していますか?
『昔、俺はお前に救われたんだ』
分からない。
分かりたくもない。
『俺は“マリア”に救われたんだ』